tail one TIME 歌の輪01
わグルま!には「わグルま日記」といって、ブログに自分のキャラ達の日常を日記形式で書く文化があります。
それにならい、この作品では文体をウェブ小説みたいに『改行や会話文を多めにとってあります』。また、ウェブ小説よろしく「www」などの芝とかも普通に書かれていますので、気になる方はご注意下さい(しようもないが)。
いつもならば改行無しでずらーーーっと書くのですが、いやこういうのもイイネ!
tail one TIME
『歌の輪』
feetテスタロッサ大公殿
01
----眠れるセイレーンは夢を見た。昔の夢だ。幼いころの夢……これは悪夢だろうか?
幼いセイレーンの少女は初等学園の机に座っていた。周囲には彼女と同じ年頃の学生達。
違いと言えば、少女は他のセイレーンよりも高級な装飾品で彩られた私服を着ているところだろう。
「いよいよ明日は遠足です」
「やったー! わーい!」
教卓に立つ先生が言うと、教室からは歓喜の声がこだました。少女の声を覗いて。
「ですが、ミントさんは、残念ながら来れません。長い移動は体に負担がかかってしまいますから」
「いつものことでしょー!」
「どうでもいいよー! 早く行きたーい!」
「貴方には、特別な予習の宿題が渡されます。休日になるとしても、勉学を怠ってはなりませんよ」
「遠足だー! やったー!」
机に座る少女はうつむきながら目線を落とし、瞼を閉じて、また開くと前を向く。
幼いセイレーンの少女は窓辺に座っていた。
少女は親から買い与えられた上物のドレスに身を包んでいる。
窓の外には学校の教室にいたセイレーン達の姿。
「ミントは来ないのー?」
一人の少女が窓の中に向かい指をさす。
「ダメだよー。どうせ来ても面白くないから」
「だってミントはすぐ疲れるから遊べないもんね!」
「ゴメンね呼んじゃって!」
「ばいばーーい!」
「アハハ」
「ウフフ」
幼いセイレーン達は窓の向こう側へと消えていった。
……どうせ自分は何もできやしない。
何かあればすぐ体調を崩す。
頭痛と倦怠で体は動かなくなってしまう。
テストで得た高得点も、与えられた綺麗な服も、彼女に幸せを与えることはできなかった。
悔しい。
悲しい。
幼いセイレーンはうつむいたまま表情一つ崩さない。
そうして彼女は目をつむる。
しかし聞こえるのはみんなの楽しげな笑い声。
少女はたまらず耳をふさいだ。
ギュッと瞼も強く閉じた。
窓の外から聞こえる声がやんでくれるまで。
声はいつまでたっても鳴りやまない。
数十分、数時間、どれほどたっただろうか?
いつか、少女はその声が音であることに気づいた。
それは雨の音だった。
雨雲が無数の水滴を地面に浴びせていた。テスタロッサ邸のにある一室で、ミントはその降り注ぐ雨音を聞きながら窓をぼんやりと眺めていた。サァサァと落ちてしたたる雨の音。彼女はこの音が好きだった。静かな音。優しい音。時には激しくなったりするが、そんな音も許せた。心にモヤモヤがあったり、気分や体調が悪かったりしていた時は、この音を聞くと心が落ち着くのだ。しかし自分がその中にいてはだめだ。室内、できれば温かい部屋の中で、それを眺めるのが良い。寒いと具合が悪くなってしまう。
外はどんよりと暗い。それもまた良かった。晴天晴れは素敵だが、彼女にとっては少々眩しすぎる。ちょっと薄暗いほうがちょうど良い。そんな風に思える。明るくて温かな部屋の中で、暗すぎない外の雨模様を眺めながら音を聞く……自分でも贅沢な話だとは思うが、そんなあんにゅい空間は、ミントにとってとても居心地良く感じられた。
「…………」
『嫌な夢を見た』。久しぶりである……いや、たまにあると言えばそうだ。忘れたころにやってくる、幼少の頃に刻まれた消えない記憶。あれから何十年経とうとも、いくら大人になろうとも。当時の景色を前にした彼女は、あの時の病弱で可哀想な少女に変わってしまうのだ。実に無力で、何もできなかったあの頃……今はもう違う。体力もあるし、普通に動ける。知識と行動力だって身に着けた。しかし、ひとたびその碧眼を瞼で覆ってしまえば、内側にいるのはあの時の少女だ。情けない話である。少女は今でも窓辺に座り、ガラスの向こう側の世界を、ただ茫然と見つめていたのだ。
