第二十七話「イシュベル=ナッハの戦跡」
「――そうですね……お前には、どこから説明してあげれば良いでしょう。まったく……本当にお前は人様の事は全然知りませんからね。せっかくミア様に興味を持ったのです。これを機に、もっともっとちゃんと勉強するのですよ?」
言葉の上では叱っているかのようなラリカの言葉だったが、普段説教している私への意趣返しのつもりなのか、その声は嬉しそうに、どこか楽しそうに弾んでいる。そんなラリカの声を聞きながら、遠くに見える雪華が削り出したという入り江を見つめた。
先ほどは『奇妙』と感じた石組みだったが、こうしてみてみれば、それはまさしく入り江を切り出すように築かれた窓――あるいは、額縁のような物だったのだと気がついた。
正面に立って見つめると、無骨な石によって切り抜かれた空間が、美しい一枚の絵画の様に雪華……ユルキファナミアが残したという『戦跡』を強調している。
「……くろみゃー?」
どこか、不安そうなラリカの声が聞こえ、私はすぐ左側にあるラリカの顔に視線を向けた。
みれば、つい今しがたまで楽しそうにしていたはずのラリカの表情に、どこか不安の色が滲んでいる。
「……ん? どうかしたか?」
「――お前こそ、どうかしたのですか?」
突然の変化に戸惑いながら聞くと、ラリカが深刻そうな声を上げた。
ラリカはそのまま、私をひょいとを肩の上から引きはがすと、自分と視線を合わせるように私を抱き上げ、覗き込んできた。
「……いつもなら、一言くらい言い返してくるでしょう? それがまったく無反応とは、どこか調子でも悪いのですか?」
――どうやら、私の反応が薄かったせいで、いつの間にか心配を掛けていたらしい。
心配そうに、眉をきゅっと寄せたラリカの顔がすぐ目の前にある。
――ラリカの赤い瞳を一瞬隠すように、海風に黒い髪が揺れた。
瞬間、髪の隙間から見えたラリカの表情が、泣きそうな子供のように見えてはっとする。
――いかん。こんな事では。こんな子供に、心配を掛けるとは。
……まだまだ、随分と精進が足りないようだ。
思っていた以上に、雪華の過去という事に動揺していたのかも知れない。
自分自身への自省と、そして自分自身のことで一杯一杯だろうに、しっかり人の心配はしている目の前の少女の事を思い、ふっと口元が緩んだ。
――確かに、雪華の事は大切だ。
だが、今、目の前で私の事を心配してくれている主人に心配を掛けるようなことは、避けなくてはならない。
だから、せめて心配を掛けないよう、なるべく皮肉気に聞こえるように気をつけながら、私は口を開いた。
「――ああ、すまない。ただ、太古の神が残した軌跡だと聞いてな。正直、少し胸が高鳴っただけだ。……随分、浪漫の有る話では無いか」
ラリカは、私の言葉に、どこか疑いを含んだ視線を向けてくる。
今にも泣き出しそうなラリカの瞳を目の前に見て、身体に汗が滲むような緊張を感じた。
そうして、しばらく私とラリカは見つめ合っていたが、ラリカはぎゅっと瞼を閉じ、何事か考えた後に目を開き、にやりと口を緩めた。
「――ええ。そうですね。ちゃんとそういう浪漫が理解出来るというのは、お前はやはり良い子です」
そういって、ラリカはぎゅっと私の事を抱きしめて、ごしごしと擦るように私の事を少し乱暴に撫でた。
服越しに伝わってくるラリカの体温と、細く、柔らかな手の感触に、微かに罪悪感を感じながら、しかし、同時にぼうっとしていた気持ちが、滝行でもしたかのようにさっぱりとしていくのを感じた。
「――そうですね。では、そんな勉強熱心で浪漫の分かる良い子には、ちゃんと何があったのか教えてあげましょうッ! ……よく、聞いておくのですよ?」
殊更明るく、少し偉ぶるように話すラリカに、私は耳と尻尾を大きく動かして応えた。
***
「――この戦跡が出来た戦い『ユーニラミア教会防衛戦』……後世で言うところの、聖国の戦いは、大戦の中で、もっとも大規模な戦いであったと言われています」
