第十九話「ラリカ先生とフィディアお姉ちゃん」
ラリカの言葉を聞いたミルは再び頭を下げると、私達を昨日の患者の元へ案内するために歩き出した。
その間も、ラリカの事を尊敬しているらしいミルは、治療に関するアドバイスや薬に関する助言をラリカから受けている。
ラリカも、そんなミルに聞かれる内容に真剣に一つ一つ確認しながら、時には質問も織り交ぜながら回答していた。
「――おや、確か、こちらの部屋でしたね?」
「はい。今、解錠いたしますのでお待ち下さい」
ようやく、昨日の治療をした部屋が見えてきたところで、ラリカがミルに声を掛けた。
ミルは、セレガを取り出しながら扉に近づいていく。
「――?」
そして、片手を扉にかざそうとしたところで、何かに気がついたように手を止めた。
「どうかされましたか?」
手を止めたミルに不審そうにラリカも首を傾げている。
「――いえ、どなたかがすでにいらっしゃっているようでして。ここの解錠は限られた者しかできませんから……恐らくフィディア=ヴェニシエスでしょう」
「おや。フィディア=ヴェニシエスがいらっしゃっているのですね。――ふふ、気になってしまうのは同じということですか。治療のこともありますから、ご一緒させて頂きましょう」
「……では、私はこちらでお待ちさせて頂きます」
昨日のフィックと同じように、部屋の中が手狭になるのを考慮してか、あるいはフィディアとラリカという二人と同じ部屋に入るのを躊躇ったのか、ミルは部屋の外で待機するようだ。
「そうですね。――あ、いえ。しかし、そうですね。フィディア=ヴェニシエスもこちらの施錠が出来るのであれば、わざわざ待って頂かなくても大丈夫ですね。どうぞ、治療に戻って下さい」
「かしこまりました。それでは、私はこれで――その、ありがとうございました」
ラリカは、ミルの言葉に頷きかけ、昨日フィディアが扉の解錠と施錠を行っていたのを思い出したのだろう。
すぐに言葉を言い直して、ミルには仕事に戻るように伝えた。
ミルの方は、すぐにラリカの言葉にやる気に満ちた様子で頷くと、案内している途中に浮かべていた硬い外向きの表情とは別の、本心からと思われる表情を浮かべて礼を述べた。
――その表情を見るに、おそらくミルは、先ほどの療養所を代表しての言葉としてではなく、母親の件でラリカに感じていた感謝の気持ちを伝えたかったのだろう。
ラリカは、ミルに向かって笑いかけると、返礼するようにぺこりと頭を下げた。
「ミル=ザッシュに智の祝福を」
「ラリカ=ヴェニシエスに智の祝福を」
***
「失礼させて頂きますね」
「――ラリカ……ヴェニシエス……」
ラリカが、どこかわくわくとした表情で、音を立てないように気を付けながら、えいっと扉に手を掛けながらすでに解錠された部屋の中に入っていくと、昨日と同じようにベッドに寝かされていた青年の隣に、金髪の少女の姿があった。
フィディアは、殺しきれなかった扉の開く微かな音に振り返り、そこにラリカの姿を確認すると、居心地が悪そうにラリカの名前を呼んだ。
「……ラリカ=ヴェニシエスは、随分前にこちらに向かわれたと聞いたのだけど」
フィディアは、ラリカから目を逸らすように、微かに目線を伏せると、辛そうにそう言った。
……その姿から、私は何となく事情を察する。
おそらく、私達より後に来たらしいフィディアは、先ほどあった者の誰かからラリカが先に行ったことを聞いたのだろう。
そして、後を追うようにこの部屋に来て、すでに部屋が施錠されているのを見て、私達がすでに確認を終えて入れ違いで出て行ったと判断してここにいたという所だろう。
「少し、看取り部屋の方にご挨拶に行っていたのです」
ラリカは、フィディアに近づきながら事情を説明している。
相変わらず、フィディアを見つめる視線には、随分と尊敬が含まれているように感じた。
「――ああ、そうね。それもラリカ=ヴェニシエスの功績の一つだったわね」
「……『功績』などと言える物ではありませんが」
ラリカが看取り部屋に行った理由を察したらしいフィディアが、落ち込んだような暗い声でぼそぼそと呟く。
一方、讃えられたラリカは、例の薬については変わらず複雑な気分なのだろう。
こちらも幾分か沈んだ声で、自嘲するように返した。
「……『功績などと言えるものではない』ね」
今度のフィディアのつぶやきは、あまりにも小さすぎてラリカには聞こえていないようだった。
