第二十八話「ちょっと格好良い」
「……ん。くろみゃー。――ちゃんと分かったのなら……良いのです」
ラリカは、しばらく私の事を強く抱きしめていたが、やがて落ち着きを取り戻したように、子供に言い聞かせるような口調で囁いた。
私に向かってにっと大きく笑ったラリカが、少し困ったように眉を寄せ、胸元で見上げる私の頭を優しく撫でた。
先ほどの、行き場のない感情を込めたような、荒い手つきでは無く、ただ優しくそっと触れるような手つきである。
「……お前は、本当によく分からないミルマルですね。――ええ。それでも、お前から見て。私は……まだ……頼りないかもしれませんが、こんな私でも、一応お前の主人なのです。……困ったら、ちゃんと相談するのですよ?」
「あ、ああ……」
……『相談しろ』そう、言いながらも。
――自分自身の力のなさを実感してしまっているからだろう。
どこか迷いながら、言葉を選びながら。
ラリカは、私の事を気遣って、言葉を続けていく。
「……情けないところも、たくさん見られていますが……。――ちゃんと格好良いところも見せてあげますから」
そう、締めながら――どこか切なそうな。
――しかし、決意を示すような。
手を握りしめながら口の端を吊り上げ、笑ってみせるラリカは……愛おしいほどに健気で。
――同時に十分に格好良かった。
……なんとなく、『ヴェニシエス』としてのラリカではなく。
ただ、『ラリカ』として接していたらしきリベスの町でも、人々から尊敬されていた理由が分かった気がした。
「――そうか……」
思わず、言葉が出ずに短く呟いた私の言葉に、ラリカは巫山戯るように、不満そうに唇を突き出した。
「『そうか』とはなんですかッ!……むぅ、その様子では、この子は、まったく信じていませんね!?」
「……いや」
――だから。
そんなラリカの勘違いを正すために、私は思ったままの事を口にする。
「――今、この瞬間に、すでに格好良い所を見せられているからな……なんと応えれば良いのか分からなかったのだ……」
「――っ、もうっ」
……途端、ラリカは見る間に頬を赤くした。
そのまま、照れ隠しなのか、私の頭をくしゃくしゃと丸めるようになで回す。
――とはいえ、神に関する事は、話せばラリカに危険が及ぶかも知れないと言われている。
詳細が分かるまでは、うかうかと話す訳にはいかないだろう。
……ただ、それでも、長く、深く、沈んで、溶けて。――何物かも分からなくなっているような。
そんな澱が、少しだけ軽くなった気がした。
……ああ。そうだ。
――少しだけ、クリアになった思考で考えた。
結局の所、なにも変わらないのだ。
……いくら雪華が英雄であっても、あの時一緒に過ごした思い出は変わらない。
レシェルやフィック。――共に、かつて雪華と同じ時代を生きたアイツの話はどうだった?
そこにあったのは『俺』の知っているのと変わらない。アイツの姿だったでは無いか。
――ならば、その後の行動になにか違和感があるだけなのだ。
だったら、アイツに関しては、その違和感の原因を探すだけだ。
――そして、今は。
こうして、自分自身が不安定な中を、私の事を気遣い鼓舞してくれる主人の手助けをしていれば良いのだ。
「――ラリカ」
「なっ、なんですかッ!?」
私が呼びかけると、それまで顔を赤くしていたラリカが、ビクリと肩をふるわせ、怒ったように応えた。
――別に、なにか特別な事を言う訳では無い。
ただ、伝えたいことが出来ただけだ。
だから、その一言を伝えるために、しっかりとラリカの顔を。
その赤い瞳を見つめる。
真っ正面から見つめたラリカの瞳が、動揺するように揺れながらこちらを見つめている。
「――ありがとう」
「~~、ッ!」
――瞬間、ガバッとラリカの胸に思いっきり頭を押しつけられた。
な、なにごとだ!?
