第一一話「ミルマルなのに」
「――ミルマルがしゃべったぁ!?」
その夜の食卓にて、私がしゃべるミルマルだということが両親に発表された。
しかし、案の定というべきか、ご両親はかわいそうな娘を見る顔でラリカのことを見つめている。
死期の近づいた娘が、ついに夢見がちなことを言い出したとでも思ったのだろうか。
「いえ、そんな顔をしないでください。ほんとですから」
まったく信じていない両親の様子に、ラリカの声の温度は低い。
「そうかそうか。……そうかそうか」
「明らかに信じていないのに何度も肯定しないでください」
「そうか」
「一回なら良いという意味じゃないです」
「おお! 本当だねっ! ラリカ!! お父さんにも、さっきからくろみゃーが『こんにちはー』っていっているのが、聞こえるよっ!! 疑って悪かったね!! この通りだよ!!」
がばっと頭を下げ明らかなオーバーリアクションを取ると、ラリカの父上のヤズルがそんなことを言い出した。
……一応、言っておくが、私は一言も発してなどいない。
ヤズルの言葉は、傍目に見ていても馬鹿にしているように聞こえ、端的に言って非常にうざったい。
だが、実にところ、ヤズルの様子にラリカをからかう意図は見受けられず、どちらかというと無駄にシリアスで痛々しい苦悩が滲み出ていた。
「いえ、さっきからくろみゃーは一言も話してません。そんな無理やり話を合わせようとしないでください」
「いやいや、ちゃんと聞こえてるよー? ほーら、ラリカもちゃんとお耳を澄ませてみるんだ!」
「いえ……ほんとにもう……もう、それでいいです」
ラリカがげんなりとした顔をしている。
話を合わせようと必死な父の様子に、説明するのが面倒になったようだ。
なるほど。ラリカを煙に巻くときはこんな感じで適当な感じで対応しておくのがよいらしい。
一つラリカの扱いに詳しくなったが、このままではいつまでたっても話が進みそうにない。
「――はじめまして……と言えばよいのか。くろみゃーだ。よろしくお願いする」
ヤズルの方をきりりと見つめ、挨拶をした。
目指せ美猫ならぬ美ミルマル。
「……ッ?」「まぁまぁ!!」
絶句とはまさしくこの状態をいうのだろう。
ヤズルは口をあんぐりと開けてかたまっている。
リヴィダはマイペースな反応だが、驚いている事に違いはなさそうだ。
「やはり、信じていなかったではないですか……」
「待ちなさい。ラリカ。いまくろみゃーがしゃべったように聞こえたけど、気のせいかな?」
焦った様子でヤズルが詰問する。
「気のせいなんかではありませんよ。さっきから何度もくろみゃーが話すようになったと言っているでしょう? あ、腹話術でもないですよ」
「……すみません」
本当に娘に弱いな。この父親。
「まあ、いいでしょう。明日、父さんの分のノルンは無いと思ってください」
「そ、それだけは勘弁!」
ヤズルは、ラリカの言葉に下げた頭を跳ね上げた。
「分かりました。では一週間飲酒禁止です。私は大層傷つきました」
「疑って本当に悪かったよ! 今度ラリカが欲しがっていたリリクの花を採ってきてあげるから」
「ん……良いでしょう。手を打ちます。たくさん採ってきてくださいね!」
「ああ……」
完全に私の事を置き去りにして娘と盛り上がっている。
猫がしゃべるというのは、なかなかのショッキングな出来事だと思うのだが、ファンタジーな世界ではそんな事も無いのか?
