第一話「世知辛い」
――突然だが、魔法というものを信じてはいるだろうか?
――私は信じている。
なぜなら、かつて『魔法使い』というものに出逢った事があるからだ。
この『魔法使い』という人種は厄介で、なぜだか突然現れなくなり、どこかに行ってしまうようなのだ。
それは、ひょっとすると。中学時代、よく話をしていた佐藤君のように。十四歳の魔法が解けて、引退していくのかもしれないが。それでも私は、『本当の魔法使い』が消えるのは、私が魔法を使えないからではないかと思っている。
……なぜなら、そっちの方が格好良いからだ。
……浪漫を、感じるではないか。
孤独な魔法使いが、一般人と交流を持つ。だが、魔法使いではないが故、魔法の世界に一般人を巻き込むことは出来ないと、こっそりと去っていくのだ。
……しかしまあ、この場合、置いていかれる側としてはたまったものではない。
なにしろ、自分が知らない間の勝手な判断で、ある日突然二度と会えなくなるのだ。置いていかれるショックは並大抵のものではない。
さて。そんな中で、もう一度会いたいと願うなら、どうすればよいのか。
小学四年生のある日、そんな事を真面目に考えた事があった。
幼い子供の頭で思いついたのは馬鹿げた解決策だった。
――『自分も魔法を使えるようになってしまえば良い』
自分が魔法を使えるようになってあっちの世界に踏み入れてしまえば、自分の事を置いていった気になるあいつとも、もう一度出会えるかもしれないではないか。具体的にどうやって再会するのか、『あっちの世界』とはなんなのか……そんなことはどうでも良かった。
――まあ、とどのつまりは、言ってしまえばノープラン。
八方塞がり、行き当たりばったり。ということだ。
我ながら、随分力押しな結論に至ったものだ。
……結局、それは。
――『魔法使い』が、私を置いて去ってしまった事を認めたくなくて。
寂しさを――押し殺せない悔しさを。
馬鹿げた妄想で誤魔化してしまっただけなのだ。
正直、幼さ故の暴走から。引退時を逃してしまったというのも否めない。
だが、あれから随分と時も経ち。経験を重ねるにつれ。
――出逢いを。そして大切な友との別れを体験するにつれ。
人生を歩むうえで。きっと。
多少なりとも、暴走できる程の情熱を持つことも大切なのだろうと。今では考えている。
――まあ、しかし。
とはいえ。実はこの話には大きな問題が『二つ』ある。
まず一つ目が、もはや今年で私が二十歳になること。
大学は幸いにしてストレートに入学できたから、大学生活も二年目。『魔法』と名のつくものを追い求めてかれこれ十年以上になるが、いまだ『魔法』の『ま』の時も見えていない。これといった成果と言えば、死んだお婆ちゃんがお告げをくれるという、ちょっと痛々しい感じの後輩が出来たくらいだ。
試しに先日も、モンゴルの辺境にあるという古代遺跡を探してふらっと旅に出てきたが、結局ただ石が並んだ場所があるだけだった。
『魔法が無い』とは思わないが、そろそろまわりの視線も痛くなってきた今日この頃だ。後輩から、時々痛ましげな視線を向けられることに、罪悪感を覚える日々をすごしている。
そして、もう一つの問題。実はこっちの方が深刻だ。
――その問題は、今私が『死にかけている』ということだからだ。
***
事の発端は、一月前。大学で交わした悪友との会話だった。
悪友は、いつものごとく。生気を感じられない目をしながら、とある県のとある公園にある、とある古井戸が、大変霊験あらたかなパワースポットであると言いだしたのだった。
……なんだそれはと、よくよく話を聞いてみると。驚くべき事に、どうやらその公園は私が幼いころ住んでいた町にある、懐かしの公園らしかった。
――私が『魔法使い』と出会った始まりの地でもある。
あの出会いと別れからしばらくして。私は両親の転勤で引っ越してしまい、それ以降あの公園に立ち寄ることは二度となかった。
魔法探しだって行き詰まっている。
――もう一度、始まりの地に行こう。
そう決意をして、私はゴールデンウィークを利用して旅に出たのだった。
両親に電話で生まれた町に行く事を話すと、嬉しそうに当時使っていた家をそのまま残している事を教えてくれた。
