第六話「劇薬につき取扱注意」
「リクリスは、この後どうするのですか?」
ラリカは、膝をつく人々を抑えるようにまあまあと手を振ると、努めて周りを意識しないようにしたのか、唐突に質問した。
「あ、はい。この後は寮に挨拶に行ってきます。ああっ! 早くいかないと、入寮手続きが終わっちゃう」
リクリスも、ラリカの言葉に乗っかる形で意識をそらそうとしているようだ。
だが、その視線は引き続ききょろきょろと居心地悪そうに周りを見渡していて、とても意識をそらしているようには見えない。
「なるほど。では私は、教会に行って挨拶をしてきます。中央広場で合流しますか?」
「ほ、本当に、私なんかが一緒に食事して良いんですか?」
「ええ。貴女は全く何を言っているのですか。私が貴女と食事をしながらゆっくり話をしたいのですよ」
「うう……」
「さ、リクリス。急ぐのでしょう? この人混みを抜け出すのは、なかなか難儀ですよ。頑張りましょう」
ラリカがまっすぐリクリスに向けていた視線を周りに再び向けた。
……ラリカとリクリスの周囲は二人を取り囲むように膝をつく人々で溢れかえり、視界が埋め尽くされている。
――果たして、無事にラリカとリクリスはこの人垣を抜けられるのだろうか?
***
――しばらくして、私とラリカは、石造りの巨大な建造物群の前に立っていた。
三つのそれぞれが巨大な城壁に覆われた建物の周りに、比較的小さな建物が敷き詰められるように建てられている。
建物の採光窓にはガラスが埋め込まれているが、一つ一つの大きさはさほど大きくない。
……技術的な問題だろうか?
ひょっとすると、侵入者を容易には侵入させない意図があるのかもしれない。
三つの巨大な建物の尖塔は、大きすぎて壁の間際からは大きく見上げなくては先が見えない。
「城……だな」
「城ですね」
ぽつりとつぶやいた私に、ラリカが何を当然のことを言うように答えた。
「大きいな」
「はい。……まあ、王都の教会ですから」
私の言葉に、何が言いたいのかをだいたい把握したのか、ラリカが同意した。
「この大きさの建造物を作るのに、一体どれほどの人員を必要としたのだろうな……」
そのあまりの大きさと重厚さに、感嘆の声が漏れる。
誰が、どれだけの人々が、この建物に想いを込めたのか。
そして作られた後もどれだけの人々の心を受け止めてきたのだろうか。
地球でも、はるか昔に作られた巨大な建造物は存在する。
胸中にそれらを見た時と同種のざわめきが生じた。
「そうですね。多くの時間をかけているでしょうね。住宅や城壁は出来上がるまで自動化した術式が存在しますが、城はすべてオーダーメイドですし、必要魔力も膨大になるので、複数の優秀な魔法使いたちが連日土木系の魔法を使用したそうですよ」
「ああ、なるほど。確かにその類の術式は、私の知識の中にも細切れにしか存在しないな」
「……そんなものの知識まであるのですか。普通、城に関する術式は完全に秘匿されているはずなのですが……」
「出所のわからん知識だがな」
「便利なことですね」
呆れるラリカに、私としても本意ではない事実を伝える。
確かに、この呆れるほど大量の知識の中にはなぜ知っているのかわからないものが多すぎる。
神が持っていた知識だからとでも思っておこうか。
ただ、そうすると、逆に偏りすぎているようにも感じるが。
「まあ、私たちはこれからこの中に入っていくわけですが」
ラリカが、城壁で覆われた建物の一つに近づいていく。
「その建物が教会なのか?」
「ええ。この建物はユルキファナミアの教会です。あそこの紋章が見えますか?」
指さす先を見てみれば、そこにはツタが絡まったような唐草文様と大きな白い花が描かれてた。
「あれが、ユルキファナミア教会の証です。あっちの赤い屋根の教会がユーニラミア教会です。ユーニラミア教会は、大概赤い屋根をしているので、一番わかりやすいですね」
次にラリカが示したのが、赤い屋根をした建物だ。
