第二十三話「くろみゃー貸して」
「――そうだ! ラリカちゃんっ! ――ってかヴェニシエス~ッ! 当日の物価調査に情勢調査、その他諸々はこのフィック=リスにまっかせてみませんかー?」
「……フィック=リスにですか?」
横で私とラリカのやり取りを聞いていたフィックが、突然思いついたように、なにか企んだような笑顔を浮かべながら切り出した。
ラリカが、妙に馴れ馴れしい様子で勢い込んだフィックに、目を丸くして聞き返した。
「いっやーよく考えてみたら、ラリカちゃんってば、ヴェニシエスだからー、いわば私達の代表をしてくれる訳じゃ無いですかー? だからー、それくらいの雑用、諸用、面倒事は、こーのフィックさんが引き受けようかなな-んて?」
フィックは、相変わらずどこまで本気か分からないお調子者な仕草で人差し指を振りながら、もっともらしい仕草で片目を閉じた。
「……しかし、それではフィック=リスの予定をつぶしてしまう形になるのではありませんか?」
「いーやいや。だいじょーぶ。だいじょーぶ。どーせミアヴェルデの日だって、レナ坊から頼まれごとするかも知れないだけだから! ラリカちゃんがちょーっと、私に用事を頼んでるって伝えてくれれば大丈夫……ホントに大丈夫だよ!?」
申し訳なさそうに問うラリカに、妙に早口でフィックが『大丈夫、大丈夫』と何回も告げている。
「それにっ! わったしこれでも、この国にはちょーっと詳しいですから、そういう調査にはうってつけですよー? どうです? ヴェニシエス? 私に依頼してみませんかー?」
矢継ぎ早に。立て板に水を落とすように。
これでもかとというほどの勢いでセールストークをラリカに向かってまくし立てていく。
――まさか……
胡散臭い調子でラリカに自分を売り込んでいるフィックの姿を見て、ふと気がついたことがあった。
――こいつ……
まさか、当日レシェルに面倒事を押しつけられないように、先に予防線を張ってるのか……?
「――要するに、レシェル=バトゥスに、フィック=リスに仕事を頼んでいると伝えれば良いのですね?」
私と同じ事に思い至ったのか、ラリカが苦笑を浮かべながらフィックに聞き返した。
「……ですです。どーうでしょう? ラリカ=ヴェニシエス。この卑しいフィック=リスにお仕事のお恵みを頂いたりなんてできませんかねぇ……」
輝くような笑顔を浮かべたフィックが、無駄に、気持ち悪いくらいに、卑下しながらラリカに向かって頼み込む。
ラリカは、そんなフィックの姿を見て、出来の悪い悪夢でも見たように、右手をこめかみに添えて頭を抱えた。
――そして、すべてを分かった上のことだろう。
ラリカは呆れた表情で、しかし口元を緩めながら口を開いた。
「――いえいえ。フィック=リスのような優秀な方にこんな雑用をお願いする訳にはいきませんね。レシェル=バトゥスから依頼されるような――」
レシェルからの仕事を受けるようにやんわりと匂わせる口調は、少しおもしろそうに、からかいの色を強くを含めている。
すると、それを聞いたフィックは、ついに外聞も気にせずラリカに向かって頭を下げた。
「――後生だよ。ラリカちゃん、依頼してっ!」
「――っ……、貴女はどれだけ、レシェル=バトゥスに用事を頼まれたくないのですかっ!?」
恥もなく、先ほどまで微かに漂わせていた年上らしい風格もどこかに置き去りにして頭を下げるフィックの姿に、流石のラリカも些かドン引きした様子で突っ込むのだった。
***
「それで……フィック=リス。お願いするとして報酬はどれくらいお渡ししたら良いですか?」
「――え? 報酬? いいよーいいよー、そんなの。私はただ、ラリカ=ヴェニシエスがお困りだったのでお助けしたいという一心からですねー」
「――まだ、そんな事を言いますか……!? いえ。しかし、一応仕事をお願いする訳ですからね。なんらかの報酬は渡したい所ですね」
――『……そうでなくては落ち着きません』とぽつりと言いながら、ラリカは腰に着けている袋をトントンと叩いた。
「んーでも、べっつにお金はそんなに…… ――あ、そうだ。ラリカちゃん」
フィックは、ラリカの示した腰の袋をチラリと見た後、思案するようにしていたが、やがてなにか名案を思いついたとでも言うように表情を輝かせた。
ラリカは、そんなフィックの表情に、何か良からぬ事でも企んでいるのでは無いかと警戒するように少し表情を引き締めている。
「なんですか?」
「――お金は要らないからさ、当日、くろみゃーちゃんを借りても良いかな?」
「――私を?」
フィックが申し出た瞬間、私を肩に乗せていたラリカの体が、動揺を示すようにぐらりと揺れた。
予想だにしていない申し出に、私も思わずフィックの顔をまじまじと見つめながら聞き返す。
しかし、その顔は笑ってはいるものの、目元はいたって真剣にみえる。
――どうやら、冗談の類いでは無いらしい。
「いっやー、いくらエクザと言っても、ユーニラミアのエクザだし、ユルキファナミアのラリカちゃんがずっと連れてる訳にもいかないでしょ? だったら、私と居た方が安心かなって思って」
そういって、フィックはラリカに気づかれないように私の方に二度片目をつぶって見せた。
……これは、話を合わせろということか。
――ふむ……もしや、さっきからの話の流れはすべてこの流れに持ち込むための偽装か?