ラリカは、ちょうど石組みの向こうに戦跡が見ながら休めるように設けられたらしい、巨大な石を切り出して作られたらしい純白の巨石に腰掛けると、語り始めた。
「邪神との最後の戦いは、ユルキファナミアを含めた三英雄と呼ばれる方々が戦ったことで有名ですが、規模としてはこの戦いがもっとも大規模なものなのです――見て下さい。あそこに雲が見えますね」
ラリカが、遠く空の果てを指さした。
青い空に雲が厚くもったりとした、触れれば弾力を感じそうな雲が日の光を反射している。
「あの雲がある辺り。あそこから――ここまで。隙間無く、海岸線を埋め尽くすように、邪神についた者たちが押し寄せたそうです。『奴らをなんとか押しとどめたと思ったら、奴らは味方を踏み台にして昇ってきた』当時の記録にはそんな言葉が載っています」
……『雲がある辺り』とはすなわち地平線の果てである。
ラリカの言葉を信じるのであれば、それはつまりこの地平線一画をすべて敵の軍勢が覆い尽くしていたという事だろう。
「そして、なによりもこの戦いが大規模な物であったと言われる所以は、当時最強と言われていた『イシュベル=ナッハの騎士』のほぼすべてが出陣してきていた事です」
「『イシュベル=ナッハの騎士』?」
そういえば、先ほども同じ事を言っていたが、よほど精強知られる者どもだったのだろうか?
確かに、戦争に於いて、その精強さで知られる軍というのは話には聞く。
そういったもののひとつなのだろう。
「ええ。『イシュベル=ナッハの騎士』は、今はもう失われてしまっていますが、巨大な――人の身丈を何倍にしたような、巨大な甲冑を纏って戦ったと言われています」
身丈を何倍にもしたという事は、六メートルほどはあったという事だろうか?
ラリカの話を元に想像してみるが、頭に浮かぶそれは、創作物で描かれる巨大ロボットのそれである。
「イシュベル=ナッハの騎士達が纏う甲冑は……まあ、それだけの大きさですからね。動き回るだけでも強力だったのですが……なおさら悪い事に、甲冑自体が邪神の力で作られた神器で、人が放つのよりも遥かに強い魔法を扱えたそうです。――そんな、騎士達が百人ほど現われたというのですから、それだけで教会にとっては驚異としか言えなかったでしょうね」
「なるほど……すまない。ラリカ……正直、規模が大きすぎて、上手く想像出来そうにないのだが……」
「……ふふっ、私もですよ。――まあ、とにかく、それだけの大軍勢が攻め入ってきた訳ですからね。当初は、レシェル=バトゥス達が中心となって奮戦していたのですが、段々と奥へ奥へと追い込まれていったそうなのです」
ラリカが同意するように笑いながら、右手を海から内陸に向かって動かしていく。
ちょうど、風にながれる雲が、それにあわせるように流れて行くのが見えた。
「――その時は、ゆき――ユルキファナミアも、戦いに参加していたのだろう?」
ユルキファナミアは元々ユーニラミア教会の人間だと言う話だ。
流石に、自分たちの教会の総本山が総攻撃を受けていれば、戦いに参加していた事だろう。
いかな神に至る存在であったとしても、それだけの物量を前には劣勢に立たされたという事なのだろうか?
ラリカは、私の問いにもっともな疑問だという風に頷くと、内緒話をするように唇に人差し指を当てた。
「――実は、この戦いの初め、ユルキファナミアは戦いに参加していないのです」
「……なに?」
「この戦いが始まったとき、ユルキファナミアは『神々との対話』を行っていたのです。来たるべき、邪神の討伐。それに向けて、『閉じた目の神』を初め、様々な善良なる神々との対話を行っていた訳ですね。邪神側もそれを狙って大規模な攻勢を掛けてきたのでは無いかと言われています」
――『それを狙って攻勢を仕掛けてきた』つまり、それは、ユルキファナミアがそれだけの脅威であったという証拠に他ならない。
たった一人。
――アイツは、たった一人で、それだけの軍勢の侵攻を危ぶませるだけの力があったとでも言うのだろうか?