確かに、リべスの町の教会も赤い屋根をしていた。
「真ん中は王がいる城ですね。宮殿部分が併設されているのがわかりますか? 今回神器はあそこで受け取ることになるはずですよ」
「なるほどな」
ラリカの説明に、それぞれに特徴があるということに少々感心した
しかし、王のいる城と宮殿と同じ程度の大きさの建物とは、やはりこの世界で、ユーニラミア教会とユルキファナミア教会の力というのは非常にに大きなものらしい。
しかも、話に聞くところによると、あくまでこの教会は王都の支部という扱いらしく、本部は聖国にあるらしい。その権威たるや、想像を絶するものがある。
「さて、リクリスを待たせてしまいます。早く行きましょうか」
息を大きく吐き出しながら、ラリカはユルキファナミア教会へと近づいて行った。
私も、ラリカの肩の上、楽し気にふりふり尻尾を振りながらついていく。
***
ユルキファナミア教会の入り口には、なにやら教会の関係者らしき人物が大勢集まっていた。リべスの町で出会ったイマムに似た服装をしている。
なにか儀式でもしているのだろうか。
やがて、その中の一人がこちらに気が付いたようで、傍らの人物と話し合うと、二人ほどを引き連れてこちらに向かって駆け寄ってきた。
「ミルマルを連れた……ラリカ=ヴェニシエスですか!?」
「ええ。ラリカです。ユルキファナミア教会の方ですか?」
慌てて膝をつく信徒らしき人物に、ラリカは落ち着いた様子で問いかけた。
「はい。ユルキファナミアの信徒。コルスと申します。アコを拝命しております」
「なるほど。では、コルス=アコですね。よろしくお願いします」
「もったいなきお言葉にございます。ラリカ=ヴェニシエスがいらっしゃった際にはサファビのもとへご案内するようにと指示を受けております」
「わかりました。ご案内お願いします」
「かしこまりました」
コルスを前に、間にラリカを挟むように駆け寄ってきていた人物たちが歩き出す。
ラリカはコルスの後に続くように歩き出した。
左右に避けて跪いている信徒らしき集団の間を通り抜けていく。
ラリカの肩の上から、周りをきょろきょろと見渡していると、ふと前方を歩くコルスの手が震えていることに気が付いた。
……どうやら、ラリカを案内するのに随分と緊張しているらしい。
「……そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。決して無体なことをしたりしませんから」
ラリカもコルスの手が震えていることに気が付いたのだろうか。
苦笑しながら、何気ない様子でそんな声をかけていた。
「はぃぃ!」
コルスが裏返った声を上げて肩を跳ね上げる。
化け物にでもであったかのような反応に、少々ラリカがかわいそうになってくる。
「……ラリカ、笑顔だ笑顔」
ラリカにこっそりとアドバイスをする。
うちのご主人の笑顔は、なかなか破壊力が高い。
きっと目の前の人物の態度も軟化するに違いない。
そう思い、アドバイスをした。
「なるほど――大丈夫ですよ?」
私の言葉を受けたラリカが、声を掛けながら、ふっと柔らかい作り笑いを浮かべる。
作り笑いとはいっても、事情を知らない人物が傍目に見ても、そうは見えないだろう。
純真な天使のような笑みだ。
「っ……」
言葉を失ったらしいコルスは、歩みを止めた。
呆然とした表情でラリカのことを見つめている。
「どうされましたか?」
ラリカが、コルスに笑顔を維持したまま、歩みを止めた様子のおかしいコルスに疑問を挟む。
「……ッ失礼しました!」
コルスが慌てて前方を向いて歩き出した。
右手と右足が同時に前に出ている。
どうやら先ほどとは違う意味で緊張してしまっているようだ。
「……私の笑顔はそんなに怖いのでしょうか……?」
なにやら、私でなければ聞こえないほどの小さな声でラリカがつぶやいた。
どうやら、コルスの様子に変なショックを受けているらしい。