なんとなく、フィックの申し出にはラリカに伝えている以上の裏があるのかも知れない。
意図が分からないが、フィックがなにかこちらに害意を向けてくるとも思えない。
……ならば、ここはどういう意図かは分からないが、話に乗っておいた方が良いやもしれんな。
「――一応、私は『ヴェニシエス』ですから、ユルキファナミアにこだわらずに、ミルマルを連れても問題ないとは思いますが……」
「……まあ、私を連れておくのが、褒められた行為では無いのなら、私はフィックとまわっても構わんぞ? ――ミアヴェルデは、君が初めて参加する聖国での正式行事になるのだろう? 変にそれで、ラリカの功績にけちがつくのは、些か不愉快だ」
ラリカが、フィックの言葉に悩むようにおずおずと私の方を見ながら口にするのを、私は前足をすくめながら、あくまでラリカの事を考えてという前提で誘導した。
――ただ、そうは言いながらも、内心、正直ラリカを一人にするのは非常に不安ではある。
だが、今日の看取りの間でのラリカの様子を見ていると、少しだけ信じて冒険するのも良いかも知れないとは感じていた。
「……くろみゃー……」
しかし、私の言葉に、不安そうにこちらを見つめているラリカを見ていると、一度はそう思ったはずの決心が揺らぐのを感じた。
――少々、性急に過ぎるだろうか?
やはり、当日はラリカについた方が良いだろうか?
「――ほ、ほーら、くろみゃーちゃんもこう言ってるんだし、ね? それに、ラリカちゃんが回るとしたら、大通り沿いを進んでいくはずだから、私達も近くを一緒に回っていくからさ」
しかし、私が、一度決めた事を再度悩み始めていると、重い空気になりかかっているのを和らげるように、フィックは冷や汗を浮かべながら、引き攣った笑みで説得に入った。
「――分かりました。では、当日は、くろみゃーのこと……お任せします」
ラリカはなおも思い悩んでいた様子ではあったが、私とフィックの事を何度も何度も見比べながら、口元に手を当てながら考えると、小さな手をぎゅっと握り締めて、ラリカは恐る恐るといった様子で頷いた。
「りょーかい。安心して、私がちゃーんとくろみゃーちゃんの事は守るからさ。……そ、れ、にっ! ――わったし、こー見えて、なっかなか強いんですよー? ――一緒に居れば、守るくらいは出来るからさ」
「……ええ。そうでしたね。正直、フィック=リスが『影食いの姫』というのは、未だに信じられない気持ちですが……」
「あはは……実は、私もあーんまり、その名前、好きじゃ無いんだよね……」
ラリカが、昨日のレシェルとの話し合いの中で出てきた単語を持ち出しながら、尊敬と畏怖が入り交じったような複雑な表情でフィックの事を見つめた。
一方で、ラリカの赤い瞳を受けるフィックは、随分と笑顔の裏に影を感じさせている。
「そうなのですか?」
「うん……まぁ、やっぱり、あの時代には……『色々』、あったからさ……」
応えるフィックの言葉が酷く曖昧な物だった。
『色々』という言い回しには、簡単には言い表せない確かな重みがあった。
おそらく、それはその時代を実際に体験した物にしか分からない感傷なのだろう。
「――それにっ! 今の私は『フィック』だからねっ!」
一瞬、暗い表情を浮かべかけたフィックだったが、すぐに切り替えるように、いつもの間抜けな表情を浮べ直した。
ラリカは、そんなフィックの事を、どこか憧れるような表情を浮べて見つめた後、私の事を見つめ――納得したように頷いた。
「……分かりました。……ただ――くろみゃーのこと、本当にお任せします」
「うん。まっかせってくっださい」
フィックは再び底抜けに明るい笑顔を浮かべると、『姫』という単語を表したかのように、ラリカの方に向かって、どこか気品を感じさせる優雅な仕草で一礼してみせるのだった。
***
「――ラリカ。……本当に……本当に気をつけるのだぞ?」
世間話を終え、用事があると言ってふらふらと教会内を彷徨うフィックと分かれた後、自分たちに与えられた部屋へ戻るラリカの耳元で囁いた。
私の言葉を聞いたラリカは、一瞬嬉しそうに口元を歪める、ふっと息を吐き出して、私の事を一つ撫でた。
――そして、少し唇を尖らせると、どこか不満そうな、しかし、不敵な生意気さを感じさせるような表情を浮べた。
