第三十四話「くろみゃーVSミルマル……?」
――無数の、色彩豊かにぎらぎらと輝く瞳が……こちらを見つめている。
ひねくれた樹木の影から覗く『ソレ』は、見慣れぬ異邦の者を見つめる――獣の視線だ。
何者が来たのか。これは如何なる者か。
値踏みするような好奇の視線に晒されていた。
決して、なにか言葉が交わされる事は無い。
だが、あえてその視線を言葉にするのなら――
『なんかきたにゃー』
『アイツだれにゃー?』
――恐らく、こんな感じだろう。
***
「――フィディアは……昔からミルマルに目が無くて……」
――セトの口から告げられたのは、フィディアの意外な趣味だった。
どうやら、フィディアは辛いことがあったとき、ユーニラミア教会が保護しているミルマル達を集めた部屋に行くらしい。
そして、一人ミルマルを夜が明けるまで愛でて、ストレスを発散しているようなのだ。
――確かに、ミルマル……というより、『猫』は愛らしいが……
それにしても少々寂しい趣味に過ぎるのでは無いだろうか。
この世界へとやってくる直前。
久方ぶりに訪問した郷里で、黒猫相手に話しかけていた自分を棚上げしてそんな事を考えた。
「――ユウ=エk……シス。……もし、フィディアがミルマルと戯れているところに行き会ったら……そっとして上げて……下さい……」
そう言って、セトは引き攣った無理矢理浮かべたような笑みを浮かべていた。
その笑みに、なんとなく事情を察した私はただ『ああ』とだけ返した。
――ただ、もし本当に今日もミルマルとの密会を行うのであれば、見に行こうとは思った。
セトの話が本当なら、ミルマルであるこの身は、フィディアの人となりを知るに便利に違いない。
私がラリカのミルマルだということは気づかれるかも知れないが、まさか私が人語を解するとは夢にも思わないだろう。
だから、ミルマルとして近づいて、フィディアが本当にラリカの事を憎からず思っているのか。
その判断をすることとしよう。
――幸い、というべきだろうか?
上手くセトから、ミルマル達が住まうエクザ達の居所を聞き出す事が出来た。
自然に聞き出すのはどうすれば良いか、頭を悩ませていると、セトの方から話題を振ってきたのだ。
恐らく、昨日の外の話の御礼に、自分の知っている観光名所の話でもしてみようと考えたのだろう。さほど苦労することなくセトは語って――
……ん?
――また一瞬、なにかが引っかかるのを感じた。
思いかえすうちに、何かが喉に刺さった小骨のように引っかかっている。
しかし、それがなんなのかが分からない。
しばらく考えてみるが思い当たらず、仕方なしに周囲からこちらを見つめるミルマル達の視線に急かされるように道を進んでいった。
セトの言葉に従って進んできた、『ミルマルの生活する場所』として区切られた場所は、『部屋』等では無く、完全に一つの建物だった。
下手をすれば……この建物だけでリベスの教会より巨大かも知れない。
しかして、ユーニラミア教会の奥に、ひっそりと建造されていたその建物は、外観からして、他の建物とは一線を画していた。
――一体、如何なる技術が用いられているのか。
まるで、巨大な樹木に飲み込まれているかのように、樹木と建物が融合を果たしていたのだ。
月明かりを背景に、巨大な樹木の中に巨石が積み上げられた壁面が所々に見えている。
巨大な青々とした幅広の葉が所々から顔を覗かせている。
その根元に、決してミルマルの力では開きそうに無い、巨大な扉があった。
いつぞやラリカに見せたように、ちょっとした部屋の扉くらいなら、自分の力で開くことができるが、流石にこれは無理だと判断した私は、魔法で無理矢理扉を開けて建物内に侵入した。
そして建物内に一歩踏み込んだ瞬間。
冒頭の視線に晒された訳である。
――しかし、本当に呆れるほど異常なミルマルの数だ。
この世界に来て、初めて見かける自分以外のミルマルは、見た目は私の知る『猫』にそっくりである。
一匹連れ出して、日本に持ち帰ってもだれも『猫では無い』などと気がつかないだろう。
近所の猫に紛れてしまえば、もはや探し出すことさえ出来ないかも知れない。
そんなミルマル達は、壁面の極太の蔦のような形をした植物の上で、じっとこちらを見つめていた。
そこは、天然のミルマル達の遊び道具になっているのか、びっしりと蔦の上に無数のミルマルがひしめき合っている。
もはや、個別の『ミルマル』ではなく、群体としてのミルマルがそこには存在しているように思えた。
そして、それらに見つめられる私はと言えば。
一部のミルマル達からの、好奇の視線以上の……ある種の殺気に似たものさえ感じていた。
――下手をすれば、これは襲われかねんな……
辺りには、治安の悪いスラム街を歩くときのような緊張感が漂っていた。
……流石に、獣の体になったものの、理性無き獣共の相手を仕るつもりは無い。
――それに、夜が明けてしまっては、またラリカが心配するかもしれんからな。
……そんな事を考えてしまったのが、失敗だったのか……
『隙を見つけた!』とばかりに、一匹の――茶色と黒の入り交じった、キジ猫のような色をしたミルマルがこちらに向かって飛び出してきた――ッ!
――いかんっ!
ぐっと四肢に力を込めてその場を横に向かって飛び退く。
すると、先ほどまで自分の居た場所に、爪を立てるミルマルが降り立った。
――背中に、ぞわっとした感覚が広がる。
予感に従って、振り返るよりも早く前に向かって飛ぶ。
――ガリッ!
