第十三話「ハイクミアの吸血鬼」
「そっちの……リクリスちゃんって言ったかねぇ? その子は、ハイクミア教徒なのかい?」
ピニスが、リクリスの髪を見つめながら、深刻そうな表情で切り出した。
「えっ、わ、私ですか?」
「ええ。その通りですよ。あ、だめですよ? リクリスに仕事をお願いするのは私が優先的に予約しているのですからねっ!」
戸惑うリクリスに代わるように、場を和ませるためか軽口を交えながらラリカが答えた。
いつの間にやら、『今度筆耕の仕事があったときは、お願いさせてもらう』というだけの話が、『優先的に仕事を依頼する権利』にすり変わっている。
リクリスはまるでそれに気が付いている様子はない。
まったく、この子は本当に悪い大人に騙されないか、心配な子供である。
「ラリカちゃんはもう粉をかけてるのかい……って、そうじゃなくてね、注意した方が良いよ?」
「どういう事です?」
ラリカの軽口に、一瞬雰囲気を緩ませたピニスだったが、すぐに表情を引き締めなおすと、おどろおどろしい怪談話でも語る様な口調で話し出した。
「――最近、ここら辺では、『ハイクミアの吸血鬼』が出るんだよ」
「『ハイクミアの吸血鬼』ですか……? 随分と物騒な響きですね」
ラリカは、言葉の響きに不快感でも覚えたのか、テーブルの端にかけた指にぐっと力を入れたようだ。
「……ああ、実はね、このところこの町の優秀なハイクミア教徒たちが次々に殺される事件が起こっているんだよ」
「それは、またリスクの高い殺人を起こす殺人鬼がいたものですね。ハイクミア教徒を殺した場合の罰則は普通の殺人より重いのですが」
「えっ、ラリカさん、そうなんですか!?」
『殺人』という単語に、ラリカは深刻な表情になり眉根をきゅっと寄せている。
右手の指先をテーブルから話すと、右の眉の上に指先を当てた。
その一方で、自分の教徒に関する話だというのに、全く知らなかったらしいリクリスが驚きの声を上げていた。
「……リクリス、あなたの知識もなかなか偏っていますね。……ああ、でも慣習法なので法令集に載っているわけではありませんからね。周りにハイクミア教徒しかいなければ知らないということもあるかもしれませんね」
「……すみません」
「ま、まあ、私も知識が偏っていることが多いですからね! リクリスもそんな時は遠慮なく指摘してくださいね」
緊張からか、硬い声音で窘められたリクリスが、消え入りそうな声で謝罪すると、ラリカはフォローするように慌てて声音を戻した。
「そ、それで、どんな事件なのですか?」
「……大丈夫なのかい? ――そう、それで、ハイクミア教徒ばかりが殺される事件が起こっていてね。噂じゃもっぱら魔族の仕業ってんで、みんな怖がってんのさ。その子もハイクミア教徒なら夜道を一人で歩いたりしないようにしたほうが良いよ」
「……なるほど。リクリス、気を付けるのですよ?」
「……はい」
リクリスは先ほどのラリカからのお叱りが響いているのか、はたまた『ハイクミアの吸血鬼』が恐ろしいのか、その両方か。
両目をぎゅっとつぶり、のどを震わせるようにか細い声で返事を返した。
「しかし、吸血鬼というのはどうしてそんな話になったのですか?」
たしかにその点は気になっていた。
吸血鬼という言う単語は、先ほどの発言の中でことさら異彩を放っていた。
地球で吸血鬼と言えば、ブラム・ストーカーによって著されたドラキュラのイメージが強い。
ただ、たしかそれ以前から、吸血鬼に関する伝承は存在し、テッサリアの巫女達による儀式などにもその存在を確認できたはずだ。
そういえば『黄金のロバ』なんて話があったな。
読んだ当初はまさか自分がミルマルの姿になって放浪することになろうとは想像出来ようはずもなかったな。
なるほど。いかな獣に落されたとはいえ、毒婦の相手を仕るのはご遠慮願いたいものだ。
「いや、その殺され方ってのがね、全身の血を抜かれて殺されてたってのさ」
「全身の血を? それはどこか大きく切り裂かれて血抜きされていたということですか?」
「それがそういうわけでもなくってね。一切の傷もなしに全身の血がそっくりそのまま抜かれてたのさ。こりゃもう邪神を崇拝している魔族の儀式に違いないってんでみんな怖がってんのよ」
「傷跡なく全身の血をですか……それは確かに不気味な話ですね」
「しかも、殺されてるのは女の子ばっかりだし、ほんと気持ちの悪い話だよ」
「なるほど。女の子ですか……となると……アルツ地方に暮らす魔族には年若い女性を生贄に捧げるという儀式があります。ですが、血をささげると言うのはベルツ地方のイルイスチ・ビガーの習慣ですから……ただ、私も魔族について詳しいわけではありませんから……いえ、ハイクミア教徒が狙われるということは、ピンガの血と智の収集でしょうか……」
