第二十話「ポンコツ」
翌朝、まだ日が昇る前。僅かに空が白みはじめたころ。
――広場は見るに堪えない惨状を呈していた。
死屍累々。とはこういう事をいうのだろう。
老いも若いも、男も女も、広場のあちこちで倒れ伏し、積み重なっている者もいる。
「とんでもないな」
「……とんでもないですね」
改めて周りを見渡し溜息混じりにつぶやく私の言葉に答える声があった。
どうやら眠っていたラリカが目を覚ましたらしい。
ラリカは、夜半過ぎに限界を迎え、もはや自分の手を離れた騒ぎを放置して、広場の端の街路樹の下で眠りについた。
結果として、私は不貞の輩が現れないか一晩中ラリカの横で警戒していたのだった。
「体の調子はどうだ?」
「大丈夫です。お蔭様でだいぶ楽になりました。もう普通に動くくらいなら問題ないですよ」
「そうか。それは重畳だ」
昨夜に比べ、随分と声にも張りが戻っていて、本調子ではないだろうが、いつものラリカだった。
やれやれまったく子どもの体力の回復の速さには驚かされる。
「ただ、水薬をこの人数に配るのは面倒ですね……」
「止めておけ。自業自得だ。そんな自己管理のなっていない輩に、無理をする必要はない」
先ほどまで魔法を使った反動で寝込んでいたにも関わらず、酒に酔った皆の手当てをしようとするラリカに無茶をしないように諫める。
「そうですね。もはや、皆さん途中から私のお祝いとか関係なく盛り上がってましたからね……」
「こんなときくらい休ませて貰え。どうせただの二日酔いならしばらく休めば治るさ」
「では、お言葉に甘えて、今日は、休ませてもらいます」
どうやら、さすがのラリカもこの惨状をどうにかする義理はないと思ったのか、それともいまだ疲労が抜けていないのか、手当ては諦めてくれたらしい。
――無理はよくないからな。
「ああ。それから――」
「なんですか?」
「おめでとう」
ラリカが魔法を使えたお祝いをまだ言っていなかった。
視線をそらして、何気ない様子で口にする。
「ッ! ありがとッ! くろみゃー!」
そういって、ぎゅっと私を抱え込んだ。
「ふふふふふ……朝の寒さにはちょうどいいあったかさですね。おとなしく、頑張ったご主人様の暖房器具になって貰いますよ」
「……ミルマルだからな。暖かいさ」
「ふふっ。そうですか」
私も、やっぱり背中に感じるこの暖かさが一番落ち着く。
***
「ミギュルスに町が襲われたと連絡を受けて、ヨルテ族に転送してもらって帰ってみれば、これは……一体何の騒ぎですか……」
ラリカに抱えられていると、広場に呆れた表情の青年が駆け込んできた。
艶めいた長い金髪をなびかせた、細目が特徴的な中性的な容姿をした眉目秀麗な青年だ。
服装を見れば男性とわかるが、女装でもされた日には男と認識できないだろう。
「……おや? レクス。帰ってきたのですね」
「ラリカッ! ――無事でしたか。よかった」
花が咲くように顔を綻ばせながら、ラリカに向かって駆け寄る青年は、『レクス』と呼ばれている。
その名前は以前から何度も聞いている。どうやら領主らしい。
護衛もつけていないようだが、こんなところをうろついていていいのだろうか?
