第一六話「君に伝えたい事があったんだ」
簡単に話し合った作戦はこうだ。
今は、二人がかりで魔法を使って上からミギュルスを抑え込んでいる。
これは交互に魔法を放つ事で魔法が発動する間の隙をなくすためだ。
そのなかで、ラリカを除く二人が順番に捕縛系魔法を発動し、二人がかりで捕縛する。
その後、待機していたラリカが、全力で駆け寄って杖を叩きこむという単純な流れだ。
正直、作戦などとは呼び難い。だが、獣相手の駆除作業と考えれば順当なものだろう。
どうも、最初から捕縛系の魔法を使わずに魔法で押さえつけていたのは、捕縛系の魔法だと時間を与えると、すぐにミギュルスに引きちぎられ効果が薄いらしい。
捕縛を決めてからは、時間勝負になりそうだ。
「さて……くろみゃー。ミギュルスに近づく分、かなり危険な役目になりますよ? ここで待っていた方が良いのではありませんか?」
さすがに、戦闘中は抱えられているわけにはいかないと、ラリカの右肩に飛び移ると、そんなことを聞かれた。
抱えられている間は気が付かなかったが、その体は少し震えているようだった。
――なぜ、気が付かなかったのか。
自分の迂闊さに嫌気がさす。
先ほどから随分と気丈なことを言っていたが、あの夜、確かに毛布の中で『死にたくない』と言っていたではないか。
表面上、この子はとても強く見えるが、その実はとてもか弱い少女だ。
ずっと、いつ来るかもしれない『死』を意識して生きてきたのだ。
きっと、死への恐怖は人一倍強いに違いない。
「今頃何を言っているのだ……ラリカ。どこまでも、いつまでも、ついてゆくに決まっているだろう。……たとえ、あの世の果てでもくっついて行くぞ」
もとより一度死んだ身の上だ。
私に出来ることなど高が知れている。
だが、この際小さくて可愛い主人に『あの世の果てでもついていく』位の覚悟はできている。
「……ふふ、そうでしたね」
肩に乗っている私の視線が大きく下がると、どこか呆れた声で、ラリカが笑う。
「――さあ、行きましょうかッ!」
ラリカは閉ざされた城門の前に仁王立ちした。
……どうやら、体の震えは少しおさまったようだ。
――作戦開始だッ!
「行くわよぉッ! 鋼縛っ!」
クロエが大きく掛け声を上げると、魔法に巻き上げられていた土煙から、真っ黒な茨のような物体が湧き上がってくる。
遠目には、無数の虫が群がっているようにも、真っ黒な雨粒が降り注いでいるようにも見える。
有機的な動きをするそれらの鞭は蛇が獲物を縛り上げるように絡みつくと、鋼のように硬化した。
クロエが放つ魔法が途切れたことで、土煙に隠されていたミギュルスの全貌をようやく窺い知ることができた。
――その姿は、強いて言うのであれば巨大な漆黒の獅子であろうか。
体躯は5mほどもあり、長く伸びた鬣をもち、体毛は日の光を受けて黒光りしている。
獅子に比べると、いささか細長い顔立ちをしており、イヌ科の生き物か馬のようにも見える。
だが、そのあまりの大きさにちょっとした建物が動いているような威圧感さえ感じる。
……よくもまあ森の中にこんな大きさの獣が潜んでいたものだ。
いくら大樹が生い茂っているとはいえ、これだけ近づくまで見つけることができなかったというのだから驚きだ。
なるほど、その毛皮の硬度が伝説となるのも納得がいく。
先程からの地形を変えかねないほどの連撃にもかかわらず、その体には一切の傷がある様には見えない。
ミギュルスは、自身を縛り付ける鎖が不快なのか、頭部を左右に振りながら、押し殺した唸り声を響かせている。
「鋼縛ッ!」
クロエの捕縛が完了したと見ると、続けてアリンも同様の魔法を放った。
一瞬、緊張からアリンが魔法を失敗したのかと思った。
アリンの掛け声の後も、なにも起こっていないように見えたからだ。
