第一四話「御馳走」
――私はラリカの肩で揺られていた。
『私が杖を使う』と発言した後、ラリカは具体的に避難誘導の指示などを出すと、会議室を飛び出していった。
そんなラリカの肩に、私は慌てて飛び乗ったのだった。
「くろみゃー! 本気で走ります。しっかりつかまっていてくださいね!」
城を出たラリカは鋭く警告すると、ぐっと大きく体を沈め、弾かれるように地を蹴って駆け出した。
町並みが恐ろしい勢いで後ろに流れ去っていく。
石畳の境目が次々と流れていき、見ていると目が回りそうだ。
恐らく自動車並みの速度は出ているものと思われる。
どう考えても人間が出してよい速度ではない。
――でも、とりあえず。
「ら、ラリカ速い、速い! 落ちる、落ちるぞ!?」
「我慢していてください!」
上下運動は少ないものの、あまりの速度で振り落とされそうになる。
爪を立てれば振り落とされる事は無いだろうが、そんなに強くラリカの肩に爪を立てるわけにもいかない。
若干声が裏返るのが分かりながら、悲鳴をあげるが、帰ってきたのは無情な返事だった。
その返答に絶望しながらも、覚悟を決めて必死で捕まる決意をした。
すると、その様子を見ていたのか、ラリカは走りながら苦笑して手を伸ばすと、肩から私を引きはがして抱え込んだ。
「これなら、大丈夫ですね」
いつだかに拾われた時を思い出しながら、疾走するラリカに抱きしめられながら移動する事になった。
「――ラリカ。状況が全くわからん。どうなっているんだ? 魔法を使えないラリカが行っても、足手まといになるだけではないか? ……さっきの『杖』とやらが関係しているのか?」
ようやく、落ち着いて言葉を発する余裕が出来た。
これ幸いと、多すぎる疑問点を矢継ぎ早にラリカに投げかけた。
「そうですね。まあ、端的に言ってしまえば、現状において、この杖を持っている私がこの街の最大戦力なんです」
そういって、背に背負っていた杖を軽く示した。
「その杖というのは、魔法を使う際に使うものではないのか?」
今までだって、魔法を使う時に何度も杖を捧げ持つのを見てきたが、そんな大層なものだとは思わなかった。
「確かに魔法を使うときの媒体としても使えますが、この杖は教会の定める神器なんです」
「神器?」
また、この世界に来て初めて聞く単語だ。
言葉の響きからは、草薙剣といった日本での有名どころが連想される。
「ええ。聖国が管理している莫大な力を持った武器のことですね」
「ほう?」
「簡単に言うと、発動させると上級魔法以上の威力を持った特戦級魔法を使えます」
「それはすごいな。だが、ラリカは魔法を使えないだろう?」
「……これが一番の特徴なのですが、神器自体に魔力がこもっているので、所有者の魔力の大きさに関係なく、魔力を認識出来れば使用できるのです。魔力を流し込む必要もありません」
一瞬黙りこんだ後、ラリカが補足した。
なるほど。まるで夢のような武器だ。
そんな武器を量産すれば、大量の攻撃魔法なんて必要なくなってしまう。
だが、そこまで都合がよいと、なにか裏がありそうで恐ろしい。
「ラリカでも使用できると言うことか」
「はい。そういう事です。」
「そこまで都合がいいと、なにか裏がありそうだな」
「……なるほど。私が使えるなんて都合がよすぎると。そう言いたいわけですね」
「……そういうわけではない。けして」
どうやら、ラリカは先程の『魔法を使えない』発言を気にしているらしい。
失言だったのは確かだが、薄々気づいていた通り、やはりこの御主人魔法が使えないことに関するコンプレックスは人一倍のようだ。
「……まあ、良いです。――裏なんてとくに無いですよ。ただ、強いて言うと使い捨てで、今は製造もされていないんですよ……」
「使い捨て!? 貴重な武器ではないのか?」
「ええ。非常に貴重な武器です。まず、普通は手に入りません。私は、クロエ婆から――あ、クロエ婆というのはヴェネラで、杖を継承してきていたのです。私はその見習いでクロエ婆の引退に伴って杖を授かっています」
ヴェネラというのは、役職か職業なのだろう。語感的に言って、さっき城でラリカがヴェニシエスと呼ばれていた。類似の役職なのだろうか?
