第二十二話「これが私のご主人様」
ミギュルス騒動が終結し、二週間がたった朝、私は広場にいた。
広場とはいっても、今回は教会の広場ではない。
町の隣に作られた、飛び地のように石造りの壁で囲まれた広場だ。
石畳に蓄積された冷気が、ひんやりと澄んだ空気を生み出している。
以前、丘の上から町を見下ろしたときから、なんの施設なのか疑問だったが、ようやく解消された。
ここは、荷物や人を他の地域に転移魔法で輸送するための場所らしい。
主要な町には、同様の施設が存在し、転移魔法が物流を担っているらしい。
「いよいよか。ラリカ、何かあったらすぐに帰ってくるんだよ?」
「はい」
「ラリカちゃんは、家事もできるから大丈夫だと思うけど、御飯はちゃんと食べるのよ」
「はい」
「ラリカさん。存分に見聞を広めてくるのよぉ。戻ってきたら報告してもらうわよぉ」
「はい」
ヤズル、リヴィダ、クロエが口々に別れの挨拶をラリカにしてゆく。
返事をするラリカは、先程から機械的に短く「はい」と返事をするだけだ。
別に、緊張しているわけではない。
そう、どちらかというと緊張より、短いその返事には焦燥が滲んでいた。
旅に出るのに急いているわけではない。
ただ、現在ラリカの視線は、三人の後ろに向かっていた。
たしかに、それも仕方ないだろう。
なぜなら。
――三人の後ろには、それぞれにラリカへの餞別を抱えた住人たちが数百人から控えているからだ。
一人十秒で対応しても、たぶんきっと一時間はかかるだろう。
……ラリカの旅立ちはもう少しかかりそうだ。
***
――結構な時間をかけて、無事全員との挨拶を乗り切った。
かなりの数、餞別も断らせてもらったが、それでもラリカの隣には、堆く贈り物が積み上げられている。
特に、職人ギルドなんかは大量の食糧や、転売すれば儲かりそうなものを贈ってきていた。
「どうしましょうか……これ」
受け取った餞別の山を見つめながら、ラリカが途方に暮れる。
これだけ大量の荷物は、普通に考えて、持ち運びすることはできないだろう。
「……収納の魔法で持っていこう」
しかたがないので、当初の予定通り、魔法を使える私が収納魔法で荷物を持っていくことにする。
「くろみゃー……助かります。ポンコツとか言ってすみませんでした」
「気にするな」
そう、実は先日ミギュルス襲来の折、魔法を使って加勢しなかった事で、なにかというとポンコツ疑惑をかけられていたのだ。
これでようやく、面目躍如といったところか。
収納魔法を発動させると、荷物の山が一瞬光に包まれると消え去っていった。
これで必要な時はゲートを開いて取り出すだけだ。
「しかし、結構断ってしまいました。申し訳ないですね……」
「仕方ないだろう。明らかに旅に適さない物もあったからな」
先程、皆から頂いた餞別には旅に適さないものも結構あった。
『サルトルさんのイルスミア人形』などがそれにあたる筆頭だろう。
あの時、禿頭の初老の男性から、ラリカはきれいに磨きこまれた木製の箱を差し出されていた。
「あ、サルトルさん。有難うございます」
「ラリカちゃん! 気をつけて行くんだよ!」
「……あの、この箱の中身は一体」
大凡、中身の予想が付いていたのだろう。唇の端を引きつらせながら、ラリカは恐る恐る箱を受け取った。
「安全を願ってイルスミア人形を作ってきたんだ。持っていってくれ!」
自信満々に『サルトルさん』はウィンクなんて飛ばしている。
