第三話「ラリカ=ヴェニシエスの恋模様」
「……本物……?」
呆然としたまま、リクリスが声を漏らした。
先ほどの話の流れからすると、リクリスが会いたいと言っていた本の作者というのが、まさしくラリカということなのだろう。
……なんとまあ、凄まじい偶然もあったものだ。
本の内容は随分とややこしそうな内容を言っていたが、薄々感じていたうちのご主人の研究好きは本物だったらしい。
魔法っぽい内容だったが、魔法を使えないくせにどうやって研究したのだろうか。
――というか、先ほどから周りにいる兵士の皆さんとか、ほかの順番待ちだった方々にラリカの素性が伝わっていっているのか、次々と頭を下げて同じポーズになっていっているんだが、私はどうすればいいのか!?
「はい……さっき確認された通り、本物です……騙すつもりはなかったのですが……なんだかすみません」
気まずそうにラリカが、リクリスの問いに答えた。
目の前で自分が書いた本が愛読書だと、知らずに力説されれば、気まずいというのはよくわかる。
……よくわかるのだが、間に無理やり巻き込まれた無関係の私の気まずさたるや。
早々にこの場を退散したいところだ。
「――す、すみませんでしたぁ!!」
ものすごい勢いでリクリスが膝をつく、おそらく皆と同じポーズをしようとしたのだろうが、慌てすぎて地面に両膝を突き土下座するような体制になってしまっている。
「すみません! すみません! すみません! ヴェニシエスだと気が付かず失礼ばかり!」
「ああっ! そんなに謝らないでください! そんなつもりないですから! 怒ったりしませんから! 普通に! 普通にっ! さっきまでのように普通にしてくださいぃっ!」
謝り倒すリクリスを、半ばこうなることを予測していたらしきラリカが必死でなだめている。
というか、リクリスだけでなく、ラリカまで半泣きだ。
どうすれば良いのかわからない私は、ラリカの肩から飛び降りると、固まっている兵士の横をすり抜け、関所のそばに座り込んだ。
――そう。私は、ミルマル。
人間のことは何も知らない。
***
「くろみゃー! お前、逃げましたねっ!?」
ラリカの登場により、一時完全に機能を停止していた通関業務が再開した頃、私はラリカに締め上げられていた。
「ら、ラリカ落ち着け! 落ち着くのだ! 後ろでリクリスが変な顔をしてみているぞ!」
般若の形相でミルマルを締め上げているラリカの後ろ、リクリスが不思議そうな顔で見ていた。
「……今晩、ゆっくり話を聞かせてもらいます。覚えておくのですよ」
さすがに、リクリスの前でこれ以上の醜態をさらすのはまずいと思ったのか、ラリカは私にそっと囁くと肩の上に乗せなおした。
「ラリカ……様? どうされました?」
「いえ、なんでもないです。少し、私の飼っているミルマルが離れてしまっていたので、叱っていたのですよ」
「あ、はい。わかりました。そのミルマルは、ラリカ様がお飼いになって――」
「……とりあえず、リクリス。様付けはやめてください。『ラリカ』と」
ラリカの言葉一つ一つに身をすくませながら話すリクリスに、精一杯のこわばった笑みでラリカが要望を口にする。
「はいぃい! ラリカさんが飼っていらっしゃるのですか?」
「……まだ、なにかさっきまでに比べて、おさまりが何か悪いですね」
「……ラリカさんが飼ってるんですか?」
「いい感じになりましたね。そうですよ。私が飼っているミルマル。つまり私がこの子の『ご主人様』というわけです」
リクリスへの説明に、妙に『ご主人様』という語を強調しているが、随分と先程置いて逃げ出したことを根に持っているようだ。
「ミルマルとヴェニシエスなんて、おとぎ話みたいです」
「ふふっ確かに、珍しい組み合わせですね」
手を組み遠くに想いを馳せているリクリスにほほ笑みながらラリカが同意する。
「それに、とってもきれいな毛並み。夜をそのまま形にしたみたい」
「……ええ。それについては認めざる負えません、触り心地もすごくいいのですよ」
