第二十四話「血風砕河(なまはげ)」
「――一般的に『影喰いの姫』と言うのは、言うことを聞かない、わがままな子供に向けた脅し文句なのです」
頭の後ろに、ラリカの手が触れている。
その小さな手を乗せたまま、ラリカの膝の上で、伝わってくる体温を感じながら、頭を反らせてその顔を見上げた。
赤い瞳が、楽しそうに輝きながらこちらを向いている。
「その家ごとに色々なアレンジが加えられていますが、誰でも小さな頃、一度は寝物語や説教でこのお話しを耳にしますね」
自分の幼少期を思い出して懐かしむように、ラリカは天井を見上げながら私の耳の後ろを優しく掻いた。
「あらすじとしては……そうですね。――昔々、ある国にとても美しいお姫様がおりました」
ラリカが、一つ前置きをすると、軽く息を吸い込み、昔話を子供に言い聞かせるような優しい口調で、あやすようにポンポンと一定のリズムで私の頭を撫でながら語り始めた。
「そのお姫様はコミュサを固めたような美しい髪を持ち、優しい性格で民に慕われていました。……しかし、ある時、そのお姫様の臣下はお姫様が町の子供をさらって自分の影の中へ溶かし込んで食べてしまうのを見てしまいます」
話に合わせながら、ラリカは私の頭を撫でていた手を前に滑らせ、私の視界をすっぽりと顔を手で隠してしまう。目の前がラリカの手で覆われて見えなくなった。
子供っぽい高めの体温の手が顔に押しつけられ、じんわりとした暖かさが暗闇を染み入るように伝わってくる。
「そう。実は――そのお姫様は邪神の僕だったのです」
暗くなった視界の中で、ラリカが少し声を低くしながら、恐ろしげな声を出しているのが聞こえる。
どうやら、子供に語り聞かせる時をそのまま再現してくれているらしい。
ラリカは元々説明好きだが、今回のこれはどちらかというと子供好きな側面も出てきているように感じる。
先ほど教会で会った子供達に影響を受けているのかも知れない。
――だとすれば、気分転換にもちょうど良いだろう。
ラリカのするがままに身を任せ、なされるがまま、子供の気分を体験させて頂く事としよう。
なにごとも、実際体験してみるのが重要だ。
「やがて、その臣下の前でお姫様は次々と国中の人々をたべていきます。子供も、大人も。やがては、城に暮らしていた人々も、王様も、お后様も、すべて、すべて……。お姫様は、国中のすべてを影の中へと押し込んでいきました。気がつけば、辺りにはお姫様と臣下の二人しかおりません。――そして、『後はお前だけだ』。お姫様が臣下に向かって言いました。」
ラリカが、動揺を表現するように私の頭を抑えている手と、膝を揺すっている。
がくがくと、足下にあるラリカの太ももが揺れ動き、不安定に揺れるせいで全身が揺れた。
「『――姫様。どうして、国の皆を食べてしまったのですか?』思わず、臣下は優しかったお姫様の事を思い出しながら問い掛けます。『――みんな悪い事をしたからだ。悪い事をした人間は、邪神様に捧げなくてはいけないのだ』問い掛ける臣下に向かって、お姫様は答えます。『――では、次は私の番なのですね』恐ろしい姫様に向かって、覚悟を決めた臣下が聞きました。『いいや。お前は食べない』しかし、お姫様は臣下を前にして首を横に振りました。『なぜですか?』臣下が問うと、お姫様は再び残念そうに首を振りました『お前は悪い事をしていないからだ』――そう。実はその臣下だけは、今まで一度もわがままも言わずに、清く正しく生きてきたのです。邪神の力を持ったお姫様は、正しく生きてきた臣下を食べることが出来なかったのです」
次の瞬間、ラリカは私の顔を覆っていた手をぱっと放した。
覆いが無くなった事で、部屋に差し込む日の光が目に滲みる。
目の前で、私を見下ろしながら、ラリカが随分と興の乗った顔をしながら両手を振り上げた。
「そして――ッ! 臣下を残してお姫様は両手を振り上げました『ああ、ああ。このまま世界をすべて食べ尽くそう!』その言葉と共に、お姫様の影がざわざわと動き始めます。見る見るうちにその影は人の形をとり、無数の巨大な軍勢になりました。臣下がよく見てみると、その影の中には、王様やお后様、臣下のお母さんやお父さんの姿もありました。そう。お姫様に食べられた人達はすべて、お姫様の手下になってしまったのです」