どうやら、両親が初めて買った家だったからか、思い出深い土地だったようで、引っ越しの際に家を売り払わず、度々こちらに来たときの拠点として使用していたらしい。
正直に言えば家を残していた事だって知らなかったし、両親が度々あの町に戻っていた事だって私は知らなかった。 もし、もっと早く教えて貰っていれば、もう少しこちらに戻ってくる事もあっただろうに。
『なぜ教えてくれなかったのか』
意地悪をされた子供のように両親に問うたが、はぐらかされるばかりで教えてはくれなかった。
その時の両親の不自然な様子を思い出しながら、懐かしの我が家の車庫に愛車をとめる。
車を降り、バタリと音を立てて閉まるドアの音を聞きながら我が家を見上げてみる。
……おそらく、言葉通り、手入れはきちんとしてきたのだろう。かつて私の暮らした家は、まったく荒れ果てた様子もなく、幼い頃に見上げたそのままに。ごくごく普通に当然の如く建っていた。
どうやら、定期的に両親がこの家に帰ってきていたというのは本当の事らしい。
玄関先に植えられたツツジが無くなっていた事だけが年月の経過を感じさせた。
かつての自室に荷物をおいて、滞在の準備を整えると、懐かしの町へと繰り出した。
***
およそ十年振りの町は、少年時代の想い出そのままだった。
――本当に変わっていない。
小学校時代、遠足前に通った駄菓子屋も、授業で地域のお年寄りに報告会を開いた公民館も。
――そしてなにより……
一番長い時間を『魔法使い』と過ごした『神社』も。
その神社の前には、個人経営のスーパーマーケットがあった。
スーパーマーケットといっても、別に御大層なものではなく。そこらのコンビニに毛が生えたような、『よろずや』といった方がいいような小さな店だ。元は赤字で書かれていたらしき、白っぽくなってさびの浮いた『ABCマート』という看板が時代を感じさせる。
――そうだ。そういえば、ここでは。よく持ち手が二つ付いた。真ん中から半分に分けられるようになったソーダ味のアイスキャンディーを購入した覚えがある。
鬱蒼と生い茂る木々の恩恵を受け、真夏でも涼しさを感じる鎮守の森で『魔法使い』とはんぶんこして食べたのだった。
彼女との別れの後も、たびたび一人であのアイスを買う事はあったが、どこか物足りなく、虚しさだけがこみ上げてきて、あまりおいしくなかった。
「……ひさびさに、買っていくか」
ひとりごちると、周囲にスーパーやコンビニができる中でも、変わらず営業を続けているらしきABCマートに入っていく。
店の自動扉が開くと、春過ぎの陽気に温められたアスファルトの上を、ひんやりとした冷気が足元を伝って抜けた。
――店内の様子は、昔と変わっていない。
入ってすぐ。白い骨組みが目立つ棚が並び。スナック菓子が大きく幅を占めて並んでいる。
視線を右手に向ければ、入り口のすぐ隣に。冷菓が入ったカバー付きの冷凍庫が低いうなり声を上げているのが見えた。
近付いてカバーを開くと、すぐに懐かしのアイスキャンディーが目に入った。
……昔はもっとパッケージも味気なかったような気がするが、どんなデザインだったか思い出せない。
壊れたテレビを直すように頭をコンコンと叩いてみるが、記憶が戻ってくれる事は無かった。
あきらめて、アイスだけを手にとりレジに向かって歩きだした。
このスーパーは昔から店員がレジ前におらず、奥の部屋に引っ込んでいるのが常だ。
「ごめんくださーい」
「はいはい~~」
お店の奥からなんだかやたらと間延びした若い女性の声が聞こえてくる。記憶では、それなりにお歳を召した女性が店主をしていたはずだ。
……小学校に上がる前。
『はじめてのおつかい』の頃からお世話になった思い出深い店主のことが妙に気になった。
「お待たせしました~」
顔をだした店員さんは、まだ大学にも上がっていないように見える少女だ。
どこか眠そうにとろんとした目に赤いフレームのメガネかけ、ふわっふわの栗毛が少し毛先でカールしている。
なかなかにかわいらしい少女だ。
店主もご高齢のはずだ。アルバイトを雇う事にしたのかもしれない。
「はい~毎度です~~百円です~」
「ああ、どうぞ。――っと、失礼。百円です」
「はい~百円のおあずかりです~」