私のことを見つめ、うっとりとした視線を向けるリクリスに、しぶしぶといった様子でラリカが肯定する。
「そうなんですか!?」
「ええ。ええ。そうですとも。……触ってみますか?」
「いいんですか!?」
「ええ。良いですよ。思いっきりわしゃわしゃなでまわすと良いです。この子は利口な子ですからね。多少強く触っても怒って引っかいたりはしませんよ」
あ、ラリカ。私のことを打ち解けなおすための材料に使っているな。
そのにやにやとした厭らしい笑みがその証拠だ。
――だが、いいだろう。ラリカを放っておいたことが罪だというなら、触られるくらい程度、甘んじて受けようではないか。
「じゃ、じゃあ少しだけ……」
そういって、恐る恐るといった様子でリクリスが私に手を伸ばしてくる。
そろそろと、毛並みに沿うように、壊れ物を扱うようにゆっくりと柔らかく撫でられる。
少々くすぐったい。背中の毛をぴくぴくと揺らし、おさまりを付ける。
「あ、温かい……」
リクリスの、緊張に強張っていた表情が、ふっと和らいだ。
……アニマルセラピーをしている動物たちはこんな気分なのかもしれない。
「ラリカさんっラリカさんっあったかいですっ! お名前とか、ありますか?」
「『くろみゃー』と言います」
「えっ!?」
ラリカの返答に一瞬、私を撫でるリクリスの手が止まった。
「『くろみゃー』です」
「く、くろみゃー様ですか?」
「ええ。そうですよ。その子にも様はつけなくて良いです。くろみゃーでいいですよ」
「く、くろみゃー、さん」
たかだかミルマルに、様をつけて呼びかけるのがまたリクリスらしい。
ラリカに訂正されて呼びかける声が、不安からか震えてしまっているではないか。
どれだけ臆病なのだこの子は。先ほどのラリカ著の謎の書籍を取り出した時の勢いはどうしたというのだ。
「にゃあ」
とりあえず、安心させるために、ミルマルっぽく満足そうな顔で鳴き声を上げる。
「あ……」
エメラルドグリーンの瞳が見開かれ、撫でる手に力が入った。
力の入った手からは力みは抜け、緊張が解けていくのが分かった。
しばらく、リクリスは私のことを撫でると、名残り惜しそうに私から手を放した。
***
私を撫でて緊張をほぐしていくリクリスを見て、安心したように息を吐くラリカは、リクリスの手をつかむと、近くにあった喫茶店らしき建物にリクリスを連れ込んだ。
ラリカに捕まれた手を見ながら、ふわふわと、どこか夢見心地の様子のリクリスは、何も言わずにラリカに引かれるままにラリカの後ろをついていった。
喫茶店に入り、少し奥まった席に案内されたラリカは、ラリカに掴まれたところを撫でながら呆けているリクリスに代わり飲み物を頼んだ。
メニューも見ずに注文したところをみると、定番の飲み物なのかもしれない。
私には、ラリカが注文した言葉が、『シジュウカラ』としか聞こえなかったが、何と言ったのか甚だ疑問である。
しばらくすると、湯気を立てたカップが運ばれてきた。
カップの中には茶色がかった緑色をした液体が満たされている。
カップを覗き込み、頃合いを見計らったようにラリカが切り出した。
「それで、リクリスはどうして私に会いたがっていたのですか?」
「……っ! あ、はい! すみません! ラリカ=ヴェニシエスにお会いしたかった理由はいくつかあるんです!」
ラリカの言葉にがたんと大きな音を立ててリクリスが揺れた。
「いくつかですか? なんでしょう?」
「あ、あの、あの、ラリカ=ヴェニシエスと言えば、私たちの憧れなんです!」
「……憧れですか?」
「はい! リべスの町を救って、弱冠四歳にして歴代最年少でヴェニシエスに指名されるほどの才を持ち、その美貌はアカイミアを嫉妬させ、モコイミアの目を開かせるほど。ヴェニシエスに指名された後も、『旅人の安住の地、世のすべてがそこにある』と語られる楽園を作り上げ。王都や聖国のお医者様も匙を投げたイリオス君の病気を知って、治療する方法を何日も寝ずに探してついには見つけ出して治したお話なんて、語りを聞いて泣きそうになりました! あ、そうそうラリカ=ヴェニシエスといえば――」
