第五話「ルルムの洗礼」
「あの、ら、ラリカ=ヴェニシエス様、ワタクシもおねがいしたい申し上げたいことがございまして……」
声につられ、ラリカとポウが顔をあげると、二人に近づく影があった。
先程ラリカに声をかけられた店員さんだ。
「これ、セルテ」
あまり、丁寧な言葉遣いになれていないのか、ラリカに話しかけるのに緊張しているのか、おかしなイントネーションになりながらラリカに話しかける女性を、ポウが窘める。
「……ああ、構いません。無理に丁寧に話そうとされなくても大丈夫ですよ。普通に話して下さい。どうされましたか?」
窘めたポウを逆になだめるよう、ラリカが手で制しつつ、先を促す。
「実は、数日前に子供が生まれたので、洗礼を……」
「――出産してすぐなのですねッ!では、 礼は不要です」
女性が床に片膝を突こうとしたのか、ゆっくりとした動作で跪き始めたのを、ラリカは慌てて制止する。
「この通り元気に動けるから……」
「出産してすぐは、案外動けてしまうものなのです。いいですからッ! 礼にはこだわりません」
「……セルテ。ヴェニシエスがこう仰っているんだ。お言葉に甘えなさい」
「ありがとうございます」
「しかし、出産とはめでたいお話ですね。――洗礼でしたね。わかりました。それでは、早速ですが行いましょう。お子さんは、どちらですか?」
「――ありがとうございますッ! はい! 子は奥の部屋で寝かせています」
「そうですか。では、洗礼は奥で行った方が良いですね。行きましょう」
「――ヴェニシエス。ここで洗礼を行って頂く訳には参りませんか?」
セルテが奥へと案内しようとするのを、ポウが止めてラリカに申し出た。
「ここでですか? 私は構いませんが、店内の皆さんにご迷惑では?」
「決してそのような事はございません。ここにいるもので、直接ヴェニシエスから洗礼を受けるなどという誉れを受けたものなどおりません。みな、ヴェニシエスの洗礼を一目見たいと考えているかと……」
ポウの言葉に、店内でこちらをうかがっていた人々もそれぞれ頷いている。
どうやら、ラリカの行う洗礼とやらに皆が興味津々のようだ。
「分かりました。良いでしょう。こちらで洗礼を執り行いましょう。セルテさんもよろしいですか?」
「はいッ! コウエイです」
「では、こちらに連れてきてもらえますか?」
「すぐに連れてまいります」
ラリカの言葉に、ポウとセルテが奥へと下がる。
それに合わせるように、他の店員たちがテーブルの上を片付け、赤子を寝かせる事が出来るように整えていく。
その様子をみて、不安がふと頭をもたげた。
「ラリカ。洗礼というのは、魔法が使えなくても大丈夫なのか?」
「ふふ……心配してくれたのですね。大丈夫ですよ」
耳元で小さな声をラリカに向かって発すると、ラリカは私の心配をほのかに笑って流す。
「洗礼は、専用の魔道具を使って正式な手順で行えば発動します」
そういって、ごそごそと腰のカバンから蛍石を切り出して作ったような美しい緑色をした容器を取り出す。容器には、彫細工が施されており、一目で高価なものだと言うのが分かる。
「これを使うのですよ。コップに一杯程度で構いません。どなたか水を持ってきてもらえますか?」
前半は私に向かって。後半は、店員に向かってラリカが声をかける。
店員が、ラリカの言葉に従って、木製のコップに水をなみなみと注いで持ってきた。
「……ありがとうございます」
意気込んで注いで来たのだろう。
今にもこぼれそうなほど、表面張力の限界を試すようなコップに冷汗を流しながら、ラリカが礼を言う。
奥の部屋からセルテとポウがツタ科の植物を編んだように見える、大きな籠を持って出てきた。
おそらく、あの籠の中には、セルテの子が寝かされているのだろう。
「籠ごとそちらのテーブルの上に」
ラリカの言葉を受けて、セルテは籠を整えられたテーブルの上に置いた。
「名前はなんというのです?」
「ルルムです」
「ふふ……ルルムですか。分かりました」
ラリカは、鞄から美しい赤に染められた帯のような布を取り出すと、籠を置いたテーブルの上に折りたたんで広げる。
布地の上に、先程取り出した容器を置くと、その横に並べるように、銀のような光沢感のある金属製の小さな杯と、長い柄の細長い匙を置いていった。
コップから、水をこぼさないよう注意しながら、白銀の杯に水を注いでいく。
杯の中ほどまで水が満たされると、高価そうな容器のふたを開けた。
中に入っていたのは、白色度の高い粉末だった。
きめの細かな粒子が、サンゴの粉末のような光沢を発している。
「――それでは、これより洗礼の儀を執り行います」
ラリカの宣言に、店内にいた人々が皆テーブルの周りに集まり、片膝をついた。
大仰な美しい所作で、匙を手に取ったラリカは、ひと匙粉末をすくい取ると、杯の中へと流し込んむ。
そのまま三度杯の中を大きくかき混ぜた。
「――ミア」
厳かに呟くラリカの声に応じるように、ぽうっと、杯のなかの水が仄かな燐光を発した。
右手の小指を杯に浸すとそのまま、光を放つ液体を纏わせた指を子供の額につける。
そのまま、液で文字を描くように額に何かを書き込んでいく。
燐光を放つ文字が、まるでアーンクの梵字のようにも見えた。
「遙か遠くにおわす神に代わり、ラリカ=ヴェニシエスが汝、ルルムを祝福します。今、汝の身に穢れはなく、その身にはルルムの赤が宿り捧げられます。どうか、その前途に幸多き事、良縁ある事を――ミア」
最後にラリカが軽く人さし指でルルムの額を突いた。
すると、文字は激しく赤い光を放ち始めた。
