第一二話「子供の火遊びには注意」
翌日は、重くぼったりとした雲が立ち込めた曇り空だった。
幸い、まだ雨は降っていないが、いつ降り出すとも分からない。
「――ラリカ、今日の練習はどうする? 雨が降りそうだぞ」
正直、二週間という限られたリミットを考えれば、休んでいる暇などないのだが、まさか降りしきる雨のなか練習するわけにもいくまい。
最悪、家の中でもできそうな練習だけでも行うことにしよう。
「まあ、雨くらいならどうってことはないですが、念のため今日は城壁の外に出るのは止めておきましょうか」
「分かった」
「教会裏の広場なら、あまり人目がないですから、大きな魔法を使わなければ練習していても問題ないはずです」
「そんな場所があるのか」
「ええ。教会の信徒が集まるときに使っているのですが、普段は使う人がいませんから」
「では、今日はそこで練習するとしよう」
「はいッ!」
ラリカはそういうと、いつものごとく杖を手に取るとコートを羽織って外出する準備を整える。
私は例によって、ラリカの肩にポンと飛び乗った。
ラリカは、私を一撫ですると、家の扉を開けて外へと出発した。
***
教会は街の中心部にあり、城の隣に立っていた。
キリスト教ではないので、日本人にとって教会となじみ深い十字架などは掲げられていない。
しかし、一目でおそらく教会だと分かる独特のたたずまいをしていた。
丸い形をしたガラスが規則正しく壁面に並べられて、光を建物内に取り込んでいる。
今日は生憎の曇天だが、晴れた日であればさぞ美しい模様を室内に描き出すことだろう。
大人数の信者が集まれるようにホールのような作りになっていることも、教会らしさを生み出している原因の一つだろうか。
ラリカの肩からぴょんととび下りて、ラリカの後ろをとてとてと歩きながら、教会をじっくりと観察する。
「この教会はユーニラミア教会の物ですが、私たちみたいな他宗派の信徒でも利用する事が出来るんです」
「そうなのか。随分と懐の広い教会なのだな」
「いえ……一応名目上は、様々な宗派の方にも心の拠り所をという前提なのですが……ユーニラミア教は確かに世界最大宗派ですが、各都市では全体の人数が少ないので、一つの宗派だけで教会を持っても投資に対して還ってくる分が少なすぎて元が取れないのです。そこで、他宗教であっても教会を解放していると言った方が正確ですね。まあ、つまり――」
その時、丁度教会の重厚な木製の扉が内側から開き、二十代後半と思しき女性が姿を見せた。
黒っぽく染められたフード付きの衣服の上に、茶色がかった布を貫頭衣のようにすっぽりとかぶっている。ちょうど、スカプラリオのような衣装だ。
「イマム=アコ。こんにちは。お元気ですか?」
「ラリカさん、こんにちは! ……そうですね。最近はグルスト=サファビの調子も良いので、私も楽で助かっています。サファビ、本国に呼ばれて旅に出られるほど元気になりましたよ! これも、ラリカさんとクロエ=ヴェネラの御蔭です。ラリカさんこそいかがですか? また、無茶してないですか?」
人差し指と中指を立てた状態で振りおろしながらラリカが声をかける、イマム=アコというらしい その女性も同様の動作を返してきた。どうやら、挨拶の一種らしい。
「私のほうも御蔭様で。今日は少し裏の広場をお借りしたいので、伺ったのですが」
私に、『こう言うことです』とでもいうように視線を送ると、イマム=アコに幾ばくかの金銭をこっそりと渡しながらそんな事をいう。
どうやら、先程のなぜ教会を開放しているのかという答えらしい。
「――あら、そうですか。今日は特に予定もありませんし、どうぞご自由に使ってください。ラリカさんに智の祝福を」
「感謝します。イマムアコに炎による輝きを」
「感謝します」
そういって、お互いに頭を下げる。
見る限り、一連の流れに宗教的な取り決めがある様だった。
「エクザッ!?」
頭を下げたイマムアコが、私に気がついた。
驚いたように、声を張り上げる。『エクザ』とは?
