第十六話「聖職者とその趣向」
「さて、それで? 私はよくわからなかったのだが、さっきリクリスが言い出していた言葉はなんだったのだ?」
状況を整理するために、ひとまず、こちらの言葉に耳を傾ける気になった二人に軽い質問をした。
「先ほどリクリスが口にしていた言葉は、一生結婚しない事を神に誓う言葉なのですよ」
ラリカがこめかみに右手の中指を押しあてながら、目をつぶりながら応えた。
どうやら、頭の中を少々整理しているらしい。
「……はあ?」
あまりに予想外の内容に思わず思ったより低い声がでた。
「ええ。その反応ももっともです……より詳しく言えば、普通では結婚できない人と共にいるために、自分は一生独身を貫きますという宣言なのですよ」
いわば、身分違いの恋の為の愛人宣言といったところか。
「……そんなもの、二人とも良く知っていたな」
「ええ、まあ、ミルマルの貴方には理解できないかもしれませんが、世の中の物語では一定数需要がある場面なので、良く使われる言い回しではあるのです」
「そうなのか」
ロミオとジュリエットではないが、世の中悲恋劇が流行るのはところ構わず同じという事か。
それはまあ分からんでもない。
「で、なぜリクリスはそんな言葉を突然口にしたのだ?」
「それは私にも……?」
そういって困惑した様子でラリカが、リクリスへと視線を向ける。
リクリスは、先ほどから顔を伏せてしまっていて、表情を伺い知る事が出来ない。
ベッドの上で正座したまま両手をぎゅっと固めて膝の上に置いている。
力のこもった両肩が、プルプルと小刻みに震えている。
「……夢、だったんです」
「「……夢?」」
ポツリ、と漏れ出た言葉に、ラリカと私の言葉が重なった。
「……はじめては、大切にしたいなって……」
「「はじめて……?」」
「は、はじめてそういう事する人とは、きちんとしてからしたいなって……」
ぼそぼそと下を向きながら話す、リクリスは両耳まで真っ赤に染めている。
これはまさか……
「ら、ラリカ、君は一体風呂場で何をしていたのだっ!?」
ラリカがリクリスに手を出したと言うのか!?
うちのご主人に限ってそんなことはないはずだ。
いや、だがリクリスとの仲の良さはひょっとすると……
いや、この主人がそんな事をするはずが……
まさかまさかと思う思考が、千々に乱れ混迷を極めていく。
「ま、待ってください。くろみゃー。私は何もしていませんよ!? 冤罪ですっ!」
「う、ぐっ、ぐぅ……」
リクリスが嗚咽を漏らす。ついに泣き出した。
「ラリカ、ラリカッ! リクリスが泣き出したではないかッ! やはり、無意識にあれやこれやのやりたい放題、遊びたい放題したのではないのかッ!?」
「ええっ!? ……そ、そんなことは無いはずですよっ……!」
顔を赤く染め、ラリカが目じりに涙さえ浮かべながら全力で否定する。
だが、なぜか自信がなさそうに視線をさまよわせている。
「いま、どもったな!? やはりなにかやましいところがあるのではないか!?」
「ですからっ! 本当に覚えがないのですよっ! そんな記憶は一切ありませんよっ!?」
「『記憶にございません』などと言い出すのはうそつきだと相場が決まっているのだ」
「それは、むちゃくちゃな言い分ですよ~ッ! くろみゃーッ!」
まさか、ラリカにそのような趣味があったとは……
これはまいった。如何にして責任を取らせればよいのだろうか。
「リクリス。安心しろ。きちんとラリカには責任を取らせる」
「貴方は何を言い出しているのですかっ!?」
リクリスの方を向いて、なるべく真摯な声で語りかけた。
ラリカがなにか言っているが、ひとまずは置いておく。
まずは無垢な被害者に、優しく対応してやることが肝要だろう。
「あの、あの、私、私、別に責任とかじゃなくて……」
「ん? どうしたリクリス。なにか要望があるなら、遠慮せず言うがいい」
「ただ、きちんとそういう手順を踏んだ上で、誓ったうえでそういう風になりたかったんです……」
「なるほど。その正規の手順というのが、先ほどの言葉なのだな」
「はい……」
顔を俯かせたまま、リクリスがか細い声を出した。服の裾をぐっと下に引っ張って足元を隠すように伸ばしている。
「リクリス、貴女はなぜ私とそういう関係になったと思うのですか?」
リクリスの姿を見て、何かに思い当たったらしいラリカが問いを発した。
……ついに、観念したのだろうか?