「そんなことはない。少し、彼には刺激が強すぎたのだろう」
「……私の笑顔は劇物ですか」
「……ある意味な」
そういう意図で言ったのではないのだが、私の言葉はラリカにとどめを刺す形になったらしい。
随分としょんぼりとした様子で、ラリカはコルスの後をついていくのだった。
***
やがて一つの部屋の前で立ち止まった。
コルスが数度扉を叩くと、内側から扉が開かれる。
室内は、豪奢な調度品が並んでおり、中心に大きな円卓がおかれている。
どこか、リべスの城で見た会議室と似た雰囲気を感じるが、調度品はこちらの方が数段華美な印象を受けた。
「ラリカ=ヴェニシエスがいらっしゃいました」
「ラリカ=ヴェニシエス。当教会にお立ち寄りくださり、有難うございます。コルス=アコも案内ご苦労だった」
一人、円卓の椅子に腰かけていた老人が、ラリカの姿を見てゆっくりと立ち上がると、深く一礼をした。
「お初にお目にかかります。ラリカ=ヴェニシエスです。本日は急な来訪にも関わらず、時間をお取りいただき、ありがたく思います」
「何を仰います。むしろ、ラリカ=ヴェニシエスがいらっしゃると言うのに、御迎えの一人もお出しせず申し訳御座いません。」
「お心遣い、感謝します。ですが、ヴェニシエスを拝命しておりますが、私は若輩者にすぎません。過度のお気遣いは不要です」
「おや、ラリカ=ヴェニシエスが若輩者とはご謙遜がすぎますぞ。確かにヴェニシエスは年若くていらっしゃる。しかし仮に、ヴェニシエスが未熟者なれば、私など生馴れの生熟れ。いえ、今後歳のみ重ね、年々衰えるばかりのこの身と考えれば、熟しきって腐り落ち行く不要の果実でございましょう――ヴェニシエスに置かれては先のミギュルス襲撃に際しても多大な戦果をあげられたとか?」
「流石にお耳が早くてらっしゃいますね。ですが。ミギュルスの件は、クロエ=ヴェネラとアリン=オフスの御蔭ですよ。それに、ハルト=サファビこそ、何を仰います。ご謙遜が過ぎるのはそちらでしょう。グルスト=サファビから御噂はかねがねお伺いしておりますよ。次々と時代へと種子を残していらっしゃるではありませんか」
意味ありげにラリカが微笑を浮かべると、呼応するようにハルト=サファビは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「おや、あの歳も考えず、いつまでも口の減らない老いぼれは何といっておりましたか?」
グルスト=サファビといえば、ミギュルスが襲来した時に、聖国へと旅に出ていたと言うリベスの街のサファビだったはずだ。
グルスト=サファビはユーニラミア教会のサファビのはずだが、随分な言いようだ。
「ハルト=サファビには昔から助けられてばかりだと」
「助けられたとは! はは。彼奴とはもう五十年来の付き合いになりますが、昔から顔を合わす度、喧嘩ばかりでしてね。御若いラリカ=ヴェニシエスはご存じないかもしれませんが、ちょうどそのころ、ユーニラミア教会とユルキファナミア教会で交流を深めようという動きがありましてしばらく同じ教会――」
元々話し好きなのだろうか、それはそれは楽しそうにグルスト=サファビとの話を語り始める。
ラリカは、それに対して「なるほど」とか「面白い話ですね」といった相槌を打ちながら笑顔を浮かべて頷いている。
一見興味深そうに聞いているラリカに気をよくしたのか、ハルト=サファビは口をなめらかにしていく。
何時の間にやら、ラリカは、コルスが持ってきてくれたカップをあおりながら、ソファーに腰掛けて話を聞いている。
お年寄り独特の随分長い話になりそうだ。
私は隙をみて、ラリカの肩から飛び降りると、となりの席へと飛び移る。
――まあ、話だけは聞いておくが、こっちの体制の方が楽だしな。
それに、ラリカの肩の上にいてはラリカも疲れるだろう。
そう、自分に言い訳をして、こわばった笑みを浮かべるラリカを置いて丸くなった。