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ラリカ=ヴェニシエスは猫?とゆく。  作者: 弓弦
第四章「ラリカ=ヴェニシエスは何かを見つけた」
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第八十二話「愛するということ」


 ――シンと、静まりかえっていた。

 ――誰も、その場を動けなかった。


「ター……ニャ……?」


 血だまりを作り。こと切れたミシェルの(むくろ)の隣で。ナイフを握り締め、ふらふらと立ち尽くしているターニャを見つめたフィディアが、呆然と(かす)れた声だけが響く。

 

 ――そんな中、いち早く立ち直ったフィックが、ターニャを確保しようと踏み出した。


「――くるな……」


 だが、その瞬間。ターニャは顔を歪ませ引き()れた声で叫び声をあげる。ナイフを振り上げ、叫ぶその右目からは、ボロボロと涙がこぼれ落ちている。


「――くるな……っ! 『(かげ)()い』……っ!」


 もう一度、半狂乱にターニャは叫ぶと、振り上げたナイフを突き刺すように自分の首に押し当てた。それを見たフィックは、はっとした表情を浮かべ、哀しげに目を細めると、踏み込むために前のめりに沈めた上体を起こした。


「……なんで……? 貴女、ミシェル=サフィシエスを……?」


 フィディアが、どす黒い赤に(まみ)れたミシェルの遺体に、恐れるような目線をちらりと向けると、ターニャに向かって理解が出来ない様子で途切れがちに問い掛けた。


「『()(ほう)』は……それ、までの……一般、的な、概念の、明文化……、教会の解釈権を、『法、文』に、よって……制限……自力解決と、手続きを、明か…く……に……」


 ターニャは意識が朦朧(もうろう)としているのか、ふらふらと紡ぐ言葉はフィディアの言葉への答えになっていなかった。だが、それでも何事かを必死で伝えようとするターニャの言葉を、ただ私達は黙って聞いていた。


「だから――ラクス……ッごほ、ぁ……」


「――そう、だから、『ラクスオプティエンサ(読み上げられた)、|レクティオイス=ダナー《無明の規則》』


 しかし、途中で咳き込んだターニャの言葉を引き継ぐように、唇を引き結んだフィディアが眉間に皺を寄せながら、複雑な声音で言葉を続けた。話を途中で遮られたはずのターニャは、苦しげに肩を上下させる中、どこか満足げに無言で口を緩める。


「……そうよ。ターニャ。貴女は……貴女は……! とても良く勉強していたわね。特に『彼の法』を……なら、分かって(、、、)いた(、、)はずよ? ……なのに、なぜ……?」


 『何を』とフィディアは言わなかった。だが、その指し示すところは明白であった。


 ――『なぜ』止めなかったのか。


 そういえば、以前皆でお茶をしたとき。フィディアは確かに彼女が熱心に学んでいたと言っていた。ターニャが、かつて自分の教え子だったころ。ずいぶん熱心な生徒だったと。


 ……だとすればミシェルの主張が誤っていと、ターニャは承知していた事になる。


 ならば、なぜ、彼女はミシェルにその事を伝えなかったのか……もしや、ミシェルが起こそうとしていた事件を知り、元からそれを止めるつもりで潜入していたとでもいうのだろうか……?


 ――しかし、そんな私の考えは、続く言葉で否定された。


「――好き……だったんです……」


「……好き……?」


「……『愛して』たんです……」


 ――戸惑うフィディアに向かって、たたみかけるようにターニャが言葉を続ける。語る面貌(めんぼう)は、半ば腐り落ちながらも切実で。切なげで。届かぬ何かを求め(あえ)ぐようだ。


 ……ああ、なるほど。何のことは無い。


『至極、単純な話だ』

 

 ――好きな相手に、嫌われることが怖くて。

 ――好きな相手に、拒絶されるのが怖くて。

 ――好きな相手に、自分と貴女の考えが違うと思われるのが、怖くて。


 ……結果伝えられぬまま逃げてしまったのだろう。


 引き起こされた事件は大事なれど、その根本のなんと単純で原始的な事だろうか?