しかし、よくよく目を凝らしてみれば、細い細い糸のようなものが、幾重にもミギュルスの周りを取り巻いていくのが見える。
やがてそれらの糸はミギュルスに絡みついたまま、クロエの放った魔法同様固く硬化したようだった。
まったく、随分と悪辣な魔法を使う。
あの細さで体に密着して硬化してしまえば、確かに身動きをとることはできないだろう。
もし、あの魔法が人間に対して放たれていれば、硬化して無数の刃と化した糸にその身を切り裂かれることになるに違いない。
完全にミギュルスの動きが抑え込まれたのを確認して、杖を握りなおしたラリカは全速力で駆け出し始めた。
肩の上から見る風景は、先ほど町中を駆け抜けた時よりさらに早い。
粘度をました大気が、私の左右に張り出したひげを、体毛を押しのけていく。
――ふと、頬を叩くものがあった。
限界を超えるほどの水分を含んだ重苦しい雲が、ついに雨粒を落とし始めたらしい。
ラリカは、草木が生えた大地を超え、何度も魔法を打ち込まれた事で茶色く耕され、一部は溶けて硬化した地面を進んでいく。
見る間に勢いを増す雨に、水気を含んだ地面が、力強く蹴立てられ、泥が跳ねた。
ぴしゃりと、目の前まで跳ね上がった泥を、反射的に頭を振って避ける。
跳ね上がった泥の向こうで、ミギュルスは恐ろしい速度で駆け寄る私たちに警戒心を覚えたのか、じっとこちらを睨みつけている。
――金色に輝く瞳と視線があった。
その瞳は我々を恐怖しているようにも、我々を威圧しているようにも感じ、得体のしれない不安を感じさせる。
ラリカが、強く地面を蹴りあげ、跳躍した。
見る間にそれまで高く頭上に見えていたミギュルスの頭部が近づいてくる。
ラリカは力強く杖を振りかぶった。
「神杖ッ――やぁあああああああああ!!」
裂帛の気合に満ちた声をあげ、ラリカは大きく振りかぶった杖を、ミギュルスに赤い宝石が埋め込まれた先端をぶつけるように叩きつけた。
ミギュルスは自らの危機を感じとったのか、拘束されている中、肉が裂けるのにもかまわず大きく身じろぎをすると、その巨大な頭部を大きく振って杖の正面から外した。
その間に、ラリカの杖に向かって、空気中に漂っている魔力が尋常ではない速度で集まっていく。
それはあたかも、大河の流れの中心となったかのようだ。
膨大な魔力が膨れ上がり、一点に凝縮していく。
杖の先端はあまりのまぶしさに直視が出来ないほどの光を放つようになっていた。
――限界を超えて大気中より集められた魔力が、杖の先端から光線状に前方に放出されるッ!
その様は、あたかも高出力のレーザー兵器のようだ。
ミギュルスの背中側の左半身を消し飛ばし、そのまま地面に角度をつけた光柱が突き立った。
地面に突き立った光線は、地面も構わず穿ち進んでいく。
どれほど地をすすんだのだろうか?
地の底が見えないほど光線が進んだところで、光線はじわじわとその光量を落とし、消え去っていった。
「ぎぅおあああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!」
背骨側のほとんどを消し飛ばされたミギュルスが、苦悶に満ちた悲鳴を上げる。
消し飛ばされた傷口からはシュウシュウと、真っ黒な煙とも瘴気ともつかないなにかが吹きあがっている。
どうやら、頭部を避けられたことで、即死させる事は出来なかったようだ。
杖の攻撃によって、縛り付けていた黒い糸も蔦もばらりとほどけて消え去ってしまっている。
――この至近距離では、何時その鋭い牙や爪による攻撃が向けられるとも限らない。
「ラリカ!下がれッ!!」
叫ぶと同時、ラリカの攻撃によって拘束を消し飛ばされたことで自由を得たのか、その前腕の鋭い爪でラリカを引き裂こうと左前足が下から上に振り抜かれた――ッ!