次々に語られていく、ラリカの過去。
いったいどこの英雄だと言いたくなるような功績が挙げられていく。
先日、クロエがラリカの功績について語ってくれたが、そんなものは序の口に過ぎないらしい。
いや、まて。
得てしてこういう話は尾ひれがついていくものだ。
面白可笑しく捏造された話もたくさんあるに違いあるまい。
ただ、どちらにせよ、目の前の少女がラリカを尊敬している事だけはひしひしと伝わってくる。
ラリカは崇めるように語られるたび、赤くした顔を隠すように、段々と頭が下がり、テーブルの上に突っ伏していく。
――ご愁傷さまです。ラリカさん。
「――なのでっ! 私たちにとってっ! ラリカ=ヴェニシエスはいつか一目見たい英雄なんですっ! ……思えば、初めて写本する仕事にラリカ=ヴェニシエスの本をお父さんが持ってきたのは運命だと思ってたんですけどっ、ひょっとするとっラリカ=ヴェニシエスのようになれという父のメッセージだったのかもしれません――っ!」
突っ伏すラリカを気にすることなく、遠い目をしたリクリスはちょっといい感じの話で長い長い語りを締めた。
「……とりあえず、リクリス。今の話には一点間違いがあります。ネストスの討伐はクロエ=ヴェネラと、アリン=オフスの二人だけで私は参加していません。だから、とどめを刺した炎舞はクロエ=ヴェネラが放ったものです。レクスからの報酬もすべてその二人に支払われているはずですよ」
突っ伏しながらも、一応リクリスの話はすべて聞いていたらしい。
内容に訂正を入れる。やはり、脚色が入っていたらしい。
……ん? いや、それ以外は事実なのか!?
幼い主人の得体しれなさに、人知れず私は慄いていた。
「――レクスッ! 今、ラリカさん、『レクス』って言いましたかっ!? きゃー! 呼び捨て! やっぱり、『リべス=レクスと湖畔の誓い』は本当なんですねっ!? 婚約は? 婚約はされたんですか!?」
ラリカの発言を拾って、さらにリクリスがヒートアップしていく。
『リべス=レクスと湖畔の誓い』とはなんだろうか?
「ちょ、ちょっと待ってください。いったい何の話です!?」
風圧を感じそうな勢いでラリカが顔を上げた。
どうやら、ラリカも覚えがない話らしい。
「『リべス=レクスと湖畔の誓い』ですよ! ラリカ=ヴェニシエスに会おうと、リべスの領主レクス様が夜会を抜け出して、ラリカ=ヴェニシエスに最高の町を贈ることと永遠の愛を誓ったというラリカ英雄譚の中でも屈指の……」
「――本当に何の話ですかッ!?…… あ、まさか……」
何の話をされているのかわからず戸惑っていたらしき、ラリカがみるみるその表情を青くしていく。
何か、思い当たることがあったらしい。
……レクスとご主人がそんなステディな関係だとは知らなかった。
確かに、そういわれてみれば妙にナカヨサゲだった気もしないでもない。
……ま、そういうこともあるさ。
「レクスがクロエ婆のところに来る途中、ティギュリスに襲われて従者の方が大怪我を負って動けなくなっていた時に、助けた時の話ですか!? あれは、湖畔ではなく貯水池の畔でしたし、話したのは街で開くイベントのことですよ!? もちろん愛がどうのなんて話もありませんでしたし!?」
「あー……そうですか……あ、でも、だったらアリン=オフスとの件は!?」
「アリン=オフス!? 一体、私の色恋沙汰はどんな話にされているのですか!?」
……どうやら、うちのご主人は三流雑誌のゴシップ記事の如く、存在もしない男性関係を語られていたらしい。
――一応ヴェニシエスというのは、宗教関係の権力者と聞いているのだが、語っていて異端扱いされたりはしないのだろうか。
しないか。古今東西人間はゴシップ記事と英雄譚が好きなものだ。有名税という奴だろう。
うちのご主人がその対象にされているというのは気に食わないが。
「~~ッ! とにかく! 残念ながら、私にそういった浮いた話は一切ありません――ッ!」
ラリカの悲鳴が、店内に響いた。