tail one TIME 歌の輪03
03
「そろそろ僕も準備を始めようかな」
会場には客が集まり始めていた。ローズの歌目当てに現れた者。偶然立ち寄った者。ケーキを購入しに来たついでの者。様々だ。テスタロッサは立ち上がり、うーんと背伸びをすると、隣のミントも腰を上げたようだ。
「そういえば気になっていたのですけど、マスター? 楽器は持ってきたのですか?」
「もちろんあるよ。まぁ見ててよ」
テスタロッサは自分のぽっけから二十センチほどの長方形をした白い棒を取り出すと、それを握ってグッと力を込める。すると白い棒は青色の光を出した。彼が手をはなすと白い棒はそのまま空中に浮きっぱなしになり、青色の光は立体的な円形術法陣を展開させる。眩しいくらいに光度を強めたその光の流出が止むと、中から現れたのは大きな漆黒のシンセサイザーだった。これがま★ピアチェーレだ。細長いがしっかりした台座に乗っており、足元には踏みペダルが何本か出ている。地面から二メートル程浮いた位置には、丸くて大きなスピーカーが四個ほど浮かんでいた。彼が最初に手にしていたのは、どうやら鍵盤のひとつであるようだ。
「このスピーカーはオマケだって」
「これは素晴らしい」
さすがのミントも驚いて、素直な感想を言う。
「うわー! すっげーー!」
そこに、ローズと話していたテイルが寄って来た……が、二メートル以内には入ってこない。それは彼女なりの間の取り方である。彼女は、誰かが大切にしているモノには不用意に近づかないよう心がけているのだ。それが音楽家の大先生であるテスタロッサであったのならば、なおさらである。
「テイルちゃん。鍵盤を叩いてみるかい?」
テスタロッサはイタズラっぽくテイルに聞いてみる。
「へっ!? あーいやそのっ!? いやいやァ! とんでもない!」
ある意味予想通りといった彼女の反応を見て、テスタロッサは成程と思った。ミントの言う話が本当ならば、確かにテイルは目上の者に対する態度をわきまえているらしい。それも、かなり厳格な部類の。
「気にする必要はないよ。持ち主の僕が言うんだから。こんな機会はあまりないよ?」
「で、ですよね!……それじゃっ! し、失礼して……!!」
恐る恐る忍び足で近づいてくるテイルは、まるで好奇心旺盛な子猫のようだ。出現した魔工シンセサイザーの前に立ち、両手を開いて向ける彼女は、最終確認をするかのようにテスタロッサへ顔を向ける。彼がうなづくと、テイルは真っ白な鍵盤を人差し指で軽く押し込んだ。音はならない。
「あれ」
「実はこのシンセサイザーは、強い魔力を持った人じゃないと、音がならないんだ」
「えぇーー!?」
「あはは、ごめんよ」
「うぅー、酷いですよぉー! それじゃワタシには無理じゃないですかー!」
なんとも煮え切らない様子でテイルが言う。それにしても分かりやすいむすめである。結果としてテイルに意地悪をしてしまったことになるが、彼女の反応を見たテスタロッサは、なんとなく彼女の事を好きになれそうな気がしてきた……それとも、彼女のことだ。もしかしたら自分がいない場所で、今の事に対して愚痴でもこぼすだろうか? そう思うと、今更ながら、やらなきゃよかったと思えてしまう。
「安心して? テイルちゃん。私達も、音は、出せなかったのだから」
そう思っていた矢先、なんともありがたいことにミントが助け舟を出してくれた。ナイスアシストだ。
「そ、そうなんですか???」
「えぇ。そうよ? この楽器から、音を出せるのは----」
それからミントは彼を見て微笑む。
「マスターだけ」
どうやら、彼女に大きな借りを作ってしまったようだ。テスタロッサは苦笑になってしまったが、彼女に笑みを返すことでそれを返答とした。
「ちょっといいかな」
テスタロッサが動くまでもなく、そう言っただけでテイルはピョンと身を引かせる。そして彼はシンセサイザーの前に立つ。軽く左右の四本指を鍵盤に乗せると、鍵盤がニョキッと動いて長さを変えた。ま★ピアチェーレが演奏者の最も弾きやすい最適な長さを察知して、その姿を瞬時に変化させたのだ。全員はそれを見て感心したものの、テスタロッサは表情を変えてはいない。
彼は目を閉じて、指先を鍵盤に乗せた。瞼の裏に思い描くのは大きな木製のグランドピアノ。彼の薬指が鍵盤を押し込む。すると響き渡る音が長く細く続いた。それはまるで本物のピアノを叩いた時のような深みのある音で、デジタルな音でしか再現できないはずのシンセサイザーにあるまじき、実に高品質な音響だった。それこそ、本元と言っても差支えがないほどに。目を閉じているテスタロッサには、ピアノ本体内部で強く引き絞られた弦が震え、音が反響し、音色となった波が自分の鼓膜を揺らすのを感じた……これがま★ピアチェーレの機能だった。演奏者の思い描く音を出す。そのイメージが鮮明であればあるほど、奏でる音はより美しく、繊細で優雅な、はっきりとした波となる。
音が消えるまで目を閉じていたテスタロッサは瞼を開いて視線を落とす。最初に自分の両手を見つけ、次にシンセサイザーが本格的に起動し始める瞬間を目撃する。上部パネルに光が灯り、英数字の羅列が表示され、いくつもの調整用ランプが次々に点灯し始めた。演奏者の個性や好きな音響域のイニシャライズが完了したのだ。それから彼の指先が躍り出したのはすぐで、ほんの一呼吸の間を開けてからだった。