内心、初めて出逢った時のように、窒息するのではないかという恐怖に、反射的にラリカの胸元に当てている前足に力を込めて、頭を離そうとする。
しかし、ラリカはイヤイヤをするようにがっちりと私の頭を抱え込んで離さない。
――そうするうち、その『意味』に気がついた。
……ラリカめ……自分の赤い顔を見せまいとしているな……
――気がついた、微笑ましい理由に前足に込めた力が抜けていく。
……息が詰まり、呼吸が出来ない。
だが、まあ、これくらい仕方有るまい。
――甘んじて、受け入れるとしようか。
「さ、さぁ! くろみゃー! 随分時間を取ってしまいました――さっさとユーニラミア教会に行って、レシェル=バトゥスの用事を済まさないといけませんね!」
やがて、まだ赤みが若干残る頬を冷ますように、片手でパタパタと扇ぎながら、ラリカは腰掛けていた岩から立ち上がった。
そして、もう一度『イシュベル=ナッハの戦跡』を見つめ、回れ右をして階段を降り始めた。
私は、乗せ直された肩の上で、もう一度小さく雪華が刻んだという歴史の後を振り返った。
真っ白な白波が、打ち寄せる岸壁を見つめ目に焼き付けると、すぐ近くにある微かに赤いラリカの耳に口を近づた。
「――そうだな。行くか」
***
「そういえば、ユルキファナミアが元々はユーニラミア教会の人間だと言っていたのだったか?」
教会に近づいて行く人混みに紛れながら歩くラリカの肩の上で、私はこっそりと小声で話しかけた。
随分多数の人々が行き交っているが、幸い、雑踏に紛れているお陰で、小声でなら周りに気を遣う必要無しに話しかける事が出来る。
周囲を歩く人々は、次々と正面にある巨大な建造物群へと吸い込まれていく。
どうやら、ユルキファナミア教会に入っていったときは、明らかに正規の入り口では無いところから入っていた為、厳重な確認があったが、今はまだ一般的に開かれている場所らしく、ここに入るのに審査などは無いようだった。
恐らく、公開されている場所より奥に入っていこうとする時に、初めて身元確認がなされることになるのだろう。
「ええ。その通りです。つまり、神代の後期にはすでにユーニラミア教会は教会組織として存在していたという事ですね」
それで先ほどの話の中で『ユーニラミア教会防衛戦。後世で言うところの~』などと行っていた訳だ。
おそらく、その時代ユーニラミア教会のみが教会として存在していただけで、『聖国』とよばれる国がまだ存在しなかったというところか。
「……なるほど。旧い神のユーニラミア。ユルキファナミアはもっとも新しい神だったな」
「ええ……あ、ほらっ! 見て下さいっ!」
ユーニラミア教会に踏み入れてすぐ、ラリカが多くの人々が立ち止まっている場所で、天井近くを指さした。
さっきの話で、多少は収まりがついたのか、その声はなかなかに上機嫌に弾んでいる
そんなラリカに当てられてか――私まで気分が弾んでいた。
ラリカが小さな指を伸ばす先を追っていくと、そこには曼荼羅のようにびっしりと細かく無数の人物が描かれていた。
その中心には、一際大きく、不動明王の様に炎を背負った人影と、真っ白な女性が描かれている。
「――あれが、神々を示したもっとも有名な絵画ですね。昔は、もっと奥の建物に描かれていたのですが、より多くの信徒が見ることが出来るように、こんな風に入り口の近くに丸ごと移動されたのです! ……もちろんっ、これだけ大きな壁画ですからね! 丸ごと移動させると言っても、非常に難事業だったと言われていますよ? ――今から遠い遠い昔に、多くの人の技術と労力によって成されたと思うと、感慨深い物がありませんか?」
ラリカが、今度は赤くなった頬も、興奮に弾んだ声も隠す様子も無く。
ただ熱を込めて饒舌に語っている。
どうやら、私に解説しようとして、目の前に存在する長い歴史のロマンに飲まれたようだ。
相変わらずこういうことにはとことん脱線していくラリカの性格に、思わず苦笑が浮かんだ。