「あら? ミント。どうしたの?」
窓辺で頬杖をついていた彼女の背後から声がした。
「そんなところで、ぼぉっとして」
ミントが振り向くまでもなく、彼女の目の前にある窓が、声の主をこっそりと教えてくれた。ミントが目線をちょっぴり動すだけで、窓に反射したローズを見つけられたのだ。
「ローズ」
ミントは何度か瞬きをしながら振り向いて、彼女の名を呼ぶ。ローズは困った表情をしながら、少しだけ首をかしげていた。
「また、具合悪いの?」
「うん」
「それは、良くないわね。それじゃ----」
そこでミントは、ローズが次にいう台詞をすぐに連想してしまった。
「「私の歌を聞かせてあげましょう」」
「…………」
「……」
「「ウフフ……」」
タイミングを合わせたわけでもなく、二人は同じセリフを同時に告げる。そうして数秒間互いに見つめ合うと、また同じように笑ってしまった。窓辺に座っているのはプラチナミント。訪問したのはプラチナローズ。彼女達二人はセイレーンだった。
セイレーンは歌が上手い。誰に聞いてもそう答えが返ってくるに違いない。静かな歌。激しい歌。情熱的な歌。どれもこれもが超一流だと言うだろう。ミント自身も、歌は嫌いではなかった。しかし、自分が上手かと聞かれると……彼女は口を濁してしまうかもしれない。
ミントの歌は上手い。それはお世辞抜きの話で、誰が聞いてもそう思えるレベルである。だが、彼女自身からしてみれば、そうではないように思えていた。それは彼女が自分に課した定義だ。どの程度のレベルなら『上手い』と言えるか。ミント自身は、自分の定義する上手なレベルに達していないと感じている……しかし、そんな風に思うのは彼女だけではないはずだ。向上心が強い者ならばなおさらそう思っているはずである。ゆえに、今より上手くなろうと努力する。それが進歩に繋がるのだ……ただ彼女の場合はそれとは少し違っていて、どうにも自分の技量を低く見積もり過ぎている感じがあった。
雨の止んだ次の日。眩しい光がサンサンと城に照り付けて、ミントは目を細めてしまう。風は少し冷たい。だが良い匂いだ。そこは庭園だった。ミントはプランターの前でしゃがみ、水滴の付いた葉っぱを眺める。キラキラしていて、綺麗だった。ピンッと指で葉を揺らすと、小さな水滴はさらに無数の小さな水滴になって弾け飛んだ……こんな事をしているのを誰かに見られたら恥ずかしいと思えるものの、それでも彼女はなぜだか、そんなことをしている自分の姿を想像して、一人ほくそ笑んでしまう。
よし、元気そうだな。ミントは青々とした小さな葉をもう一度見つめてそう思う。彼女が見ていたのは香草の一種だった。薬学辞典に乗っていたものだったが、紅茶などにして飲んでも薬にもなるし、旨いらしい。前に魔王の依頼で作った成長剤をテスタロッサが改良して、ローコストで生産性のある肥料を作ってくれたのだ。それを使ったら、一昨日植えたばかりなのに、もうこんなに伸びている。転生悪魔とは凄いものだ……などと、柄にもないことを考えながら格好つけたミントだったが、立ち上がった際に直射日光をまともに浴びてしまい、目が眩んでよろめいてしまった。
「はぁ……」
実は頭が痛い。彼女は雨が好きだ。そう、眺める雨は良いものだ。しかし、雨の降った次の日は、時々体調が悪くなってしまうのだった。それはたぶん外から入ってくる雨風によって、若干風邪気味になってしまうからだろう。ぴったりと窓を閉じていたのに。もしかして『また』、窓辺に座っていたからだろうか? 暖かな部屋の中だと、冷たい雨風は吸い心地がよい。しかしそれと一緒に、風邪のウイルスも入ってきてたのかもしれない……ミントは他の者より、体が弱かった。もしかしてそのせいで、あんな嫌な夢を見てしまったのだろうか?
