第七十五話「ペットと主人。少女とミルマル。照れ隠しの向こう側」
「……待たせました。――くろみゃー。聞いていましたね?」
フィディアとの話を終わらせたラリカが、パタパタと駆け足で隣にやって来た。先ほどから私の魔法が炸裂する度に放たれる閃光が、断続的にラリカの顔を照らしている。そんな彼女が浮かべている表情を盗み見て、私はふっと息を吐き出した。
「ああ」
短く答えながら、これから恐らく頼まれるであろう内容を思い、目の前の邪神の事をじっくりと。丹念に。それこそ、細部に至るまで決して見逃すことがないように観察する。
――これは、中々に骨が折れそうな話だ。
――だが、やらねば『ここ』に居る意味がない。
「――くろみゃー。それで申し訳ないのですが、無理を承知でもうひとつお願いが――」
「――『魔力の流れを読め』というのだろう? 構わんよ」
「――っ、ええ。その通りです。分かりよいのは良い子です」
考えている内に、案の定ラリカからの『お願い』があった。すでに私に邪神に対応をさせながら、なおかつその上作業をさせるとは。人使い――ならぬ、ミルマル使いの荒い話である。
――それでも。これまで、『どうするべきか』悩み続けていたこの子が、こうして無理をさせてでも状況を打開しようと努めていることが、何よりも嬉しかった。
……未知の存在を前に、通じるかも分からない術式を即興で作り上げ、あまつさえそれを一度で成功させてみせる――ああ、考えるだけで、普通なら状況は絶望的だ。
――だが、それでも。
もはや皆の間に。
先ほどまでの絶望感は欠片も残っては居なかった。
「――そうでした。フィディア=ヴェニシエス。これを」
視界の端で私との会話を終えたラリカが、思いだしたかのように白っぽい何かを差し出すのが見えた。
「――これは……神器じゃないっ!?」
ラリカに手渡された『杖』に反射的に手を伸ばしたらしきフィディアが、驚きに声を上げた。巨大な紅玉を頂き、真白く艶やかな塗装が施され、蒼い革のような素材で包まれた瀟洒な造りのそれは――間違いなく、ラリカがレシェル=バトゥスより受け取った『神器』に他ならなかった。
「――ええ。とはいえ、中の魔力は先ほど使い切ってしまいましたが……」
「――っ、それでもっ!」
「杖が、ないのでしょう? 神器であれば、媒体としては申し分ないはずです。――私は、これがありますから……」
ラリカが手に持っている使い慣れた自分の杖を軽く持ち上げて見せると、フィディアが目を剥きながら、息を呑む。そんな彼女に向かって、ラリカはぐいと杖を押しつけるように手渡し、再び私の元へと顔を向けた。
「――っ、む、むちゃくちゃよっ!」
押しつけられた杖を、恐ろしげに握り締めながら、胸中は複雑な気持ちが渦巻いているのだろう。『神器』というヴェネラに至り初めて手にすべき目標を手にした恐怖からか、フィディアが、困り果てたように眉根を落とし、僅かに瞳を潤ませながら叫び声を上げている。
「……くろみゃー……」
静かに、願うように。――どこか、甘えるように。
複雑な声音で、ラリカが私の事を呼ぶ。
――ああ、悪くない。どうして、そんな声で呼ばれて、全力を尽くさずに居られようか。どうして、この高揚する気持ちを、さらに弾けさせずに、居られようか。
……思えば雪華にあった頃から。『格好付け』は生来の性分だ。どうやら、死んだ程度では治らんらしい。
――雪華によって与えられた、瞳の力を。その全てを。
自分に出来るすべてを振り絞るように、稼働させる。
熱く滾る感情とは裏腹に。静かに背中から這い上がるような冷たさを手先の端まで通して、意識を目の前に居る。かつて、人だった頃。何度も何度も教わってきた。『冷静なる猛り』を意識付け。眼前に屹立する真黒き存在に向けて研ぎ澄ませていく――……
辺りを流れる時が、その進みを遅くしていくかのような錯覚に陥りながら。
周囲を押し流すように流れる膨大な光量を持つ光が周囲から集まり、うねりを上げて巻き上がっていく『魔力』の大河――それがどんな風に流れて行くのかを注視する。
それは、まるで人体の構成を解き明かし。分解し。その体を構成する神経、筋繊維の一本一本までもつまびらかにしていこうとする作業のようだった。
――細く、細く……どこまでも細かく。まるで、顕微鏡を通して世界をくまなく探っていくような。気が狂いそうなほど感覚の中――ぞわりと、奇妙な蠢きを上げる一筋があった。意識を集中させ、その奇妙な蠢きの先へと視線を向け――……
「――居た……」
……見つけた。
そう、確信する。
――捻れ、絡み合うように。
吐き気を催す汚穢の中に。小さく胎児のように丸まる少女の人影を見た。思わず漏らした声に。ラリカの声が重なる。
「――本当ですかっ!」
「――っと……」
それまで、異常なほどに遅く流れていた世界が、急に速度を元に戻したように流れ始めた。感覚の違いに戸惑いを覚えながら、思わず打ち漏らしそうになった触手の一本を、慌てて雷槍で打ち払う。
「――っ、ああ。だが、どうやって術式を構築するつもりだ?」
今回は、先日のように『針を打って』などと悠長な事をしている余裕は無い。一体、どのようにして、あの厄介な邪神からセトを救い出すつもりなのだろうか?