だが、耳ざとくそれを拾ってしまった私は、その声に含まれた意味を考える。
――やはり、なにかこの少女はラリカに対してコンプレックスを感じているようだな。
妙にラリカに向かって敵愾心をむき出しにしてくると思っていたが、昨日のなにかに怯えた様子や、今の言葉、フィックが言っていたラリカの方が『派手』という話からして、ラリカに対してコンプレックスを抱えてしまっているという所だろう。
事情を知っている私からすれば、ラリカの方も随分と様々なコンプレックスを抱えているのだが、目の前の少女にその辺りの事情は分からないはずだ。
――まさしく、フィックが昨日言っていたところの『人と違ったり、才能があったり……あればあった分だけ、やっかいごとって増えるんだよ』というところか。
まあ、同年代の、しかも年下の少女が自分より目立った功績を挙げていれば、敵対心の一つでも持っていて不思議はない。
特に、これくらいの年齢であれば、数歳の年の差というのは大きな物だ。
そこをこんな風に明らかに評価が違えば……コンプレックスが敵意に変質しても仕方がないことではある。
――厄介なのは、ラリカが純粋にフィディアの事を尊敬しているらしいことだろうか。
ラリカは自分が魔法を使えないこともあって、フィディアの事を尊敬しているらしい。
普段のラリカであれば、もう少し相手の反応を見て、自分に対して向けられている感情にも気がついているだろう。
しかし、フィディアに関して、ラリカは自分より上だと思っている節がある。
まさか、自分より優秀な人間――フィディア=ヴェニシエスが自分に嫉妬しているとは思わないのだろう。
……隣の芝は青いと言うかなんというか。なんともままならないものである。
――まったく。しかし、やはりこのままであれば、どこかで暴発する事になりそうだ。
もし、それが直接的な暴力として暴発が起こるようであれば、なんとかしなくてはなるまい。
横で、フィディアに向かってきらきらとした視線を向けているラリカを見て、はぁと私は短くため息をついた。
「それで、ラリカ=ヴェニシエスは、やはり治療の具合が気になったのかしら?」
「はい。……やはり私も、気になってしまいまして」
私がそんな人間関係の難しさを実感している間にも、どんどん会話は進んでいく。
フィディアが、青年に触れて容態を確認しているラリカに向かって、話題を変えるように訪問理由を問い掛けると、ラリカは恥ずかしそうにはにかんだ笑顔で答えた。
フィディアは、そんな反応を見ながら、ぴくりと眉を動かしている。
「そうね。『憑き物落とし』をしたのが私だもの。気になってしまうわね」
「はい! フィディア=ヴェニシエスには『ご負担を』おかけしてしまいました。――本当に情けない話なのですが」
「――別に、負担なんかじゃ……ないわよ……」
「『流石は』フィディア=ヴェニシエスですねっ! 実はあの後も、ヴェニシエスのあの短時間で魔法を実行する手腕を思い返して感動していたのですよっ! あれは、まさしく日頃の修練の賜物ですね!」
「そう……ラリカ=ヴェニシエスと同格のヴェニシエスとして無様を晒していなかったのなら良かったわ」
「何を言っているのですっ! 私などより、フィディア=ヴェニシエスの方がよほど素晴らしいではありませんかッ! ――むしろッ! 私の方こそ……ヴェニシエスという称号に泥を塗っていないか、戦々恐々としている毎日ですよ」
フィディアの様子を謙遜だと思っているのだろう。
ラリカは小さな両手を握り締め、ガッツポーズを取るように身を乗り出しながら、フィディアに向かって力説していく。
しかし、ラリカと話すうちに、話をすればするほど、ますますフィディアはその表情を曇らせていく。
――どんどんと、二人の間で、会話がすれ違っていく。
そうしてすれ違った会話は、次のラリカの一言によって決定的になってしまう。
「うちのクロエ=ヴェネラ自身が元々正式な手順で成った人間ではないので、『普通』どうしているのかが分からないところが多いのです。――どうすればフィディア=ヴェニシエスのように『ご立派』に努められるのかお聞きしたいのですよっ!」
――ラリカが自覚無しに地雷を踏み抜いたらしい。
恐らく、ラリカとしては王都でリクリスに指摘された、洗礼の儀式手順を誤ってしまった件などを示しているのだろう。
文字通りに捉えればそれは、『立派な先達に正当な手順を習いたい』というだけだ。