ラリカは、ぴんと右手の人差し指を立てながら、窘めるように私に突きつけた。
「お姫様を先頭に歩き出した巨大な影の行軍は、立ちふさがる物をすべて蹴散らし、地形を変え、道行く人を殺しては飲み込み、世界中を巡っていきます。悪い事をする人を探して、毎晩毎晩、飲み込み、自分の軍勢に加えながら――っ! ……だから、『貴女も良い子にしていないと、影喰いの姫が現われて食べられてしまいますよ』というのが、このお話です」
最後に芝居がかった口調を、突然普段通りの物にしながら、軽く私の狭い額の辺りを突きながら話を締めくくったラリカが笑った。
私は、両耳をぴくぴくと動かしながら、聞いた内容を頭の中で反芻する。
――なまはげ……
真っ先に浮かんだのは、日本に居た頃に、親しみ深かった懐かしい単語だ。
「――まったく、怖くないな……子供に通じるのか?」
「まあ、子供に向かって話すときは、『悪い子を育てたお父さんとお母さんも居なくなっちゃうかも』なんて言いながらどんどん脅していくのですが……小さな子は案外怖がってくれるのですよ?」
「そうか……それで、その影喰いの姫というのが、フィック……だと?」
『影喰いの姫』というのが、思っていたよりも随分悪役だったことで、フィックとどうしてもイメージが繋がらなかった。
手桶とナイフを持ってフィックが向かってくる、なかなかに珍奇な姿が思い浮かべてみる。
――フィックの場合は、怠け者を探すと言うより、自分が怠け者だと思われないようにする方が先決だろう……
……そんな姿を思い浮かべれば思い浮かべるほど、妙に肩の力が抜けていくのを感じた。
『表面上』はという但し書きがつくにせよ、あの脳天気な様子の女性が、実は邪神の僕で次から次へと悪人を食べる存在だったといわれても、正直なんと反応した物か……
――いや、それより、第一。
悪い人間を食べていくというのは、果たしてそれは悪なのか……?
悪人がいなくなって善人だけ生き残るというのであれば、むしろその後の世界は平和になりそうな気さえする。
まあ、その『悪人である』という基準がおかしいからこそ悪しき者として取り扱われているのだろうが……あるいは、旧い話である事を考えれば……圧政を敷いていたという暗喩なのだろうか?
「……ええ。なので、私もフィック=リスと影食いの姫が繋がらずに困っていたのです」
ラリカが、ほにゃっとしたなんとも言えない表情で苦笑を浮かべた。
先日から、随分ラリカが信じられない様子でフィックと話していたが、確かに余りに違いすぎてその反応にも納得がいった。
「……それで、『血風砕河』というのはなんなのだ?」
私が、もうひとつのフィックの呼び名を口にすると、ラリカは思い出したように頷くと口を開いた。
「――ああ。そうでしたね。実は、一応、このお話しは後世の創作だと言われていまして、そのモデルになったのが『血風砕河』と呼ばれた神代の人物なのです。彼女は地形を変えるほどの強大な力を持ち、彼女が通った後には血の風が舞ったと言われるほど勇猛果敢で知られる人物で……これも、やはりフィック=リスのイメージとは随分違いますね」
「ああ……まあ、そっちの方がまだ分からんでもないが……」
ラリカの言葉に、王都でフィックと戦ったときや、私の魔法では歯が立たなかった、王都の教会でラリカを探し回り、聖餐台を破壊して見せたときの事を思い出しながら、頷いた。
そもそも、彼女自身、かなり普段の態度は演技が入っているように見えるところを見ると、本来の性格が勇猛な物であったとしても、『巨悪』と言われるよりもよっぽど納得はいった。
まあ、ラリカはフィックが戦うところは、昨日レシェルの攻撃を受け止めたところしか見ていないはずだ。私よりも実感は湧きづらかろう。
多少なりとも納得する私を他所に、ラリカはふと何かを思い出したように笑いながら、少しきらきらとした視線を向けてきた。
