第十四話「くろみゃーの秘密」
教会の自室に備え付けられた卓を囲むように、ラリカとリクリス、そして私が着座していた。
二対の視線を一身に受けるリクリスは、居心地が悪そうにくすんだ薄墨色の髪の毛を触ってみたり、部屋の中を見回したりしていた。
時々、こちらの様子を伺うようにちらちらと視線を正面に戻しては、私たちと目線が合ってしまって慌ててもじもじと組んでいる手元に視線を落としている。
リクリスが身じろぎするたび、重苦しい沈黙に包まれた室内に、荒い布が擦れる衣擦れの音だけが聞こえていた。
――時刻はすでに夜半すぎだ。
部屋の天井からシャンデリアのように吊るされた照明が、様々な角度からラリカの顔に影を落とし、何とも言えない不気味な威圧感を生み出している。
「リクリス――」
「ひゃ、ひゃい!」
唐突にラリカが声を発すると、頭の上から抜けるような素っ頓狂な声が返ってきた。
「リクリス、実はあなたに伝えておかなくてはいけない、大切な話があります。これは、とても重大な機密なので、決して他言してはいけませんよ?」
「な、なんですかっ?」
すでに場の雰囲気に完全に飲まれてしまっているリクリスは、『機密』という言葉に言いしれない不穏さを覚えたかのように顔を引き攣らせた。
「そこに、一匹のミルマルがいますね?」
「は、はい。くろみゃーさんです」
改まったラリカの確認に、私の方をリクリスが横目で確認しながら返答した。
表情には、なぜ今更そんな事を言い出すのかという疑念を孕んでいた。
――良いぞラリカ。なかなかうまく雰囲気を出しているではないか。
「ええ。くろみゃーです。実は、そのくろみゃーについて、大事な話があるのです」
「は、はい」
ごくりと生唾を飲み込みながらリクリスがラリカの次の言葉に備える。
「実は――そのミルマルは……」
ラリカが一拍ためて、軽く息を吸い込む。その間にもリクリスの緊張感は否応なく高まっていく。
「――人の言葉を話します」
「――はい?」
重々し気に放ったラリカの言葉を理解できなかったのだろう。
リクリスは戸惑いに満ちた表情で、自分の聞き間違いを疑うように聞き返した。
「ですから、このミルマルは人の言葉を話します」
「……白くないですよ?」
ラリカの方を見て、私の方を見て、矯めつ眇めつ見つめて、こくりと首を傾げたリクリスが疑問を口にする。
いや、白ければ納得がいくというものでもないだろう。
「ええ。ですから、アンコウさん家の白ミルマルとは違いますよ」
「そうなんですか……くろみゃーさん、お話し、できるんですか?」
私の方を見ながら話しかけてきた。
その様子には、対して驚きも、疑いも感じられない。
ただ、ラリカの威圧感にあふれた雰囲気が霧散したことに対する安堵と、あとは若干の好奇心だけが感じられた。
何と言うか、もう少し劇的な反応を期待したのだが、思った以上に反応が鈍い。
「……ああ、くろみゃーだ。宜しく頼む」
「あ、はい。くろみゃーさんっ宜しくお願いします」
期待外れの反応に、仕方なく普通に名乗ってみれば、深々とリクリスが頭を下げた。
その姿をみて、ラリカも拍子抜けしたような微妙な表情を浮かべている。
やはり、ラリカももう少し劇的な反応を楽しみにしていたようだ。
「り、リクリス、いいですか? この事はリベスの街の人間しか知りませんから、他言は厳禁ですよ?」
「はいっ! 分かりました。絶対内緒にしますっ!」
「ま、まあラリカ良かったではないか? 無事にリクリスがいる時も会話出来るようになったのだからな」
「――そ、そうですね! これで、お前も含めて魔法談義が心おきなく出来ます!」
リクリスの純粋な反応に、罪悪感が刺激された私は、誤魔化すようにラリカに話しかけた。
ラリカは、どこかばつの悪そうな様子ではあったが、心はすでに魅惑の魔法談義に向かって動き出しているようだ。
「……ラリカさん、魔法についての話をするのに、くろみゃーさんも一緒なんですか?」
リクリスは、先ほどとは反対方向に首をかしげながら、不思議そうに私のことを見つめてきた。
「ふふふ……リクリス! 良い質問ですねっ! このくろみゃー、なんと魔法を使うのが得意なのですよ」
私が魔法を使えるという話になると、いつもラリカはとても自慢げだ。
赤い舌先でぺろっと唇をなめ、まるで子供が全国模試でランキングに載った教育熱心な親のように得意げな笑みを浮かべている。
「ええっ!? くろみゃーさんミルマルなのに魔法を使うんですかっ!?」