難しい顔をしながら、すらすらと魔族の習慣について話すラリカに全員の視線が集中する。
こちらの事情には明るくない私だが、ラリカの話している内容はおそらく一般的なものではないのだろう。
室内の者たちが目を見開き、驚愕の視線を送っているというのにラリカは気が付いている様子が無い。
「とにかく、リクリスちゃんは気をつけるんだよっ!」
「は、はいっ! でも、気をつけますっ! あ、で、でも今日遅くなっちゃいました! どうしよう……」
「なんだったらここに泊っていくかい?」
恐ろし気な話を聞いて、困り果てた様子のリクリスに、ピニスが助け船を申し出てくれた。
まあ、確かに、連続殺人鬼云々以前に、こんな時間に女の子二人に夜道を歩かせるというのも心配だ。
「それが、そういうわけにもいかないのですよ。今日は、ユルキファナミアの教会に泊ることにしているのです。流石に初日から帰らずにいては、教会の者が心配してしまいます」
「あーそうなのかい? 仕方ないねぇ。じゃあ、食事が終わったら、こいつを連れてきな? こんな形だけど、結構腕はたつからね。護衛としちゃ、まあまあだよ」
そういって、ピニスは私たちを案内した男性の肩をバシバシと音を立てて強くたたいた。
「不肖の身ではありますが、護衛を務めさせていただきます」
「そうですね。では、お願いしましょうか。くろみゃー。お前もしっかり気を張って帰るのですよ?」
男性に護衛を依頼しながら、ラリカは私に向かっても声をかけてきた。
とはいっても、その様子に返事を期待しているようすはない。
どうも、とりあえず気を付けるように伝えただけのようだ。
まったく、私はもとからそのつもりだ。
「みゃあ!」
私はラリカにしっかりと視線を合わせると、肯定するため一声鳴いた。
「あらまあ」
まるで、ラリカの言葉を解したかのように返事をした私をみて、楽しそうにピニスは笑うのだった。
「さ、辛気臭い話はやめにして、ご飯の時間だよっ! 今日はしっかり食べて行きなさいっ!」
「まったく、本当です。食事前にする話ではありませんよ?」
「なに、食後に話して後味が悪くなるよりよっぽどいいさ。辛気臭いことなんて忘れちまう料理を出してあげるから、許してちょうだいよ?」
「ふ、分かりました。楽しみにしていますよ」
「リクリスちゃんも期待して良いからねっ!」
「はいっ! すっごく楽しみにしてますっ!」
「……あらら、やっぱり随分素直な子だね。今日は、ほんとに楽しんでってって」
「「ありがとうございます」」
そう言い残すと、ピニスは再び入ってきた扉から勢いよく出ていった。
――さあ、楽しい楽しい食事の始まりだ。
***
灯りがぽつぽつとともされている夜道をラリカの肩の上ゆられていく。
――大変美味であった。
良質の食事を取ったときに感じる高揚感が体中に満ちている。
ミルマル等という得体のしれぬ生物になってしまったこの身ではあるが、食事を問題なく採れるというのは幸いというほかない。
いや、それにしても、ピニスの作る食事は驚きに満ちていて、本当に楽しませてくれる食事であった。
味は言うに及ばず、見た目は繊細かつ華やかで、思わず笑ってしまうような仕掛けが随所に仕込まれていた。
食事がはじまった当初は緊張しきりだったリクリスも、途中からはケラケラと明るい声を上げ出すほどだった。
やはり、食事というのは皆を笑顔にしてなんぼという事なのだろう。
リクリスの方に目をやれば、今まで食べた事が無い食事に興奮したのか、頬を紅潮させてラリカに熱心に食事の感想を伝えている。
それに応えるラリカの声にも、抑えてはいるが興奮の色が見え隠れしている。
真近にあるラリカの頬も、随分赤く染まっているように見える。
自らの食事の満足感もあり、それがたまらなく愛おしかった。
……ひょっとすると、私もやはり食事に興奮してしまっているのかもしれない。
ラリカの、『当てられた』という形容はまさしくその通りだったという事なのだろう。
ラリカとリクリスの後ろを、音もなくついてきている男性は、私たちを大切な宝石を愛でるような優しげな瞳で見つめていた。
この男性も、普段は富裕層相手の仕事という事で嫌な思いもしているだろう。
きっと、このリクリスやラリカの反応というのは愛らしい物に違いない。
――良いだろう。今日くらいうちのご主人の可愛さで癒されていくがいい。
昼間の熱を蓄え、少し湿った熱気を発する石畳を冷ますように、気温を落とした夜風が吹き抜けていく。
左右のヒゲが風に揺れた。
――ああ、実に良い夜だ。