「――実は、この『血風砕河』……アルセイルナの金色姫は、本人自身も有名ですが、それ以上にその臣下の方が有名なのです。『魔道具製作の天才』、『白銀の細工師』とも呼ばれて、ユルキファナミア……いえ、ユルキファナ様ですね。彼女の邪神討伐に際して、その仲間達の武器の製作にも大きく関わっていると言われています。とはいえ、ユルキファナ様自身は使われなかったようですが……」
――雪華……
『ユルキファナ』という単語に、思わずぴくりと体が反応するのを感じた。
昨日、考えた『ユルキファナ』=『雪華』が正しいとすれば、その話は雪華の過去を教えてくれるものに他ならないはずだからだ。
……確かに、アイツは強かった。
脳裏に、幼い頃、彼女と入った山の中で、巨木をへし折っていた彼女の姿がよぎった。
だが、それでも、正直あの馬鹿がそんな英雄だというのは、どこか納得がいかない気持ちはある。
それでも、アイツを求め続けていた身として。
そして、私をこの世界に連れてきた彼女の思惑を知るためにも、私は雪華が考えていた事。
――アイツがどんな人物だったのかを知る必要がある。
「……ゆきは――ッ、ユルキファナミア、がその邪神というのと戦ったという話を、詳しく教えて貰っても良いか?」
思わず、自分の中での彼女の呼び名を呼びかけ、言葉を詰まらせながら聞いた私に、ラリカは少し目を丸めた。
「――珍しいですね。くろみゃーがそんなに興味深そうに聞いてくるのは。昨日も教えてあげたでしょう?」
……そんなに、今の私は必死な様子だったのだろうか?
今までも、色々と気になることは聞いていたはずだが、なぜかラリカが不審げにしている。
「あ、ああ……身近に、そんな有名人の関係者がいると知ったからな……気になったのだ……」
「……その割に、影食いの姫の話を聞いているときよりも熱心に見えたのですが……まあ、飼い主の崇める神を知ろうというのは、大変良い心がけです」
とっさに誤魔化すと、ラリカは首を傾げながらも、やがて満足そうに頷いた。
そんなラリカの姿を見ながら、私は昨日レシェルとフィックの会話で、『気をつけろ』と言われたことを思い出す。
――そう……そうだ。
それに、『当時』なにが会ったのかを知ることは、ラリカを守る上でも役立つはずだ……
レシェルは、確かに『カミ様どもが、放っておかない』と言ったのだ。
ならば、確実に、これから可愛いうちの主人に関わってくるのは神達。
フィックやレシェル達の時代に存在した雪華のような者たちだろう。
その時に何が起こっていたのかを知れば、なにがその者達の勘所に触るのか分かるかも知れない。
……だから、私は天井を見上げながら、微かに浅くなっている呼吸を感じながら、どこから話そうかという風に頬に指を当てているラリカに向かって訂正した。
「ああ、いや、ユルキファナミアだけの話では無くてな、そもそも、私は神というのがどういう存在なのかよく知らないのだ。だから、その辺りも教えて貰えると助かる」
「……そういえば、お前は本当に何も知らなかったのですね……」
ラリカは、出鼻をくじかれたように、どこか残念そうな視線を私に向けてきた。
しばし考え込むように、再び視線を宙に彷徨わせたラリカは、私の方を向き直り提案するように指を立てながら顔をほころばせた。
「そうですっ!――よし。分かりました。今日は時間もありますし一緒に――」
――そうして、ラリカがなにか言いかけたとき、部屋の扉が力強く叩かれた。
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます!
おかげさまで今年も無事にラリカを書き続けることができました。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。
――どうか皆様にとっても良き年となりますように。
●ご連絡事項
・『ラリカ=ヴェニシエスは猫?とゆく。』のホームページを開設しました。
https://larica-cat.com/ 今後ゆっくりとコンテンツも拡充していく予定です。
・[新作]『咲夜修行中!~火傷娘と先輩の。退魔師修行、ことはじめ~』投稿を始めました。
https://ncode.syosetu.com/n1965ej/
ラリカの読者の方にはより楽しんで頂けるようにしていきますので、こちらも併せて是非ともよろしくお願い致します。