「……まったく……心配しているのは私の方なのですよ? ――大人しく、ペットはペットらしく。主人の言うことに従っていれば良いのです……お前はちゃんと祭りを楽しんでくるのです。――ええ。私はヴェニシエスですから、元々呑気に祭りを楽しんでいる訳にいきませんからね。……きっちり……そうですね。きっちり、どんな風に楽しかったか報告して貰いますからね? ――分かっていますか? 私が祭りを楽しめるかはお前の話にかかっているのですよ?」
矢継ぎ早にそういうラリカの言葉は、いかにもこの子らしい、紛れもない強がりだろう。
その中で、後半の自分が祭りを楽しむ訳にいかないというのは本心のように思えた。
よく考えてみれば、外の世界をじっくり見て回りたいと言っていたラリカからすれば、このような祭りなど、なんとしても楽しみながら一緒に回りたいはずなのだ。
だが、自分の立場を考えて『大人な判断』をしてしまうのも、またラリカらしいというべきか。
……ただ、何重にも建前で覆い隠しながらも、やはり『楽しそう』という気持ちを少しだけ露出してくれたのは、多少なりとも私の事を信頼してくれているという証といえるだろうか。
「――なるほど。話一つで可愛い主人を楽しませなくてはならんとは……それは大仕事だ」
だから、私はそんなラリカの信頼に応えながら、精一杯の強がりを受け入れるためになるべく皮肉な口調でラリカに答えた。
「――よく、分かっているではありませんか? お前が存分に楽しんできてくれないと、私に初めてでの聖国でのミアヴェルデが、固っ苦しい思い出だけになってしまうのですよ?」
「ああ。では、なるべく君が楽しめるように。そして、役に立ちそうな情報を集めてくることにしようか」
「ええ。お願いします。――楽しみにしていますからね」
「承知した」
『楽しみにしている』と告げたラリカは、どこか緊張した様子は残っていたが、私を安心させようとするかのように、とても落ち着いた優しげな笑顔だった。
だから、私も内心の不安は押さえ込みながら、同じく安心させるように強く頷いてみせる。
――すると、ラリカは今度はすこし砕けた様子で笑うと、からかうように口を開いた。
「当日、フィック=リスには粗相の無いようにするのですよ?」
少し絡むようなその言い方は、まさしく物わかりの悪いペットに言い聞かせる飼い主の物だ。
どうやら、ちょっとしたラリカなりの照れ隠しらしい。
「――無論、ラリカの顔に泥を塗るような真似はしないとも。正直、フィーの方がなにかやらかす可能性が高そうに思えるがな……」
「……ふふ、ですね。フィック=リスの事ですから、誰かに怒られていそうです」
やれやれと軽く髭をなでる風を感じながら首を振ると、ラリカも同意するように、おかしそうに押し殺した薄い笑いを浮かべた。
――そうこうしているうちに、自分たちの部屋へと辿り着く。
部屋の前で番をしてくれているらしい人間に軽く頭を下げた後、ラリカと私は渡されたセレガを扉に当て部屋の中へと入っていった。
――そうだ。ちょうど良い。
フィックの事が話題に上ったのだから、少し詳しく聞いておこうか。
扉が閉まる音を背後に聞きながらそう思った私は、昨日の話し合いからずっと気になっていたフィックの正体についてラリカに教えて貰うことにした。
「『影食いの姫』といったか? あれでも、本当に永く生きているというのだから、信じられんものだな」
「そうですね。あの『影食いの姫』が彼女だとは本当に信じられません」
「その、影食いの姫というのはどういう人物なのだ?」
一瞬、驚いたようにラリカは私の方を向いたが、すぐに納得がいったように苦笑を浮かべた。
「――そうでした。お前は『影食いの姫』……『血風砕河』の事も知らなかったのですね」
「ああ。残念ながら、聞いたことも無いな」
『影喰い』などと言う、どこその刃物の銘にでもありそうな物騒な名前には、まったく覚えが無かった。
しかし、昨日のレシェルの話によると、随分この世界では有名な話の登場人物のようだ。
「――分かりました。せっかく親しくしているのです。お前も知っておくと良いですね。少し、教えてあげましょう」
ラリカはそう言いながら、椅子を引いて腰掛けると、私を膝の上にのせて楽しそうに語り始めた。