第四話「リクリスと新たな術式」
ラリカが大声を張り上げたことで、店中の注目が集まっていた。
先ほどから、ラリカが王都に来ているという噂が広まっていたのか、こそこそと落ち着かない様子でこちらを覗き見る視線はあったが、今は遠慮のない視線が向けられている。
「……いま、ラリカ様、浮いた話はないって言ってたよな!?」
「ああ……確かに言った」
「マジか……」
こそこそそんな話をする声が、ミルマルの私には聞こえていた。
どうやら、ラリカの色恋は随分と注目の的らしい。
幾人かは明らかな喜色が顔に浮かんでいる。
なんとなく、リベス以外の町でのラリカの扱われ方がわかってきた気がする。
……そう、今回の件も、例えるならアイドルが恋愛していないと公言したような感じだろうか?
確かに先ほどラリカが行った余裕のなさそうな否定は、嘘を言っているようには聞こえなかっただろうから、ファン? の方たちからすれば嬉しい話なのだろう。
「と、とにかく。それらすべて、嘘っぱちです」
気恥ずかしくなったのか、こほんと可愛らしく咳払いして、ラリカが上体を起こしかけた体をゆっくりと椅子に戻す。
疲れ果てた様子で椅子に深く腰掛けなおし、自身の精神の無事を確かめるように、大きく息を吐きだした。
リクリスは、少し残念そうな顔をしているが、どこか安心したようにも見える。
「恥ずかしいですが、私に対して憧れを持ってくれているというのもよくわかりました。それで、さっきの話からすると、ほかにも何か理由があるのですね?」
「は、はいっ!」
ラリカが、もはや自分の話は懲り懲りだという様子で、いつまでも語り続けそうなリクリスに水を向ける。
リクリスが緊張した面持ちでうわずった声をあげた。
「ラリカさんに見て欲しい魔法があるんです」
「……見てほしい魔法ですか? 言っておきますが、私は机上理論ならわかりますが、実学系はからっきしですよ?」
リクリスが言い出した内容に、ラリカが眉を顰める。
確かに、ラリカはつい先日まで魔法を使うことができなかった。
今をもっても神炎しか使うことができないのだから、魔法を見てほしいといわれても困るだろう。
「……あ、あのっ! 見ていただきたいのは、多層構造の魔法陣モデルなんです!」
ラリカの渋い反応に、慌てた様子でリクリスが補足する。
「――まさか!? 完成させたのですか!?」
「あ、いえ、その……まだ、上手く動作してくれなくて。階層が切り替わらないんです……」
勢い込んだラリカの様子に気圧されながらもリクリスは懸命に訴えた。
「ということは、魔法陣の積層化自体は成功したということですね!?」
「一応……それらしいものは……」
「見せてくださいッ!」
「わ、わかりました……」
先ほどまでとは打って変わり、ラリカが積極的に身を乗り出しながら、矢継ぎ早に問いかけていく。
ラリカが急すと、リクリスは一瞬、決意をこめた真剣な表情になった。
すると、先ほどまでのおどおどした様子から変わり、雰囲気がすっと重くなった。
周囲の空気が変質し、店内がすっと静かに落ち着いてゆく。
リクリスが、右手の掌を上に、前に向かって突き出した。
掌の上で、輝きが集まり、魔法陣が展開を始める。
通常、魔法を使う際は、魔法陣は一枚しか展開されない。
