第一話「ラリカの手のひら」
晴れ渡った空の下。
私とラリカは、王都の入り口で通関待ちの行列に並んでいた。
ヨルテ族の二人は、この後も仕事があるらしい。
二人は私たちに別れを告げた後、転送待ちらしき集団の元へと去っていった。
最後まで人の好さそうな営業用の笑み絶やさなかった彼女たちには、接客サービスとして尊敬を覚える。
……ヨルテ族もなかなか大変な部族だ。
「ラリカ。それにしてもすごい人だな……なかなか進まんではないか」
私は、口元をにまにまと嬉しそうに緩め、周囲を見回しているラリカに話しかけた。
どうやらご主人は、先ほどから旅に出たという実感がようやく湧いてきたのか、時々だらしない笑みを浮かべている。
「ええ。……ええ。そうですね。くろみゃー。王都は国中から人が集まってきますから、どうしても通関には時間がかかるのですよ。こういう風に、『待つ』というのも風情があってよいではありませんか?」
その口調は、どこまでも緩みきっていて、普段の背伸びをしたようなしっかりとした様子は感じられない。
「ラリカ……いくら旅に出たのが嬉しいからといって、少し緩みすぎだぞ」
「……む。何を言いますか。くろみゃー。緩んでなんていませんよ。そう、その証拠に、こうしてさっきから周囲を見回して商売の種を探しているのがわかりませんか? これはれっきとした調査ですよ」
「ラリカ。それは、調査ではなく、おのぼりさんというのだ」
「……そんなことは、ありません」
ぷいっとそっぽを向きながらラリカはそう言うが、その頬は若干の朱を帯びている。
そんな必死に否定しなくても、念願かなって旅にでて嬉しく思うこと自体は問題ない。
――それで気が緩んで事件に巻き込まれなければだが。
「ほんとうか?」
「……本当です。調査です」
なおも、ラリカは調査と言ってきかない。
……随分と強情だ。ならば、もう少しからかってみるとしよう。
「――なるほど。調査というのはわかった。ならばその結果を聞かせてもらおうか」
「……いいでしょう」
そういうとラリカは、肩の上に乗った私と、正面から額を突き合わせるようにして向かい合った。
赤い瞳と視線がかちあう。
ラリカの口元には、どういう意思の発露なのか、どこか不敵な笑みが浮かんでいるように見えた。
服の厚手の生地が、首を動かすのに合わせて、私の足元の皺が形を変える。
「まず、前方の荷車の横にいる商人。あれは商人ではありません。商人に扮している国の兵士です。荷車の部品規格が、職人ギルド経由の一般向けのものではなく、国から発注があった場合のものになっています。しかも、袋の紐の縛り方が、アシュス方面出身の兵士がよく使う縛り方です。まず、アシュス方面の軍属の方とみて間違いないでしょう」
ラリカが前方で、荷車の横で疲れ切ったように座り込んでいる、小太りの男を目線で示した。
確かに、一見疲れ切って座り込んでいるように見えるが、よくよく見てみると、その瞳は鋭い光を宿していて、ほかの商人たちの荷をつぶさに観察していた。
「次に、現在通関業務をしている兵士の若い方ですが、あちらはおそらくまだ配属されて日が浅いのでしょう。さっきから、確認事項の忘れが目立ちます。その度に再確認をしているので、これだけ列の進みが遅くなっています」
次にラリカが示したのは、通関業務を行っている、若い男だった。
たしかにどこか慌てた様子で先ほどから手元の木の板を何度も見返している。
関所を通ろうとしていた、極彩色の服をきた男が不機嫌そうな顔をして、若い男の隣に立っているベテランらしき年嵩の兵士をにらみつけていた。
「今、目の前を横切っていった商人が持っていた花。一見するとどれもきれいな花ばかりなおですが、中にはかなり危険な花が混じっていました。特に数が多かったのが、ゴルマですね。高原地帯でしか採取できませんが、きれいな赤い色をしているので、富裕層に人気があります。あまり知られていませんが、あの花には強力な毒性があって、加工して刃物に塗れば、一刺しするだけで大型の獣を前後不覚にできます」
花売りだろうか? 大量の花をかごに積み込んで背負っている商人がいた。
確かにきれいな赤い色をした花がかごの半分ほどを占めている。
「……そうですね。あとは――」