しかも、またお互い親指を人差し指で抑え込んで左右に振りあっていた。
仲直りの合図か何かなのだろうか。
「よろしいか?」
「ああ、さっきからごめんよ。話せるようになったんだね。話せる生き物なんて、『アンコウさん家の白ミルマル』とかでしか聞いたことないからね。信じられなかったよ」
「いや、問題ない。確かに娘が、ミルマルがしゃべったなどと妄言を言いだせば、先に娘の精神の心配をするのが親として当然だ」
「ははは……はあ、ありがとう」
誤魔化すような笑い声に覇気が無い。
リリクというのが、なにやらわからないが、どうやら中々苦労する物を頼まれたようだ。
「……まったく、失礼な話です」
「申し訳ない」
「いや、くろみゃーくん。君に落ち度はまったくないよ。君に謝られると、またラリカに怒られてしまうよ」
「そうですね。今回の件は全面的に父さんが悪いです」
「悪かったね」
そういって、ウィンクしながら申し訳なさそうにこちらに謝る姿は端正な顔立ちと相まって、非常に往年のハリウッド男優のようにキマっている。
全く、このヘタレた様子さえ見せなければ、格好良い父親だと思うのだが。
……少なくとも、私のチャランポランな父よりはよほど良い。
いや、そう考えてみればこれくらいの方が逆に良いのかもしれん。
「――ラリカや御両親に拾ってもらって、本当に感謝している」
……ラリカといる間は、自信過剰で尊大な、昔の自分に戻ると決めた。
だから口調は変えない。でも、とりあえず、礼儀としてお礼は言わなくてはならないだろう。
この優しい家族がいなければ、あのまま森で動けず行き倒れていた事だろうし。
「いや、私たちは何もしていないよ。ほんとうに……」
「それでも、私を置いてくれたからな」
「ラリカが怖いからね」
おどけたように肩をすくめながら、冗談めいた事を言う。
「父さん……! どう言う意味ですか!?」
「はい。ごめんなさい」
「ごめんなさいではありません。意味を聞いているのです」
「ごめんなさい」
なるほど。ラリカが怖いというのは良くわかる。
特にニコニコしながら言っているあたりが特に怖い。
創作ではニコニコしながら怒っている表現があるが、実際に遭遇すると本当に怖い。
実のところ昔から女の子は時々こんな顔をするから、どうしても恐ろしさが拭えないのだ。
今までの人生、こんな笑顔を見せる女性に勝てた試しがない。
「ラリカちゃん、ミルマルが話し出したことは領主様にお伝えしたの?」
流れを断ち切る様に、先程まで黙っていたリヴィダがラリカに領主への報告の有無を確認した。
「いえ、今日はそれどころではなかったので、レクスには伝えていません」
ラリカはそれに対して少しばつが悪そうに返答する。
領主はレクスというらしい。
「あら、それは良くないわね。伝説の再来なんですもの、きっと領主様もお話を聞きたがるわ」
「そうですね。では、明日報告にレクスのところに行ってきます」
「――領主様なら、留守にしてるよ」
話を聞いていたヤズルが、苦笑しながらラリカに伝える。
「留守ですか?」
「そうだ。今日の夕方アシュスに向かって出立された」
「ああ、先日の目方を文字通り水増ししたバイドイの件ですね。最近どうもアシュスからの品の品質低下が目に余りますから」
「そうなのかい?」
「ええ。まだ、外部には漏れないようにしてますが、近々職人ギルドでも取り上げようとしていたところなんです。さすがレクス。対応が早いです」
「なるほど。ミギュルスが目撃された件で、出発を遅らせたらしいんだけどね……」
「そういえば、その件はどうなっているのですか?」
ミギュルスといえば、初日に門番との会話に出てきた魔獣とやらだ。
しばらく話題に上っていないのですっかり忘れていた。
「ここ何日か、冒険者ギルドと、うちからも人をだして、森を調べているが、ミギュルスの形跡は一切見つかっていないよ。代わりにティギュリスが見つかったから、十中八九見間違いだろうね」
「そうですか。それはなによりです」
「とはいえ、領主様は随分気にされてたようで、出立の朝に私のところまで来て『宜しく頼む』と仰っていたよ」
「まあ、ミギュルスなんて出たら、領主の『槍』でも使わないとどうしようもないですからね」