「あの、以前の店員さんはお元気ですか」
失礼かとは思ったが。せっかくであれば御挨拶したいと思い、百円玉を手渡しながらゆったりとした仕草で代金を受け取る少女に問いかけた。
「以前の店員ですか~? ――ああ、お祖母さんですね~~祖母は三年前に他界いたしまして~」
何でもないことのように、店員さんが答えた。
どうやら、この女性は店主だった女性の孫に当たるらしい。
言われてみれば、常にどこかなにか遠いところを見ているような、ふんわりとした雰囲気は、かつての店主と似ているかもしれない。
「……それは失礼いたしました」
「いえ~いえ~~以前いらした事があるのですか~?」
「ええ。はい。よく通っていました。十年以上前になりますが、近所に住んでいたので、随分と御婆様には世話になりました」
「そうなんですね~~最近はコンビニさんとかも増えましたからね~~随分、お客様も減りました~それでも~幸いなんとかお店をやっていけるくらいは~~常連さんが来てくださってましたから~閉めてしまうのも~忍びなく~私が継いでいるのです~~ですから~いらしてくださって祖母も喜ぶとおもいます~どうか~今後とも、御贔屓に~~おねがいします~~」
そういって少女はかわいらしくぺこりと頭を小さく下げた。
「いや、そんな。こちらこそ。よろしくお願いします」
「い~え~」
「……」
気まずい質問をしてしまった罪悪感からか。お互いに意味のない言葉を続けてしまったせいで、ふと会話が途切れたところをなんとも言えない沈黙が続く。
「――あっ~、あ~そうでした~! せっかく祖母のお客様がいらして下さったのですし~十年ぶりの来店御礼としてこちらを差し上げます~」
気まずい沈黙に耐えかねたのか、何かを思い出したらしい店員がそういって身をかがめると、ゴソゴソとカウンターの下を物色して小箱を取り出した。
「そんなっ! お気遣いなく!」
「いえいえ~きっと大したものではありませんし~祖母がどなたかお客様に記念品として差し上げるように言っていたものですので~」
ぐいぐいと、意外な押しの強さで小さな白い化粧箱を店員さんが差し出してくる。
「祖母から頼まれていたことですから~貰って頂いたほうが~私としてもひっかかりがなくなってよいのですよ~」
「ええ……そう、ですか? ではお言葉に甘えて」
――ここは、受け取ったほうが良いだろうか?
どうせ、石鹸か何かだろうし、あまり強情に断るのも失礼な気がする。
お返しには、こちらに滞在している間だけでもこのお店を利用することにすれば良い。
なにより、あの店主が用意してくれたものというのが気になった。
「開けてくださっても、大丈夫ですよ~実は私も~中身がなにかは~知らないのです~」
「え、そうなんですか」
「そうなんです~~」
中身が気になるのか、店員さんも、興味津々といった感じで身を乗り出してくる。
「では、失礼して」
貰ってすぐに贈り物を開ける事に抵抗があるが、店員さんの様子を見て、今すぐ開けた方がよいと判断して封を切った。
箱から現れたのは、美しいガラス細工のブレスレットだ。
ブルーのガラスの粒に、白でマーブル模様が描かれており、日の光を反射してきらきらと透明な光を放っている――
……どこか既視感のある作りのブレスレットだ。
「……随分。美しいブレスレットですね」
「ですね~ですね~すごくきれいです~良いですね~とってもいい感じです~」
店員さんがうらやましそうにしている。
――そういえば、これはこの店員にとっての形見でもある訳か。
その事に気がついた事で、さっきとはまた違った気まずさが込み上げてくるのを感じた。
それに、男でも似合わない事はないが、このブレスレットはどちらかというと女性向けに見える。
ファッションにはてんで疎いので、自信は無いが、なんというか男物というには少々可愛らしすぎた。
「……あの、これはどうやら女性向けのようですし、店員さんが使われてはどうでしょうか?」
「え~~? それは駄目ですよ~~お客様に差し上げたのですから~~」
「いえ、ですから、一度私が頂いたものを、店員さんにプレゼントするということで」
「そ、そんなわけにはいかないのですよ~~」
イヤイヤをする様に、店員さんがパタパタ手を振り首を左右に振る。