「――確かに。いつの時代も、何処の世界も……人の技と歴史の重さには、いつも圧倒されるものだな」
「そうでしょう。そうでしょうっ! ――まったく、さっきの神に対する浪漫と良い、人様の営みへの敬意と良い。そういう所はよく分かっている良い子ですね! ――ほら、中央のユーニラミアの隣に、ユルキファナミアが描かれているでしょう?」
しれっと、興奮したラリカが、照れ隠しなのか同好の士に対する思いなのか、僅かに毒の混じった憎まれ口のような説明をしながら、ラリカが示す先を見てみる。
曼荼羅のような壁画の中央付近を、唐草文様がユルキファナミアとユーニラミアらしき人物を特別扱いするように囲い込んでいる。
……それは確かに二人を特別視しての物のはずだ。
だが、私にはなんとなく、二人が蔦の牢獄に捕らえられているようにも見えた。
「神様というのは、これらすべてを含めた言葉になる訳ですね。私もヴェニシエスになるにあたって、これらすべてを覚えなくてはいけなかったのですが……まあ、大変でしたね……」
壁画を見つめながら、抱いた不謹慎な想像を他所に、ラリカはなにか嫌な事でも思いだしたかの用にこめかみに手を当てながら、ふふふ……とどこか暗い笑みを浮かべた。
……確かに、巨大な壁面を覆い尽くすように描かれた無数の人物をすべて覚えるとなると、それは相当に難事に違いない。
だが、こういうものを覚えるとなれば、嬉々しながら本に向かっていきそうなラリカが『大変だった』というからには、相当な――
「……何が大変かと言えば、クロエ婆がリベスの町に信徒の居ない神を曖昧に覚えていたのが一番大変でしたが……」
私が内心、ラリカの苦労を考えて、想像を絶する難事業だったのだろうと感嘆していると、呪詛のような声でラリカが呟いた。
――苦労したのはそれが原因かっ!?
……触らぬ神に祟りなし。
さっきまでの興奮はどこへやら。
一転して、あまり見ることのない昏い笑み浮かべるラリカを刺激しないよう。
私はその事には触れないことに決めた。
ただ、心の中でクロエに対する評価を少しだけ冷めた物にする。
「――この先にも、色々な壁画があるのですが……先にレシェル=バトゥスから言われたお使いを済ませてしまいましょうね。……フィディア=ヴェニシエスにもお会いしたいですし」
ラリカは、気持ちを切り替えるように大きく息を吐き出すと、殊更明るい声でそう言い出した。
――どうやら、フィディアとの関わり方に悩みながらも、やはり積極的に関わることに決めたらしい。
やはりどうしても緊張しているのか、少し顔は強張っているようだ。
だが、特に酷すぎるほどに肩肘が張っているようにも見えない。
――この様子なら、あまり心配する必要は無さそうか。
「そうだな。頼まれごとはさっさと処理してしまうに限るだろう」
静かにラリカの様子を見定めると、静かに同意する。
「では、誰かにフィディア=ヴェニシエスの所に案内して貰うとしましょうか」
ラリカは胸の前でガッツポーズをするようにぐっと大きく力を込めて両手を握ると、少しだけ歩く速度を速めるのだった。
***
「……ああ、失礼します。――シス? 少々良いですか?」
少し歩いて周りを見回したラリカは、壁の辺りに立っている男性に目を付けた。
フィディアの着ていた服に似た装束を身に纏った、身長の高い優しげな面持ちの青年だ。
相手の位階が分からないためだろう。
ラリカは少し悩んだ末、『シス』と誰にでも使える敬称で声を掛ける。
男性は、一瞬周りを見回して、他に声が掛けられそうな人物が居ないことを確認すると、ラリカに向かって一歩近づいてきた。
「――はい。なんでしょうか?」
男性は呼びかけに応えながら、ラリカの事を頭の先からざっと視線を見回した。
そして、ラリカの持っている杖にはめ込まれた赤い石に目をとめると、すぐに驚愕したように目を見開いた。