「使ってしまっていいのか?」
「本当なら、こういうときの為に、ここの領主には神器が貸与されているのですけど……領主代行がポンコツばっかですからねッ!」
「……貧乏くじだな」
「まあ、人命には絶対何があっても変えられませんから」
「流石、私の御主人様だ」
「ふふ、褒めても夕食が豪華になるだけですよ」
それはとてもうれしいと捉えてよいわけだな。
「それは楽しみだ」
照れたのか、例によって御馳走を仄めかして誤魔化すラリカに、にやりとした笑みを返す。
「――ああ、そうだ。ラリカ。君に大事な話がある」
「どうしました?」
「実は――」
――その時、遠くで爆発音が轟いた。曇った空に、巨大な魔法陣が展開されている。
「戦闘が始まったみたいですね!」
「上級魔法の『炎獄』だな」
「炎獄ということは、クロエ婆ですね」
先程展開された魔法陣を皮切りに次々魔法陣が展開されていく。
「炎獄、炎槍、雷槍、溶発、爆熱、炎嵐……?」
「雷槍はアリンさんですね。それ以外はクロエ婆でしょうね」
「クロエ婆とは一体どんな人物なのだ……」
魔法陣が展開されていくに合わせて、遠くに火柱が立ちあがっていくのが見える。ドンドンとまるで花火を打ち上げているかのような衝撃がここまで届き、内臓が揺さぶられる。
「これは、その杖を使うまでも無く決着が着くのではないか?」
「そうであってほしいものです!」
そういって、ラリカは走る速度を一段引き上げた。城壁がどんどん近付いてくる。
「――ああ、そうです。さっきの話はなんだったのですか?」
「そうだ。ラリカ。君の魔力についてだ」
「私の魔力ですか――!?」
予想外の話題だったのか、ラリカが驚いたように私をじっと見つめる。
「さっき君が魔法を使っているのを見て気付いた。君が魔法を使う時、まわりから魔力が流れ込んでいるように見えるのだ」
「魔力が流れ込むと言うのは?」
「普通、私たちが魔法を使った時、自分の中で少しずつ魔力が回復していっているんだが。君が魔法を使った時は使った分の穴埋めするように、空気中に漂っている魔力が君に集まっていくのだ。案外そのあたりに、君が魔法を使えないことに影響しているのかもしれんぞ」
「なるほど! ……それは興味深い話ですね」
あ、なにやらラリカの好奇心と探求心に火をつけてしまったらしい。
見る間に生き生きとした表情にラリカが切り替わっていくのが分かる。
そう。緊急事態にも関わらず、目がキラッキラしている。
「かつて、神がまだこの世界で力を奮っていたころは、神々は自然の力を使っていたと聞いた事があります。つまり神様は、自然から魔力を得ていたわけです。その力を使って、私たちのように術式を使って魔法を起こすのではなく、直接自分の思ったままの奇跡が起こせたそうなのです」
「――神が使った力か。なるほど。なかなかご大層な話になってきたではないか」
大概、神に関する話というのは、巨岩信仰のように普通と違う特徴を持ったものを崇めたことが形を変えている場合が多い。
ちなみに、私は個人的に、マレビト信仰についても、この普通とは『違う者』に対する畏怖の感情から芽生えているのではないかと考えている。
昔、日本にいたころ悪友と出会った事件を思い出した。あのときは――
いや、余談はともかくとして、ラリカはかつての神と崇められた人物と同じ特徴を持っているのかもしれないのだ。
だが、翻って考えてみれば、この世界の神が使った術式であれば、ラリカでも使う事が出来るのかもしれないという事にならないだろうか?
しかし、残念なことに、この世界の神はなかなか術式魔法を使わないようだ。
ラリカも、かつて神の奇跡を模倣しようと人々が術式を生みだしたという話をしていた。
術式魔法というのは人間向けにカスタマイズされたものなのかもしれない。
だが、実はたった一つだけ、神が使ったといわれている 術式を私は知っている。
私が知っているなかで、もっとも威力が高いらしい術式。
この世界に来た日、自暴自棄に発動しようとしても発動できなかった術式だ。
『神炎』
その術式はそう呼ばれているらしい。
かつて、一柱の神がこの術式を使ったようだ。
術式も、明らかに他の術式とは異なる、異質で複雑な術式構成をしている。
正直、異次元の言語で書かれているといっても納得してしまいそうだ。
術式の部分部分はきちんと理解できるのに、それがなぜそう作用するのかが全く理解できない。
これと同じレベルの複雑さをもつと言えば、後はもう転移術式くらいだろう。
間違い無く、この辺りの式を考えた人は天才で、そしてきっと変態だ。
だが、神が使ったといわれてしまえば納得できる。
そして、その威力もそれにふさわしいものだと思われる。
ただ、こんなブラックボックスのような術式を本当にラリカに教えても良いのだろうか?