「 ~~♪ 」
どこからか歌が聞こえる。
「 ~~♪ 」
聞き間違えるわけもなく、これはローズのものだった。ぼんやりとしながらミントは、導かれるようにその歌声のする場所へと歩みを進める。歌の旋律、音色の螺旋……陽だまりの中にローズはいた。とても楽しそうだ……ローズには、あぁいった光の中が良く似合う。ミントにはそう思えた。高らかに声を響かせれば、聞く者の心をたちまち共鳴させる綺麗な歌声である……ローズは本当に歌が好きなのだ。だからあんなにも楽しそうに歌うことができる……ミントは自分の世界に入り込んでいるローズをただぼぉっと見つめながら、そんな風に思う。そして……なんとも残念でならないが、次は絶対にこう思ってしまうのだ。それに対して、私は。
「オイうるせぇぞ! 朝っぱらからァァーー!」
近所の方の声がした。
「あら? どうしたものかしら、ごめんなさい。この歌ではいけなかったみたい。それでは、違う歌をもう一度……」
「いやそうじゃないって!? 城の中でやれよ!」
……しかしながら、どういうわけか。このテスタロッサ邸の周りの方々は、セイレーンの歌声があまり好きではないらしい。いやセイレーンの歌というよりもローズの歌が、と言った方が良いのか……でも彼女の歌は綺麗で素敵だ。それだけは言える。そしてそれだけは、きっと近所の人達だってそう思っているに違いないはずだ。しかし、それ以外の……例えばボリュームとか……時間帯だったり……そういったTPO的な部分において、ローズは少々(?)、いや大分(???)ルーズだったのかもしれない……
「ローズ」
毎度のことながら、ミントは苦笑しながら彼女の傍へと近寄った。
「ミント」
「今日は『誰に歌を聞かせてあげていたの』?」
「えぇ? それはもちろん、『魔界中の方々』によ?」
なんというか……ローズの言うことは色々と大げさな時が多い。
「それは素敵ね」
「えぇ。それにこんな空気の美味しい時に歌う歌は、私にとっても気持ちがいいわ」
だがそれも、ミントには慣れたものだった。
「確かにそうね……そういえば、朝食はもうとった? さっき中からいい匂いがしてたわ」
「あぁ。そういえば。お腹がすいていたんだったわ。皆のために、我慢していたのだけれど……」
「歌ったらなおさらそうでしょう。私はもう行くけど、ローズも一緒に、良かったらどう?」
「えぇ、そうね。それじゃ、私も行こうかしら……」
どうやら今回も、上手い具合にローズの歌を止めさせることができたようだ。正直な所、歌を聞いていたいというのもあったが、空腹なのはミントも同じだった。そしてその状態で強い日差しを浴びていたので、なおさらフラフラしてきた。若干気持ちも悪くなっている。
「ミント。顔色が悪いわよ?」
城の入口辺りで、横に並んでいたローズが言う。ミントは窓に写った自分を見る。色白の美しいセイレーンであるプラチナミントだが、強い日差しの中では、時にその透き通るような素肌は病的と言い換えられても良いほどだった。そしてミントを見慣れているローズからして見ても、やはり彼女の顔色は悪いように見えたようだ。
「少し休めば、大丈夫よ」
自分の体調管理くらいはできる。今は早朝に歩きすぎたせいで、ちょっと気分が悪くなっているだけだ……ミントはローズに笑み見せて言う。
「そう……」
ローズは少し寂しそうな顔をする。が、しかし。その表情はすぐに元へと戻った。それはミントも同じだった。なぜかと言うと、城の中に入った途端、実に美味しそうなパンの焼ける香りと、ポタージュスープ、紅茶、それから魅惑的な甘いお菓子の香りが漂ってきたからだ。
それを感じた二人は、どちらからともなく互いの顔を見る。すると目線がぶつかってしまい、またいつぞやの時みたいに笑い合ってしまった。
それから日は沈み、夜。橙の光で満たされた室内で、影を長く伸ばしながらローズは本を読んでいた。結局その日はどこにも外に出なかったが、体調は大分良くなったようだ。
「やぁミント。ちょっといいかな」
声をかけたのはこの城の主、堕天使の転生悪魔テスタロッサ大公である。夜の彼は灰色の翼に橙の光が反射して、日中とは違った印象がした。優しげな笑顔が良く似合う、身長の高い男性だ。