だが、今、目の前で展開されていくものは複数の魔法陣だった。
何枚もの魔法陣が上下に積み重ねられたように描き出されている。
私は、慌てて瞳の力を起動した。
瞳を起動することで初めて、リクリス魔力量を知ることができた。
自らの魔力量で死に至ろうとしていたラリカとは比較にならないが、クロエ並みの魔力は持っているようだ。
魔力容量だけで言えば、上級魔法も易々《やすやす》と使うことができるだろう。
――なるほど。これなら特待生というのも、納得できる。
目の前で構成されていく術式をじっくり観察しているが、その術式も入れ子構造になっていて、今まで見たことがないものだった。
――面白い。
どうやら、一つの魔力供給源から複数の術式に魔力を供給して、用途に応じて都度切り替えていく方式のようだ。
一度に大量の魔法陣を展開させないといけない点や、術式の構文が必然的に長くなってしまうことから、効率的とは言えないかもしれないが、今までの術式にはない新しい発想だ。
今も、細かな記述が複雑な構造で絡み合い、一目で全貌を把握するのは難しい。
後でじっくり思い返して検討させて貰おう。
一方、ラリカはと言えば、空中に展開された魔法陣を真剣そのものの表情で見つめている。
魔法陣の記述、真理を逃さずを読み解こうとしているかのように、その赤い瞳はものすごい勢いで左右に揺れ動いていた。
知らず力が入っているのか、白くなるほど両手は握りしめられている。
――やがて、術式に魔力が供給されると、一部の術式にパスが通り、魔法が発動した。
空気中に、小さな氷の塊が浮かぶと、手元に持っていたカップの中へとポチャリと落ちた。
「え、えーと……こんな感じです」
沈黙が降りる中、自分の手元に吸い寄せられている二対の視線を受けて、元のおどおどとした雰囲気に戻ったリクリスが恥ずかしそうに頬を掻いた。
「――すっ……素晴らしいですよ! リクリスッ! 多層構造術式は私も理論上存在する可能性は示唆していましたが、結局クロエ婆も実現できなかったのであきらめていた理論なのですよ! リクリス! 特に紋章記述で積層化する際の、上下の魔法陣を同期させる連携魔法陣の記述が秀逸ですねッ! これだけ最低限の記述でよく上下のパスを通せましたものです!」
興奮した様子でラリカがまくし立てていく。
どうやら、ラリカは先ほど展開されていた魔法陣から、あらかたの魔法の内容を読み取っていたらしい。
「そ、それが、実は積層構造を作れたんですけど、最上層の魔法陣しか発動できないんです……積層構造にした意味がないというか……」
「……なるほど」
リクリスは失望を恐れるように恐縮した様子でラリカに自らの魔法の欠点を説明する。
ラリカはリクリスの説明を受けて、一瞬目をつぶった。
右手を少し上げて、空中に躍らせる。まるで、何かを空中に描きだしているようだ。
まさか、先程見た魔法陣の問題を洗い出しているのだろうか。
私は瞳の力で直接術式が見えているが、ラリカはそうはいかないはずだ。魔法陣から術式を推察することしかできないはずだ。
「……なるほど。大体分かりました。一緒に考えていきましょう。リクリス。今晩一緒に食事でもいかがですか?」
何かを悟ったようにラリカは顔を上げると、澄んだ瞳でリクリスを見つけた。
――『分かった』だとっ!?