 ……だが、得てしてこういう事件の根幹にあるのは。そういう人の感情に根ざす所が大きい物か。


「ミシェル……様、が、好き、でした」


「……ええ。知っていたわ」


 ……案の定。ターニャが続けた言葉は、酷く平凡な言葉だった。フィディアもその事は十分に知っていたからだろう。『納得』――は行かない様子ではあるが、唇を噛みしめて頷いて返した。


 そんなフィディアを見たターニャが、表情を僅かに不満げに動かす。そして、微かに唇を引き結び。媚びを売って見せていたときのように口元を尖らせると、言葉を続けた。


「――で、も、フィディア、様。が、大好きでした」


 ――意外な言葉が続いた。


「――え?」


 目を見開き硬直したフィディアに『してやったり』とした歪んだ笑みを浮かべながら。ターニャは苦しげにざらざらとした言葉を続ける。


「――っと……あの、日、クロ、エ=ヴェネラ…から、手紙、お届け、した、時から」


 喉元にナイフの切っ先を当てたまま、まっすぐとフィディアの事を見つめながら。何事かを想い懐かしむかのように、僅かにその目を細めた。


「やっ……その、前。初めて、フィディア様が、お声を掛けて、手を、握って、くれたときから」


「どういう……こと?」


「……ずっと、ずっと……頑張った……私だって……。――だけど、いつ…の間にか、フィディア様、の隣に、は……」


 そう言って、ターニャの視線が向かうのは……今も、倒れ伏し、意識を失ったままの少女……セトだ。意識を失い、寝かしつけられているセトの事を見つめるターニャの瞳が、激しい感情を表すように――揺れた。


「……起き、ろっ! ……起き、なさい、よぉ……っ!」


 途切れ途切れた声は酷く聞き取りづらく、気を失っている少女を目覚めさせることが出来るようなものではない。それでも、振り絞るように。憎悪を込めた声で、ターニャはセトの事を呼び続ける。


「――起きろって言ってんでしょッ! この、!」


 どこにそんな力があったのか。嘘のような激しさで叫んだ瞬間。慟哭(どうこく)するようなその声が届いたのか、セトが僅かに身じろぎをした。


「……ん……フィディ……ア……?」


「――っ、また……お前…ぇ…っ!」


「……ターニャ……ジニ、ス……?」


 周りの様子を確かめるように、周囲の地面に這いつくばり手を伸ばしながら。ターニャの声を聞いたセトが、一瞬びくりと体を震わせ、その苦しげな喘鳴(ぜいめい)を含んだ声に僅かに首を傾げる。そんな姿にターニャはなおも苛立たしげに表情を歪ませた。


 だが、段々と体力の限界が近付いてきたのか。ターニャは息も絶え絶えに。苦しそうに片手をナイフから手放し、胸の辺りを押さえながら。激しく肩を上下させ、呪詛(じゅそ)を掛けるかのように叫んだ。


「――わた、っ、私、は、おま……が、嫌、いっ! 大っ、嫌い! ぜ、んぶ、ぜんぶ、全部、奪って、いく。お前が、……憎い……っ! 苦、しめっ! 呪、われろぉッ!」


 ……いや。『掛けるかのように』ではない。これは、明確な呪詛だ。


 ――『思い出せ』『忘れるな』と。

 お前を憎む者がいたことを……覚えておけと。

 そんな――『呪い』なのだ。


 ――段々と、体を支える事さえ出来なくなってきたのか。その場に膝を突き。胸を押さえていた片手を地面につきながら。それでもなお、セトの事を憎々しげに睨み付け。命の全てを()べて憎悪に変えながら。ターニャがセトに対して呪いを掛けていく。


 言い切ったターニャは最後にフィディアを見つめ。喉元に突きつけているナイフの柄尻に手を添えた。次の瞬間、歪な魔法陣が展開される。


「……な、魔法だと……?」


 だが――さきほど見立てた彼女は、とてもでは無いが魔法を使えるような状態では無かった。よしんば、魔法を使えたとしてもとても体が持つわけが……!