「そうだな。情けない話だ」
「まあ、レクスが槍を使えば倒せる予測ができる分、他の町よりよほどマシでしょう。普通の町なら滅ぼされて終わりです」
「そのあたりは、腐っても『リベス』の街だからね」
「『国相手に戦争ができる街』リベスですか……」
「そういう意味じゃないんだけどね……」
なにやら、戦争だとか不穏当な話が出ている。
それはさておいても、どうやら、領主は随分と達者な槍の使い手のようだ。
領主と聞くと、肥え太った貴族のイメージがあるが、この街の領主は即断即決を旨とする武人肌の人物らしい。
勝手な想像ではあるが、なんとなく、全身、筋肉で覆われたようなひげ面のオジサンを想像した。
――その後も、親子の仲の良い掛け合いなのか、腹黒い会話なのか良くわからない会話を繰り広げながら家族の団欒は続いた。
***
その夜も、ラリカに抱きかかえられ、一緒の毛布へと潜り込んだ。
今晩から寝るときは別々かなと考えていたが、なんというか、やはり話すミルマルという認識以上の何物でもないらしい。
考えてもみれば、自分の飼っている生物が話したところで、それで異性を認識している方が異様というものだ。
……役得。だいたいそんな感じで思っておこう。
「……くろみゃー、今日はありがとうございました」
うっすらと月明かりが部屋を照らし出す中、ラリカはそう切り出した。
わずか数センチの距離で、色白の肌が、光を照り返して妙に艶めかしい。
「こちらこそ、魔法を使うところまで持っていけなくてすまなかったな」
「いえ、昼間はああ言いましたが、魔法の使い方について、少しでも手がかりが入ったのですから、大きな前進ですよ」
「そうか。それはよかった。明日からも、よろしく頼む」
「ええ……本当に。あと少しですね」
「そうだな」
会話が途切れ、沈黙がおりる。
ジンジンと夜の沈黙が鼓膜を震わしてくる。
「……もし、間に合わなくてもくろみゃーは気にしてはだめですよ」
「……そんな事を言うものではないぞ」
ラリカのそっと呟いた縁起でもない言葉が、一瞬声を詰まらせたが、ラリカを窘めることにした。
「ふふ、分かりました」
きゅっと強く目をつぶると、ラリカは目を開けて、私をみつめ、優しく笑った。
「今日は、くろみゃーが話しだしたので、驚きました。まさか、こんな理屈っぽい子だとは思ってもみませんでしたし」
「――悪かったなッ! ……幻滅したか?」
話を変えるラリカに乗っかるように、フンっとふてくされたようにそっぽを向きながら問いかけると、ラリカがくすくすと笑う気配がした。
夜の雰囲気もあいまって、何とも言えずこそばゆい。
「いいえ。そんなことは決してありませんよ。ただ、もっと可愛らしい子かとは思っていましたが」
「……かわいくなくて悪かったなっ!」
「――ッあはは、訂正します。くろみゃーは十分可愛らしいです」
「まったく。それはそれで、うれしくないぞ」
「どっちですか……」
「男心は複雑なものなのだよ」
「……ミルマルなのにですか?」
「ミルマルなのに。だ」
真面目なトーンでの馬鹿なやり取りに、なんだか無性におかしくなって、どちらからともなく噴出した。
……猫のような謎の生物にだって、性別があるのなら男心の一つだって持っていてもかまわないだろう。
なあに、きっとそうさ。
「……ねえ? くろみゃー、私はずっと世界を見てみたかったのですよ」
突然、修学旅行の夜のような先ほどまでの声音と打ってかわり、しんみりとそんな事を言い出した。
「世界、か……」
「ええ。世界です。小さなころ、旅をしているという魔法使いに会った事があるのです。歳の近いお姉さんだったのですけど、仲間たちと色々な地域を旅したお話をしてくれました」
そういって、目をつぶると述懐が始まった。
「夜の砂漠で仲間とたき火を囲んで歌って踊った話。仲間と一緒に雪原の中遭難しかかって、偶然見つけた洞窟で身を寄せ合いながら暖を取った話。王都の近くの湖で星の中を泳いだ話――どれもとてもとても楽しそうでした」
謡うように語る姿は、本当に冒険の話が楽しかったのだろう。
年相応に、冒険譚に心躍らせる少女がそこにいた。
