第十一話「いいところ」
「こんな泣き顔、リクリスのところに戻ったら、びっくりさせてしまいますね」
目元を涙でぐじぐじにしたまま、ラリカが困ったように笑った。
泣いて赤く腫れぼったくなってしまっている目元は確かに、なにかトラブルがあったようにしか見えない。
――ならば、ここは、出来るミルマルの腕の見せ所だろう。
「それなら、良い方法がある。少し目をつぶれ。ラリカ」
「ふふ、さっきとは逆ですね。いいですよ」
ラリカが、素直に目をつぶる。
整った顔立ちをしている分、泣き腫らして目をつぶる姿は年に似合わない妖艶な色香を放っていた。
自らの知識のなかから、役に立ちそうな術式を選択、発動する。
ラリカは、魔法の発動を感じたのか、目をつぶったまま、びくりと顔を少し持ち上げた。
魔力を注ぎ込まれた術式が脈打ち、空中に魔法陣が展開される。
路地の暗がりの中、描き出された魔法陣は燐光を発してラリカを包み込んだ。
魔法陣は一瞬その輝きを増すと、役目を果たしたとでも言うようにすうっと消えていった。
唐突に戻ってきた闇に瞳が慣れ、ラリカを見れば、涙の痕跡は微塵もなかった。
どうやら、無事に成功したらしい。
「もう、目をあけてくれてもいいぞ」
「……今の魔法はなんだったのですか?」
ラリカはゆっくりと瞼を開け、二度三度と瞬きをすると、不思議そうな顔で当然の疑問を口にした。
「泣き跡を隠す魔法だ」
「なんで、そんなピンポイントな魔法があるのですかっ!?」
「……どうも、昔夫婦喧嘩の絶えない魔法使い夫妻が、他の人に泣いた後の顔を見られないよう二人がかりで開発したらしい」
「……そんな無駄な努力をするくらいなら、初めから喧嘩しなければ良いと思うのですが」
「……私に言うな」
あまりの来歴のしょうもなさに、ラリカは眉間にしわを寄せ、こめかみに指先を当てると疲れたように突っ込みにを入れた。
まあ、そんなしょうもない理由で魔法が開発されるというのは、一般的に魔法が普及している証ともいえるかもしれないが、果たしてこの夫婦は仲が良かったのか悪かったのか……
「ですね。すみません。……ですが、どうしても一言言わずには居られなかったので」
「……気持ちは、わかる」
どちらからともなく、くくっとのどを鳴らして押し殺した笑い声を漏らした。
先ほどの衝撃的な光景のせいか、ラリカとこんな風に話すのが随分と久しぶりに感じる。
――ようやく現実世界に戻ってきた。そんな気がする。
うむ。やはりラリカと話すときは、こういう阿呆のような他愛もない話をうだうだとするのが良い。
「リクリスには、くろみゃーが言葉を話す事を伝えておいた方がいいかもしれませんねっ!」
同じことを思ったのか、口角を緩めながらラリカがそんな提案をする。
願ったりかなったりだ。人前で話せないというのは、正直なかなかに気を使う。
なにより、家でもラリカと話せないというのは、少々つまらない。
「そうだな。話せないというのは不便でたまらん。……リクリスも私が話せると言うのを言いふらしたり、悪用するタイプには、見えんからな」
「ええ。どちらかというと、目を白黒させて、くろみゃーに接するのが今よりもっとおっかなびっくりになりそうです」
「――はは、確かに」
「「では、今晩リクリスに教えると言う事で」」
二人、全く同時に同じ言葉を口にした。どうやら、リクリスの驚く様子を楽しみにしているのは同じらしい。
まったくもって性質の悪いパートナーである。
二人くすくすと悪戯を企む笑顔を浮かべながら、大通りに向かってゆく。
間もなく大通りだ。
「……ありがと。くろみゃー」
そういって、ラリカが私の毛並みに沿うように優しく頭を撫でた。
……一回だけ。
――ふぅ、手間のかかるご主人だ。
***
「あっ! ラリカさんっ!」
大通りに出ると、街灯の照らされ円形に切り取られた石畳の上で、リクリスが所在なさげに膝を抱えてしゃがみ込んでいた。
よほど私たちがいない間、たった一人残されて心細かったのだろうか。
表情に明確な安堵を浮かべながら、見かけに似合わない機敏な仕草で立ち上がった。