 ――炎槍。


 展開された術式から、その正体を看破した私は、最後の一矢にセトに魔法を打つつもりかと迎え撃つ準備をする。


「――だめ、ターニャッ! そんな体で魔法は――っ」


 しかし、フィディアはそんな心配さえする余裕が無いのか。切羽詰まった様子でターニャの身を案じて、彼女に駆け寄ろうと一歩踏み出した。


 瞬間。


 ――ぐるり、と炎槍がその(やじり)ターニャ(、、、、)()向けた(、、、)


 ただでさえ、魔力が十分に巡っていない中で紡ぎ上げられた魔法が、不完全に崩れるように(またた)きながら。されど、人を焼き尽くす程度の力を秘めたまま、ターニャに向かって飛翔する。


 同時に、ターニャは片手に握り締めていたナイフをぐっと自分の喉に突き立てるように押し込んだ。そして、それと同時。炎槍が、術者であるターニャの体に辿り着く。



「――ターニャァアアアアアアアアアアアアアアッ!」


「――あはっ、――『先生』、やっと、見て――」



 炎槍が、その身を――そして、そのすぐ近くに横たわっていたミシェルの骸を。浄化するように焼き尽くすまでの間。悲鳴を上げるフィディアを見つめたターニャは嬉しげに。朱く揺れる炎の揺らめきの中で、まるで無垢な童女のような凄絶(せいぜつ)な笑みを浮かべ――



***



「……ター、ニャ……」


 炎槍の炎が消え去った後。フィディアはターニャとミシェルだったモノ(、、)の前で、崩れ折れていた。感情の処理の仕方が分からないのだろう。呆然と涙を浮かべながら、両手で地面を握り締め、頭を垂れている。その姿は、まるで贖罪を求め懺悔しているようにも見えた。


「フィディ……ア?」


 ――静かな少女の声が聞こえる。その声に、身動き一つしなかったフィディアが、びくりと肩を震わせ。


「……ぅ……ぁ……」


 だが、振り返ったフィディアの口から漏れるのは、言葉にならない嗚咽だけだった。


 まだ十分に体が動かないらしいセトが。それでも、そのフィディアの声に異常を……彼女が某かの苦しみを覚えている事を察したのだろう。その場で這いずるように体を動かした。


「……ぁ、……だめ……だめよ。せと……」


 懸命に自分の元に近付こうとするセトを見たフィディアは、何かを恐れるかのように顔を引き攣らせ。慌てて立ち上がろうとする。


 ……そう。まるで、すぐに止めなくてはセトまでがどこかに消え去ってしまうと思っているかのように。


 ――だが、立ち上がろうとした瞬間。動揺からか、フィディアがその場で激しく音を立てて転倒した。


「――フィディアっ!? ねえっ!? 大丈夫!? 大丈夫なの!? フィディア!」


 目の見えないセトは、フィディアが倒れ込む音を聞き。焦りも露わに、必死にフィディアの名前を連呼した。


「――っ、大丈夫。大丈夫よ。セト……」


 倒れ込んだことで、一度冷静さを取り戻したのか。身を起こしながら幾分か落ち着いた声でフィディアが応える。その声にわずかにほっとしたように、セトが息を吐き出した。


 フィディアは、一度背後を振り返ると、起き上がろうと地面に手を突く。

 しかし、すぐに支えにしようと地面に触れた手を、不思議そうに顔の前まで持ち上げた。


 ――がたがたと、持ち上げた両手が震えている。


 フィディアは、恐怖に駆られたような表情で、背後の骨灰を振り返り。未だ自分の居る方を心配げな表情で見つめるセトへと視線を往復させた。フィディアが、強く。唇を噛みしめる。


 もう一度、今度はしっかりと地面に手を突き。ゆっくりとその場で立ち上がる。


 かたかたと力の入らないらしい足が震えながら、それでもフィディアがぎこちない動作で立ち上がった。


 一歩、一歩とセトに向かって近付き――

 上体を起こし、自分の方を見上げるセトの前で両膝を突く。


 ――正面から、さきほどセトが目を覚ましたときと同じように。

 ほっそりとしたセトの事を強く抱きしめた。



「……ええ。大丈夫。……大丈夫よ。セト。……もう、終わったの……」


 疲れ果てた声でそういうフィディアに、セトは何かを察したような表情を浮かべると、そっとフィディアの背中に手を回した。




「……今日は、ゆっくり……休み、ましょう……」


「……うん……ありがとう……フィディア……」



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◆◇◆ ラリカ=ヴェニシエスは猫?とゆく。 ◆◇◆

「ラリカ=ヴェニシエスは猫?とゆく。」
◆◇◆                   ◆◇◆

いつも応援・ご評価ありがとうございます。
これからも、お付き合い頂ければ幸いです。

*******↓ 『もうひとつ』の物語 ↓******

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