第十二話「ラリカの友達」
「――いらっしゃいませ」
扉を開くと、そこは落ち着いた照明に照らされた空間が広がっていた。
中には、私たちを迎え入れるように、仕立てが良い服装に身を包んだ壮年の男性が立っている。
その立ち居振る舞いは落ち着いていて、室内の様子と相まってその空間の格を感じさせる。
室内の壁面は磨き抜かれた大理石で出来ているようで、装飾するように黒檀のような目の詰まった木の板が規則正しくはりつけられていた。
木の板が貼りつけられた壁面の中心には金属製のプレートが掲げられた扉があり、文字らしきものが凝った装飾で描かれている。
男性は、ラリカとリクリスの姿を確認すると、深く一礼した。
「本日は、『ルルム=モンティオ』にお越しいただきありがとうございます」
「こんな時間に突然の訪問済みません。リベスのラリカと言います。ピニスさんから直接紹介されてきました」
先ほど扉にかざしたペンダントを男性に掲げるように見せる。
男性は、ふっと目を細めペンダントを見つめると、かすかに口元に笑みを浮かべた。
「……お待ちしておりました。まずはお部屋にご案内します」
「今日は、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、至らぬ点も多々ございましょうが、精一杯おもてなしさせていただきます」
相変わらず、そこかしこで意味深なやり取りを繰り返すご主人である。
もはや少々のことでは驚かなくなってきた。
「よ、よろしくおねがいしまひゅっ!」
裏返った素っ頓狂な声が耳に入り、声のした方を向いてみれば、高級そうな店内の様子にのまれてしまったのか、すでにいっぱいいっぱいの表情のリクリスがいた。
「……ご案内いたします」
リクリスの醜態には一切触れず、男性は先導するように奥の扉を開けた。
男性の案内に従って、細い通路を歩いてゆくと通路に沿って複数の扉が並んでいた。
入口同様、それぞれの扉の横には金属製のプレートが埋め込まれている。
男性は、一つの扉に前に立つと、手のひらをプレートにかざした。よくよく見てみれば、その手には紫色の石が埋め込まれた指輪が付けられている。
入り口と同様に、プレートをなぞり、幾何学模様を描きだすと、扉の鍵が開く音がした。
「どうぞ、お入りください」
そういって、扉を開くと、室内を指し示す。
その言葉に従って、ラリカが室内にゆったりと気負わない様子で入っていく。
「し、失礼しますっ!」
リクリスも続いて後ろをついてくるが、どこか油の切れた工業製品のようなぎくしゃくとした動作である。
室内に入ると、まず重厚な木製のテーブルが目に入った。細やかな彫り物が施されており、その上に敷かれたクロスにも汚れ一つ見当たらない。
シャンデリアのような照明が天井からつるされており、室内を明るく照らし出している。
壁際にも間接照明として灯りが灯っており、中心だけが明るいという状況を防いでいる。
なぜか室内には、今私たちが開いているものとは別の扉が二つ存在した。
そのまま視線を移すと、給仕なのだろうか、二人の女性が壁際に控えていた。
何か合図があったわけでもないだろうが、二人の女性は同時に動き出すと、テーブルに着くための椅子を引き出し、ラリカとリクリスに座るのを待っている。
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございますっ!」
ラリカが礼を言いながら着座するのをみて、リクリスも慌てた様子でお礼を言いながら椅子に座った。
「よろしければ、エクザはこちらに」
先導してくれた男性が、子供向けの椅子のような少し座高の高くなった椅子を持ち出し勧めてくれる。
「ありがとうございます。くろみゃーあっちに座りなさい」
ぴょんとラリカの肩から飛び降りて、すすめられた椅子へと飛び乗る。
随分とクッション性が高いらしく飛び乗るとふかふかと体重で沈み込む。
この体は体重が軽いにも関わらずこれなのだから、随分と良い椅子なのだろう。
つくづく今日は高級品と縁がある日だ。
女性たちが、ラリカとリクリスの前に杯を置き、その中に透明な液体を注ぎ込む。
私の前には皿が一枚置かれ、男性が同様の液体を注いだ。
「まもなく、ピニスが参ります。それまでしばしお待ちください」
「これはお酒の類ですか?」
ラリカが、リクリスの方を心配そうに見ながら、訝しそうに男性に問いかけた。