リクリスが、先程私が話した時よりもよほど驚愕の声を上げた。
「その通りだ。どうも私は術式が見えるのでな。ラリカの補助をしているのだ」
とりあえず、私はラリカの補助にすぎないという方向で話を進めることにした。
ラリカにも『立場』とやらがあるだろうからな。
まあ、この立場というのも、別にヴェニシエスだなんだという大仰なものではなく、同年代の尊敬してくれている子供の前で、恥ずかしい思いをさせられないという程度のものだ。
「わぁ! そうなんですねっ! すごいですっ!」
リクリスが、室内の明かりを反射させ、ラリカだけでなく私にもきらきらと輝く尊敬の眼差しを向けてくれる。
うむ。あまり悪い気分ではない。
「くろみゃー、どうせ研究の時にはばれるのですから、妙な気遣いは不要ですよ。リクリス、さっきも言った通り、私は魔法を使うのが苦手でして……いえ、正直にいうと魔法を使えないのです。ですから、私は理論構築と魔法陣構築部分だけして、実際はくろみゃーが使うことになるのです」
「……ラリカさんが魔法を使う事が出来ないと言うのは本当だったんですねっ! 実は、ラリカさんが魔法を使えないってお話は聞いた事があったんです……でも、ラリカさんは魔法を使う事ができないのに、あんな論理立てた研究を次々発表していくなんてすごいですっ!」
どうやら、リクリスはラリカが魔法を使えないという噂を聞いたことがあったようだ。
ラリカの話にも尊敬に輝く瞳にはいっさい揺るぎを感じられない。
むしろ、ハンディキャップのある中で努力によって研究をしていたという事に畏敬の念を覚えたようだ。
声がラリカの功績を語りあげたときのように、常にない張りのあるものになっている。
――ラリカも良い子だが、リクリスもほんとうに良い子だ。
「まあ、残念ながら魔法は使えませんでしたが、魔法は好きでしたからね」
少し恥ずかしそうに笑うラリカの手が、リクリスに見えない机の陰でにぎにぎと動いている。
どうやら、このご主人、表情でうかがい知る以上に照れているようだ。
「ラリカさんっ! 魔法について一杯教えてくださいねっ! 私、ついていけるように頑張りますっ!」
「何を言っているのです。私の方こそ、積層型の魔法陣を開発して貰ったのです。学びたいところはたくさんありますよ。こちらこそよろしくお願いします」
「そんなっ! 私なんて全然……」
「いいえ、むしろ魔法の使えない私の方が大したことは……」
「こらこら、二人とも十分立派だ。そう互いに謙遜するな」
お互いに自分の事を卑下して話してどんどん落ち込んで行きそうなので、このあたりでストップをかけさせてもらう。
「おや、くろみゃーありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
うむ。きちんとお礼を言えるというのはよい子の証だ。
「そ、それでは、さっそくですが、積層型術式について……」
「まあ、待てラリカ。今日はもう遅い。ひとまず明日に備えて今日は寝支度をすべきだ」
目を輝かせながらさっそく魔法の話に入ろうとするラリカだが、もはや夜も遅い。
ここで止めておかねば、徹夜になることが目に見えている。
「あー、私は全然平気なのですが、確かにリクリスを遅くまで付き合わすのもまずいですね……」
「わ、私は大丈夫ですっ! まだまだ元気ですっ!」
「……こういっていますよ?」
リクリスの言葉に、ラリカがなにか期待したように確認する。
……悪いが、その期待は却下させてもらおう。
なぜなら、リクリスは私たちの言葉に眠気を思い出したのか、その華奢な体が左右に揺れ動きはじめたからだ。
ラリカには悪いが、あきらめてもらおうか。
「やれやれ……二人とも、さっさと寝なさい」
「はい。分かりました。寝支度をしますよ。リクリス」
「はい……」
返事をするリクリスの声は、とてもとても眠そうだった。
***
「ら、ラリカさんっ! さっきは済みませんでした!」
「いえいえ。気にする必要などないのですよ。むしろ、こんな夜半過ぎまでつき合わせた私が悪いのですよ」
「でも、私、ごめんなさいっ!」
ベッドの上、リクリスが正座をしてラリカに向かってしきりに頭を下げていた。ペコペコと何度も上下する髪は、ほのかな湿り気を帯びて黒さを増して見える。
頭を下げられるラリカも、湿り気を帯び瞳に向かって垂れ落ちてくる髪を、時々困ったように払いのけている。
――なぜ、リクリスが先ほどからしきりにラリカに謝っているのか。
少し、時間を戻そう。