第八話「ほしい言葉」
応接室を後にした私たちは、下働きらしき修道女に案内されていた。
教会の裏手に隠れるように、離れのような建物があった。
私たちは王都での滞在中、そちらで生活する事になるようだ。
扉を開け、建物に入ると、今までより数段豪華な調度品が並べたてられている。
どうやら、この建物は国賓等を歓待する為に使われているらしかった。
御付きの人間たちが滞在することも想定されているのだろう。
部屋の広さだけでなく、数もかなりの数が用意されているようだ。
私たちが案内された部屋には、一面に毛足の長い絨毯が敷き詰められており、中央には巨木を切り出して作ったらしい大きな一枚物の卓が置かれている。
卓の上には、果実が盛りつけられた籠が置かれ、私たちを歓迎していた。
室内に寝床が見当たらないところを見ると、奥にある扉の向こうは寝室に通じているのだろうか?
「ご逗留の間は、こちらの建物をご使用ください。奥の部屋は、寝室になっております。お食事は、お申し付け頂けましたら、私たちがご用意させていただきます。なにか、必要なものがありました際も、お気軽にお声かけ頂ければと思います。それから、この部屋には防音の魔法が掛けられておりまして、声をあげて頂いても私たちが知ることができません。そちらにございますベルを鳴らして頂くと、私たちが待機しております部屋のベルが連動してなる仕組みとなっております。ご利用ください」
案内してきた女性は、一通り必要な事項を説明すると、丁寧に頭を下げた。
「案内、ありがとうございます。こちら、皆さんで召し上がってください。リベスの町で最近売り始めた焼き菓子です」
ラリカが気軽な様子でカバンから取り出した袋を、丁重な様子で女性が受け取った。
その手はプルプルと震えている。
落ち着いて対応しているように見えていたが、やはりラリカの相手という事で緊張しているらしい。
「……ありがたく」
厳かに菓子を受け取った女性が退出していく姿を、ラリカは見守るようにじっと動かずに見つめていた。
部屋の扉が丁寧に閉められ、女性の姿が見えなくなった。
なかなか動き出さないラリカを心配して表情を伺ってみると、何かをこらえるように下唇を軽くかみしめていた。
やがて、ラリカはゆっくりと動き出すと、部屋を渡り、奥にある未だ開けられていない扉を開けた。
そこに広がるのは先程の言葉通り、紛れもなく寝室だった。
先ほどまでの部屋に比べると、幾分か上品な印象にまとめられており、三人以上は余裕で雑魚寝できそうな天蓋付きのベッドが置かれている。
ベッドの周りにはレース地のカーテンがかけられている。
ラリカはつかつかと、ベッドに向かって無言で歩いていくと、おもむろにカーテンを開き、倒れ込んだ。
しばらく、その状態で何かを堪えるようにぐっと体に力を入れている。
「――つぅ~か~れ~たぁっ!!」
なにやら、心の底からの雄たけびだった。
「なんですか!? この街はみんなこんな感じなのですか! 皆が皆、私の事を腫れものでも扱うように! 私がそんなに怖いのですか! いくらヴェニシエスだからって、これはないです! あんまりにあんまりですよ! ゆっくりお茶の一杯どころか移動すらままならないではないですか! あーもーくろみゃーこっち来て~!」
――ご主人が壊れた。
どうやら、この街に来てからの一連の歓待は、ラリカの心に少なからずダメージを与えていたようだ。
当然のことのように笑みを浮かべて対応していたが、あれもご主人らしい精一杯の強がりだったようだ。
だだ甘の声を出しながら、ラリカが私の事を呼びつける。
ポンとベッドの上に飛び乗ると、予想以上の柔らかさに足元が沈み、たたらを踏んでしまった。
――随分と柔らかい寝心地の良さそうなベッドではないか。
さらさらとした魅惑の触感を堪能しながら、大層お疲れな様子のラリカにゆっくりと近づいていった。
「ラリカ、人好きの君にしては珍しく、随分とお疲れではないか。なんだ、まあお疲れさ――」
「くーろーみゃーあー」
話しかけている途中だと言うのに、ラリカは私の事をがっしりと両手でつかみこむと、そのまま抱き寄せた。
「くーろーみゃーあー」
そのまま、私の名を呼びながら、ごろごろとベッドの上を左右に揺れ動く。
「――まったく、随分お疲れのようではないか。仕方がない。しばらく、自由にしても良いぞ」
「お~! くーろーみゃー」
少々毛並みが乱れるが、それもまた致し方なし。
しばらくお疲れのご主人にもてあそばれるとしようか。
***
「やれやれ、それで満足はしたかね?」
「ええ。満足です。やはりお前の毛皮は中々に良しですね」
「……そうか。それは何よりだ」
十分ほどは撫でまわされていただろうか。
ようやくストレスを発散して満ち足りた様子のご主人に、コップと冷たい水を召喚してサイドボードに差し出した。
「……また、ミルマルの癖に小器用な。気が効くではありませんか」
「俺は出来るミルマルだからな」
「――ん。冷たくて、とても美味しいですよ。ありがとうございます」
「そうか、それは良かった。――時にラリカ」
「ん? どうしました?」
ちびりちびりと抱きしめるように持ったコップに口をつけながら、赤い視線がこちらを見つめた。
「いや、なに。先程出会ったリクリスの事だ。――随分と慕われていたではないか」
からかう調子で口にすると、ラリカは困った顔をしながら照れ笑いを浮かべた。
「私も予想外でした。まさか、私のことがあんなふうに語られているとは思ってもみませんでした」
「まあ、本人に語ることはないだろうからな」
「本当に、ひどい話です。まあ、語られたら語られたで恥ずかしさで死んでしまいかねませんが」
「それはまた、随分と笑い話にもならないな。リクリスに渡していたものは何だったのだ?」