「ええ。ミルマルです。森で倒れていたのを保護しました」
「ラリカさん! ああ! 慈悲深い保護に感謝します! こんなところにエクザがいらっしゃるとは!」
「私も驚きました。普段、この辺りでは見ることがありませんから」
「そうですね。……もしよろしければ、教会で保護させていただけませんか?」
「すみません……この子は、もう私の家族になってしまったので……」
「そうですか……本国か、王都の教会でもなければエクザはいらっしゃいませんから、あ、今は確か王都にも……もしこの教会においで頂ければとおもったのですが……その、生臭い話で申し訳ないですが、ラリカさん、御心付けなら……」
「いえ、そういう問題では……」
「そうですか……」
……これは、どうやら、私は売られるかどうかの瀬戸際に立っているらしい。
「みゃ、みゃぁ……」
とりあえず、ラリカに向かって存在だけは主張しておこう。
そう思って声を出してみると、存外か細い声が出た。
「おやおや、くろみゃー安心しなさい。お前はうちの子ですよ」
屈み込んで、私を撫でるとそういってラリカは苦笑した。
「というわけですので、もうしわけありませんが、この子は差し上げられません」
「……そうですね。エクザもラリカさんに懐いていらっしゃるみたいですから……くれぐれも、大切にお願いします」
「もちろんです」
どうやら、私が売られる事は無くなったようだ。
別に、まさかラリカが私の事を売るはずがないと思っていたから、心配などしていなかった。
していなかったとも。ただ、なぜだか少し肩が軽くなった気がした。
***
件の広場は石畳で舗装されていた。
あまり大きな魔法を使うと、石畳を壊してしまいかねない。
細心の注意を払って特訓を行おう。
「ラリカ。昨日一晩考えてみたのだが、やはりラリカが魔力供給をした時点で、術式が崩壊していた。そこで、今日はまずはラリカの構築した術式に私の魔力を注いでみようと思う」
「そんなことが可能なんですか?」
「ああ。第三世代術式の応用だ。あれは大規模な一つの術式に二人以上で魔力を供給するものだが、今回はもっと簡易の一人で魔力供給できる術式に別の人間が注ぎ込むという内容だ。だから、まずは私の作った外部供給を可能にした、点火の術式を覚えて貰う必要がある」
「……なるほど。わかりました。くろみゃーが展開してくれれば、その魔法陣を読み解くようにします」
「一応、術式の転写もできるが、どうする?」
「くろみゃーは道具なしで転写もできるのですね。普通は中々できる事ではないのですよ?」
「そうなのか?」
「はい。術式が見えているというのと関係があるのかもしれないですね。今回は普通に読み解くので、大丈夫です」
「分かった。ゆっくり展開するからな。気をつけてみておいてくれ」
術式を構築し、体の中にある魔力を注ぎ込んでいく。
魔法分、体内の魔力が減るが、たかだか点火術式だ。
体から力が湧き出るように魔力が回復していくのが分かる。
瞳で見てみれば、体の中の光が僅かに一瞬小さくなり、鼓動に合わせるように大きくなって、もとのサイズに落ち着いた。
「点火」
私の前に、ライター程度の小さな火の玉が浮かんで燃え続ける。
今も魔力を流し込んでいるから、少しは魔力を消費しているのだろうが、使用量が少なすぎて減っているのかどうか良くわからない。
「なるほど。確かに魔法陣が少し違いますね。魔力供給者に関する記述をこう記述するのですね。現在供給者が『自分』になっているのを『他者』に変更すれば良いわけですか。これくらいなら、簡単に組めそうです。組んでみますので、チェックしてもらえますか?」
「分かった。だが、実際のところ、時間があるときなら供給者は『外部』にして、流し込みの動作自体、記述してしまう方がいいかもな」
「でも、そうすると、普段使いするには術式が無駄に重くなりませんか?」
「確かに、無駄な記述が増えてしまうが、その方が汎用性も高くなると思うんだが」
「汎用性は高くなるでしょうが、一般的にそのまま術式行使できるのは魔法使いだけですから、そこに『外部』記述をいれて、流し込み動作を記述してもあまり意味はないのではないでしょうか? 確かに、魔法使い以外が使うのであれば自動式を組んでしまうしかないでしょうが。帯に短し、襷に長しになりそうです」
「そうだな。その場合は、何かに記述を組み込んでしまって供給元も用意してしまうしかないか……」