「綺麗……」
思わずテイルは感嘆の声を漏らした。奏でられた音楽は空気を揺らし、波となって周囲に響き渡る。テイルは見事に鍵盤を叩く彼の様子に見とれてしまい、先ほど意地悪された事などすっかり忘れてしまった。いつの間にか会場は静まり返っていたが、彼女達はそれに気付けなかった。セイレーンの歌目当てで来た客ですら、テスタロッサの奏でるピアノの旋律に聞き入ってしまっていた。
「~~♪」
その静寂を破ったのはローズである。右手を胸に置き、顎を上げた彼女はテスタロッサの奏でる音色に合わせて即興を歌い出した。『なんということだろう』。実は、ローズ本人ですら無意識の出来事だった。しかしマスターの演奏を聞いた途端、いてもたってもいられなくなり、感情が声となって勝手に出てきてしまったのだ。その反応は、まさにローズらしいと言える独特のものだ。彼女の歌声は高らかで、見事にピアノの演奏と共鳴していた。
≪はぁ……凄いわ!≫
ミントは二人に見とれてしまっていた。ローズもマスターも、自分の世界にすっかり入り込んでしまっているようだ。客も二人の共演に耳を傾けているようだが……これはまだ予行練習に過ぎないというのに。
自分もこの流れにあやかって、歌ってしまおうかしら? そんな考えも浮かんだ。しかしミントにはそれができなかった。彼女は『縄跳び』が苦手だ……ローズが羨ましい。彼女はそう思う。ローズのように、本能的に歌いだせたらどんなに良い事だろうか。ローズの歌声は高らかで気高い……そんな歌声を聴いていたら、なんだか自分は歌わない方がいいんじゃないだろうか、と思えてしまった。
何気に横を向くと、ソワソワしているテイルと目が合った。テイルは突然歌が始まってしまい、関係のない自分が舞台にいることが気になってしょうがないようだ。そんな困り果てた様子のテイルを見ると、なぜだかミントは安心感を得られた。それはテイルよりも、まだ自分が余裕を持てていることを自覚できたからかもしれない。
ミントはテイルにそっと手招きをして見せると、彼女を連れて石舞台の隅へ移動した。石舞台の左右には円柱が立っており、そこを舞台袖に見立てて姿を隠した二人は、互いに見合いながら笑い合った。
「あー助かったァ。ミントさんが助けてくれなかったら、もーどうしようかと思っちゃいましたよー」
「えぇ。実は、私も。テイルちゃんがいなかったら、きっとあのまま、あそこでオドオドしていたかもしれません」
「えへへ。それじゃワタシも、少しは役に立ってたってことかな……」
「そうね……あと、テイルちゃん? 私には、そんなに。かしこまった喋り方をしなくても、いいですからね?」
「えっ!?」
「私もローズと、同じようにしてくれて、構いませんよ」
「いや、でも、その……」
「私とは、仲良くしたくない?」
「そ、そーじゃないんです! ミントさんは超クールで、真面目で、その、すっごい頭が良くって! いっつも冷静だし、それに、大人の落ち着きがあるし……なんでも知っているから……」
≪そんな風に、私は思われているのですね≫
「私も、貴方と同じ。大公様に使える者の一人に、すぎませんよ。テイルちゃんとなにも変わらない」
「そう、です、けど、ね……ウっ、その……『こちら』といたしましては、肩書に囚われないものだってアルと思いまして……」
「それでは、ローズには。どうしてあんな風に、話しかけられるんですか?」
「あの人は、そうですね。何を言っても大丈夫と言いますか……あーいやその! 別に悪口とかそういうのをいう訳じゃーないですよ!?」
「うふふ」
「なんて言うんでしょう。話しやすいのかな……? 結構ローズさんは天然な所があるじゃないですか。子供っぽいというか……」
「ローズが、子供っぽいですか?」
「そう思いません?」
「うーん……私には、分かりませんね……」
「子供っぽいというか、純粋さ、でしょうかね? ホラ、ウチなんかも結構適当な所があるから、そこで波長が合うっていうか」
「まぁ? 残念だわ。それじゃ、私とテイルちゃんは。波長が合って無いのでしょうか?」
「いいいいやいやそうじゃないですって!! あのーそのだからぁぁーえぇーーとおぉぉ……」
「うふふ……」
「ミントさんって結構、人を弄ってくるんですね……」
「知りませんでした?」
「まさか。想像も付きませんよ……」
「テイルちゃんが可愛いから。つい意地悪したくなっちゃうの。それとも、この媒体があんそろGだからかしら?」
「あぁんもう! またそういう事を!」
「アハハハ」
「それじゃーミントさん! もーウチは容赦しませんからね! ミントさんだろうとガッツリぶッ込んでいくのでよろしくお願いしますよ!」
「お手柔らかに、お願いしますね」
このテイルというエクスは不思議だった。テイルと話している間は、なぜか落ち着いていられるのだ。もしかしたら、話していなくても、そばにいるだけでそうだったかもしれない。舞台中央での話である。あの時はテイル本人がオドオドしていたにも関わらず、ミントはいたって冷静でいられたのだから……考え過ぎだろうか?