死んでしまうなどと大げさなことを言うラリカに苦笑しつつ、先ほどから気になっていたことを聞いてみた。
「ああ、ティルスですか。あれは、ハイクミア教徒が使う髪染めです」
「ハイクミア教徒は皆、髪を黒くする決まりでもあるのか?」
「ええ。その通りです。ハイクミア教徒は、黒髪に染めなくてはならないという戒律があります」
「そうか……それはよい戒律だ」
「……なんですか? くろみゃー、お前は黒髪が好きなのですか?」
ラリカが自分の髪をにぎにぎと指先でいじりながら、そんなことを聞いてきた。
それはそうだ。好きというより落ち着くといったほうがいいだろう。
日本で周りにいたのは基本的に黒髪ばかりだったからな。赤や金や銀の髪をした輩よりよっぽど安心できるというものだ。
「まあ、な。見てみるがよい、この真っ黒な毛並みを。黒のほうが落ち着くに決まっている」
あくまで本心は隠しながら、事実を織り交ぜつつ嘯く。
「くろみゃーの毛並みがよいのは、同意しますが、その基準は人様にも適応されるのですね」
呆れたようにラリカが私をひとなでする。
「……しかし、どうしてラリカはそんなものを持っていたのだ?」
ハイクミア教徒が使うものということは、ラリカには必要ないもののはずだが……
「ああ、ティルスは原価がただで作れるうえに、ハイクミア教徒に出会ったときに、贈り物として渡すと非常に喜ばれるのですよ。ですから、普段から持ち歩いています」
「……用意周到なことだな」
「備えあれば、憂いなしというやつです。ヴェニシエスとしてのたしなみというやつです」
くるくると立てた人差し指を回しながらラリカが自慢気に語る。
本当に、このご主人はマメというのかなんというのか……商人だな。
「そういえば、リクリスは珍しげな魔法を使っていたな。話を聞くに、あれはラリカが考えたのか?」
もう一つの疑問を解消するべく、再び質問を投げかける。
「――ああ、あれですか。確かに昔、基礎理論は作りましたが、実践段階までいくのはまだまだ先の事だと思っていましたよ」
「……いや、ラリカ、君は魔法を使えなかったはずだろう? どうやって、そんな研究をしたのだ?」
昼間からずっと一番の疑問だったのだ。
「ああ、普通は魔法に関する研究は魔法を使える者が行いますから、不思議な感じがするかもしれませんね。でも、魔法陣に関する研究なんて、実学とは違って理論上のものですし、実際魔法を使えるかどうかはあまり関係ないのですよ。魔法陣と、実際の魔法を関連付けて、どの記述がどんな魔法に対応するのか。魔法はどういう理論で動いているのか。そういう所を研究していくのです。それに、私にはクロエ婆がいましたからね。いざとなったら、クロエ婆に試してもらっていました」
「いや、それにしても大したものだな」
確かに、以前点火の魔法を使った際にも火力の調整を自分で勝手にしていた。今から思えば、あれも魔法に関する十分な理解がなくては出来ないことのはずだ。
「もう、褒めてもなにもでませんよー」
ラリカは両手でしがまえていたコップから片手を離すと、私の右耳の後ろをかりかりと掻きだした。
真っ赤な顔をしているところを見ると、どうやら、照れかくしのようだ。
「それで、さっきの多層化構造といったか? 魔法の件で話し合うのだろう? リクリスの魔法がうまくいかない理由に見当はついているのか?」
「ええ。一応は」
照れながらも、真面目な様子で当然といった様子で答えた。
「先程見たところによると、魔法陣間のパスは通っているのですが、魔法陣の範囲を指定する記述にミスがありますね。魔法陣の始点に関する記述は問題ないのですが、それに対しての終点、始点を受ける記述が間違っているのですよ。初歩的と言えば初歩的なミスなのですが、何せ積層型の魔法陣ですからね。終点に適した記述を見つけるのは難儀しそうです」
「……ラリカ。君は、本当に術式は見えていないのか?」
「もちろんです……?」
先程魔法陣を見ていた時間などほんのわずかな時間にしか過ぎないはずだ。あの間に、魔法陣の記述を全て理解して、それを術式に頭の中で置き換えて、整合性をとっていくという離れ業をやってのけたと言うのか。
つくづく人間離れしたご主人である。
まあ、そんな人間離れの常識はずれなことを平然とする割に、ちょっとしたころで感情がコロコロ揺れるのが、また愛らしいのだが。
「あー、でも、今日一日大変でしたが、リクリスと魔法談義するのは楽しみですねー」
大きく伸びをしながらラリカはそんな事をつぶやいていた。
「先程から随分疲れているようだが、そんな状況で魔法談義なんて大丈夫なのか?」
さきほどまでのラリカの様子に一抹の不安を覚えて問いかける。無理をしているのではないだろうか。
「ふふ、あのね? くろみゃー」
私の言葉に、かつて月明かりの下自らの死を切り出したときのような真剣な様子で、ラリカが話し出す。
「人間というのは、二、三日寝なくても、たとえ疲れ果てていても、興味がある事の前には進まずには居られない生き物なのですよ」
言外に、ミルマルのお前には分からないでしょうがというニュアンスを含めてラリカは堂々胸を張って宣言した。
――いくら若いとはいえ、それは無茶が過ぎるというものだろう。
――この御主人、絶対、倒れる前には寝かしつけよう。
***
意気揚々と、ラリカが待ち合わせ場所で待っていると、遠くからふらふら、ふらふらっと左右に揺れ動きながら、どこか不安げなリクリスが歩いてくるのが見えた。
「こんばんは。リクリス」
「……あ、ラリカさん……こんばんは」
ラリカが声をかけるまでは、地面を見つめていて、ラリカがいる事に気がついていなかったようだ。
応える声にも、どこか生彩を欠いている。なにかあったのだろうか?