「もういい。ラリカ。君が十分まわりに気を配っていたことはわかった」
ラリカが、周囲に気を配るよう窘めようとしたが、十分すぎるほどにこのご主人は周りを注視していたらしい。
……そこはかとなく、私の指摘を受けて急遽見つけた気がしないでもないが、そこはそれ。
可愛いご主人は嘘などつかないという事にしておこう。
それに、商人に偽装している兵士など、通関も見落としたのかわざとなのか、普通に町の中へと入っていった。
それを一目で見抜いたというのなら、それはそれで大したものだ。
「……すまなかった」
とりあえず、『注意など不要』と実演して見せたラリカには、疑いの視線を向けたことを詫びておく。
「わかってくれましたか。まったく。お前も随分不名誉なことを言いますね」
私が謝罪した事で優位に立ったラリカが、尊大な様子で私のことを許した。
憤慨した口調だが、その目は笑っている。
ご主人のことだ。私が懸念していたことも十分理解しているのだろう。
「――おや? 私くらいの歳の娘がいますね」
ラリカが、ふと気が付いたように、列の後方に並んでいた同年代くらいの少女に目を向けた。
そこにいたのは、くすんだ黒髪をした少女だった。
服装はどこかの民族衣装らしい色使いや造りだが、ラリカやリベスの町の人々に比べると、生地が薄く、特に刺しゅうなどの飾り気も見当たらないため、少しみすぼらしいものに見える。
唯一装飾品とも言えるのは、腰に括りつけられた金属製の輪っかが連なったものだろうか。
幼い容貌を、先ほどのラリカのようにきらきらと煌かせている。
印象深いグリーンの瞳が、クリクリとせわしなく周囲を見回している姿はどこか小動物を連想させる。
うずうずしてた心情を反映してか、さっきから小さなこぶしを握っては開いてと落ち着きがない。
――その姿は正しく、『おのぼりさん』だった。
「ラリカ。声をかけて来たらどうだ? 友達になれるかもしれないぞ」
やはり、同じ年頃の娘というのは気になるものなのだろうか。
興味深げに見つめるラリカにそっと囁き掛ける。
「……別に、友達がほしくて彼女を見つめていたわけではありませんよ?」
友達がいないかのように言われたのが気に障ったのか、ラリカが少しむっとした表情をする。
……待て。
そういえば、ラリカが同年代くらいの子と遊んでいる。
……いや、もっと言えば、リベスの町で『友達』と一緒に過ごしている姿を見た記憶がない。
せいぜい、レクスやアリンが歳の近い人物と言えるかもしれないが、どちらも異性で、それも友達然とした付き合いとは言い難い。
これは、ひょっとすると、案外このご主人。
友達がいない少しさみしい人間なのではないだろうか。
毎晩ミルマル相手に寂しい独り言を言っていた辺り、いよいよその証明のようにも思える。
「……くろみゃー。ちょっとあの子の所にいきますよ」
なにやら考え込んでいた様子のラリカだったが、どうやら、彼女に話しかけることにしたようだ。
少女は私たちより少し後ろに並んでいる。
少々列を後ろに下がってしまうことになってしまうが、どうせちょっとやそっとでは動きそうにない。
後ろに少し下がったところで構いはしないだろう。
この退屈な時間を少しでも解消すること。
――そして、ラリカに友達ができること優先だ。
がんばれ。ラリカ。友達を作るチャンスだ。
ラリカに友達がいないということに気がついてしまった私は、もはや小学校の入学式に連れ添ってゆく親の心境だ。
……ただ、怒られそうなので、心の中だけラリカにエールを送る。
「こんにちは。なかなか進みませんね」
「え、あ。は、はい。そうですねっ!」
ラリカが、普通に見れば人好きのする笑みを浮かべながら少女に話しかけた。
傍目で見ている私には、どこか胡散臭い笑みのようにも感じられるが、これは余計な色眼鏡で見てしまっているからだろう。
少女は突然話しかけられたことに驚いたのか、あたふたと戸惑った様子で肩を跳ね上げ、こちらに顔を向けて挨拶を返した。
こちらを見てから一呼吸置いて、話しかけてきたのが同じくらいの年頃の少女だとわかったのか、その顔には安堵を浮かべると、ひまわりのような無邪気な笑みを浮かべた。
「お一人ですか?」
「はいっ! そちらもおひとり、ですか?」
私の方をちらりと見ながら、一人なのか一人と一匹なのか悩んだように少女が戸惑った声を上げる。