「突然いっちゃうから、びっくりしました。くろみゃーさんもどこか行っちゃいましたし!」
涙目で駆け寄り、縋る様に語るリクリスの頭を、ラリカが優しく撫でている。
ラリカは苦笑しながら、右肩の私の方を見つめると、我儘な子に言い聞かすように声を出した。
「まったく、くろみゃーにもちゃんと待っているように言っていたのですが……ちゃんとくろみゃーもリクリスに一言言ってから来ないといけませんよ?」
「ラリカさん、なにかあったんですか?」
私に言い聞かせるラリカをグリーンの瞳でじっと心配そうに見つめながら、リクリスが問いかける。
「いいえ。大したことではありませんよ。ちょっと野暮用です」
「……ラリカさんがそういうなら」
あくまで誤魔化そうとするラリカの様子に、詳しく聞いてはいけないと思ったのか、リクリスは悄然としながらも不承不承納得した様子だった。
「さ、今晩はなにを食べましょうか! お腹が減りましたね」
ラリカが、『この話は終わり』と示すように話題を変えた。
多少強引な話題転換ではあるが、そろそろ食事の準備を考えなくてはならないことは確かだろう。
夜の暗がりの中、すでに営業を終えたらしき店が扉を閉ざし始めている。
どうやら、現代のように24時間好きな食事が手に入るというわけには行かないようだ。
「こんな時間からだと、ティベルしか開いてないんじゃないですか?」
リクリスが、心配そうな様子で候補を口にした。
ティベルというのは、なにかお店の種類だろうか。
「ティベルですかー。確かに、ティベルならこの時間でも開いてるでしょうが、うら若き女子二人でティベルで食事というのも味気ないですね……」
ティベルという提案はラリカの琴線には触れなかったらしい。
どこか気乗りしない様子で口をとがらせている。
「でも、他に食事できるところなんて……」
ラリカは顎に手を当てて暫し考え込むと、なにか思いついたように顔をあげた。
「――リクリス! いいところに連れて行ってあげましょう」
「いいところ……ですか?」
「はい。『いいところ』です」
首をかしげるリクリスに、ラリカは人差し指を立てると不敵な笑みを浮かべるのだった。
***
ラリカは、教会のある方面へと、ときどき壁に描かれた記号のようなものを確認しつつ歩いていた。
リクリスは、次第に辺りが豪奢な屋敷が立ち並ぶようになっていくのを見て、おどおどとした様子で不安そうにラリカの後をついてきている。
「――よし。ここですね」
ラリカは、一つの記号が書かれた路地を見つけると角を曲がり入っていった。
先ほど南街で入った路地とは違い、明るく適度に照らされている。
奇麗に整備されたいる路地に怪しげな雰囲気はなかった。
「一、二、三……」
ラリカは建物の数を数えているのか、ぶつぶつと小声で数を数えている。
やがて、建物の地下に降りるような石造りの階段が設けられた建物の前で立ち止まった。
何かを確認するように、じっと建物の壁面を眺めている。
やがて、納得したように一つ頷くと、階段をゆっくりと降りて行った。
階段を下りると、そこには金属製の小さなプレートが埋め込まれた扉があった。
玄関灯のように弱く光る石が壁面を照らしている。
プレートの前に立ったラリカは、鞄をごそごそと漁りだした。
しばらくして引き抜いた右手には、一つのペンダントが握られている。
銀色の鎖のついたペンダントで、アメジストのような鉱石が埋め込まれていた。
ちょうど、この町に入る際にラリカの持つ書面を確認するために使った石に似ている。
ペンダントを扉のプレートにかざすと、プレートにはエメラルドグリーンの無数の光点が浮かび上がった。
一瞬目をつぶったラリカは、人差し指でプレート上の光点のいくつかをなぞっていく。
すると、ラリカがなぞった後には光点と同色の光線が幾何学的に描き出されていった。
ラリカが指を離したとき、描き出された幾何学図形が一瞬強く発光し、ガチャリと扉の錠が開く音がした。
「さ、入りましょう」
「え、あ、はいっ!」
なにか手品を見せられたような面持ちで呆けているリクリスに声をかけると、ラリカは扉に手をかけ、力強く押し開いた。