「ああ……ああ。あの、サルトルさん。お気持ちは大変ありがたいのですが、旅の間は、かなり荷物の扱いは荒くなると思うのです。ですから――」
「ああ、きっとイルスミア様も、旅人が多少荷物の扱いが乱雑になってしまうことになる事は御承知されているさ! ささっ! どうぞっ!」
悪気はないのだろうが、ぐいぐいとラリカに木箱を押し付けてくる。
ラリカは気が気でないと言うように両手を前に突き出しながら、一人の男に目をつけた。
「あのっ! いえ。私が申し訳ないのです! ですから、これは……お父さんッ! 家で預かっていてくださいッ!」
「ええっ!?」
娘に無理やり押し付けられたヤズルは戸惑いの声をあげる。
いや、ぶっちゃけ嫌そうな声をあげた。
「ほら、サルトルさん! お父さんが預かってくれるそうですよ! お父さんっ! 私だと思って大切にしてください!」
「……はい」
しぶしぶと言う感じで空気を読んだヤズルが、木箱をラリカから受け取る。
二人とも、その手は爆発物でも扱うかのようにぷるぷると小刻みに震えていた。
「そうか……そこまでイルスミア様の事を気遣ってもらってはしかたがない。ラリカ=ヴェニシエスに芸術の祝福を」
「サルトル=シスに祝福の音色を」
直近の危難が過ぎ去ったことに肩を大きく撫でおろし、ラリカがサルトルに挨拶する。
……イルスミア人形、見損ねた。だが、あの空気の中箱を開けてとは言い出せなかったのだ。
「毎度です~ヨルテ族です~」
どこからか、そんなのんきな声が掛けられた。
「ああ、ヨルテさんが来ましたね」
ラリカと共に、声のした方を向くと、二十代半ばから~三十代ほどの女性と、まだ十代と思しき女性が立っていた。
二人とも、紫檀のような色をした杖と、赤い刺繍のはいったローブを羽織っている。
年上の女性のほうは、少し大きめの宝石が埋め込まれたネックレスが胸元で輝いていた。
どうも、話に聞く限り転移魔法というは、『ヨルテ族』という一つの部族が独占しているらしい。
この部族は、『すべての人々に公平なサービス』をモットーとして、一定の使用料を払う事で、転移魔法を提供しているらしい。
ただし、どうやっているのか分からないが、この能力は部族内で厳格に管理されており、争いで力を使う事を嫌がり、もしそういった使い方をすることがあれば、その能力を即座に部族内で封じられるらしい。
この能力を解析しようと、多くの人々が調査したが、未だにヨルテ族以外で転移魔法を使えるものは現れていないらしいから大したものだ。
「あれ? ヒラリスさん、そのネックレスは魔道具ですよね? 婚約されたのですか?」
「そうなの~」
胸元のネックレスを大事そうに両手で包み込みながら、ヒラリスと呼ばれたヨルテ族の女性が答える。
どうやら、あのネックレスは婚約の証らしい。
「それは、おめでとうございますっ! では、急でしたので、こんなところで申し訳ないですが……」
そういって、ラリカはカバンに手を入れると、何かを取り出してヒラリスと呼ばれた女性にぎゅっと握りこませた。
「――あら……ありがとう」
ヒラリスは、手の中をちらりと見ると、口の端を釣り上げるあくどい笑みを浮かべラリカに礼を言った。
「いいですか? 使うのは良いですが、使用量は少なめから始めるのですよ。あと、仕事に障るかもしれませんから、休みの前に使うようにしてください」
「わかったわ」
なにやら、うちの御主人が、また怪しいやりとりしている。
……例の麻薬ではないだろうな?