どうやら、リクリスが酒類を飲んでも大丈夫か不安になったようだ。
――いや、お酒だとするとラリカが飲むのもどうかと思うが、
「水を冷やして、リリを絞って垂らしたものです」
「リリ……」
リクリスが目の前の杯を見つめながらつぶやく。どこか、期待が籠ったような、畏れが籠ったような複雑な表情を浮かべている。
「ああ、リリが採れるのはリクリスの郷よりも南ですからね。あまり食する習慣がありませんでしたか。少し酸味がありますが、さっぱりしておいしいですよ」
「は、はいっ。たまに行商人さんが売ってるんですけどっ、とっても高くて……」
「確かに、あの辺りまで輸送するとかなり費用がかさみそうですね」
どうやら、リクリスがあまり裕福ではないと言う事を知られて恥をかく事のないようにしているのか、会話にも随分気を使っているようだ。
ただ、逆にリクリスの方がその辺りの気遣いをくみ取れていないように感じる。
「……ん。とても、おいしいです」
ラリカがリクリスに示すように一口水を飲んで見せる。
リクリスも、恐る恐る杯に手を伸ばすが、なかなか口元に運ぶ様子が無い。
仕方がない。私も口をつけてみよう。
リクリスを促すためにも、私も前に出されたさらに注がれた液体に口をつける。
実は、ミルマルとなったこの体では、なかなか水を飲むのにも苦労をするのだが、舌をのばしてちびりちびりと水を口に含む。
――良く冷やされたレモンに似た酸味が口に広がり、先程までの熱気にあふれた街並みに疲労した体に浸み渡ってゆく。
――うむ。なかなかに美味だ。
「ほら、ミルマルでさえ口にしているのです。リクリスも飲むと良いですよ」
「は、はい」
リクリスがゆっくりと杯を口元に近付けて、傾ける。
杯のなかに満たされた液体が、リクリスの薄いピンクの口元に流れ込んだ。
「あっ……」
いかにも思わず漏らしてしまったらしき艶っぽい声が聞こえた。
「お気に召していただけたでしょうか?」
先程までラリカとリクリスのやり取りに口を挟むことなく見守っていた男性が声をかけた。
「あ、は、は、はいっ!」
恥ずかしいところを見せたことに気がついたのか、恥じ入りながらリクリスが慌てて杯から唇を離し返事をする。
リクリスを見守っていた男性も、二人組の女性も、ラリカも。その言葉に口元をやわらかく笑みの形に変えた。
なにやら、小さな子供を見守る親のようである。
コンコン。
リクリスの反応を見ていたかのようなタイミングで扉がノックされた。
私たちが入室するのに使った物とちがい、横合いに存在する扉だった。
やがてガチャリと音がして、扉が勢いよく開かれた。
「――ッ! ラリカちゃんっ!」
開かれた扉から入ってきたのは、三十~四十歳程に見受けられる女性だった。明るい色の髪をぴっしりとまとめている。
「ピニスさん! ご無沙汰してます!」
「どーしたのっ! ラリカちゃん! もぉ、突然来るからびっくりしたわよ! もー来るなら先に言っといてくれたらよかったのにぃ! ラリカちゃんが来るなら、もっと良いもの、用意しておいたのに。今からだったらあり合わせの物しか無いじゃない! それにしてもおっきくなったわねえ! もー、この前会った時なんてこーんなちっちゃかったのに!」
ものすごい勢いでまくしたてながら、自分の腰のあたりで手のひらをひらひらと左右に振っている。
「もう、ピニスさん! 流石にそこまで小さくはありませんでしたよっ! 実は、今日王都に来たところなのです。王都に来て、こちらのリクリスと食事をする事にしたのですが、せっかく王都にきて初めての食事ですから、特別な食事にしたいと思いまして。もうこれはピニスさんのところしかないなと思ったのですよ」
夕食を食べる場所が無くなってしかたなしに来たという事実は巧みに隠して、さもはじめから来るつもりだったかのようにピニスに説明する。
「そうなのー! もう、嬉しい事言ってくれるじゃないっ! ラリカちゃんならいつでも歓迎よ! 今日はお腹がはち切れるくらい食べてきなさいっ!」
「そんなに食べられませんよー。お店、上手く行っているようで何よりです」
「おかげ様で繁盛も大繁盛。もー、休む間もなく、毎日厨房で踊りっぱなしよ! ……ほんとう、ラリカちゃんのおかげねぇ」
言葉の途中で、段々とピニスの声が懐かしむような声へと変化していく。
ラリカへの感謝が如実に伝わってくる声だ。