「あの、その、下着……」
ぼそぼそとリクリスがラリカに向かって応える。
ラリカの顔を見るのが恥ずかしいのか、膝先をすり合わせるのみで未だ顔を上げる様子はない。
「……ああ、やっぱりそうでしたか」
――これ以上なく安堵を表現した表情でラリカが息を大きく吐き出した。
何か先ほどからのやり取りのなかで分かった事があったのだろうか。
「くろみゃー、やはりこれは冤罪ですよ……」
気だるげな様子でラリカが私に向かって言い訳をする。
「リクリスが嘘をついているとでもいうのか? この様子をみて演技だとはとても苦しい言い訳だぞ?」
「……誰もそんな事は言いませんよ。リクリスは、単に勘違いしただけです」
そういって、ラリカは腕を伸ばし、軽く伸びをするとリクリスの髪をあやすように撫ではじめた。
ラリカの手が触れると、リクリスがびくりと震えた。
「リクリス、貴女は下着を着ていなかったからそういう関係になったと思ったのですね?」
「……はい」
「というわけです。くろみゃー。聞いての通り、何かがあったわけでなく、風呂場から上がってから下着を付けていなかったからそう思っただけですよ」
そういって、困ったような、どこか笑いをこらえるような表情で唇を引き結びながら肩をすくめる。
……それだけのことで? 正直、そんな感想を抱いた。
先ほどまでの騒ぎはなんだったのだろうかという感じだ。
だがまあ、考えてみれば気がつけば下着を剥がれた状態で他人と同衾していれば、なにかがあったと思ってもおかしくないのかもしれない。
それにしたって先ほどの反応は少々突っ走り過ぎている気がするが。
「くろみゃー、考えてみればリクリスがこんな事を言い出すのも仕方のないことなのですよ」
呆れている私の考えていた事を読み取ったかのように、ラリカがフォローを始めた。
「よくよく考えてみれば、私はヴェニシエスです。そういう風に思われても仕方がないのかもしれません」
「どういう意味だ?」
ラリカのフォローの意味が分からない。
まさか、ヴェニシエスにはそういった趣味が伝統的にあるとでもいうわけでもあるまい。
「多いのですよ。教会には。そういう趣向を持った人間が。ユルキファナミア教会やユーニラミア教会は比較的戒律が緩いので、あまり多くは無いのですが、こと聖職者には歪んだ嗜好の方が多くてですね……」
なるほどな。意外と当たらずとも遠からずといったところだったようだ。
もともとの世界でも衆道の気がある聖職者も多かった。
案外そんなものなのかもしれない。
「ラリカさん……勘違い……なんですか?」
おずおずと目を真っ赤にしたリクリスが顔を持ちあげた。
「ええ。そうですよ。リクリス。今も貴女の体は清いままです」
「……良かったぁ」
私以外には聞こえなかっただろう、小さな声でぽつりとつぶやいて自分の両手で全身を抱きしめた。
しばらく、私たちは何をするでもなく、リクリスの納得がいくまでじっと見つめていた。
「……王都に出てくるってなったときに、王都の偉い人になにかして貰う時は気をつけなさいって聞いていてっ、ラリカさんは私にとてもよくしてくれましたから……」
「ええ……ええ。ですが、私以外にはきちんと気を付けないといけないですよ」
「……はい」
そうして、ようやくリクリスもじわじわと動揺が収まっていき――
――今目の前に広がっている、謝り倒すリクリスに、苦笑いを浮かべながら気にするなというラリカの構図が出来上がったのだ。
「二人とも、蒟蒻問答もほどほどにしておけ。そろそろ寝なくては本当に明日に響くぞ」
このままではいつまでたっても一日が終わらない。そろそろ私も眠くなってきた。
勝手に眠ってしまえばよいのだろうが、そろそろ切りの良いところで切り上げさせなくてはいつまでたってもこの子たちは寝られずにいそうだ。
「――そうですね。そろそろ寝なくては本当に明日がしんどくなってしまいますね」
私の言葉を受けたラリカはにやりと嫌らしい笑みを浮かべると、右手をリクリスの左肩に、左手をリクリスの腰のあたりに添えた。
一体どうしたのだろうか?