硬質な何かが背後で激しく噛み合うような音が聞こえた。
ふわりっとした浮遊感を感じながら、空中で前転するように体をひねり、後ろを振り返ると――今度は茶トラの猫が私の居た場所に爪を立てていた。
――そうするうちに、今度は始めに飛びかかってきた『キジ』が視界の端で身を沈め、こちらに向かって飛び上がってくる。
慌てて、飛び退いた先の壁に足をつき、方向を変えて廊下の奥に向かって――飛ぶ。
――グンッと加速した視界に、月明かりを受けた葉のきらめきが軌跡を残した。
「ええいっ! ……うっとうしい!」
そのままの勢いで、暖かみを感じる樹と冷たい石が入り乱れる、極めて人が歩くには適さない廊下を、『ミルマル』としての体を生かして駆けだした。
――背後で、無数の『ナニモノカ』が動き出した気配がした。
チラッと後ろを振り返ってみる。
アメーバのように変幻自在に形を変える、無数の毛むくじゃらの集団が――居た。
……ハーメルンの笛吹きという言葉が浮かんだ。
とっさに、魔法で吹き飛ばそうかと術式を起動しかけるが、まさかこんな場所で魔法を使って小動物を虐める訳にもいかない。
「――おお……っ、南無三……これは――難儀だな……」
***
……どうやら、なんとかあのミルマルの群れを巻くことには成功したらしい。
「っ、ふぅ……やれやれ……だ」
取りあえず背後を振り返り、走りながらため息をついた。
全力疾走したせいで、乱れた息を整える。
――まったく、随分夜の建物をミルマルの集団を引き連れ走り回ったものである。
落ち着いて見回してみれば、周りにいるミルマル達も、点々と廊下の所々に点在するほどで、入り口近くのように密集している事は無い。
――もしや、あそこに群れていたのは、餌でも待ち構えているのか?
そう、勝手な予想を立てるが、それでもやはり、周りのミルマル達の視線が、こちらにじっと向けられていることに違いは無い。
また、隙を見せれば――一所で止まっては。
襲いかかってきそうな予感がした。
――ひとまず、フィディアが居る場所を見つけなくてはな……
灯りひとつ無い暗闇の中。
聴覚に神経を傾け、四肢を動かしながら疾駆を続けた。
過敏になった聴覚に、無数の獣が放つ息づかいが聞こえる。
時々、何らかの意思表示なのか、『ミァ、フアッ!』などと鳴き声も聞こえていた。
「――、―ぁ―、」
その奥に、微かに何者か、確かに人が放つ声が聞こえた。
――どうやら、この近くにフィディアが居るらしい。
声を頼りに進んでいくと、ひとつのドアがちょうどミルマル一匹通れるほど開けられているのが見えた。
ドアの隙間から、灯りが漏れ出している。
――そっと、音を立てないように部屋の中を覗き込んだ。
月明かりしか無い部屋の中を、魔道具らしい鉱石が放つ、人工的なぼんやりとした灯りが照らし出していた。
そこには……
「……みあー、ミァー……」
――酷く生気の無い、虚ろに遠い目をした金髪の少女が居た。
ぼうっとどこかを見つめながら、何匹か室内にいるミルマルに向かって、手に握った紐を機械的に振り続けている。
……見ている間にも、二度、三度と、手に持った細長い白布の先に結び目を作ったらしい紐を、ミルマル達の前に放り投げては引き寄せてを繰り返していた。
微妙につり上がった口からは、時々調子の外れたミルマルの鳴き真似が、ぼそぼそとした様子で漏れ出している。
――怖っ……
……フィディアの見た目は、決して悪くは無い。
だが、そんな少女が薄暗い廃墟のような建物の中で、魂を抜かれたように右手を振り上げ――振り下ろし……。
――異様としか言えない光景だった。
正直、もし街中でこんな人物に出会えば、あまりお近づきになりたくない。
――ただ、まあ……今日は今後のラリカの事もある。近づいてみなければならないだろう……
渋々……本当に渋々ではあったが、ミルマルが通りやすいように開けられていたらしい扉に身を滑り込ませた。
――微かに体毛と触れた扉が、キシと小さな音を立てる。
瞬間、それまで、魂の抜けたようにただ右手を上下に振り続けていたフィディアが、ぴくりと慌てたように視線をこちらに向けた。
「だ、誰かしら!?」
とっさに取り繕った、真面目な表情を浮かべたフィディアは。
――とても今しがたまで、魂をどこかに置き忘れたように不気味な笑いを浮かべていたようには見えない。
「――あら、新しい子……?」
しかし、紫がかった瞳が私の事を視界に捉えると、すぐにその表情はにへらとだらしなく緩んだ。
両手を広げととっとこちらに向かって寄ってくる。
……コレに捕獲されるのか……
――若干の抵抗があるな……
先ほど扉の隙間から盗み見た姿を思いかえしながら、その場で立ち止まってやってくるフィディアを見つめていると、『あと少し』という距離でフィディアがぴたりと足を止めた。
「……あなた……ラリカ=ヴェニシエスと一緒にいる子じゃないの……?――ッ、ラリカ=ヴェニシエスが来ているのっ!?」
――気がつかれたか。
どうやら、流石に私がラリカのミルマルだという事に気がついたらしい。
フィディアは警戒するように、周囲をきょろきょろと見回した。
色素の薄い金髪が、フィディアが持ってきたらしい小さな灯りを受けて左右に大きくたなびいている。
……だが、そもそもラリカがこんな場所に居るはずもない。
いくら待てども、それらしい人影も、物音もない事に気がついたフィディアが、恐る恐るといった調子で私に向かって近づいてきた――