だが、どうもラリカに嫉妬しているらしき相手には、『そんな平凡さでよくヴェニシエスでいられますね』という嫌みに聞こえてしまっても不思議はない。
「――ッっく!」
案の定、フィディアは表情を一瞬苦痛に歪めると、顔を伏せてしまった。
「――ヴェニシエス……そちらの方は、先ほど無事に目を覚まされたようよ。大丈夫だわ」
顔を伏せたまま、フィディアは微かに震えた硬い声で青年の容態を説明した。
「ああ、これは話が脱線してしまっていましたね。すみません。――そうですね。私の見る限りでも呼吸も安定していますし、大丈夫そうですね」
フィディアの言葉に、いらない話をしてしまったことを咎められているとラリカは感じたのだろう。
申し訳ないという風に頭を下げてから、一通り青年の様子を確かめ、一安心したように安堵の笑みを浮かべた。
しかし、その笑顔もフィディアに見られることはなかった。
「――それじゃあ、鍵を閉めたいから……よろしいかしら?」
フィディアは、顔を伏せたまま、そっと消え入るように呟き私達が入ってきた扉を開けるのだった。
***
「……ッ! ほんとにラリカ先生だ!?」
「――せんせぇっ!」
ラリカの返答も聞かぬ間に外に出たフィディアを追うように、私達も慌てて外へ出て行く。
すると、廊下に出たところで、舌っ足らずな声でラリカの名前が呼ばれた。
ラリカと、フィディア。そして私は、慌てて、声のした方を振り返った。
すると、小学校低学年ほどの小さな男の子と女の子が立ってこちらを指さしている。
「――アミルにルカイアではありませんか!?」
「――貴方たち!? どうしてここに!?」
ラリカとフィディアの驚きの声が重なった。
――フィディアはともかく、ラリカがこの子供達に面識があるというのはどういうことだろうか?
そう思っていると、二人ともそろってこちらに向かって駈け寄ってくる。
ラリカは、最初こそ驚いた様子ではあったが、その場でかがみ込み二人に向かって視線を合わせて迎え入れた。
ラリカが伸ばす両手に向かって、二人が勢いよく飛びついていく。
「――っとと。そんなに飛びついては、私が転んでしまいますよ」
言葉に反して、ラリカは二人の子供の全力の突進を危なげなく勢いを殺して受け止めた。
「一体……二人ともどうして、こんなところにいるのですか? ――と、ちょっと待ちなさい、額に怪我をしているではありませんか?」
幸せそうに両手にぶら下がってくる二人を支えながら、ラリカは目を白黒させていたが、すぐにアミルと呼ばれた少年のほうが、傷を額に作っていることに気が付いた。
ラリカは、そっとぶら下がる二人から手を離すと、アミルの額にある、出来たばかりらしい切り傷に片手を添えた。
そのまま、指輪に仕込まれている治癒魔法を起動させる。
瞬時に不必要なまでに巨大な術式が起動されて、アミルの額の傷が一瞬で消え去った。
「うわ、治ってる!?」
「ラリカ先生すごいっ!」
「ふふ……そうですよ? 貴方達が成長している間に、先生だって少しずつ成長しているのです。――それで、本当にどうして二人はこんなところに?」
ラリカが、傷口をぺたぺた触りながら目を輝かせている二人に向かって、少し悲しそうな表情で自慢すると、そんなラリカの前で、二人の子供は元気よく指を一方に向けて見せた。
「「フィディアお姉ちゃんに聞いた!」」
――示されたフィディアのほうは、先ほどの沈痛な面持ちとは違い、少し顔を赤くしながら横を向いている。
「フィディア=ヴェニシエスにですか!?」
「――今、ラリカ=ヴェニシエスが保護したこの子達は皆、ユーニラミア教会預かりになっているのよ……私は、別に……昨日の授業でヴェニシエスが聖国に来ていることを教えただけよ」
驚いて、ラリカがフィディアの方を見上げると、フィディアは素っ気なく言い放った。
どうやら、事情は分からないが、この子達は元々ラリカと面識があって、今はこの国でフィディアの世話になっているらしい。
そこで、フィディアが昨日ラリカに会ったと聞いて、いても立ってもいられず教会をまたいでやって来たというところなのだろう。
――しかし、ラリカの事を嫌っているらしいフィディアがそんなことを他言するとは意外である。
子供達の様子をみるに、特になにか悪評を流したという訳でも無さそうだ。
よっぽど昨日ラリカに会った衝撃が頭に残っていたのだろうか?