そこで、ふと先ほどからラリカが発する言葉が、妙に『始め』ということを強調している事に気がついた。
「――ユルキファナミアは、途中から参戦したということか?」
私が聞いた瞬間、ラリカが表情をぱっと輝かせた。
「――そうなのです! ……まったく、お前は話を先回りしてしまうので、つまらないですね」
一瞬輝かせた後、ラリカは少し唇を尖らせた。
どうやら、話のオチに当たる部分を私が言ってしまった事が不服らしい。
子供らしい、可愛らしくむすっとした表情に、思わず頭のひとつでも撫でてやりたい気分になる。
「そう、いよいよ教会近くまで追い込まれた時、戦場にユルキファナミアの声が響いたのです――ッ! 『――神を愛する者は、道を空けなさい』」
ラリカは破れかぶれという風に右手を振り上げながら、熱を込めながら力説する。
やはり、ユルキファナミアが出てくるという事で、特別な思い入れがあるのだろう。
熱が籠もった頬が紅潮している。
「その言葉で、すべてを悟った仲間達が皆に呼びかけました。『ユルキファナが戻ったっ! 総員、退がれっ!』その言葉に、その場に居た皆が歓喜の声を上げながら、一目散に下がっていきます。退却していくことに勢いづいた敵は、長く伸びながら教会に向かって迫って――消失しました」
ラリカが、右手を広げながら振り下ろし、重々しく告げる。
「『巨大な太陽が走り抜けたようだった。一瞬で目を灼かれた私が視力を取り戻したとき、そこには、巨大な谷と――金色の瞳のユルキファナミア様が居た』――そう、当時の戦いに参加した兵士の手記には記されています」
ラリカは、落ち着いた様子で話を締めくくるようにそういった。
「それが……あれか」
「ええ。結局、その時のユルキファナミアの魔法を受けて生き残ったのは『イシュベル=ナッハの騎士』達の指揮を執っていた、王族専用の特別な甲冑を身に纏った女王だけだったと言われています」
「――アレを受けて、生き残った者が居たのか……」
「本当に、『大戦』というのは、今から考えられないほど過酷な戦いだったのでしょうね……レシェル=バトゥスやフィック=リスの言葉も、誇張では無いのでしょうからね」
「……確かに……そうだな」
……少なくとも、あの二人はそれだけの戦いを、時代を、生き残ってきたと言うことだ。
二人とも、それほど偉大な人物にはとても見えない。それでも、私達の理解の及ばない世界を越えてきた傑物達なのだ。
……そして、それに輪を掛けて、雪華も。
「――因みになのですがっ」
一瞬、再び雪華の事を考えて憂鬱な気分になっていると、ラリカがなぜか少し怒ったような強い口調で言葉を発した。
「この戦いの時、『アツリカ』という人物が戦死しているのですがっ! この男、防衛戦の直前、恋人の『ツアリア』に自分はこの戦いに参加しないと嘘をついていたのですっ! しかし、本当は参加して……あまつさえ戦死してっ! その結果か、『ツアリア』は邪神側に寝返ってしまったのですっ!」
――一体、なんだというのか。
『憤懣やるかたない』とでもいうように、ラリカが憤慨したように声を荒げている。
「……そ、それがどうした?」
思わず、疑問を差し挟む私に、ラリカはきっと鋭い視線を向けるとがっしりと私をしがまえた。
「――なにが言いたいかというとッ! ……隠し事をすると、碌な事になりませんよということです」
――そういって、私の事をぎゅっと抱きしめた。
やはり、その声はどこか心配そうで。
どうやら、先ほどのラリカの違和感はまだくすぶっていたらしい。
「――お前にだって、秘密にしたいことはあるでしょう。――でも、お前は、死んではいけませんよ?」
囁くように、小さな声でラリカが呟いた。
その声は、どこか祈りのようにも聞こえる。
――私は、それに小さく『ああ』とだけ応えた。