店内が光の照り返しを受けて、赤く染まってゆく――
「……驚きました。この子は、優秀な魔法使いになる資質がありますよ」
光がひとしきり収まったところで、ラリカが自分の見立てを口にする。
「本当ですか!」
光が収まるのを見計らってつぶやいたラリカの声を拾い上げ、セルテが歓喜の声をあげた。
「ええ。ここまでは強く反応する子はなかなかいませんよ。大切に育ててあげてください」
「セルテッ! これはめでたいぞ!」
「はいッ! ラリカ=ヴェニシエス! 本当にありがとうございました!」
心から喜ぶセルテとポウの様子をみて、ラリカは、鞄から穴のあいた小さな木製の札とペンを取り出した。
ペン先を残った杯の中の液体につけると、ラリカは木の板に幾何学的な模様を描きだした。
フリーハンドで描かれていくそれは、魔法陣のようだ。
残念なことに、私は魔法陣を見るだけで内容を把握することは出来ない。
最後に木の板に革ひもを通し、ふっと息を吹きかけると、木の板に焼き印のように魔法陣が刻み込まれた。
魔法陣の刻まれた木札をラリカはルルムの枕元に置いた。
「これは、ちょっとしたお守りです。この子の成長を願った物ですから、この子に渡してあげてください」
「ヴェニシエス……本当にありがとうございます!」
「いえ。新たな生命が生まれ、神々は祝福されています。あくまで私はその代わりに、祝福しただけです。ルルムが良い子、良い信徒となることを願いますよ」
ラリカはそういって、私を一つ撫でると、机の上に並べた道具をしまい込み、口々に感謝の言葉を述べる店内の人々に別れを告げ、お店の外へと歩き出したのだった。
「――ラリカ。君は随分と聖職者じみたこともできるのだな」
ラリカの耳元で、少しからかいを込めてをこっそり囁いた。偽ることのない本心だ。
ヴェニシエスというのが、宗教関連の役職というのは聞いて知っていたつもりだったが、リべスの町にいる間は実感が湧かなかったのだ。
「何を失礼なことを言うのです。一応、これでも聖職者の端くれですから、祝福を授けることくらいはできますよ。まったく、本当にお前はどういう目で私のことを見ているのですか」
「職業=商人だ」
「――もうっ! くろみゃーまでそんな認識になったのは、きっとムシュトさんのせいですね。今度絶対ひどいことしてやります」
リクリスに会話を聞かれないように小声ではあるが、ラリカがムシュトに向かって恨み言を虚空につぶやいている。
だがまあ、ムシュトとラリカの会話からラリカの商売っ気の多い認識ができたのは確かだが、普段の悪だくみしているような会話からの印象の方が強いのが実情だ。
つまりは、ラリカの自業自得というか、普段の行動の結果なのだが。
そんなことを口にすればラリカの不興を買うのは目に見えているので口にはしない。
「ラリカさんラリカさんっ! 今のが高僧の方々がなさる本式の洗礼なんですね!?」
やっとお店から少し離れたところで、リクリスが興奮した声音で切り出した。
「はい……?」
「私! 本式の洗礼なんて見たの初めてなんです! あーもう! 本当にルルムちゃんうらやましいなー!」
「ちょ、ちょっと待ってください! リクリス、今のが洗礼の儀式ですよ? 本式とは何のことです?」
「え!? ……普通の洗礼って名前を呼んで頭を撫でられるだけですよ?」
「頭を撫でるだけッ!?」
「はい。こう、子供をずらっと並べて順番に……」
そういって、リクリスは中空に子供を並べてなでていくジェスチャーをする。
「何ですか……その手抜きは。リべスにいた頃は、ヴェネラと私で手分けして生まれた子全員に先ほどの方法で洗礼を行っていましたよ……」
「ええっ!? 全員ですか!? 普通本式の洗礼を受けられるのは、王都か聖国の身分の高い方だけですよ? だから、さっきのお店の人たちみんなびっくりしてましたよ?」
リクリスの言葉に、先ほどの店内の様子を思い返してみれば、確かに全員非常に驚いた顔をしていた。
ルルムの赤い光が原因かと思っていたが、どうやらそれだけではなかったようだ。
なるほど。先ほどのなみなみと水が注がれたコップはそういう事情もあったのか。
「本当ですか……それはまずいことをしました。洗礼の儀式で差があるのでしたら、ルルムだけ不公平になってしまいます」
自分の先ほどの行いが失態であったと後悔しているようだ。
「たぶん、ですけど。ラリカさんが本式の洗礼をしたからって怒る人はいないと思いますっ!」
「どうしてです?」
「あの、本来なら、ヴェニシエスに話しかけることすら恐れ多いというか、洗礼を授かれること自体が大変な名誉なことっ、なのでっ、もしそんなことを言い出す人がいたら、周りからなんて言われるか……」
ラリカに注がれる周りからの視線を気にしながらリクリスが続ける。
そう、今も通りを歩いている私たちには道行く人々の視線がひっきりなしに向けられている。
男女問わず、中にはラリカに見惚れるように足を止めてじっと見つめる者もいる始末だ。
そもそもの度胸が違うのか、ラリカは多少おさまりが悪そうにはしているが、もはや慣れた様子で歩いているが、リクリスは先ほどから非常に肩身が狭そうにもじもじしながら歩いている。
「……そういうものなのですね」
「……はい」
リクリスの言葉に、さすがのラリカも少し周りが気になったのか、一度立ち止まると周りを見渡してそういった。
あ、ラリカと目が合った青年が片膝をつく例の姿勢に入った。
周りの人々もそれに合わせて次々片膝をついて連鎖していく。
――どうやら、この町での滞在はなかなかに難儀しそうだ。