ラリカは、熱狂したような先ほどと違い、澄み渡った清流のような静かな瞳をしている。
どうやら、嘘ではなく、本当にある程度の検討を付けてしまったらしい。
「――え、あ! はいっ! 入寮手続きの後なら大丈夫です! いいんですかっ!?」
「分かりました。良いでしょう。私がリクリスと食事をしたいのですよ。私もこの後挨拶に行かないといけないところがあります。どこかで合流してから食事にしましょう」
「――はいっ! よろしくお願いします!」
リクリスの返事に気をよくしたように、満足げにうなずくと、ラリカは少し冷めた手元のカップを呷った。
ほほを紅潮させたリクリスは、『やったぁ』とラリカに気づかれないように小さく声を上げていた。
「ん。このお店はなかなかにおいしいですね」
「あ、ほんとだ。甘い……」
氷の塊が浮かぶ自分のカップを傾けながらちびちび飲みながら、リクリスが同意する。
つくづく動きが小動物時見ている少女である。
「あ、でもこんな……いくらなんだろう……」
やがて、自分が金額を見ていなかったことに気がついたか、リクリスがかわいそうなほど青ざめていく。
「――リクリス。ここは私の支払いで良いですよ。私が勝手に連れ込んだのですし、良いものも見せて貰いましたから」
「そんな!? ラリカさんっ! そんなの駄目です!」
「気にすることはないですよ」
「そんな色々してもらったら、ラリカさんと居づらくなります!」
「いえ、ここは遠慮するところではありませんよ。勝手に連れ込んだのは私なのですから。ここで出させてしまったら、今度からリクリスを誘いづらくなるではないですか」
「うっ……でも、ラリカさんに出させるのは……!」
リクリスもラリカもお互いに譲るつもりは無いらしく、話は平行線をたどっていく。
「……分かりました。とりあえず、金額が分からないと判断のしようがないですね。店員さんに聞きましょう」
「……そうですね」
やがてこのままでは話が進まないと思ったのか、ラリカが金額を確認することを提案する。
確かに、傍でみていても、お互いが想像で言ってしまっているから、決着のつきそうにないのは良くわかった。
――お互いに譲り合う姿に和ませてもらうために教えなかったのは秘密だ。
「すみません。合計金額を教えて頂けますか?」
ラリカが、近くにいた店員のお姉さんを捕まえて問いかけた。
呼び止められた店員さんは、緊張した様子で視線をさまよわせると、店長らしき白髪で髭を生やした男性とアイコンタクトを取った。
女性からの視線を受け取った男性が、ゆっくりと近づいてくる。
ただならぬ様子だ。なにか、まずい事でもしただろうか……?
そう考え、先程までの自分達の行動を思い返してみる。
『動物(私)を連れて入店』『店内に響く声をあげる』『店内で魔法を発動する』
……お店から怒られても不思議ではないな。ここは甘んじて皆で注意されようか。
「――お客様」
同様の事に思い至ったのか、ラリカとリクリスがかけられた声にお互いを見合わせた後、気まずそうに男性の方を振り返った。
「お客様は、ラリカ=ヴェニシエスでいらっしゃいますか?」
男性が続けたのは、予想と違いラリカに対する誰何の言葉だった。
「……ええ。ラリカ=ヴェニシエスで間違いありません」
戸惑いを含んだラリカの返答を受けた男性は、木床の店内に片膝をつくと、右手を三度打ちつけた。
「おお……やはり左様でございましたか。本日は、当店にお越しいただき、誠に光栄でございます……」
「いえ。こちらこそ、とてもおいしい『ティジュ』ありがとうございました」
「ヴェニシエスにそのようなお言葉を賜るとは、ありがたき幸せにございます……」
ラリカの言葉に、瞳を潤ませながら男性は感謝を述べる。
「それで、料金なのですが……」
「お代は頂かなくても結構です。ヴェニシエスに当店にお越しいただいたことが、我々にとってなにものにも勝る報酬でございます」
「いえ、そんな。そういうわけにもいかないです。それでは、私がヴェニシエスだからと無銭飲食したようではありませんか。お仕事に対価はきちんと支払いますよ」
「そのような……今回のお食事は、ヴェニシエスへのお布施とお考えいただけましたら……」
「お布施ですか……そう言われると、立場上断れないのが辛いところですね……」
「ぜひとも」
「……分かりました。今回の食事についてはお布施であると考えておきます。名と教派は?」
「ユーニラミア教徒。ポウと申します」
「では、ポウ=シスに智の祝福を」
「ラリカ=ヴェニシエス。感謝いたします。ヴェニシエスに炎の輝きを」
そういって、ポウというらしき店主とラリカがお互いに頭を下げ、数秒後にそろえるように顔をあげた。
顔をあげたラリカの表情は、慈愛に満ちた女神のようにも見える。
……目の前で神聖で、どこかドラマチックな光景を見せられたリクリスが、ちょっと危ない人のような視線をラリカに向けているのが怖かった。