「話だけ聞いていると、どれも大変そうだが」
「……ええ、ふふ、そうですね。多分、体験した本人にとっては大変なことも多かっただろうなとおもいます」
からかう私に、ラリカも肩をすくめながら同意する。
「でもね、街から街へと渡り歩く吟遊詩人のように、口が立つような方ではありませんでしたが、とても大切そうに語ってたのです。……聞いている私まで温かい気持ちになったんです。だから、それからも、その話が忘れられなくて、いろんな詩人が語る物語を聞いて来ましたが、あのお話を超えるものには出会えていません」
「くっく……それは、吟遊詩人たちからすればたまったものではないな。……確かに、本人が体験したことだ、その分思い入れも強くなるだろうからな」
確かに、日本に比べて娯楽も少なく余暇時間もあまりないだろうこんな世界では、外の世界というのはどうしようもなく、心惹かれるのかもしれない。
私も、海外に行ったとき、現地の人間からよく土産話をせがまれた。
『日本とはどんな国ですか?』とか、『日本は幸せに溢れている国だと聞いています』などと聞かれて、応えに窮したことも一度や二度ではない。
ただ、得てして外部に憧れを持っている人が多い地方であっても、その地域内で娯楽なり、生活の知恵を発揮してたくましく生きている小器用な人の方が多いと思う。
だから、どっちがいいとは断言できない。
だが、世界に対して好奇心を持ち、大きく羽ばたいていく人間が多数存在するのは確かだ。
世界を見る事で絶望するのも、後悔するのも、それらを経験しなければどうなることかわからないのだから。
「旅に出るのは難しいのか?」
「まともな方法では面倒なことが多いですね。それこそ、魔法使いであれば、大した魔力がなくても魔力供給源として花の都、王都に呼ばれるのでその道中は旅できますが、それ以外はなかなか……優秀な魔法使いは三~五年ごとに二カ所ほど、各地の守護隊を回って経験を積んで王都に戻るという出世コースがありますね。それに魔法使い以前に、私にだって立場があります」
「はは。『立場』とは、子供が何を言ってるんだ。では、その前に出会った魔法使いというのは、出世コースの人間だったのだな」
『立場』などと、一丁前の大人のような事を言い出す少女に思わず笑ってしまう。
「ああ、多分あの方は違いますね。おそらく流しの魔法使いだと思います」
「『流し』もいるのか?」
「はい。まあ、流しの魔法使いというのは、実力が無ければ出来ませんし、生活すべて投げ打つ覚悟を持った方がなりますね」
「そうなのか」
「はい。他にも、行商人や冒険者になるという手もありますが……行商人は身元が不確かな存在で、お店を構えていたり、町の職人ギルドに参加している人間の方がやはり信頼されます。冒険者に至っては、職にありつけなかった方がなる仕事ですから、正直旅に出るくらい余力がある冒険者というのがどれくらいいるかは……オルティン級以上の冒険者は国軍に入る方がほとんどですし、ギルドからの指名発注の関係もありますから、なかなか自由もありませんし」
「……世知辛いな」
「ですね」
そういう顔は、さびしそうではあったが、目はきらきらと希望にあふれ、捨てられないまだ見ぬ地への憧憬を感じさせた。
「旅、してみたいか?」
それは確かに疑問形の質問だったが、きっとおそらく応えは分かり切っていた。
「ええ。私は旅に出てみたかったのです」
先ほどまでの少女らしい憧憬はどこかに置いて、枯れてあきらめてしまったような声だった。
「『出てみたかった』ではない。『出ます』が正解だ。これからいくらでも時間はあるのだからな」
そんなラリカを見ていられなくて、おどけた調子で訂正した。
「ああ、そうですね。出ましょうか」
スッと吐息を漏らすように小さく笑うと、彼女は私の言葉に同意した。
「そうだな」
だから、ことさら偉そうに、ふてぶてしく私は返すのだった。
「もし、魔法が使えるようになって、この町から出る事があれば、くろみゃーは付いてきてくれますか?」
思い出したかのように、期待と不安をにじませた声音だった。
「無論だ。私の飼い主はラリカなのだからな」
馬鹿な質問をする御主人に、私はごくごく当たり前の返事を返した。