「うっくッ……ふっ……」
ラリカは、その両手に持った杖でミギュルスの攻撃を受け止めると、その勢いを利用して大きく一回転して受け流した。
衝撃にラリカが苦しそうに息を漏らす。
ラリカはそのままの勢いでもってミギュルスから大きく距離をとって地面に降り立った。
ミギュルスは傷によって動く事が出来ないのか、遠く離れたラリカをすぐに追ってくる事は無かった。
ラリカは油断なく、ミギュルスが走り寄ってきても対処できるように、警戒態勢を取ったまま睨み合う。
「ぐるるるるるるる……」
ミギュルスが腹に響くような低い唸りをあげた。
「うぅぅぅぅぅぅ……」
――しかし、やがて、その唸り声もだんだん小さくなっていく。
やがて、ミギュルスは力尽きたように目を閉じると、地面にどさりと倒れ込んだ。
「ふぅ……」
ミギュルスを見つめていたラリカは、詰めていた息を吐き出した。
「……なんとか……なりましたね」
息を整えながら、ようやくラリカは安堵の表情を浮かべた。
「ああ。そうだな。『よくできました』だ。ラリカ」
「……おや、それは私もなにか御褒美が欲しいところですね」
緊張が解けたのか、ラリカは私に御褒美のおねだりなんてものを始めた。
――ペットのミルマルになにを求めているのやら。
「こら、油断するなよ。まだ確実に倒せたわけじゃないんだからな」
「それはちょっと勘弁願いたいですね」
ラリカはそういって疲れた笑みを浮かべるとお手上げのポーズをとる。
……どうやら、お手上げのポーズは異世界でも共通らしい。
いや、それにしても、杖の威力はすさまじいものだった。
最後に光線によって突き穿たれた地面は溶けるでもなく、完全に消失してクレーターになってしまっている。
流石は神器というだけはあると言うものだ。
クロエとアリンによる上級魔法も含めたあれだけの魔法の中、傷一つ無かったその体を消し飛ばしてしまったのだ。
一体どれほどの威力を秘めていたのか、考えるだに恐ろしい。
神器を持っている人間が最高戦力として考えられているのも当然だ。
神器一つで戦争の趨勢さえ変えてしまいかねない。
「おーい! ラリカちゃん! 大丈夫だったかーい?」
背後から、心配する気配を滲ませたアリンの声が聞こえる。
「さて、兵士の皆さんにも、ミギュルス討伐の連絡をしないといけませんね」
そういって、ラリカはクロエ達に向かって振り返った。
その横顔は、何かを成し遂げた充足感に満ちている。
どうやら、いてもたってもいられなかったアリンは、ミギュルスが倒れ込むのを見るやいなや、城壁を駆け下りてラリカを迎えに来たらしい。
涙を流しながら、ラリカの無事を全身で喜び、駆け寄ってくる、今にもラリカに抱きつきでもしそうだ。
――なんとも暑苦しい男だ。
男子たるもの、この私の毛並みのように優雅で美しくなくては。
因みに、私はこの体になってから、この艶やかな毛並みを保つために、毛づくろいは絶やしていない。
……だって、さわり心地悪くなって、ラリカに嫌われたらやだし。
――さて、アリンとやら。
もし、その広げた両手でうちの御主人様に抱きつくような不埒な真似をしおったら、この両の前足に備えられた十爪の鋭利な刃ででひっかき傷を作ってやるッ!
頬に切り傷でもつければ、その緩みきったたるんだ表情も多少は男前にもなろうと言うものだ。
さあ、アリンに、スカーフェイスの通り名が着くまで、あと2メートル。
アリンは両手を広げたまま、こちらに駆け寄ってきた。
――右前足をそれに合わせて振り上げる。
凶器を振り上げる私の姿に気がついたのか、アリンは驚きの表情を浮かべた。
だが、直前で動きを止めることは叶わなかったのか、アリンはさらに加速しながらも、私の右前脚を避けるように、ラリカの横をすり抜けていく。
――背後からぐしゃりという湿った音がした。
予想外の音色に釣られ、ラリカと後ろを振り返る。
――そこには、全身から血を噴き出しながら、ラリカを庇うように両手を広げて倒れ行くアリンの姿があった。
「――え?」
ラリカが、喉を震わせるようにそんな声を漏らした。
アリンの向こうには、先程まで閉じていた眼を爛々と輝かせて、憎しみをこめてこちらを睨みつける、鬣を逆立たせたミギュルスの姿があった。
「雷……獄ッツ!」
地面に倒れ込みながらも、アリンは最後の力を振り絞るように雷系の上位魔法の雷獄を放った。
雷獄は先程まで雷槍と比べて難易度は跳ね上がるが、効果時間も長く、長時間ダメージを与え続けることができる魔法だ。
相変わらず、無駄に過剰に魔力を供給されたらしき魔法陣が凄まじい輝きを放ち、バリバリという爆音とともに、ミギュルスに向かって雷が次々と降り注いだ。
「アリンさんッ!」
ようやく状況を認識したラリカが、慌ててアリンに駆け寄っていく。
「にげ……て」
アリンが、口の端から血を垂れ流しながら、ごぽりと湿った声をあげる。
「何を言っているのですッ! アリンさん!! アリンさんッ!!」
半狂乱になって、アリンに近づいたラリカは、アリンの意識を保とうとするかのように呼びかけ続ける。
「ラ……リカ、ちゃん……落ち……つ…いて……」
「アリンさんっ! 貴方は私なんかを庇って……」
「ラリ……最……後に、…市民を……守れた……から、満足……だ……よ…」
「最後だなどと言ってはいけませんッ!」
ラリカが、アリンの体に触れながら、自分の腰元にぶら下げた袋の中を手探りでまさぐっている。
何かを探しているようだ。
「君に……伝えた……ぃ……こ……」
ラリカの反応を見ることなく、譫言のようにつぶやいていたアリンは、力尽きたように気を失った。