「ええ。このミルマルと一緒に一人旅です。王都に来たまでは良かったのですが、中々列が進んでくれないので、少々退屈していたところだったのです。独り者同士、よければ、少し話相手になってもらえませんか?」
「あ、本当ですか!? 実は初めての一人旅で、さっきから落ち着かなかったんですっ!」
少女が、うれしそうにラリカの提案に賛成する。
どうやら、先ほどの推察に漏れず、内心落ち着かずにいたらしい。
いや、しかし、まったくこれくらいの世代の子のコミュニケーション能力には驚かされる。
一言二言交わすだけで、まるで顔見知りであるかのように話しだしてしまう。
これが、ある程度の年齢になってしまうと、話しかけられても怪しい輩ではないかと警戒が先立ってしまうあたり、人間というものは業の深い物だ。
……ひょっとすると、この少女が田舎出身で人を疑うということを知らない可能性もあるが、その場合は色々な意味で非常に心配だな。
「そうですか。それはよかった。では、申し遅れましたが、『ラリカ』といいます。呼び捨てしてもらって大丈夫ですよ」
「はいっ! 『ラリカ』さんっ! 良いお名前ですねっ! リクリスです! よろしくお願いします!」
『リクリス』と自分のことを名乗った少女は、元気いっぱいに挨拶を返してきた。
どこか子犬のようだ。尻尾があればぶんぶんと勢いよく振っていただろう。
一人で列に並んでいた時の、小動物じみた様子といい、年に似合わず落ち着いた様子のラリカとは好対照だ。
「では、『リクリス』と。――リクリスと言えば、山岳地帯に咲く白い可愛らしい花の名前ですね。よい名前です」
「リクリスの花を知ってるんですか!? 私が住んでいた村の近くでしか咲かない花なのに、博識なんですねっ!」
「やはりリクリスはあの辺り出身ですか。リクリスの花は良い香りがするので、香水の原料になるのです。昔、作物ができにくい土地でとれる名産品について調べたことがありまして……」
「あ、確かに数年前から村長さんのところに商人さんが来て、リクリスの花を持って帰っていることがありました!」
「リクリスの花から抽出した精油は、精神を落ち着ける効果があるので、眠れない夜は枕もとに垂らした布を置いておくとよく眠れますよ。最近出回り始めたばかりですが、新しいもの好きの貴族の間では、結婚式前日にリクリスの花の精油を花嫁に送るのが流行しはじめています」
「はえー。そうなんだっ!? ……全然知らなかったですっ! やっぱり王都に来てよかったなぁ……」
リクリスはラリカの話に感心したように、ブンブンと音がしそうなほど首を縦に振っている。
やはり旅に出るというのは、色々と関門があるらしい。
勝手な想像だが『来てよかった』という言葉には、万感の思いが込められているようだ。
……なんにせよ、うまくコミュニケーションが取れているようでなによりだ。
いい感じでリクリスの口調も少し崩れ始めている。
この二人はウマが合うのかもしれない。
……しかし、この歳になって、あどけない子供同士が友達になっていく様を見ていると、自分の昔を思い出して少々気恥ずかしいものだ。
ま、仲良き事は美しきかな。
***
「リクリスは、観光で王都に来たのですか?」
リクリスの服装を見ながら、ラリカがそう切り出した。
確かにリクリスの服装は長旅をするようには見えない。
「学校に通えることになったから、王都に出てきたんですっ!」
リクリスは慌てたように両手を振って否定する。
「学校ですか。王都の学校に通うのはそれなりのお金がかかりますから大変ですね」
「あ、その……う、うちの村はあんまり裕福ではないのでっ、お金を払っては無理だったんです。……今回の旅の費用だって、村のみんなが出し合ってくれて……」
「……ほう? となると奨学特待ですか……リクリスは優秀なのですね」
「そんなっ! 私なんて全然っ! 本を読むのが好きなだけなんです」
「そんなに謙遜するものではないですよ。王都の特待制度は毎年出るわけではありませんし、利用できるということは、優秀な人材の証です」
「……うぅ」
ラリカが手放しに誉めると、リクリスは恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして鞄をぎゅっと抱きしめるとうつむいてしまった。