「そうですね。そうなると、いわゆる『魔道具』と言われる類になりますね」
「あるのか? 魔道具」
「ええ。照明とか、色々な場面でよくつかわれています」
「ああ、あの白く光っているやつか」
ラリカの家で天井からぶら下がっている石を思い出していた。
「はい。それですね。私は自分自身が魔法を使えないので、魔道具作成も挑戦してみた事はないのですが、魔法を使えるようになったら、魔道具も作ってみたいのですよ」
情緒に波を感じさせるものの、『魔法を使えるようになったら』という話をするラリカに、少し安心した。
どうやら、私の御主人様はまだあきらめてなどいないらしい。
一番は、ラリカがあきらめてしまう事がこわかったのだ。
人間、先の見えない事に挑戦し続けるのはなかなか難しいものだ。
そんな話をする間にも、ラリカが術式を構築していく。
やはり術式の構築の段階では安定していて、崩壊の予兆は見られない。
「術式組み終わりました。どうですか?」
「そうだな。記述としては問題ないな」
「わかりました。では、くろみゃー魔力供給をお願いできますか?」
「分かった。流し込むぞ」
「お願いします」
他人の術式に魔力を流し込むと言うのは初めての経験だが、意識すればするすると魔力が供給されている。術式も崩壊することなく安定している。
魔法陣が、すこし強く輝いた気がした。
「ラリカ。十分魔力は注ぎ込んだぞ。発動してみろ」
「了解」
「点火ぁ!!」
ラリカの幼い涼やかな声に合わせて、ゴオッと音を挙げてこぶし大の白い炎が燃え上がった。
慌てて追加で魔力を流し込む。
魔力供給を止めるまで炎はそのまま、燃え続けていた。
「……ッ!くろみゃーっ!! 成功ですよっ!! 私、私、魔法使えましたよっ!!」
炎が消えた後、たっぷり一息経った後で、興奮のあまり顔を紅潮させながら、ラリカが跳ねまわりながら熱っぽい無邪気な声を挙げた。
いくら私が魔力を供給したとはいえ、自分の構築した術式が、きちんと発動したのだ。
嬉しくないわけがない。
これは見かけ上は今までと同じだった昨日に比べて、成功が実感できる進歩だった。
「おめでとう!ラリカ!!」
惜しむことなく私も称賛をする。
なんでも成功した時は、思いっきり褒める事が大切だ。
「有難うございます! くろみゃーの御蔭です!! 今晩も御馳走決定ですよ!!」
「だから、そのなにかと食べ物で私を釣ろうとするのは止めてくれ……」
相変わらず、なにかあると食べ物をランクアップすることで報酬にするのは止めてほしい。
まるで私の食い意地が張っているみたいじゃないか。
……嫌なやつのことを思い出してしまったではないか。
「しかし、これで術式や集中力に問題ない事が分かったな……となるとやはり魔力か。それに、妙に火力が高かったのも気になる」
「あ……そ、そのくろみゃー……? 怒らないで聞いてほしいのですが……?」
脳内をよぎった銀色の髪に、若干の自己嫌悪を覚えながら懸念事項を口にすると、ラリカが先程までの興奮が水でも掛けられたかのように冷めながら、もごもごとばつが悪そうにしている。
「どうした?」
もじもじしている原因は分からないが、なにか気がついたことでもあったのかと確認する。
「すみません。実は……今の術式……火力部分をちょっといじってました……」
「なにぃっ!?」
慌てて、先程の術式を再現する。
確かに火力の部分と発動範囲部分が高火力にいじられている。
先程確認した際は魔力供給に関する記述のみ確認してそれ以外は確認していなかった。
――私のミスだ。
術式に変更を加えたのなら、それ以外のところで変わってしまっている部分が無いか確認するのが当然だ。今回は意図的な変更であったが、ともすれば意識せずに致命的な問題が生まれていた可能性もある。
「なぜ、そんな真似をしたんだ?」
しかし、変更自体を認識しながらわざわざ変更する理由が分からず、あくまで責めるニュアンスにならないように、努めて冷静に尋ねる。
「いえ。なんとなく、少し強めにした方が、発動しやすいかなと思ってしまいまして……ほ、ほら目標を持つ時は大きく持っておいた方が、結果的に目標には届かなくても良い結果になるというじゃないですか……?」
「術式を構築するときはそんなどんぶり勘定をしては駄目だぞ……」
「すみません……あと、どうせならちょっと派手なのを見たかったのも……」
この子、まさかそっちが本音か!?