「いいえ。私は大した事はしていませんよ。すべてピニスさんの料理の腕の賜物ですよ」
「なに言ってんだい! この街で、ずっと下積みでくすぶってた私を拾い上げて、私の料理にあった商売の仕方を考えて、なおかつお店をだす後ろ楯になってくれて。あのままリベスの街のコンテストに参加しなかったら、私は料理人としてきっと終わってたわよ」
「それは違います。ピニスさんの料理には、情熱――いいえ、食べる人への想いが籠っていました。もっと皆に食べてほしい。己の技巧を見せつけたいという想いではありませんよ。食べる人への思いやりを感じたのです。そう、――そうですね」
そういってラリカは手元にあった杯を取り上げる。
「この水一杯をとってみてもそうです。料理に先立ち、この時間、ここまで歩いて疲れているだろう私たちの心を、料理に向けて整えさせる一杯。とても美味しかったです」
「ははっ。またラリカちゃんは達者に私の料理を褒めてくれるんだね。でも、私なんかの料理を食べたいって言ってくれるお客さんがいるんだ。美味しく食べてって欲しいじゃないか」
「その言葉を本心から言える、貴女だから、ここで成功できるだろうと私は踏んだだけです。まあ言えば、当てられてしまっただけなのですよ。貴方の心に。いえ、まあ、カッコつけずに言うのなら、当てられたと言うより、ピニスさんの料理の虜になったと言った方が正確かもしれませんが」
「やめてくれよ。そう褒められたら恥ずかしいじゃないか」
「いえいえ。何をいいます。真実ですよ?」
「ははは。ありがとう」
ラリカは、恥も衒いもなく、まっすぐな言葉でピニスのことを誉めたてる。
ピニスは、ラリカのあまりの褒めように照れくさくなったのか、繊細さと力強さを兼ね備えた料理人の手で、バッシバッシとラリカの背中を大きく叩きはじめた。
普通の子供であれば、ピニスの豪放磊落な様子に物怖じしてしまいそうなところだが、ラリカは笑みを浮かべて肘でピニスのわき腹を逆に小突き返している。
どうやら、随分と気心が知れた間柄のようだ。
「そっちのちっこい子はどうしたんだい?」
リクリスのことを興味深そうな視線で見つめながら、ラリカの頭を掻きまわしつつピニスが問いかけた。
――ちっこい子とは言いえて妙である。
確かに、形からして小さい上に、先程からお店の様子とピニスの豪快なやり取りにプルプルと震えて縮こまってしまっているから、もはや小さい子供が雷にでも怯えているようだ。
「ああ、さっき言った通り、この子は王都で出来た友達です」
「おや、ラリカちゃんに『友達』ねぇ」
明らかにどこかから連れてこられましたと主張するように、収まりが悪そうなリクリスの様子を見たピニスが不審気に問い返した。
「ええ。お友達ですよ。多少おどおどしてようが、私が話しかけると肩がびくびく震えようが、話し方が常に敬語だろうが、友達ですよ」
ラリカがリクリスに意味深な視線を向け、拗ねた様子で嘯いている。
そのような言い方をすれば、リクリスの性格からして余計におどおどとするのは分かっているだろうに、随分と意地悪な物言いである。
まあ要はラリカが言っているのは、早く打ちとけて欲しいというラリカからリクリスへのお願いなのだが、リクリスにそれが伝わるかは別の話である。
「……そうかい。お譲ちゃん、ラリカちゃんと仲良くしてやってね」
「もう、ピニスさんっ! 私とリクリスは友達ですってっ! ね? リクリスっ!」
「え、あ、は、はは、は、はい! ラリカ=ヴェニシエスとは友達です」
無理繰り明るく声をかけるラリカに、なんとなく空気を読んだのかリクリスががくがくと首を振りながら同意する。
ただ、ほんのわずかなフレーズでさえ異常なほど噛んでしまっているため、せっかくに気遣いは台無しになってしまっている。
――全く、ともすればいじめっ子のような言葉だ。
この場にいる者は皆、ラリカが無意味ないじめをするような子ではないと理解しているのだろう。
皆が皆、家族に向けるような優し気な視線をラリカとリクリスに向けている。
リクリスも、周囲のあたたかな雰囲気を受けてか、少しずつ、本当に少しずつであるが会話の中で緊張を和らげて言っているようだ。
先ほどから、力が入って強張っていた両肩が、少しずつ下がり始めているのが見て取れる。
うむ。ぜひともリクリスには、この何かと孤独になりがちな主人と、末永く友でいてほしいものだ。
――そう思う脳裏には、ラリカの泣き顔がちらついていた。