リクリスは、奨学金をもらって学校に通う優秀な人材らしい。
こういっては何だが、人は見かけによらないものである。
しかし、あまり裕福な出ではない少女が、自分の才覚で学校に通うというのは、中々に王道の物語的で良いではないか。
シンデレラや近年の映画を見ても分かる通り、何らかの才覚で成り上がっていく話というのは、|心が躍るものである。
「リクリスはあの辺り出身ということは、ハイクミア教徒ですね?」
恥ずかしがるリクリスに気を利かせたのか、ラリカが、俯いたリクリスの髪を見つめながら問いかけた。
「あ、はい! ハイクミア教徒です」
話題の転換に、明るく顔をほころばせると、リクリスはラリカの問いを肯定した。
「なるほど。やはりその髪は染めたものだったのですね」
「そうなんですっ! ラリカさんの髪はとてもきれいな黒髪ですね! 地毛……ですよね?」
「ふふっ、ありがとうございます。地毛ですよ。私はユルキファナミア教徒ですから」
「あー……やっぱりそうなんだっ! ……うらやましいなあ」
なにやら、ハイクミア教徒というのは、黒髪にひとかたならぬこだわりがあるらしい。
ラリカの髪に羨望の眼差しを向けている。
リクリスの髪はくすんだ黒髪だと思っていたが、どうやら染めたものらしい。
待てよ、ということは、ハイクミア教徒たちは皆、黒髪なのだろうか?
元日本人の身の上としては、少々気になるところであった。
「……リクリス。そんなあなたに良いものを差し上げましょう
「え?」
ラリカは、ごそごそと鞄の中を漁ると、小さな箱を取り出した。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ラリカが差し出した木箱を、戸惑いながらもリクリスが受け取る。
差し出しているラリカの表情は、一見普段通りのように見えるが、どこか悪戯を隠そうとしているような、浮ついた雰囲気を感じさせた。
「あ! ティルス!」
リクリスが恐る恐るふたを開けると歓声をあげた。
箱の中には細やかな粒子をした、黒色の粉末が詰められていた。
「お近づきの印です。受け取ってください」
「え? でも、そんな会ったばかりなのにダメですよっ!? こんな高級品!」
「いえいえ。よいのです。それは、私が作ったものですから、元手はほとんどかかっていないのですよ」
「ええ!? こんな高品質のティルス、作れるんですかっ!? でも、私、そんな、お返しできないですっ!」
「お近づきの印と言ったでしょう。お返しなんて気にしないでください」
「えぇ……でも……」
「……そうですね。ではこうしましょう。リクリスはハイクミア教徒ということは文字を書くのは得意ですね?」
葛藤を示すように、ティルスというらしい粉末と、ラリカの間を視線を行ったり来たりさせているリクリスに、ラリカはそっと艶っぽい声で囁いた。
「あ、はいっ! 村でも文字が綺麗だって褒められてたから、ちょっとは自信がありますっ!」
「なら、今度筆耕の仕事があったときは、お願いさせてもらうということでどうでしょう? もちろん、お金は支払いますから。学校に通うということは、しばらく王都にいるのでしょう?」
「え、あ、はい。わかりました! 筆耕のお仕事ならいつもやってるから大丈夫です!」
「わかりました。では、これで交渉成立ですね。……ちゃんと、ティルスは受け取ってくださいね」
未だ、木箱を受け取った手を右に左とためらうように空中を彷徨わせているリクリスに、苦笑しながら納めるように促す。
リクリスは、木箱のふたをもう一度開け、恍惚とした表情を浮かべると、大事そうに鞄にしまいこんだ。
その表情は、少し怖いぞ、リクリス。
――とにかく、ラリカは筆耕の仕事が必要になったとき手配する職人としてリクリスを確保したようだ。
……なんとなく、リクリスがラリカの策略の上で踊らされているような、無垢な少女をだます商人を見ているような、どこかチクチクと罪悪感が刺激される光景だった。
いや、多分、リクリスに比べると、ラリカが冷静に対応しているから、そう見えるだけだろう。
突然前振りもなく、髪の話を始めたり、気になるところは少々あれど、すべてラリカの掌の上とかそんなはずはない。
きっと、多分。