まじめ一辺倒な少女かと思っていたが、案外おちゃめなところがあるのかもしれない。
……いいや、まて、十四歳程度の少女だという事を考えればそれも仕方ない。
日本でいえば、まだ中学生。子供だ。
少しくらいふざけて悪戯することがあっても、目くじらを立てる必要もあるまい。
「今回は点火だったから問題なかったが、危ないから、次からそういう事をするときは事前に声かけをしてくれ……」
「……はい」
一応形式上、注意だけはしておく。
本人も反省しているようだし、これくらいで大丈夫だろう。
だが、これで魔法を発動できないのは、魔力関連が原因である可能性が非常に高くなったわけだ。
ラリカを瞳の力を使って見つめると、死に至るのも納得できるほどの魔力が体内に渦巻いているのが見て取れる。魔力容量としては十分だ。
一体何が原因なのか。
もしや、魔力の流し込み方が原因か……?
「ラリカ。この術式に魔力を流してみてくれ。接続さえしてもらえれば、自動で魔力が流れ込むはずだ」
今度は、私が術式を展開する。術式の記述を、今回は魔力の供給元を『外部』にして、流し込みは自動にするように記述を追加した。
丁度、先ほど無駄と言われた造りだ。
「え……? 分かりました」
そういって、ラリカは疑問符を浮かべながらも、私の構築した術式に接続して、魔力を流し込む準備をする。
術式が力を持ち、輝きを放つと、ラリカからの魔力が流れ込み始める。
予想はしていたが、その瞬間から、術式は崩れ去り始めた。
「ああ……!」
光を失って消え去っていく魔法陣を見ながら、ラリカが悲痛な声をあげる。
やはり、先程の成功の後での失敗は少し堪えたようだ。
成功のあとは期待値が上がってしまうのも仕方がない。
「ふむ……やはりこれでも崩壊するか……となると、あとは魔力の質……か?」
「魔力の質ですか? そんなものがあるのですか?」
「いや、私も分からん。少なくとも私が見る限り、全く同じように見えているからな」
「そうですか……ある意味、術式が構築できていないというより原因が分からなくなりましたね。集中できていないだけなら、頑張って集中すればいいと思えるのですが……」
「そうだな。ただ、状況が分からない中で、ラリカは良く頑張っているよ」
「ふふ、有難うございます」
その後も、ラリカには様々な魔法を使ってもらった。
ラリカは何度となく魔法発動に挑戦している。
私は、瞳の力を使って、魔力の違いを見極めようと、術式に流れ込む魔力をじっくり見ているが、なにが問題なのか、私との違いがさっぱりわからない。
空気中に漂う光の粒と同じような光が術式に流れ込んでは術式が崩壊するだけだ。
ラリカの魔力はほんの少しは減っているのだろうが、流し込みができていないため消費量としては見てとれるほどではない。
それでも、魔法を使うたび、ゆっくりと大きく深呼吸するように、大気中から光の粒がきらきらとラリカに集まる姿はとても幻想的――
ん?
気がついた。
たった一つの、しかし決定的な魔力の違い。
「ラリカ!!ちょっと待――」
――そう、私が言いかけた時だった。
カンカンカンッ!! カンカンカンッ!!
一所で鳴り始めた鐘に呼応するように、町中の鐘が独特の不穏なリズムで鳴り始めた――