第二話「私の名前は」
ラリカからの突然のプレゼントですったもんだしたあとも、ラリカとリクリスは仲良く話していた。
随分打ち解けたようで、リクリスの故郷の村の話や、通う予定の学校の話なんかをラリカが聞き出していた。
「リクリスは王都滞在の間、宿はどうするのですか?」
「無料の寮があるらしいんです。だから泊まるところの心配がなくって助かってますっ! 寮がなかったら、王都に出てくるなんてとてもムリでしたっ!」
「そうですか。それは良かったですね。最近、人材の育成にはどんどん力を入れていますから、奨学生は手厚く保護されるというのは本当なのですね」
「ラリカさんはどうするんですか?」
「私ですか? 私は、教会に泊まりますよ。知り合いが教会関係者なので、すでに宿を取ってくれているそうですので」
「教会にですかっ? あれっ? ラリカ、ユルキファナミア教徒ってことは、ひょっとして図書館のある……」
「そうですね。王都のユルキファナミア教会は、図書館が充実しているらしいですね」
「うらやましいっ! 私も王都に居る間は一度は行ってみたいんですっ! でも、図書館ってことは保証金がかかるのかな……」
「あー。確かに、今まで気にしていませんでしたが、図書館の利用には幾らか預けないといけないかもしれませんね。でも、確か貸出以外には費用は掛からないと聞いたような気もしますが……」
「そうなんですかっ! でも、保証金を気にしてなかったってことは、ラリカさんってひょっとしてお金持ちさんですかっ?」
「……まあ、ほどほどです」
「はぁ……すごいなあ」
服装や、瀟洒な造りの杖を見れば、ラリカが貧しい出ではないことはわかってしまうだろう。
ラリカは、大筋で否定することなく同意した。
ラリカとリクリス。
どちらも、今まで出て来れなかった王都に、やっとの思いで出てきたというのは同じでも、根本部分が大きく違う。
ラリカはしがらみが原因で。
リクリスは金銭的な原因で。
それぞれ、どちらの方が大変という話ではないが、お互いに立場を理解することが難しいことに違いはないだろう。
リクリスも、ラリカとの生活レベルの違いを感じてしまったのだろうか。
考え込むように、先程木箱をしまい込んだ鞄をじっと見つめている。
「リクリス。王都の奨学特待生といえば、最高の出世ルートですから、すぐに普通の人よりずっと高収入になりますよ……?」
「そうなんですかっ!?」
目に見えて落ち込んだ様子のリクリスに、同様の感想を抱いたのか、ラリカがフォローするようにリクリスの今後について言葉にした。
驚いた顔でリクリスが顔を上げる。
「知らなかったのですか……奨学特待制度を利用するような人間は、卒業後すぐにオフスになるのが確約されているようなものですよ。ちなみに、オフスになれば、手当てを抜いても少なくとも日給換算で六千~一万カルロはもらえるはずです」
「六千~一万っ!? 一日でっ!?」
「あくまで、それもオフスの期間ですよ。王都に呼び戻された後はそこからさらに跳ね上がるはずです」
それがどれくらいの金額なのかはわからないが、具体的な金額に、軽い眩暈でも覚えたのかリクリスがふらふらと揺らめいている。
どうやら、私が思っている以上にラリカとリクリスには金銭感覚に差があるらしい。
たしか、六千カルロといえば、ブロスのお店でいつも買っている量のノルンがそれくらいの金額だったはずだ。
その金額が高いのか安いのか私にはなかなか判別がつかない。
「ラリカさんっ! わた、私、奨学特待がそんな大事なものだなんて……」
「いまさら、何を言っているのですか……」
慌てたように言い募るリクリスに、ラリカは疼痛を抑えるように額に手をやった。
「とにかく、リクリス。あなたは、十分成功者と呼ばれるものに仲間入りしようとしているのですよ」
「成功者……」
かみしめるように、リクリスが呟く。
その表情は、戸惑いの中にも何かを決意を感じさせるような表情だった。
そういえば、村の人がお金を出し合ったと言っていた。
ひょっとすると、村の期待を背負って、都会に出て一旗揚げてやると考えていたのかもしれない。
「そういえば、リクリスはなにか、夢をもっていますか? 『成功者』とは言いましたが、それはあくまで国の定めた枠組みの中での話です。将来の方向性によっては、奨学特待を受けることで夢から遠のく可能性があることだけは覚えておいた方がよいですよ?」
自分の今後について良く知らないリクリスの様子が心配になったらしい。
ラリカがあくまで一般的な意味、金銭的な意味での成功に過ぎないと釘をさす。