だがいずれにせよ、まるで……少々やんちゃではあるが、妹のように自分に懐いてくれるテイルに対し、ミントは少なからず好意と信頼、そして安心感を抱いていた。≪妹か……考えたこともなかったわ≫
「それにしてもミントさんは、あそこで一緒に歌わないんですか?」
「えっ? あ、あぁ……だって。あれはまだ、練習しているようなものだし……」
「でも、結構本格的にやっちゃってますけど」
「そうね……」
「……?」
柱の陰から前方を覗けば、楽しそうに歌うローズと、シンセサイザーを見事に使いこなすテスタロッサの後ろ姿が見える。客は二人に首ったけだ。
「…………」
ミントは目を細めながら、そんな二人を見ていた……そして、テイルには。
「……私わね、テイルちゃん」
今の自分の気持ちを、素直に白状してもいいと思えた。
「……あまり、歌いたくないかな」
「……どうしてです?」
「自信がなくて……」
「そんな莫迦な!……でも……そう、なんですか……でもでも、どの辺がです?」
「具体的には……うぅん……全体的に……」
「むーん……」
テイルは深く追求することはなかった。そしてテイルもミントの心境をいち早く察したのか、背を壁に付けながら腕を組み、彼女と一緒に悩むような仕草を取る。やはり白状して正解だったとミントは思う。こんなことは、城の誰にも言えやしない。
「ウチはセイレーンじゃないから、よく分からないんですけど……でも、ミントさんの歌は、超一級品だと思いますよ」
「ありがとう。でもね。セイレーンの立場からすると、そうではないの」
「そうなんですかね……?」
「ローズをご覧ください。とても楽しそうに、歌っているでしょう?」
「えぇ」
「歌には感情が籠ります。喜び、悲しみ、喜怒哀楽。私達は、声に乗せて、それらを伝えることができるのです。籠った感情が、歌詞に合わさり、それが人々の心に響く。それがセイレーンの歌声」
「確かに。ズルいですよね……」
「うふふ」
「あーいやッ!? い、今のはそのっ、褒め言葉で!……すみません……やっぱりウチは口が悪いというかその……」
「私は、テイルちゃんのそういった、素直に言ってくれるトコロは、好きですよ?」
「そ、そうならよいのですが……」
「でも……そう。感情が乗るという事は、歌う本人も、気持ちを、込めなくてはいけないの。今の私のように、こんな所に隠れて。うじうじして。そんなんで歌ったりしたら、いい歌になんて。ならないわ」
「確かにそうなってしまいますね……あ、だからローズさんの歌声は、聞いていると楽しい気分になるんですね。歌ってる本人がバカだから」
「あのー、今のはちょっと聞き捨てならない発言ですね」
「やべー!? あーんもうウチはこれ以上なにも言いませんよ! ちくしょー! ちょっと調子に乗るとすぐこれだ!!」
テイルは自らの失言に嫌気がさして、頭を抱えながらしゃがんでしまった。ちなみに彼女の言う暴言の類は、大体がブラックジョークというか、大した意味は持っていない。彼女の口の悪さは、汚い言葉が日常的に使用される環境下に置かれているためであり、そればかりはどうしょうもないことだった。
「はぁ……羨ましいわ。私も、ローズみたいに。楽しそうに歌えたらなぁ」
「楽しくないのですか?」
「私の場合……それ以上に、不安なの。きちんと歌えているかどうか。他のセイレーンより、下手だから……」
「不安かぁ。うーむむ。一体どうすればお気楽に歌えるものでしょうかね……」
「お気楽に……うふふふっ」
「うん?」
「やっぱり、面白いですね。テイルちゃんは」
「……なにかまた変な事をウチが?」
「いいえ? とても斬新な表現です。まるで、目が覚めたようですよ」
「そう、なんです?」
「えぇ。そうですとも……」
ミントはそれから、もう一度中央の二人を覗き見ようとした時だった。