第十五話「いぃい感じだ」
城郭に設けられた石段を二段飛ばしで駆け登る。
石段を駆け上がった瞬間、視界が開けた。
今日が快晴であれば澄んだ青空が広がり、畑や森の木々が日の光を反射し、さぞ絶景が広がるものだと思われる。
――ただし、それもあくまで平時であればの話だ。
今日、そこに広がるのは、まぎれもなく戦場だった。
鬱陶しい雨の中、城郭の外に、ここ数日丘の上から眺めてきた景色は無かった。
鈍色の空の下、魔法陣が展開されては消えていく。
それらが展開されるごとに火の粉が舞い上がり、地面からは溶岩が吹きあがり、炎の竜巻が形成される。
その間を縫うように、雷までもが次々降り注いでゆく――
それらのこの世の終わりのような光景は、たった二人によってなされているようだった。
一人は、金髪の青年だった。
急所のみを保護する軽装の鎧に身を包んで、両手には光り輝く刃を持った西洋剣を捧げ持っている。
一番得意なのか、それが一番有効なのか、先程から雷槍ばかり展開しているようだ。
一発一発、かなりの魔力を流し込みながら魔法を発動させているらしく、そこそこ魔力はあるようだが、魔法を放つごとに目に見えて魔力量が減少している。
もう一人は老婆だ。
正確な年の頃は分からないが、老婆といっても差支えは無いだろう。
皺の刻まれた両手をだらりと垂らし、力みを一切感じさせない自然体で立っていた。
そんな自然体でありながら、炎槍などの中級魔法を中心にしつつ、炎獄などの上級魔法を織り交ぜ、息つく間も無く攻撃している。
魔力の使い方が効率的なのか、上級魔法を放った時などは魔力が減少していくのがわかるが、中級魔法を放っても目立つほどの消耗が見られない。
このままのペースでいけば、青年よりはずっと長く戦い続けることができるだろう。
私は魔法に関して素人だが、一目で二人の経験の差を感じる事が出来た。
しかし、それは決して金髪の男性が弱いと言っているのではない。
どちらにせよ、この世界の魔法使いというのはでたらめな奴らというほかない状況だ。
高火力兵器のような攻撃が平気でぽんぽん打ち出されている。
日本で銃刀法だなんだと規制しているのが馬鹿らしくなるような光景だ。
「クロエ婆、アリンさん。応援に来ました」
「あら……ラリカさん、そんなに慌ててどうされたのぉ? さきに、始めさせてもらってるわぁ」
「ラリカちゃん!? どうして来たんだっ! ここは危険だよっ!」
魔法で攻撃しながら、二人がそれぞれにラリカの声に応える。
件のクロエ婆は、宴会に遅れてきた友人を迎えるような気安さで声をかける。
どこか飄々とした捉えどころのない声音だった。
一方で、アリンは切羽詰まった様子でラリカに向かって、怒鳴りつけるように声をあげた。
随分とテンパっている様子だ。本当になんとも対照的な二人だ。
「あら、ラリカさん、腕の中の子はどうしたのかしらぁ? この前言ってたミルマルぅ?」
魔法を放ちながら、のんびりした様子で私の事をラリカに問う。
「あ、紹介します。くろみゃーです。先日から私のペットになりました。しゃべるミルマルです。あと、魔法、使えます」
「「……?」」
ラリカもこの状況に少しテンパっているのか、ぺこりと頭を下げながら、非常に簡潔に説明してくれた。
いや、ひょっとすると何から説明すればいいのか分からなかった可能性もある。
――ここは、私が可愛い御主人をフォローしてやるとするか。
「くろみゃーだ。ミルマルだ。見ての通り話す事が出来る。魔法は中級魔法までなら使える。ラリカは私の御主人様だ」
「「っ!?」」
――これでは、ラリカの言葉を復唱しただけだ。
多分、私はフォローの仕方を間違えた。少し、慌てていたのは、否定しない。
私が話しだしたことに動揺する二人に事情を説明するのには、しばしの時間を要した。
***
「戦況はいかがですか?」
一通り、事情の説明を終え、未だ好奇の視線を私に向ける二人に、ラリカが現状の確認をする。
「ここは、僕たちが何とかする! だからラリカちゃんは「そうねぇ。やっぱりこのままだと倒すのは難しいわねぇ……」ヴェネラ!」
とにかくラリカを戦場から遠ざけたいのだろう。
青年が、悲観的な分析をする老婆に食って掛かる。
「難しいものは難しいわよぉ……ここで大丈夫といっても、倒す手段があるわけじゃないわぁ……」
「しかし……!」
クロエが諭すように、アリンを窘める。
ここでの立場としては、アリンよりクロエのほうがかなり上のようだ。
「今は、どういう状況なんですか?」
改めて二人に向かってラリカが確認する。
「今は、二人がかりでミギュルスがあそこから動けないように、上から魔法をたたきつけて押さえつけてるところよぅ? 多分、ミギュルスが天に召されるより、私たちの魔力が切れる方が早いんじゃないかしらぁ。……ジリ貧ねぇ」
「ヴェネラ!?」
「わかりました。槍は使える目途が立ちません。私が杖を使います。近距離まで近づかないと、杖を使えないので、お二人は私が近づけるようにしてください」
「気をつけるのよぅ~」
師弟の気安さなのか、特にお互い気負うでもなく、当たり前のように話している。
アリンは、信じられないもの達をみるような眼で、頭を左右に振って二人を見比べている。
「だめだ! ラリカちゃん! 危険すぎる!!」
なおも、アリンはラリカの身を案じて声をかける。
どうやらアリンは、きわめて常識的な考えを持っているらしい。
正直、私だって先ほどの魔法の威力を間近で見て、それに耐えうる存在にラリカを近づけたくはない。