「あーそういえばー!」
棒読みで呟きながら、何かを思い出したようにヒラリスがラリカに顔を近づけてくる。
「ウチの族長がー先日婚約したんですよー」
「ええ!? あの、ヘタレた男しか周りにいないって嘆いてたイルダルテさんがですか!?」
「そうなの~まだ未公開情報だから内緒にしといてね~」
「わかりました。では、贈り物の準備だけはしておきますね」
「ありがとね」
「そ、それでお相手は……?」
「それがねーまだ私たちも知らないのよー。なんでも、情熱的なアプローチだったらしいわよー」
「なんと、ついにそんな勇気ある男性が……っ」
「ほら、少し前に、転送不発の事故があったじゃない?」
「ええ。そういえばそんなこともありましたね。原因調査をお願いしていたと思いますが」
「実はあれ、族長が、プロポーズされて動揺しちゃってたせいなのよ」
「本当ですか!? イルダルテさんがですか!? わー! どんなプロポーズだったのでしょう! 気になりますね! 確か、憧れの人がいるからって、ずっと男の人と関わらないようにしていましたよね?」
「そうよねー『このままだと婚期を逃してしまいます~』とか嘆いてた癖に、ちゃっかりしてるんだか……」
「きっと、その方がそれだけ魅力的だったんですよー」
「もーはやく紹介して欲しいわよねー!」
なんかえらく族長の婚約で盛り上がっているが、傍で聞いているものとしては、いかにも女子トークで姦しい。
……というか、物流の中心を担っている部族の族長の婚約とか、そこそこ大ニュースではないだろうか。
日本でいう、大手企業社長、結婚くらいのニュースになりそうなものだが。
「……さて、それでは、ヨルテ族のお二人もいらしたので、これから転移魔法をつかって、ラリカ=ヴェニシエスが旅に出られます。皆さん、名残惜しいでしょうが、見送ってください」
準備が整ったと見たレクスが、皆に声をかけた。
その声に合わせるように、ヨルテ族の二人が左右で杖を掲げると打ちならした。
カーンという澄んだ音とともに、魔法陣が展開される。
無論、私の眼には術式も見えている。
だが、その術式は複雑に入り組んでおり、理解できない記載方法の部分もあり解読が出来ない。まるで、日本語でかかれた文章の中にヒエログリフが紛れ込んでいるような違和感がある。
丁度、神炎のような記述の仕方だ。
「「「いってらっしゃーい」」」
集まってくれた人々が、ラリカに向かって手を振りながら声援を送ってくれる。
中には、泣いている人までいるようだ。
――本当に、ラリカは皆から親しまれているらしい。
「ちょぉっとまったああああああああああ!!」
せっかくのお別れを遮るように辺りに大声が響き渡り、人影が広場に駆け込んできた。
「ラリカちゃんっ! やっぱり僕も――」
息を切らせながら、駆け込んできたのは、アリンだ。いかにも今から旅に出るような服装をしている。
そういえば、今朝から姿が見えなかったが、旅支度をしていたようだ。
どうやら、ラリカと一緒に旅に出ようと言うらしい。
――だが、もう遅い。
すでに、瞳に映る、ヨルテ族による転移魔法は発動してしまっている。
アリンも、魔法陣の輝き方からそれを見て取ったのか、こちらの近くまで駆け寄ってくると、急制動をかけて立ち止まった。
「ラリカちゃん! ラリカちゃん! この間、君に言おうと思ったことだ! ラリカちゃん、僕は――」
――転移が完了した。
目の前にあるのは、先程までと同じような広場だ。
しかし、空気の香りが違う。
日の光が違う。
城壁の向こうに見える町並みも違う。
何より、多数の人々が三々五々に集まり行列を形成している。
どうやら、我々は、無事に王都への転移が完了したようだった。
ヨルテ族の二人を見上げると、二人は、唖然とした顔で、杖を捧げたままお互いの顔を見つめあっていた。
次に、ラリカを見上げてみる。
「?」
目を驚きに見開きながら、疑問符が空中に浮かんでいるのが見えるようだ。
……ああ、やっぱり。何があったのか分かってなさそうだ。
この御主人、残念にもほどがある。
――まあ、最後の最後まで色々あったが、きっとたぶんこれが私と御主人様の冒険の始まりなのだろう。
そう思いながら、私はラリカの肩に飛び乗る。
ラリカと触れ合っている部分から、心地よい体温がじんわりと伝わってくる。
――私の主人は、ちっちゃくって、意地っ張りの理屈屋で。
――くっついてみると少し暖かい。