「……ラリカ。君が使えるかもしれない術式がある」
悩んだ末、最終的な判断は、ラリカに任せることにした。
幼い少女に責任を押し付けるようで気が引けるが、私が判断してしまうというのも、それは違う気がするからだ。
ひょっとすると、これを使うことで、ラリカは死を免れられるかもしれない。
そう思うと、教えないわけにはいかなかった。
「本当ですか!? それはぜひ教えて欲しいものですね!」
「ああ。ひょっとすると、これからの状況をひっくり返すかもしれないな」
「おや、それは頼もしい。すばらしいですね」
「だが正直保障はできん。私の想像にしかすぎん。どんな魔法かもわからんからな」
「もともと使えない前提で行動しているのです。『使えれば儲けもの』とでも思っておきますよ! 今は少しでも選択肢が欲しいです。もし、ミギュルスが伝説通りなら、たぶんさっきまでの攻撃でも倒すのは難しいはずです」
「……分かった。術式の転写だけはしておくから、使うかどうかはラリカ、君が決めろ」
「分かりました。どうしてなかなか面白いではないではないですか――ッ!」
生き生きとした表情で威勢よくそんな事をいうラリカに、かねてから思っていたことを思い切って聞いてみる。
「……ラリカ。薄々思っていたのだが……なんというか、君はヒロイックというか……結構ロマンチストなのか?」
「……どうでしょうッ! 戦場を前に、少しテンションが上がっているだけかもしれませんよ!」
誤魔化すためなのだろうか、抱きしめられる力が少し強くなったような気がする。
「――ははっ! そうだな。私とは随分と気が合いそうだ」
どうやら、私のご主人は、『お約束』をしっかり守るタイプのようだ。
賑やかに騒ぎながら、術式をラリカに受け渡す。
私の推論がただしければ、この魔法なら、ラリカも使えるはずだ。
そう、不確かな自分の知識を信じることにする。
……お願いだ。雪華この子を助けてやってくれ。
***
「着きますよッ!」
城郭の近くに、甲冑を着込んだ兵士の姿が見えた。
「――ラリカですッ! 応援に来ました」
ラリカが声をかけると、兵士たちがこちらを振り返った。
緊張にこわばっていた顔が、ラリカを見た瞬間に綻んだ。
「ラリカ=ヴェニシエス!」
「ヴェニシエスッ!」
「ラリカちゃん!」
「おーい! みんな! ラリカちゃんが来たぞー!」
「おおッ! ラリカちゃんだ! これでっ!勝てるぞォ!」
兵士たちが口々にラリカがやってきた事に歓喜の声をあげる。
「みなさーん! お疲れ様です! 怪我の無いようにしてください!」
「「おおっ!」」
ラリカがライブ会場のアイドルよろしく声をかけると、野太い男たちの声が木霊した。
いや、そこは少女が戦場にいる事を疑問に思うべきではないのだろうか?
「――ラリカッ!!」
聞き覚えのある声が、絞り出すようにラリカの名前を呼んだ。
ラリカの父、ヤズルの声だ。
確か、この城門の守備兵をしているというような話をしていた。
今回のミギュルス襲来にあたっても、その職分を全うしているのだろう。
しかし、ラリカを呼ぶその表情は、何かを諦めてしまったような悲痛なものだ。
親子らしいというべきなのか、その表情をみて、ラリカがふとした拍子に見せる表情が重なった。
「……ラリカ。行くのかい?」
「ええ。こんな時のために普段から我儘させてもらっているのですから」
「そうか……死ぬなよ」
「保証は出来ません。最後に大きな華を咲かせて果てるかもしれませんね……」
「そうか……行ってこい!」
「……はい」
娘の死を覚悟する親は、一体どういう気持ちなのだろうか。後悔? 絶望? 無力感?
なんにせよ、送り出すために厳めしく繕いなおした表情の下では、形容しがたい感情が渦巻いているのだろう。
いや、ラリカもラリカだ。
どうせならそこは『必ず戻ってきます』とご両親を安心させてあげるべきだろうに。
悲観論で備えているのかもしれないが、親の気持ちという物を――
「――ああ、そうでした」
私の思考を遮るように、ふと、なにか思い出したかのように、立ち止まったラリカが切り出した。
「どうしたんだい?」
ヤズルが、瞳に曇天を映しながら続きを促す。
「――いえ、大したことではないのですが、くろみゃーがご馳走を希望しているので、今日の夕ご飯はご馳走にする予定だと伝え忘れていました」
あくまで視線はヤズルに合わせることなく、なんでもないことのように、ラリカが答える。
「ッ……!そうか! 楽しみにしておくよ! 行ってこいッ!」
「はい――ッ! 行ってきます。お父さんッ!」
瞳に雲からの照り返しを映しこませながら送り出すヤズルの声と、今度は元気よく答えるラリカの声が響いた。
うん。やはりうちのご主人はあくまでお約束は外さないらしい。
……ちょっと、少し、ほんのちょっぴり格好いいじゃないか。