「ええ。少々筋肉痛ですが、お蔭様で元気ですよ」
「ラリカが筋肉痛なんて珍しいこともあるものですね」
「レクス。それは乙女に向かって言うセリフではないですよ。まったく。貴方は乙女に対する思いやりの気持ちがたりません」
「おや、それは失敬。それで、ミギュルスが出たと報告を受けたのですが、どうなりましたか?」
「無事討伐出来ました。まあ、私の杖と、城壁が少々犠牲になったようですが。あとは、アリン=オフスが重傷を負って、現在治癒魔法でだいぶ回復したようです。……ああ、あとすみません。森の一部を吹き飛ばしてしまいました」
「ミギュルスが出て、死者が出ていないとは。本当に良かった。しかし、ラリカ。貴女の杖を使わせてしまいましたか……申し訳ありません」
そういうと、ラリカの前で片膝をついて、頭を下げると右の拳を地面に三度打ちつけた。
「こら、レクス。領主の貴方が、こんなところで、そんなに軽々しく頭を下げるものではありません。町の皆に示しがつきませんよ。――私は広い心で持って貴方を許しますから。むしろ、謝罪は、長年杖を受け継いできたヴェネラにお願いします。……くれぐれもこっそりですよ?」
「ラリカ=ヴェニシエス。感謝いたします」
『はいはい。分かったら立つ』というようにラリカは右手を差し出し、領主を立ち上がらせた。
なんというか、領主相手にも遠慮が無いと言うか、むしろアリンなどよりよっぽど親しそうにしている気がする。
「しかし、ラリカ。杖を使ったということは、槍は役に立ちませんでしたか?」
「――なにを言っているのです……今回、槍は使っていませんよ」
「……え?」
城での対応を思い出したのか、流石に少しむっとしたようにラリカが言い放った。
ラリカの言った理解できなかったのか、レクスが固まる。
「お宅のバルクスがポンコツなのか、優秀なのか。槍の使用には『極めて緊急性が高い』状態が必要と言って譲らなかったのです」
「なんと……そんなことが。重ね重ね申し訳ありません」
レクスは見る間にその顔を青くさせていく。
「レクス。一つだけ忠告しておくのですが、部下の選定だけはしっかりしておかないと、次は皆を守れませんよ」
「ラリカ。忠告ありがとう。なにぶん、こちらも人材不足で……」
「それでも、です。早く任官登用システムを完成させましょう」
端正な顔を顰めるレクスに、ラリカは微笑みかけると、頑張ろうと示すように愛らしくガッツポーズをとった。
「ええ。ですが、今回の謝罪として、なにか一つ、ラリカの願いを叶えるようにしますよ」
かわいらしいラリカの様子に顔色一つ変えずにそんなことを申し出た。
願いをかなえるとはまた太っ腹な話だ。仮にも領主であるなら、それなりのものが見込めるのではないだろうか。
「ふふ……では、この街をとびっきりの町に仕上げてください。せっかく私がここまで頑張って守ったのですから、今よりずっとずっと、もっともっと発展させないと許しませんよ」
対するラリカの要望は、随分と欲のない言葉だった。
それはそもそも領主の役目だと思うのだが、ラリカは本心から言っているらしい。
「――はい。必ず。でも、それは領主の務めですよ。ラリカのお願いには数えられません」
私と同じことを思ったのか、レクスがそんな言葉を返した。
その口元は、美しい微笑をたたえている。
「おや、御領主様は真面目馬鹿ですね」
「……ラリカ=ヴェニシエスこそ」
ラリカの『御領主』も、領主が言った『ヴェニシエス』も、先程までの敬意を感じた呼び方ではなく、嫌みたっぷりだった。
まったく本当に仲が良い。これは思わぬ伏兵が居たやも知れん。
――アリンもなかなかに大変そうだ。
「――そういえば、ちょうどレクスに報告しようと思っていたのですが……我が家のミルマルが話すようになりました。くろみゃー!」
「……は?」
ぼうっとしながら、ラリカとレクスの話を聞いていると、突然話を振られ慌てる。
なるほど。こういうときにも背中の毛というのは逆立つものなんだな。などと余計なことを知った。
「くろみゃーだ。ミルマルだ。見ての通り話す事が出来る。魔法は中級魔法までなら使える。ラリカは私の御主人様だ」
結局昨日から二度目の自己紹介は、まったく同じ定型文をならべる事になってしまった。
「――ほう。中級魔法まで」
しかし、レクスは、私が話した事にはあまり驚いていないようだ。
むしろ中級魔法というところが引っ掛かったみたいだ。
「ええ。レクス。本当です。くろみゃーは中級魔法を使えます」
「それは素晴らしいですね。中級魔法も色々ありますが、どういう魔法が使えますか?」
レクスが獲物を狙う猛禽のように鋭い目をしている気がする。
これはちとまずったかもしれない。
「……それなりのものが使えると思ってもらえれば」