「すみません。実は、フィディア=ヴェニシエスの元に届けたい書面があるのですが、どなたか取り次いで頂くことは出来ますか?」
「――失礼ですが、お名前をお聞きしても?」
ちらりと、周りの人々の目に触れないように気を遣いながら、レシェルから渡された書面を見せながら言うと、男性は表情を固くしながら問い返してくる。
どうやら、この男性はラリカの正体に薄々感づいているらしい。
「ああ。これはすみません。ユーニラミアのクロエ=ヴェネラがヴェニシエスのラリカです」
「――やはり、ユルキファナミアのっ! これは……、――これはっ、よくぞユーニラミア教会へ」
男性が、とっさにその場に跪きかけ、ラリカの首からファラスがかかっていない事を確認してすぐに思いとどまったようにその場で軽く頭を下げた。
ラリカも、軽く頭を下げながら、手に持った杖を軽く地面に三回打ち付けて返す。
ざわざわと行き交う周囲の人々も、どうやら関係者同士の話し合いが行われていると分かったのだろう。二人の周りを避けるように、半径1mほどの空間が広がっている。
「申し遅れました。私、聖国ユーニラミア教会にてサフィシエスを努めております、ミシェル=サフィシエスと申します。この度は、ラリカ=ヴェニシエスに拝謁出来ましたこと、誠に嬉しく思います」
「ユーニラミアのサフィシエスでしたか! ……これは、雑用のようなことを頼んでしまい、失礼なことをしてしまいましたね」
恭しく名乗るミシェルの言葉に、ラリカが少し慌てた様子で、少し茶目っ気を含めながらも畏まった。
恐らく、初め想定していたよりも位階が上だったというのだろう。
『サフィシエス』……何となく、語感的にはグルスト達サファビの下という感じだろうか?
いずれにせよ、二人の態度を見ていても、ラリカより上という事は無いはずだ。
「――なにを仰いますっ! むしろヴェニシエスが私にお声かけ下さって幸いでした……リオンのような位の低い者が応対したと有っては、ユーニラミア教会の恥で御座います」
「……そのようなことは無いでしょう? 私はそれでも全然気にしないのですが……」
恐縮するラリカの言葉を勢い込んで否定するミシェルに、ラリカが少ししゅんとした様子で答えた。
「いいえ。そのような訳には参りませんっ。――では、ヴェニシエスは、フィディア=ヴェニシエスに?」
しかし、ミシェルは意思の強そうな瞳でラリカの事を見つめて、きっぱりと否定する。
そして、真面目な表情のまま、ラリカの用件を確認するように問い掛けた。
「ええ。レシェル=バトゥスから書簡を一通預かってきているのです。出来れば、直接お渡し出来ればと。――ただ、あまり大仰にされるのは……」
ラリカが、今もちらちらとこちらに視線を向けてくる周りを見回すように、一度視線を走らせながら言うと、ミシェルもその視線を追うように周りを見回し――心得た様子で一つ頷いた。
「――なるほど。左様ですか。では、トーリに使う部屋にご案内いたします」
「――ああ。それは助かります」
ミシェルの提案に、ラリカはどこかほっとした様子だ。
『トーリ』というのがなんなのかは分からないが、ひとまず王都のように大げさな事にはならないようで一安心だ。
ミシェルが手近の壁に設けられた扉を柔らかく三度叩くと、どうやら扉の向こうで待機していたらしき職員が内側から扉を開いた。
何事かミシェルがその職員に伝えると、驚いたようにラリカの姿を確認した職員が、慌てた様子で踵を返し走り去っていく。
その後を引き継ぐように現われた別の男性が、扉を支えミシェルと私達を扉の内側へと招き入れた。
「――ああ、ありがとう。では、こちらへ」
ミシェルは、扉を支える男性を一言ねぎらうと、ラリカを先導するように石造りの廊下を歩き始める。
……ふむ。恐らくミシェルの方が位は高いだろうに、きちんと礼を言えるというのは良いことだ。
それ自体は、とても良いことだろう。
――ただ、なぜか。
私はそのミシェルの対応に、ざわっとした胸騒ぎを覚えた。