「リクリス、何かあったのですか?」
あまりのリクリスの様子に、ラリカも同様の疑問を抱いたようだ。
「あ、いえっ! なんでもないんです!」
ラリカの問いに、わたわたと小さな両手を広げて左右に振っている。
「そんな様子で、なんでもないわけがないでしょう。何があったのですか?」
「え、あ、ほんとに何でもないんですっ。ちょっと、王都の熱気に当てられて疲れちゃっただけで……」
てへへと、恥ずかしそうにリクリスが何でもない事を強調する。
「本当ですか?」
「ええ。大丈夫です」
「……まったく。宿が無いなら、きちんとそう言わないと駄目ですよ。リクリス」
「ええ!?」
さらっと続けるラリカの言葉に、リクリスの表情が驚愕に彩られた。
一体何を言い出すのかと、私も驚いた。
「な、なんでっ!?」
「……やはりそうでしたか。寮に入ったのなら、腰のオストラは預けるでしょう?」
「あっ」
リクリスが腰につけている、金属製の輪っかが連なったような装飾品を指さながらラリカが指摘する。どうやら、オストラというその装飾品のような物は、寮に預けるものらしい。
「実は、寮に手続きに行ったら、受け付けは来月からしかしてないらしくて……」
「大方、そんなところだろうと思いましたよ。それで、宿泊費が心もとないと言ったところですか?」
「……まだ泊まるところが見つかってないんです。ラリカさんとの待ち合わせの時間もあるし、先にこっちに来ないとと思って……」
どうやら、リクリスは泊まるところが見つかっていないにも関わらず、ラリカとの約束を優先してこちらに来たらしい。全く真面目というか、律儀な少女だ。確かにそれでは表情も暗くなろうと言うものだ。
「ああ……学校周辺の宿屋は泊まること自体が難しいといいますからね……私の事は待たせて構わなかったのですよ?」
「そんなことできませんっ! あ、でもっ大丈夫です! 実はさっき親切なおじさんが、南側に行けば宿屋があるって教えてくれたんです!」
ラリカの申し出にとんでもないと言った様子で首を振るリクリスは、安心させるように宿の目途はついていると言った。
「――南側ですか? ……少し、嫌な予感がしますが、とりあえずそちらで宿を確保する事を優先しましょう」
「……ごめんなさい」
申し訳なさからか顔を伏せながらリクリスが肩を震わせる。
「良いのですよ。謝罪の言葉など必要ありません。その代わり、後でリクリスの時間を貰いますから、覚悟するのですよ?」
「はいっ! よろこんでっ!」
安心させるようにほほ笑むラリカの言葉に、目尻に涙をためたリクリスが口の端に笑みを浮かべて返した。
「……そうですね。後お願いするとすれば――」
「――私に出来る事ならなんでもしますよっ!」
ラリカの言葉に、喰い気味でリクリスが言葉をかぶせる。ラリカのグリーンの瞳に、無駄に強い意思が籠っている。
「――きちんと滞在する為の宿が決まったら、『ごめんなさい』ではなく『ありがとう』といって欲しいですね」
ぶっきらぼうに少し視線を逸らしながら、ラリカが言った。
「……っぷ」
視線を逸らしたラリカの顔を覗き込み、思わず噴き出してしまう。
その顔は、照れくさいセリフを言うのに恥ずかしくなったのか、真っ赤に染まっていた。
まったく、自分で言って照れるくらいなら、無理してお姉さんぶらなくてもよいだろうに、うちの主人は。
しかも、声に恥ずかしさをにじませないように、わざとぶっきらぼうにしているらしい辺り、相当に強情だ。
「はいっ!」
ラリカの表情には気がついていないのか、リクリスの元気な返事だけが響いていた。