第一三話「非常事態と『極めて』の定義」
「――魔獣発生警報!?」
慌てた様子で、不穏な言葉をラリカが発した。
「これが、魔獣発生の警報なのか?」
「ええッ! これは、街の近くに通常対応不可の魔獣が現れたときに使用する鐘です」
「例のミギュルスという奴か!?」
「分かりません! ですが、とりあえずは確認ですね! 城に行きます!」
「分かった」
魔獣という存在自体知らない私には、どうするべきなのか判断が出来ない。
こういう時、こちらの世界の勝手がわからないのは不便だ。
杖を握りしめ、駆け出すラリカの後を大人しくついてゆく。
城は、教会と隣接しているため、すぐに入口まで到着出来た。
城を囲むように壁が設けられており、入口付近には甲冑に身を包んだ兵士が五人立っていた。
「魔獣発生の警報を聞いてきました!」
杖を地面にまっすぐと立て、姿勢を正したラリカは兵士に向かって声を張り上げた。
「――ラリカ=ヴェニシエスッ! お待ちしておりました! 現在、城内の人間のみ揃っているようです。会議室までご案内いたします!」
ラリカの姿をみて、姿勢を正して整列した兵士たちから、一人が前に出るとラリカの案内をかって出てくれた。
兵士たちは一様に緊張した表情を浮かべているが、ラリカを見たときから表情に安堵が混じったように見える。
……今さらながら、本当に私の御主人はどういう人間なのだろうか。
『魔法が使えないと嘆く薬師の少女』という印象だったが、少なくともこの兵士達は年端のいかない少女に対して、明らかに自分より目上の人間を扱うように対応している。
出会ってまだ間もないとはいえ、私はラリカが何者であるかを知らなさすぎる。
「ラリカ、君は一体……?」
「……? ああっ! くろみゃーに私のことをちゃんと説明してなかったですね! この件が片付いたら、ちゃんと教えてあげますから」
疑問を浮かべる私に、何を聞きたいのか察したらしいラリカが、口元に笑みを浮かべながら、後で説明する事を約束してくれた。
――確かに今は非常事態のようだ。状況の把握が優先だろう。
仕方がない。
その間にも、兵士の案内に従って城内を進んでゆく。
確かに、一般的な家庭よりは良い調度品を使っているし、建物の造りもしっかりしている。
とても落ち着いた品の良い造りでまとまっていると言えるだろう。
だが、『城』という言葉から連想されるほど絢爛豪華な内装ではなかった。
やがて、一つの扉の前で立ち止まる。
他の部屋の扉も立派な造りだが、特に重厚そうな造りだ。
扉の前には新たに兵士が二人立っている。
案内してくれた兵士よりやや鎧の質や身なりが良く、どちらかというと、兵士というよりは物語の騎士というイメージだ。
「ラリカ=ヴェニシエスをお連れしました!!」
「ご苦労だった。持ち場に戻ってよし!」
「はっ!」
扉の前に立っていた兵士がそう返すと、上官らしきその騎士は扉を開けた。非常に厚みのある扉で、早々蹴破ったりはできそうにない。
「ラリカ=ヴェニシエスがいらっしゃいました!」
室内に声をかけると、騎士は扉を開け、ラリカが中に入りやすいよう扉を抑えた。
「――状況はどうなっていますか?」
ラリカが問いかけた室内には、何人かの男たちの姿が見て取れた。
どうやら、会議室のような用途で使われる部屋らしい。
ひょっとすると、扉の厚みも、人の侵入を防ぐためではなく、室内の音を漏らさない防音のためなのかもしれない。
室内に居るのは、若い者は三十代ほど、一番上に見える人間で七〇歳ほどだろうか。
誰も彼もが仕立ての良い衣装に身を包み、一目で立場ある人物だと見て取れる。
中央の大きな円卓な円卓に、皆一様に真っ青な顔をして腰かけている。
「最悪だ。東門にミギュルスが出たのを発見して衛兵が警報を発した……」
その中から、三〇歳ほどの若そうに見える人物が質問に答えた。
「ミギュルス……やはりそうでしたか。対応はどうしていますか?」
ラリカが真剣な表情で、しかし落ち着いた様子で確認していく。
「規定通り、警報を発すると同時に通関業務は一時的に中止して、全員を城郭内に収容し、門を閉鎖したということだ。通信もつながっている……」
そういって、部屋の中央に置かれた丸い水晶玉のような宝石を目線で示した。
「分かりました。では、ちょっと失礼して。こちらはラリカ=ヴェニシエスです。そちらは現状どうなっていますか?」
『はっ! ラリカ=ヴェニシエスにご報告申し上げます! 現在ミギュルスはこちらよりおよそ一〇〇〇バナークの距離にて停止中。こちらをうかがうように静止しています。現在、隊長揮下アリン=オフスを中心に、城郭壁上および城内にて防衛線を構築しています。また、クロエ=ヴェネラが応援に来て下さったとのことです!』
水晶から返答が聞こえた。どうやら、通信をするための道具らしい。
いかにも魔法じみた道具だ。
「なるほど。クロエ婆がすでにそちらに居るのですね。報告有難うございます」