「私はお姉さんに貰ってほしいですね。……悲しい事に、こんなアクセサリーをお渡しするような方が私にはいませんので。かといって私が使おうものならまわりの視線が――」
――『視線』そういったところで気がついた。
そうか。先ほどから既視感があると思ってはいたが。
これは恐らく、ナザール・ボンジュウ。
――トルコの魔除けのお守りだ。
「どうされました~~」
突然会話を途切れさせた私を心配するように、店員さんが覗き込んでいる。
「いえ、そういえば、このブレスレットはナザール・ボンジュウという、トルコの魔除けのお守りに似ているなと思いまして」
「魔除け~ですか~~?」
「はい。トルコといいますか、古くは紀元前から用いられていると言われている目玉模様の魔除けで、危害を与えるような災いや妬みの視線から守ってくれるといわれています。よく土産屋でも売られていますね」
「そうなんですか~お詳しいですね~~」
ついつい、いらない事を語ってしまい。引かれてしまうかと思ったが、そんなこともなく案外普通に受け入れてくれた。
「少々そういった関係を調べてまして」
「学者さんですか~?」
「ああ……あははは……」
店員さんの質問には、あいまいに笑ってごまかしておく。
まさか、初対面の人物に、魔道具っぽいから調べてましたなどと言うわけにもいかない。
「でも~お守りでしたら~余計にお客さんが~使ってください~」
覚悟を決めたように、えいっとカウンターの上に置かれた箱をこちらに押し出してくる。
……そんなに欲しいなら。
無理して私に渡してしまわなくても、お祖母さんの形見として持っておけばいいだろうに。
私としても、この状態で持って言ってはは外道の所業に過ぎる。
ここは強引にでも彼女に渡してしまった方がいいだろう。
――きっと、その方がお祖母さんも喜ぶはずだ。
「私は家に似たお守りがありますから、これはどうぞ店員さんが使ってください。……お守りをプレゼントするというのも、変な話ですが。店員さんならアクセサリーとしてお似合いだと思いますよ。ちょっとつけてみてはどうですか?」
そういって、愛想笑いを浮かべながら、店員さんの細い手首にそっとブレスレットを滑り込ませた。
「ッ……」
店員さんが、先程まで眠そうだった目をこぼれんばかりに見開いて固まっている。
やはり、勝手に無理やりブレスレットをつけるのはまずかっただろうか。
セクハラ呼ばわりされたりはしないだろうな……?
次にくる言葉に身構え、全身に緊張から力を入れながら待ってみるが。
しばらくたっても、店員さんは黙ったまま微動だにしない。
――まるで、時が止まってしまったかのようだ。
「あのー?」
恐る恐る店員さんに声をかけてみる。
店員さんは、はっとしたように再起動すると、見る間に顔を赤くしていく。
「あの、その、え? え? え?」
なにやら、予想外の動揺ぶりだ。
これは、やはり謝ったほうがよいだろうか?
「突然、すみませんでした。女性に勝手にアクセサリーをつけるのは失礼でした」
「え? あの、知って? え?」
意味の通らない言葉をあうあうと店員さんが口走る。本当に申し訳ないことをした。
「すみませんでした。『似合いそうだな』と思いましたので」
店員に、とりあえず下心があってした事ではないことだけは伝えておく。
「みぁ、似合う……うう。ありがとうございます」
とりあえず、相変わらず恥ずかしそうではあるが、少し立ち直ってきたようだ。
「ええ。本当にお似合いですよ。そのブレスレットはどうぞお納めください」
「……はい。お受けします」
店員さんはブレスレットを撫でると、ほへっと笑みを浮かべた。
「男の人から~こんなアクセサリーなんて~貰ったのは~初めてですね~~」
「ほう。そうですか? 店員さん、美人さんですし、プレゼントなど処分に困るほど貰いそうですが……」
「それが~~今までまわりの人がくれたものは~~書類の束だったり~~本だったり~~干し肉だったり~~そんなのばっかりでしたね~~」
――現代日本で干し肉をプレゼントとは、なんとも奇矯な人物もいたものだ。
「世知辛いのですよ~~」
そういって店員さんはなんだかとても嬉しそうな、でもどこか悲しそうな不可思議な顔をしていた。