「実はね。個人的に以前仕事をした演奏楽団から、面白い楽器を譲り受けたんだ。ま★(スター)ピアチェーレと言ってさ。最新式の魔工シンセサイザーなんだって」
「えぇ? それは喜ばしいことですね」
「うん。これが中々面白くてね。鍵盤の大きさをその場で変えたり、音の強弱を念じただけで変えられるんだ。でもこのシンセサイザーから音を出すには、高位な魔法使いクラスの魔力がいるとかで……僕はもちろん魔法使いなんかじゃないけど、これでも転生悪魔だからね。さっき試しに鍵盤を叩いてみたら、普通に音が出たよ。ちなみに……ローズが叩いても、音は出なかったな」
「まぁ……でも、給料の代わりに、それを貰ったんですか?」
「そうなるね。正直これの購入額を考えると、普通に給料をもらうよりも高く付いたと思うよ……そこで、なんだけど。ミント。僕から少し、提案がありまして」
「提案? えぇ、なんでしょう」
「本来僕は一人で演奏するのが好きだから、あまり他人と一緒にやるって機会は取らなかったけど。ちょっと今回だけは、こんなのを貰って嬉しくてさ。楽曲のプリセットも最初からいろいろ入ってるから、一人で何人分もの演奏ができるんだ。そこで、さっきローズと話してたら盛り上がっちゃって。今度、外で演奏会でもしようかって話になったんだよ。それに、だね……」
「……私も、ですか?」
「体調が良くない?」
「そちらは、まぁ、そこそこ、ですけど……」
「無理にとは言わないよ。それに演奏会と言っても、公園の広場でちょっとやるだけさ。パティスリーミュンミュンっていうケーキ屋さんがあってね。ローズがそこの店長と知り合いらしくて、彼女が頼めば、いつでも場所を貸してくれるらしいよ」
「それは、でも……私以外にも、誘える方がいるのでは?」
「そう言うと思った。いやまぁ、うん。でもねぇ……」
「……ローズですか?」
「…………」
テスタロッサは何か考えるようにしながら腕を組むと、フーンと息をして上の方を向いてしまった。
「……最近、元気がないってさ。ローズ」
「私がです?」
「そう。僕から見ても、まぁそう思えるね」
「そうでしょうか?」
「そうじゃないかな」
「そうでしょうか……」
「最近歌っているかい?」
「歌、ですか?」
「セイレーンは歌っているのが普通らしいよ。もちろん絶対じゃないとは思うけど。でも歌うのを止めてしまうのは、君達にとって、少しアレなんじゃないかな」
「私は別に、普通ですけど」
「うん。それならいい。じゃ、それとは別に。どうかな。今回久しぶりに、ちょっと歌ってみたいとは思わない?」
「それは……」
「気晴らしにさ」
「…………」
なんとも、テスタロッサは妙にミントを誘おうとしている。彼女はこんな彼を見るのは初めてだった。それと同時に、こんなに楽しそうにしている彼を見るのも久しぶりのような気がする。新しい最新式の楽器を手にしたもので、男心に、いや演奏家として火が付いたのだろうか? まったく珍しいものだ……
「…………」
どうしよう。彼女は返事に困ってしまった。だがこのまま沈黙を続けるのはとても気まずい。
本心を言えば、別に行っても良かった。それに、彼は今とても楽しげな様子だ。もし自分がノーと言ってしまったら、彼はがっかりしてしまうだろう。それは不本意である……『しかし』…………
「まぁ、考えておいてよ。予定が決まり次第、その時にまた聞くからね」
テスタロッサが優しく告げる。しまった。ミントは結局返答できず、だんまりを決めてしまった。しかし、何か気の利いたことでも言いたいものの、口は全く動かない。かろうじて彼に顔を向けるくらいが精一杯の反応だ。自分の顔を見たテスタロッサは少しだけ笑うと、「それじゃ、また明日」と言った。彼の好意を棒に振るような形となったことに対し、ミントの気分はひどく落ち込んでしまった。
