プロローグ [挿絵あり]
『 ――罪深い人間たちに災いあれ。
――カミを殺す者には呪いあれ。 』
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プロローグ
私が、彼女と出会ったのは、小学四年生の七月七日の夜だった。七夕の夜にふさわしく、星がきれいな夜だった事を覚えている。
エリート志向の両親に半ば強制的に放り込まれた学習塾からの帰り道、いつも通りゆっくりと夜の静けさを噛みしめるように自転車に乗っていた。
たしか、その日は居残りで講師に質問をしていたから、時刻は夜の十時をまわっていたと思う。
ふと、道路に面した公園が目に付いた。
最近、その公園は、同級生から『神隠し公園』と呼ばれている。
なんでも、ここには古い井戸があり、遅くまで遊んでいると、この世ではないどこかに引きずりこまれるらしい。そうして引きずりこまれた者の代わりには、この世のものではない何かがあらわれる。そんな話がまことしやかに噂されていた。
残念なことに、その頃捻くれた性格をしていた私は、そんな噂話に興じる友人たちを、随分と子供っぽいと、内心見下して接していたものだった。
明るく周囲を照らしていた月が、すっと雲に隠れた時だった。公園のベンチで、なにかが煌めいていることに気がついた。輝く何かが、リズムを刻むように蠢いている。
――思わず、冷やかに聞き流していた噂が脳裏をよぎった。
『馬鹿馬鹿しい』自分の想像を振り払うように鼻で笑い、自転車を止めると、闇夜を透かすように、じっくりと目を凝らしてもう一度見つめなおした。
なにやら蠢いているように見えたのは、どうやら人のようだった。私より少し年上の少女のようだ。
足元の地面を眺めるように、顔を俯けているから、どんな表情を浮かべているかは分からない。
じっと見つめれば見つめるほどに、暗闇の中でも姿が浮かび上がり、彩度の低い夜の世界が鮮やかな色彩で色付けられ始める――
そんな錯覚に囚われる少女だった。意識を集中させると、夜風にまぎれてかすかに音色が聞こえる。どうやら、なにか歌っているようだ。どこか懐かしさを感じる旋律だ。
どれだけ時間が経ったのだろうか。月が再び雲の切れ間から顔をのぞかせ、周囲を照らし出した。それに釣られたように、少女は歌うのを止めると伏し目がちだった顔をあげた。
今だからこそ思う。
その瞬間、私の人生は決したのだと。
私はその少女に恋をしたのだと。
当時は持ち前のプライドの高さが邪魔をした。一目惚れしたという事実を全く認めようとはしなかったのだ。
月明かりを受けて光輝く銀の髪も、この世のものとは思えないほど整った、色素の薄い顔立ちをみても。
視線をそらす事が出来ず、あまつさえ一歩一歩とその少女に無意識に歩み寄りながらも、天邪鬼な私の脳内では、『白子か』という、ある種差別的な認識だけが生まれていたのだった。
ジャリ、という足元の砂が擦れる音が耳に入った。
私は、初めて自分が自転車から離れ、少女のもとへ歩いていこうとしていた事に気がついた。
「……こんばんは……?」
同じく足音に気がついたのだろう、その少女はこちらに顔を向けると、ゆっくりとほほ笑み、多少の疑念をにじませながらも、親しげに私に話しかけてきた。
「こ、こんばんは」
まさか話しかけられると思っていなかった私は、慌てて彼女に向かって返事をした。
「なにか……御用ですか?」
「いえ、歌が、聞こえた……から」
『お化けかと思いました』などとはもちろん言わず、内心の動揺を無意識に抑え込みながら、ぶっきらぼうに返事をした。
「あっ……」
まさか聞かれているとは思っていなかったのか、恥ずかしそうに彼女はもじもじと身じろぎをして、声を漏らした。その姿には何とも言えず嗜虐心が刺激される。
あるいはそれは、それまでのどこか神秘的な世界から、現実へ帰還できた事に対する安堵の裏返しだったのかもしれない。
「なんで、こんなところで、こんな時間に一人で歌っていたん……ですか? 俺たちくらいの歳の子がこんな時間に外出しているのはあんまり褒められた事じゃないと思いますが」
もっと彼女をからかってみたい。
出会ったばかりの人間にも関わらず、そんな不埒な考えが鎌首をもたげ、少し責めるような物言いになった。
『好きな子をいじめたい心理』という奴だったのかもしれない。
「……それは、あなただって……一緒。のはず……」
「俺は、塾があったからいいんだよ」
「……私だってそんな感じ」
「『そんな感じ』って?」
「……塾? みたいな感じ……?」
「『みたいな感じ』って?」
「塾に通っているわけじゃない……でも出歩く理由があったから」
「――へえ、『理由』って?」
「教える必要、ない……」
自分でも、随分馴れ馴れしい物言いだとは思うが、調子に乗った私は、もはや遠慮もへったくれもなく、上から目線のくだけた物言いを始めたのだった。
――この頃の私は鼻持ちならない嫌な奴だったことは否定しない。
ただ、言い訳をさせてもらうなら、別に私だって誰に対しても上から目線で話をしていたわけではない。この少女に、なぜだか、ある種の甘えに似た、親しみを感じてしまっていたのだ。
「いいじゃん、教えてよ」
なおも言い募る私に、どこか困った顔をした彼女は、ふとなにか悪戯を考えついたかのような顔をした。
左手を持ち上げ、内緒話をするように人差し指をそっと口元に添えると、こう言った。
「私、魔法使い……」と。
彼女の薬指にはめられた指輪が、月明かりを反射して妖しく赤く煌めいた――
はじめまして。
1章書き貯めてからの更新にしていく予定です。