第二十話「悩める、ちゃっかりさん」
「――二人とも、気をつけて戻るのですよ? ちゃんと帰り方は分かりますか? 私も一緒に行きましょうか? 不審な人がいたら、必ず近くの人間に助けを求めるのですよ? それから、ちゃんとフィディア=ヴェニシエスの言うことも聞いて――」
「「はーい! ――ラリカ先生。フィディアお姉ちゃんみたい……」」
子供二人をユルキファナミア教会の入り口まで見送りながら、心配そうに声を掛けるラリカに、子供二人はケラケラと笑っている。
どうやら、ラリカの心配の仕方が、子供達にとっては過剰に見えたようで、随分と面白かったようだ。
「――そんな事を言って……良いですかッ!? 世の中は危ないことが一杯なのですよ! ……だから、皆は絶対に危ない事に手を出してはいけませんからね?」
「はーい」
「……まったく、貴方たちは昔から返事だけは良いのですから……」
――一体どこの親子だと言いたくなるような会話をしている。
普段のラリカはどちらかというと、私に取って子供のような印象なのだが、どうやら自分より年下の子供を相手するときは精一杯お姉さんらしく振る舞っているらしい。
思いかえしてみれば、私を拾ったときのラリカもちょうどこんな感じだったような気がする。
……ラリカがこんな風に心配する理由が分かるが故に、その対応を笑う気持ちは全くない。
ただ、それでもなんともほほえましい気分にさせられる。
「……いつかそっちにはまた遊びに行きますから、本当に気をつけて帰るのですよ? ――アミル=シス、ルカイア=シスに炎による輝きを。」
苦笑を浮かべたラリカが、最後に二人の頭をぽんぽんと叩いた。
二人は、ラリカの言葉を聞いて顔を見合わせると、ぱあっと嬉しそうにひときわ表情を輝かせ、ラリカに向かってそろって口を開く。
「ラリカ=ヴェニシエスにちのしゅくふくをっ!!」」
そして、ラリカに背を向けた二人は勢い良く走り出した。
途中で何度も振り返りながら、ラリカに向かって手を振っている。
ラリカは二人が見えなくなるところまでニコニコと笑顔を浮かべながら手を振り返すのだった。
***
「――ねぇ……くろみゃ―……」
二人の姿を見送ったあと、まるで人気が無いか確認するかのように周りを見回していたラリカが、こっそりと自信のなさそうな声音で口を開いた。
「……どうした?」
先ほどまでの子供二人がいた時と打って変わったか細い声に、一体何事かと思いながら小声で返す。
よく見てみれば、その表情もなにやらとても気落ちしたように見える。
「――さっきの……フィディア=ヴェニシエス。……随分怒っていましたよね?」
何を聞くのかと思えば、先ほど立ち去る際のフィディアの様子が気にかかっていたらしい。
――怒っていたと言うよりは、悲しんでいたと言うべきか。
どちらにせよ、何らかのよろしくない感情を抱いて良いたことは間違いない。
「あ、ああ。――少し、な」
どう伝えた物か思い悩みながらも、なんとはなしにラリカの言わんとすることも理解出来る私は、やんわりと肯定した。
その言葉を聞いて、ラリカは『やってしまった』という風に両手で頭を抱え込んだ。
「……やはり、くろみゃーにもそう見えましたか……フィディア=ヴェニシエスもお忙しいはずですからね……つい興奮して引き留めてしまったのは失敗でした……」
どうやら、フィディアがまさか自分に対してコンプレックスを抱いているとは思っていないラリカは、フィディアの態度が『忙しいところを引き留めていたこと』によるものだと判断したらしい。
「――ラリカ……その、言いにくいのだが……その、フィディア=ヴェニシエスは、君に対して嫉妬しているのではないのか?」
ため息をつきながら、これ以上ラリカに無自覚に話させていては、どんどんと認識がずれていきそうだったため修正を試みるつもりで聞いてみた。
「――『嫉妬』ですか? そんなはずはないでしょう? ――むしろ、私のポンコツぶりに嫌気がさしているのではないですか……?」
だが、ラリカの方は私の言葉に何を馬鹿な事をとでも言いたげに笑っている。
……そこにあったのは、どちらかというと、力不足の自分に対する自嘲の笑みだ。
そして、同じヴェニシエスに呆れられているのかも知れないという不安が見え隠れしている。
――まったく、本当に私の周りにいる人間は、随分自己肯定の低い人間が多い……
自信ありげに見えて、どこか不安を隠すための虚勢を張っているところが多すぎる。
まあ、人間、それくらいの方がかわいげがあっていいのかも知れないが、今のラリカには是非とももう少し自己肯定を身につけてほしいものだ。
……さっき見た、自分の罪の良い側面。
ああいう一つ一つの積み重ねが、いずれ自分の行動をあと押ししてくれるようになるはずだ。
だから、それまではゆっくりのんびり。ラリカの心の成長を願うとしよう。
さて、とはいえ今はなんとかしてラリカにフィディアの心の内を納得いく物として落とし込んで貰わなくてはならないな……
「あー! ラーリカ=ヴェニシエスー! どーしたんでっすか? そんなところで―?」
――どう伝えたものかと悩んでいると、遠くから賑やかな声が飛んできた。