「え、あ、あのラリカ――きゃあっ!」
ラリカはそのままタイミングを見計らうと、勢いよく回転させるようにベッドにリクリスを横たえた。
傍から見ていると、リクリスがコマのように回転し、もんどりうって倒れたように見える。
かなりむちゃくちゃな動きをしたため、それなりの衝撃があるものと思われるが、ふかふかの柔らかなベッドは優しくリクリスの体を受け止めてくれた。
……なんと器用な。
ミギュルスと戦った時も思った事ではあるが、このご主人の身体能力はどうなっているのだろうか。
時々、そのほっそりとした小さな見た目からは想像も出来ない動きを時々やらかす。
「――さ、 寝ましょうかッ!」
ラリカは、リクリスに続くようにボフッと自分もリクリスの横に倒れ込むと、リクリスの頭を優しく撫でた。
「あ、は、はいっ! おやすみなさい、ラリカさんっ!」
「はい。おやすみなさい。明日は術式の話をしっかりしますよ?」
「わかりましたっ! よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
「では、今度こそ――おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ラリカとリクリスはお休みの挨拶をお互いに言いあうと、ラリカは目をつぶった。
リクリスは、ラリカと一緒の布団に入っていることに緊張しているのか、未だ目を開けたままラリカの顔をじっと見つめて固まっている。
まあ、アイドルのように思っている憧れの人物と突然同じ布団に放り込まれる状況になれば緊張の一つもあるだろう。
――それも、いずれ打ち解けていけば消えてしまう程度の問題だ。
今後の二人の友情がはぐくまれていく様に期待だ。
……ただ、そんな良い雰囲気の二人に対して、私はひとつだけ苦言を言わなくてはならない。
本当は言いたくないが、仕方がない。
「ラリカ、私の寝場所はないのか……?」
リクリスとラリカ、二人の距離がぎゅっと縮まったため、先ほど眠ろうとした際に確保されていた二人の間に潜り込む事が出来ない。
「……ああ、その辺で適当に眠ってはどうですか?」
もはや、完全に眠りのモードに入ってしまったラリカが面倒そうな声で、おざなりな返答を返してくる。
……く、仕方がない。
どこか適当な端で丸くなって眠るとするか。
……さっき川の字で寝ると約束したのに。
「あ、あの、ラリカさんっ、私、ベッドから降りますよっ?」
私がぶつぶつと不満げな様子で、両前足をつかってふにふにとベッドを整えていると、リクリスが健気な申し出を始めた。
ラリカに固められ、華奢な体格があらわになった状態で、横を向いた顔だけをさまよわせて、私の方をちらちらと気にしている。
「……ん、くろみゃー、こっち」
左手でベッドからリクリスが出ないようにしがまえたまま、ラリカは右手をこちらに向かって突き出した。
頑なに目はつぶったままだ。
「……早く来なさい」
そのまま、手招きするように私に近寄ってくるように手を振る。
一緒に寝ようということだろうか。近づいていくと、ラリカにがっしりと掴まれた。
そうしてそのまま、ラリカとリクリス、二人の少女の間へと滑りこまされた。
「……ん。やっぱり少し湯冷めしてきていましたし、お前がいた方があったかいですね」
そういって、ラリカは私をリクリスと一緒にサンドイッチするように抱きしめた。
風呂上がりの二人の良い香りがふんわりと漂っている。
そのまま、ラリカは優しげな寝息を立て、今度こそ本当に眠りについた。
「……リクリス」
私の後ろにいるはずの少女に向かって小声でぼそりと呼びかける。
視界はラリカの方を向いて固定されているため、確認する事は出来ない。
寝息は聞こえないから、おそらくまだ起きているはずだ。
「……はい」
応えるリクリスも、しっかりと眠りに入ったラリカに気を使ったのか、小声だ。
「ラリカをよろしく頼む」
「……私の方が迷惑をかけ続けてます。ごめんなさい」
「いいや、ラリカは結構さびしがり屋だからな。助かっている。これからも一緒にいてやってくれ」
「……私なんかでいいですか?」
「ああ、この子もリクリスを気に入っているようだ」
「……ありがとう……ございます……」
その言葉を最後に、二人の間に沈黙がおりた。
――規則正しい寝息が聞こえてくる。
やはり、この子も相当疲れがたまっていたのだろう。
私も眠るとしようか。今日は本当に疲れた。