『は! もったいないお言葉です! 引き続き、監視いたしますッ! ――おい、ラリ――』
短い通話が終わると、ラリカは室内の男たちに向き直った。
「さて――もし、ミギュルスが伝承通りの能力を持っているとすれば、通常装備の兵士では恐らく無駄死にするだけです」
「「――なっ……」」
だれが漏らしたのだろうか。
あるいは、全員だったのかもしれない。
ラリカのあまりな言い様に、息を飲んだ。
「領民を城内に避難させてください。突破された場合、恐らく兵士だけでは領民の避難が間に合いません。冒険者ギルドには、領主名義で領民の避難誘導を最優先で緊急発注してください。オルティン級以上には、指名発注で討伐補助依頼を。費用は私および職人ギルドが補助します。ユーニラミア教会にも、補助願いを出して下さい。ただ――」
室内にいた人物たちの反応を意に介さず、次々と指示を出していくラリカを遮るものがあった。
「ヴェニシエス。いくら貴女と言えど、職人ギルドの采配をする権限はないはずだぞッ!?」
「――分かりました。確かにそうですね。ですが、そこは後ほど何とかします。ブロス氏に連絡を取ってください」
ラリカは、四〇代くらいの男性に食ってかかられたが、相手するのが面倒とでもいうように簡単に指示のみで切って捨てた。
「イマム=アコがいらっしゃいました!」
先程、ラリカが入室する際に扉を開けた騎士の声につられて入り口を振り返ってみると、教会の前で出会った女性が室内に案内されるところだった。
「遅くなりました!グルスト=サファビの代理で伺いましたっ!」
パタパタと慌てて緊張した様子で服装を正しながら、ひどく緊張した面持ちで入室してくる。
「イマム=アコっ! 良く来てくださいました。……東門に出ました。ミギュルスです」
「ミギュルスですかっ!? ああっ! ああっ……! なんてこと……どうしましょう!?」
『ミギュルス』という単語に、イマムは動揺を隠せないようで縋るような視線をラリカに向けた。
「イマム=アコ、落ち着いて下さい! 先程のお話では、グルスト=サファビは聖国に?」
「はぃ……」
「そうですか……分かりました。では、アコをはじめ、ユーニラミア教会、各教会の皆さんにはけが人が出た場合の手当てをお願い致します。あと、これはできるだけ避けたいですが、兵士の皆さんが戦闘に参加する場合、補助をお願いします」
「ラリカさ……いえ、ヴェニシエス……お力になれず申し訳ありません……」
「いいえ、補助を出来る方がいるというのは助かりますっ! 心配要りません。大丈夫。大丈夫ですよ」
頭を下げるイマムに、ラリカは励ますように笑顔を向けた。
「――イディオ=バルクスッ! レクスはアシュスですか?」
「ええ……」
先程、ラリカに状況を伝えた三十路程の男性が生気のない返事を返す。
「……間の悪い。この街の戦力がほぼ町を離れているではないですか。近隣のヨルテ族は?」
「ヨルテ族は丁度先程この街を出発したところですが……」
次々と報告される状況を受けて、ラリカは指先を眉のあたりに当てると考え込む。
「領主不在の非常時の『槍』の使用決裁権限はバルクスが持っていらっしゃるはずですね?」
「ええ……はい……極めて緊急性が高い場合は……」
「ミギュルス相手では、『槍』を使わないと、どうしようもありません! イディオ =バルクス!『槍』の使用許可を出して下さい。アリン=オフスに『槍』をッ!」
「いえ……現在は『極めて緊急性が高い』とは言い難い状態でして……」
「――はいッ?!」
イディオ=バルクスと呼ばれた男が、整髪料かなにかで固められた油っぽい頭をかきながらそんな事を言い出した。
「いえ、その、今のところ領民に被害も出ていませんし……」
イディオ=バルクスは、まあまあと押しとどめるような仕草をしながら、愛想笑いを浮かべている。
「――バルクスッ! 本気で言っているのですかッ!? 被害が出てからは遅いでしょう!?」
「いえ、その判断は私には……」
「ああっ! もうっ! ――では、バルクスとしては実際に被害が出た場合に槍を使用するという事で良いですねッ!?」
ラリカは、優柔不断に事なかれな発言をするイディオに、怒りを抑えるように確認した。
「いえ、それもその時の被害の状況が『極めて』に該当するかどうか皆に諮って検討しないと、私の権限では……」
「……貴方はッ! 何のために居るのですかっ!?」
珍しく声を荒げるラリカの声はもはや悲鳴のように感じる。
「はぁ……そう言われましても……」
しかし、だめだ。
このいかにもお役人さんという雰囲気をまとったこの男には全く響いていない。
「……仕方ありません。この際、領主の『槍』は使えないものとします」
やがて、何かを決断したようにすっと息を吸い込むと、ラリカは杖を握る左手に右手をかぶせるように握りなおした。
キッとした表情で前を向く。
「――私が、『杖』を使います」