確かに、奨学制度を利用する場合は、その出資者の意向に沿うことを求められるだろう。
日本だって、スポンサーの意向が重要だ。それと同じようなものだろう。
「夢……」
リクリスが、陽の光に溶け込むような声を上げた。
少し横にずらされた顔は、高くなり始めた日の光で影になって正確なところをうかがい知ることができない。
「――ラリカさん。私、立派な人になりたいです。立派になって、一目でいいから会いたい人がいるんです――ッ!」
顔を正面に向けると、リクリスは強い意志を込めた視線をラリカに向けた。
ぐっと握られたこぶしにはしっかりと力が込められていて、憧れと情熱を感じる。
「……会ってみたい人、ですか?」
ラリカが、急に様子の変わったリクリスに戸惑ったように、言葉を拾い上げる。
「はい。どうしても一度会ってみたい人がいるんですっ! 昔、その人の書いた本を読んで、魔法について真剣に学び始めたんです。今の私じゃ、とても会えないですけどっ、一杯学んで、立派になって、一目でいいから会って話をしてみたいんです」
「ほう。それはさぞ良い書だったのでしょうね」
「はい! すごく、すごく! いい本でした。今も、写本を大事に持っています!」
そういって、リクリスは右手を虚空に一閃させ、魔法陣を展開させる。
次の瞬間、右手には一冊の本が握られていた。
――収納魔法か。
取り出された本は、何度も何度も読まれたのだろう。
装丁が随分擦り切れてしまっている。
「それが、その本ですか?」
「はい。私が、初めて写本した本です!」
「どんな内容の本なのですか?」
「『術式の多層化による汎用性の確保について』という内容で、魔法陣の構造を変化させて術式を変化させることで、汎用性を確保することの可能性について論じている本で――」
リクリスが、本の内容を語りだした途端、びくりと視界が揺れた。
ラリカが肩を跳ね上げたらしい。
専門的な内容に、ラリカの研究魂が刺激される内容だったのかもしれない。
ラリカの顔を肩の上からのぞき込む。
――様子がおかしい。
顔を真っ赤にして、なにやらプルプルと小刻みに震えている。
怒りに体を震わしているというよりも、なにやら羞恥に震えているように見える。
「どうか、したのか? ラリカ」
そっと、リクリスに聞こえないようにラリカの耳元で囁く。
「い、いえ。くろみゃー。た、大したことではないのですが……」
どう見ても、大したことなさそうではない様子でラリカが蚊の鳴くような声を出す。
「次の方どーぞー」
ちょうど、通関の順番が来たようだ。
はじかれたように、ラリカが顔をあげる。
「それで、この本の作者がリべスの町の――」
「り、リクリス。すみません。私は順番が来たようですので!」
さっきまでのおどおどした様子が嘘のように、語り口調にだんだんと熱が籠っていくリクリスを遮るように、ラリカが話を切り上げた。
「ああっ! は、はい。語っちゃってごめんなさい」
「……いえ」
はっと我に返ったらしいリクリスに、短く言葉を返したラリカはなぜか肩を落としながら、億劫そうに関所へと歩いて行った。
関所に立っている兵士の下へ行くと、先ほど配属されて日が浅いとみていた若い兵士に、懐から出した書状をのろのろと取り出し、見せる。
動作が、明らかに精彩を欠いている。
「……免状です。発行者はリべス=レクス、クロエ=ヴェネラの二人です」
「っ! 私が確認いたします!」
若い兵士の後ろで退屈そうな顔をしてフォローするように立っていた年嵩の兵士が、横から慌てた様子で書状を受け取る。
どうやら、今回の旅にあたって、レクスとクロエから何か証明書のようなものを受け取っていたようだ。
兵士は、腰からアメジストのような紫色をした鉱石を取り出すと、書類にかざした。
鉱石が、呼応するように明滅した。
「確認いたしました! 入場者は……ラリカ=ヴェニシエス! よく、よくぞお出でくださいました!」
そういって、兵士は慌てて地面に片膝をつくと、右のこぶしを地面に三回ついた。
先輩の様子を見て、これは大変な事態だと認識したのか、若い兵士も続いて同じ動作を行う。
はあっとラリカは一つ大きなため息をついた。
――息を吐きだしてたっぷり五秒は固まると、意を決したように後ろを振り返った。
そこには、瞬き一つないまま固まったリクリスの姿があった。
「というわけで、リクリス。改めて名乗ります。私はラリカ=ヴェニシエス。リべスの町のヴェニシエスにして、『術式の多層化による汎用性の確保について』の著者です」
兵士の様子になにがあったのかと、聴衆がざわめく中、ラリカは改めて自らの名を名乗った。