私は言葉を濁した。
人の身であれば愛想笑いの一つでも浮かべるところだが、ミルマルのこの身では中々それも難しい。
「ええ。くろみゃーは氷槍をつかっているところは見ましたね」
空気を読んだのか、氷槍の威力が高いことまでは言及せず、ラリカは私とレクスを見比べながらそう補足した。
「なんと、氷槍も問題なく使えるのですね。なるほどなるほど」
だが、微妙な気遣いはあまり意味がなかったようだ。
ただでさえ、細目なのをすぼめながら、軽く顎に手を当て、考え込むようにうなずいている。
「ラリカ。正直に答えてください。あなたは魔法を使えないはずです。ですが、私はここに来るまでに巨大な光の柱を見たと言う話を聞きました。それも、二度。一度目は小さく。二度目はけた外れに大きく。――このミルマルが使った魔法ですね?」
――核心をついた。
そんな雰囲気で、レクスが自信満々に疑問形で断言した。
「いえ。それは――」
だが、そんな発言を受けたラリカは、馬鹿な生徒に物を教える老練な教師のようにやれやれと首を振って応えた。
「私の魔法ですッ!!」
これ以上ない、ドヤ顔というものを私はみた。
不敵な笑みを浮かべる姿を見たことはあったが、今の表情はドヤ顔というほかない。
自らの功績を自慢するように、誇らしげな表情を浮かべている。
年相応の、愛らしい表情といえなくはないが、普段の真面目ぶったラリカとのギャップに口元がにやにやと緩んでしてしまう。
「ラリカ、ついに……ついに、魔法をッ!?」
レクスが、先ほどまでとは違う驚きを含んだ声を上げる。
その声には、驚愕だけでなく、安堵が多分に含まれているようだった。
ラリカが魔法を使えないということを知っていたようだが、それだけでなく、ラリカが死に瀕していたことも知っているのかもしれない。
「ええ。今日は初めて魔法を使った日です!」
「それは、おめでとうございます! ――では、もう体の方も?」
「ええ。ええ。もちろん。……今までにないくらい自由な気分ですッ! 実は、今日は私が魔法を使ったお祝いを町のみんながしてくれていたのですよ!」
がばっと広場に向かって手のひらを広げて皆のいるほうを指し示した。
「それでこの乱痴気騒ぎですか……みなさん、ラリカの寿命のことは知らなかったのでは?」
「……騒ぎについては私も反省してます。ええ。みんなは知らないですよ。単純に私が魔法を使ったのをお祝いしてくれているだけです」
「この街は、みなさんラリカのことが好きですからね……しかし、ラリカにもう寿命の心配がないなら……」
レクスは優しそうな目でラリカを見つめると、ぶつぶつと小声でなにかを考え始めた。
「レクス。せっかくです。まだお祝いの料理が多少残っていますから、なにか食べていったらどうです?」
「……では、少しだけ」
そういって、ラリカに連れられてレクスは大量の力尽きた亡者が横たわっている広場の中央へと歩いて行った。
もちろん。私はラリカの肩の上――と言いたいところだが、今日はラリカの体調がよろしくないので、ラリカの後を追いかけて行った。
二人の白い外套の背を見つめ、見上げると視界に入った空は、昨日の雨が砂埃を打ち払ったのか、とてもきれいな青空をしていた。
どこか、新たな始まりを感じさせる。
そんな朝だった。
――いい朝だ。
――突然、ラリカが、なにかに気がついたように足を止めた。
レクスは少し前を進んでいたため、ラリカが止まった事には気がつかず、進んでいく。
「……ところで、くろみゃー? さっきのレクスとの会話で思い出したのですが」
「ん? どうした?」
ラリカはなんだか腑に落ちないような、笑いを堪えようとしているような、難しい顔をしている。
いったいどうしたというのだろうか?
ラリカがそんな表情を浮かべる理由が思い当たらない。
「くろみゃー。お前、中級魔法が使えるのに、昨日の戦い、なにもしてなかったですね?」
「……あ」
ふりふり。
尻尾が先っぽだけ、焦って鎌首をもたげた蛇のように動き出す。
「……やはり、忘れていましたね?」
「……すまん」
ラリカに冷たい視線で見降ろされて、ふりふり振っていた尻尾は動きを止めておろされている。
「いいです。私も忘れてましたから」
『いいです』というその声は、どう考えても納得した様子ではない。
「ただ、ポンコツ……仲間ですね」
一度、『ポンコツ』で言い淀んだあと、『仲間』をつけた。
どうも、ポンコツという言葉で切って捨てようとしたが、良心が痛んだらしい。
「……すまん」
「いいですよ。……ただし、『今度』は助けてくださいね」
そういって、ラリカは顔の横で右手で握りこぶしを作るとグッパーグッパーと二回開いて閉じてウィンクした。
「ッ! ああ!」
――結論としては、今日のラリカもとてもかわいかった。