「なるほど。そういうことですか。――確かに皆が今、どうしているのか気にはなっていたのですが……わざわざありがとうございます」
ラリカは、フィディアの行為を純粋な好意からの物だと思ったのか、深々と御礼を述べている。
「――別に、うっかりしてただけよ。……傷もラリカ=ヴェニシエスには迷惑を掛けたわね」
「いいえ。こちらこそ、随分迷惑をおかけしてしまっているようで……この子達は中々やんちゃくれですからね……フィディア=ヴェニシエスも大変なのではありませんか?」
「――そんな事ないわ。ちゃんと叱ったことは守るもの」
ラリカが、まるで自分の子供の不出来さを嘆く親のようにフィディアに言うと、フィディアは少しむっとした表情で子供達の事を庇ってみせる。
ラリカの方は、そんなフィディアの反応に、目を見開き感心した様子で様子で一つ頷くと、子供達に向き直って叱るようにわざと眉を吊り上げた。
「……貴方たち……あまりフィディア=ヴェニシエスを怒らせてはいけませんよ? どうせ、その額の傷もまた注意を聞かずに走り回って転んだのでしょう?」
どうやら、フィディアの反応から、随分と子供達が迷惑を掛けている事を察知したらしいラリカは、フィディアの苦労を少しでもなくそう考えたらしい。
まあ、例えば自分の子供がほかの保護者に世話になっていて迷惑をかけてしまっていると考えれば、その行動もも理解できる。
「――だって、フィディアお姉ちゃん、すっごい細かいんだもん!」
「そうそう。もーすっごいガミガミガミガミ。ラリカ先生の方がよかったぁ!」
しかし、そんなラリカの気遣いも虚しく、子供達は口々にフィディアへの不満を口にする。
……とは言っても、子供達二人の表情は、別にさほど深刻な物ではない。
おそらく、本心からの言葉ではなく、どちらかというと久しぶりに会ったラリカに対して甘えたいという気持ちがそんな言葉を発させているのだろう。
「こらっ……もう、貴方たちは……! フィディア=ヴェニシエスは、貴方たちに必要な事を教えてくれているのですよ? 私よりよっぽど立派なヴェニシエスなのですから、ちゃんと言うことは聞かないといけませんっ!」
ラリカは、二人の頭に手を乗っけて、ぐりぐりといじり回しながら叱った。
二人は、ラリカの言葉を聞いて、ぐるぐると頭を回されながらも目を丸くしている。
「……フィディアお姉ちゃんって、ヴェニシエスなの!?」
「……ヴェニシエスってことはラリカ先生とおんなじってこと!?」
「「すっげー!」」
唱和しながら、フィディアに尊敬のまなざしを向ける、二人のなんともまあ、単純なものである。
……いや、仮にこれを大人が口にした言葉であれば、権威主義以外の何物でも無い発言であるが、子供が無邪気に口にすると、『尊敬する先生と同じ存在』という以外の意味を含まない。
子供達の単純さに、思わず自分の子供時代がどうであったかと遠い昔を思い返しながら、少し視線を上げて尊敬の視線を向けられているはずのフィディアの事を振り返った。
だが、見上げた先にある顔は、青白く色を失っており、唇を強く噛みしめていた。
「――ラリカ=ヴェニシエス。申し訳ないのだけれど、私はこの後用事があるので失礼させて頂くわ。貴方たちも、きちんと挨拶をしたら、早く教会に戻るのよ? 今日の夜は私も一度教会に戻るわ」
「「はーい」」
「――え? ええ。分かりました。フィディア=ヴェニシエス。お忙しいところを引き留めてしまったようで……フィディア=ヴェニシエスに炎による輝きを」
フィディアは、早口でそれだけ述べると、ラリカの挨拶にも返事を返さず、表情を見せまいとするように足早に歩いていく。
廊下の角を曲がる直前、後ろ姿のフィディアが右手を持ち上げて自分の顔辺りで止めるのが見えた。
――もしや、今のは涙を拭っていたのか?
フィディアの姿が消える直前、わずかな間に見えたその動作は、ちょうどこぼれ落ちそうになる涙を必死で拭っているようにも見えたのだった。
このお話で、ついに100話を迎えることが出来ました。
正直、ラリカを書き始めるまで、物語というのを書いたことがなく。
本当に自分が書くことなんて出来るのか不安でしたが、いつの間にかここまで書き進めることが出来ました。
これも、すべて皆さんが応援してくださったおかげです。
本当に、どうもありがとうございます!
これからも、頑張って執筆をつづけますので、どうかよろしくお願いいたします。