「援護なしに私一人でミギュルスの近くに近づいて杖を叩き込むのは難しいですから……お二人の魔力が残っている間で無いと実行できないんです。アリン=オフス、お力をお貸しいただけませんか?」
ラリカも、アリンが自身を心配していることはわかっているのだろう。
優しい声音でアリンを説得するようにお願いする。
「だけど……ッ! ラリカちゃんを行かせるわけには……そうだッ! 僕が杖を使おう!! それで、ラリカちゃんは逃げ――」
「――馬鹿にするのもッ!いい加減にしてくださいッ!!」
「え……?」
突然、アリンの声を遮るようにラリカが怒気を表わにした。
ラリカの大声に、自分が怒鳴られたわけでもないのに、体毛がぶわりと逆立つのが分かった。
虚を突かれたアリンが呆然とラリカのことを見つめる。
集中が途切れ、魔力が注ぎ込まれなくなった雷槍の魔法陣が、ふっと虚空へと消え去った。
「人のことを馬鹿にするのもいい加減にして欲しいと言っているのです! 確かに私は魔法を使えません。でも、私はヴェニシエスなのです! 魔法を使えないポンコツでも! ヴェニシエスなのですッ! それをなんですか! 貴方は! やれ危険だ! やれ下がれだなどとッ!! 兵士の皆さんが、人を守ろうとするように! こういうとき、みんなを守るために私たちがいるのです! だいたい、リベスのヴェネラが受け継いできた杖を自分から使うなどとは思い上がりも甚だしい! それに、貴方がこの杖を使うとして、その間誰が援護するのですかッ! 私は杖の使い方は身につけてきましたが、それ以外はポンコツですよッ!」
「え、あ。いや、そんなつもりは……僕はただラリカちゃんを守ろうと……」
「それを思い上がりが甚だしいと言っているのです! リベスのヴェニシエスである私を甘く見ないでください!」
この世界に来たばかりの私には、リベスのヴェネラやヴェニシエスというのがどういう存在なのかは分からない。
しかし、ラリカが、誇りをもってヴェニシエスと名乗っていることだけは、十分に伝わってきた。
……ただ、同時にそこには『魔法が使えない』というコンプレックスがあるようにも感じられる。
先程、城にいた人物達をポンコツと形容していたが、自分のことも今、『魔法を使えないポンコツ』と表現していた。
ラリカは『魔法を使えない』というのをずっと引け目に生きてきていたのかもしれない。
であるなら、この怒りは、アリンというより自分に向けられた、ある意味八つ当たりに近いものと言えるだろう。
「ごめん」
割を食った形のアリンは、ただ一言、生彩を欠いた様子でつぶやいた。
「……いえ。心配してくれて有難うございます」
今度は深々と頭を下げながら、ラリカがお礼を述べる。
その下げた表情を地面から見上げると、少し悔しそうな、後悔するような色が浮かんでいた。
ラリカは聡い子だ。おそらく、自身の怒りが八つ当たりに過ぎないことも、心配してくれている人に対して発するべき言葉でないことも気が付いているのだろう。
ラリカの下唇をかみしめている力がふっと緩んだ。
ぎゅっと目をつぶると大きく息を吐きだす。
「――偉そうに言いましたが、私はポンコツなのでアリンさんや皆さんにフォローしてもらわないと、なんにもできないのです。しっかり援護してくださいねっ!」
顔を上げたラリカには、私の毛並みの下の頬まで赤くなってしまいそうな、素敵な笑顔が浮かんでいた。
「……分かった。無理は、許さないからね」
強い意思を込めた言葉をアリンが発した。
……白人の肌は朱が差すとよくわかる。
まったく現金な奴だ。いや、それは私も含めてだが。
「……無謀だってことは分かってます」
顔を赤らめ視線をそらすアリンには聞こえない程、小さな声でラリカがつぶやいた。
「あと、ごめんなさい……無理は、するかもしれません。……無茶もです。でも、私はこんなところで、こんな場所で、こんな事で死んでやるわけにはいかないのですよ――ッ ……ですよね? くろみゃー」
誰にともなく、つぶやいているように見えたのは、どうやら私に向かっての言葉だったらしい。
いや、節が黄色くなる程杖を握りしめているところを見ると、これは私への言葉ではない。
きっと、ラリカ自身への言葉なのだろう。
まあ、なんにせよ私の返答など決まっている。
「無論だ。ラリカ。生きて、残って、一緒に旅に出かけるのだからなッ」
「ええ。くろみゃー、『一緒』ですよ。その言葉、忘れたら許しませんからね」
「心しておく……そちらこそ、忘れるなよ」
「無論ですッ!」
私のセリフに対する意趣返しなのか、そっくりそのまま私の言葉を返しながら、不退転の意思を込めたラリカが、先ほどの笑みとはまた違ったふてぶてしい不敵な笑みを浮かべた。
「……あらまあ、随分と若いわねえ。お婆ちゃん、さっきから、結構がんばってるんだけど、二人とも気がついてくれないかしらぁ?」
――呆れたように、先程から話に夢中で全く魔法を放っていなかったアリンの分まで、延々雨あられと魔法を放ち続けていたクロエが苦言を呈した。
「あ、すみませっ! クロエ婆! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫よぅ。大丈夫だけど……クロエ=ヴェネラはちょっと、ちょびーっと、すこーしばかり、さみしいわぁ……」
「……すみません」
先程の啖呵を思い出したのか、かわいらしい頬をさっと染めて、ラリカが謝る。
同じように頬を染めるのでも、青年が頬を染めるよりも、こう、……いぃい感じだ。
「さて、それじゃあ、ラリカちゃんに頑張ってもらっちゃおうかしらぁ」
――楽しそうに、クロエはそう宣言した。