「ああ、フィック=リス! ――少々客人を見送っていましてっ! ――フィック=リスはどちらかにお出かけだったのですかっ?」
先ほどまでの表情を、瞬時によそ行きのものに切り替えたラリカが、フィックに向かって笑いかけながら少し大きめに声を張って問い返した。
フィックは、一瞬不審そうに首を傾げたが、すぐにいつもの脳天気な表情でラリカに向かって駈け寄ってくる。
「いっやー……先技研に遊びに行ったら、なーんか色々頼み事をされちゃいましてー。まーったくもう、使えるものはなんでも使えーって、人使いが荒いんで困っちゃいますねー!」
フィックは片手を振りあげ、右に左に振りながら、いかにも『困っています』と行った調子で労苦を示している。
だが、頼られるのが嬉しいのか、どこか満更でもなさそうな表情に見える。
ラリカは、そんなフィックにいつもより少し強張った笑顔を向けたまま、ぽつりと呟いた。
「それだけ、フィック=リスは皆さんから頼りにされているという事なのでしょう……」
「そんなーまたまたー。ラリカ=ヴェニシエスなんて、あっちへこっちへの引っ張りだこじゃないですかー。聞きましたよー? 昨日のフィディア=ヴェニシエスと一緒に治療した子、順調に回復しているそうじゃないですかー」
「……フィック=リス。一体何処でそんな話を仕入れてきているのですか? 私もフィディア=ヴェニシエスも、今しがた容態を確認してきたところなのですか……」
ラリカが少し目を細めながら、当然のように先ほど私達が確認したばかりの患者の状況を知っているフィックに、どこか呆れを含んだ表情で感嘆を伝える。
フィックはその言葉を聞いて、なにごとか納得がいった様子でポンと両手を軽く打ち合わせた。
「あー、それでそんな所にいたんですねー。いやー、神威対はその話題で持ちきりでしたよー? 遺物の問題はあそこは切っても切れない関係だからねー」
「なるほど。確かに、神威対の皆さんなら遺物関連の専門家ですから。確かに気になるのも無理はありませんか」
「そうそう。――あ、そーだ、ラリカ=ヴェニシエスー……」
納得した様子のラリカに、突然フィックは打ち合わせた両手を揉み手するように組み直し、『へっへっへ……』と、まるで悪代官に忍び寄る商人のように、見ていられないほど大げさで下衆な笑みを浮かべながらにじり寄った。
「――もーしよろしければ、後でその術式、こそーっと教えて貰ったりしちゃったりなんて出来ませんかねぇ……?」
「おや? 術式の公開を迫るのはマナー違反ではありませんでしたか……? ――ええ、ええ。もちろん提供するのは構いませんよ。――思いっきり高くしておきますが」
フィックのいかにも演技染みた態度に、ラリカはこれまた随分と意地の悪そうな笑顔を浮かべながら返した。
――どうやら、フィックの態度が明らかにじゃれ合うつもりのものと分かった上で、この猿芝居に乗っかることにしたらしい。
「――いっやー、そこはほらー、ラリカちゃんと私の仲じゃないですかー? ちょーっと勉強してもらえると嬉しいなって……」
ラリカが乗ってきたことに気を良くしたらしいフィックは、なおさらへりくだった三下感のあふれる態度でラリカにずいずいと近づいている。
「――それはそれ。――これはこれです」
とりあえず礼儀のように、ラリカはにべもない様子で首を振って見せる。
しかし、すぐに何か思いついたようにその動きを止めて提案するように右手の指をぴんと立てた。
「……まあ――とはいえ。真面目な話。フィック=リスにはこの指輪などで随分お世話になっていますからね。――いつも、本当にありがとうございます。これからも色々と調整などお願いすると思いますし、今回の術式を教えるくらいまったく構いませんよ?」
「はは……ありがとね」
芝居がかった態度を辞めたラリカが、フィックに向かってなぜかにやりとした笑みを浮かべながら、お礼を言った。
フィックも、そんなラリカに『参ったな』と言いたげな表情を返してながら頭を掻きながら笑っている。
どうやら、指輪の恩返しとして、治療用の術式を教える方向で話が付いたらしい。
……なんだ? この三文芝居……
まあ、決着が早々についてならよかった。
ラリカも少し元気を取り戻したようだしなにより……
なんてほっと安心していたところで気が付いた。
――これ、フィックが普通に聞いていれば、ラリカも普通に教えていたんじゃないか?と。
ラリカの性格からして、知り合いに術式を教える程度、喜んで普段なら提供するはずだ。
むしろ、人に説明するのが大好きな主人の事だ。
聞いている方が面倒になりそうなほど説明をしっかりしてくれそうな気さえする。
――ならば……今のラリカのやり取りは……
まさかとは思うが、うちのご主人……
冗談交じりに、元々教えるつもりだった術式を餌に、ちゃっかり指輪の件をチャラにしたのでは……?
――天然か!? 本当にこれは天然なのか!?
……恐らく、それは考えすぎなのだろう。
しかし、横で嬉しそうに笑みを浮かべながら、さっそくフィックに説明するために魔法陣をメモし始めたラリカに、若干疑心暗鬼に陥った私は、背筋に冷たいものが這うのを感じるのだった。