「……ええ。そうですね。確認しますが、今、お前はセト=シスの位置を掴み取ったのですね?」
「ああ。今も、恐らくは……という形ではあるが、そこに至る魔力の流れは把握した」
「……ならば、仕方がありません……くろみゃー。アリンさんの『鋼縛』で、大体の場所を指示して下さい」
「……また、随分と無理を言う……」
……細く、繊細な鋼縛を使って、きっちりとセトの居る場所を示して見せろというラリカに、思わず顔を引き攣らせながら私は答えた。
「いえ、今回は、人体の中ではありませんから。それほどきっちりとした場所は指示しなくても大丈夫です。少々周りの魔力の流れが乱れたところで、セト=シスと切り離してさえしまえば、ダメージがあるのは邪神だけですから」
「……なるほど。そういう事な……」
「――ただ」
安心させるように言うラリカの言葉に、息を吐きながら『そういう事なら』と術式を発動しようとする私を遮るように、ラリカが言葉を続けた。
「その場合。セト=シスの体の中や周辺に、僅かに邪神の欠片が残る事になります。となれば、おそらく。無事に切り離しが成功しても、『死神に魅入られた子』と同じ状態でしょう……ですから、無事に助け出した後……もう一度、セト=シスに治療は必要だと思います。――後は、セト=シスの体力を信じるしかありませんね」
「――そうか……分かったっ!」
ラリカの僅かに不安と祈りを含んだ言葉に、私は力強く言葉を返す。
「……ならばまたその時は。私が全身しっかり細部まで見てやろう。だから、まずは彼女を助け出すのが先決だ」
「――はいッ!」
チラリと視線を向ければ、ラリカが力強く。唇を、獰猛な笑みのように引き結び。杖を力強く握り締めながら、答えた。もう一度、邪神の姿をじっくりと。セトの姿を見失うことがないように見つめ直し――
「――っ!? ラリカッ!」
「どうしたのですっ!?」
思わず上げた叫び声に、ラリカが焦りを表情に貼り付けながら聞き返した。
――だが、これは……
……それは、本当に僅かな偶然だった。視線を逸らし、戻す。その僅かな間に、たまたま目に入ったに過ぎなかった。
だが――今。確かに私の目には二つの影が見えていた。
先ほどの魔力の流れの中心として、僅かな違和感を生じさせる子供の姿……それとは別に、もはや邪神の一部であるかのように、埋もれ、飲み込まれ、圧倒的存在を前に引き裂かれるかのように蹂躙され。
『人』であるのかさえ怪しい魔力さえ返さないソレは――『ターニャ』
つい、先頃邪神に飲み込まれたはずの、その姿が……あった。
「……ターニャの姿が、見える……」
「――本当ですかっ!?」
「ああ……だが、これは……人……なのか……?」
歪にゆがんでしまった魔力の姿に、まるでグロテスクな焼死体でも見てしまったかのような寒気を覚えながら、言葉を選びながら発する。
「……なるほど。確かに彼女に関しては、すでに『ターティベルナの使徒』と化している可能性はありますね……」
私の言葉に、ラリカがじっと考え込む。
しかし、すぐに彼女は決断したように顔を上げた。
「――くろみゃー。ターニャ=ジニスを助け出しますよっ!」
「……分かった。……良いのだな?」
『その選択は、辛い結果になるかもしれんぞ?』という事を、言外に含ませながら、ラリカに向かって問い掛けた。
「――ええ。……たとえ『彼ノ存在』と化して居たとしても。まだしかりとは分からない状況で、見捨てるような事をしたくはありません」
「分かった。良いだろう。……助け出せれば、あの子の事もちゃんと隅々まで確認して見せよう」
「――そうですねっ!」
私が、大きく頷きを返すと、ラリカはいそいそと小さな紙片と、ペンを取り出す。すでに今回は作り置きがあったのか、小さなインク壺のようなものに筆先をつけ、紙片に向かって何事か書き連ねている。
――どうやら、これから術式を作り始めるらしい。
ならば、私は早く、二つに増えてしまった彼女からのオーダーに応えなくてはなるまい。
そう思い、鋼縛の術式を構築し――
「……ねぇ? くろみゃー?」
――ふいに、ラリカの言葉が続いた。
「……なんだ?」
その深刻な声音に、まだ何か懸念事項があるのかと、私が問い掛ける。すると、微かにラリカが笑う気配がした。
「……『全身しっかり細部まで見てやろう』というのは、女性に向ける言葉としては、少し『いかがわしい』ですよ?」
「……あまり、気の抜けるような事を言わんで貰えるか……?」
思わず、あまりに場違いな言葉に脱力しかかりながら、ラリカに苦言を呈すると、再びふふっという上品な、軽い笑い声が響いた。
「……絶対に、成功させますよ」
「……だな」
「……それから。……ありがとう」
――私の小さな主人は。そう言って、赤い瞳をもう一度手元に落とすのだった。
★☆★ 祝!三周年! ★☆★
本日ついにこの作品「ラリカ=ヴェニシエスは猫?とゆく。」の投稿を始めて3年が経ちました。
これもひとえに、ここまで応援して下さった皆様のおかげです。
三周年となると、やはり自分の中で大きな区切りが出来た気がします。すでに活動報告でもお伝えしていますが、今年は記念企画も、今までの一周年二周年とは、また違ったテイストで、自分の中で記念として残るものにさせて頂きました。
という訳で、
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明日(2019/07/08(月)
~ 2019/07/14(日) までの1週間
JR秋葉原駅にラリカのポスターが掲示されます!
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色々な方にご協力頂いて実現した企画になります。
是非とも、お近くを通られた際は、チラッとでもご覧頂けたら嬉しいです!
これからも、どうか末永くお付き合い頂けますよう、どうぞよろしくお願い致します!