それから寝る時間になったのだが、どうも今は寝ようとする気分にはなれなかったミントは部屋に戻らず、二階の談話室に出向いた。今の時間は誰もいない。途中にミルクティーを淹れてきたので、その手には湯気立つティーカップが持たれている。彼女はそのティーカップを窓辺に置いて、椅子を配置し、部屋の明かりを消す。橙の光で満たされていた室内は暗闇に包まれたが、目が慣れていくにつれ、薄い青色で彩られた景色が再び彼女の前に現れた。窓の外からは月の光が差し込んで、彼女はまた窓辺にもたれかかる。月は綺麗だった。そして夜は静かだ……不思議な落ち着きが彼女を包んでいた。それは先ほど、テスタロッサに返答しようとして緊張しっぱなしだったからだろうか? 普段は意識しなければ分からない、空に浮かぶ雲がゆっくり動くのが見える。とても落ち着いた気分だった。
≪でも、どうして私はあの時、返事をできなかったんだろう? 珍しくマスターがウキウキしていて、私を誘ってくれたというのに……≫
そんな風に考えて、ハァとため息をつく。だが、答えは既に分かっていた。
≪歌に自信がない≫
そしてまた、溜息をついた……しかし、それもまた過剰表現である。
≪……別に、自信がなくは、ない……そう……でも。あの時…………『そう』。私は今朝、ローズの歌を聞いていたわ……とても美しくて、綺麗な歌声だった……それはとても素敵だと思えた…………『でも』、その時の私は。とても体調が悪かったわ……それから大分良くなったけれど……そんな時に、マスターから誘われた。そう、ローズと一緒にね。きっとローズは、いつもみたいに、自分の歌を私に聞かせたかったのでしょう。別にそれは悪い気はしないわ。彼女の元気な歌声は、いつ聞いてもいいと思える。でも、でもね。そこで、『それに』、私も一緒に歌うとなると……そうなれば、話はまた違ってくるのよ……そうじゃない? ねぇローズ。貴方には、もしかしたら理解できない話かもしれないけれど……私にはね、ローズ。自信が無いの。そう、貴方の隣で歌うことによ……変な話よね。だってそうでしょう? 別に優劣なんて、そこにはないじゃない。でもね、ローズ。貴方はとても幸せそうに歌を歌うわ……でも、私は、その隣で。果たして同じように、楽しく歌を歌えるかしら? 別に貴方が嫌いなわけじゃないの。これはあくまで、自分自身の問題で…………私はね。ローズ。自信が無いわ……楽しく歌うことが……≫
ミントは窓辺に置いたティーカップの腹を、しなやかな細い指でなぞる。まだ熱い。彼女は別に猫舌と言うわけではないものの、今はもう少し冷めたのを飲みたい気分だった。
≪……はぁ。そうね。そう。全部この気分のせいよ。ローズ。いえ、マスター……本当に自分が嫌になるわ……どうしてこうも私は気まぐれなんでしょう……自分自身に振り回されるなんて……笑っちゃうわよね? 私も変だと思うわ。でも私の体は、すぐ具合が悪くなってしまう……そうすると、色んな事が嫌になったりして、やりたいって思ってることも、それこそ一瞬のうちに、『やりたくてもできない事』になっちゃう。ハァ……参っちゃうな≫
月が雲に隠れ、窓辺に差し込む光が弱まった。しかし、夜空には無数の星々が光り輝いているのが見える。
≪私も…………≫
ゆっくりと流れる雲の動きを、ミントはじっと見つめていた。
≪私もあんな風に、歌えたらなぁ……≫
次第に雲間からは月が顔を出し始め、彼女の淡い桃色の翼は不思議な輝きを放つ。誰もこの神秘的な風景を見ていないのが残念なほどだ。月光を浴びた麗しきセイレーンのプラチナミント。悩ましげに開かれた碧眼を何度か瞬きさせた彼女は、手元のティーカップを見つめた。もう一度その腹を指でなぞる。肩口からしなやかな長い髪がはらりと落ちた。いつのまにやら、ティーカップは大分冷めてきているようだった。
≪…………≫
ミントはもうそれ以上、何も考えることができなかった。考えることに疲れたのだ。ティーカップを口にすると、ほんのりと甘いミルクティーが彼女の舌を満たした。
≪……美味しい≫
それは自分で淹れたものだが、どうやら今回は上手にできたようだ。毎回同じように作っているはずなのに、どういう訳か毎回出来栄えが違うのが不思議だと、彼女は思う。紅茶、ミルク、お湯。それぞれの分量を毎回計って淹れている訳ではないのだが……
≪まるで私の気分みたい≫
美味しく淹れることのできたミルクティーをもう一度口に含み、彼女はそう思いながらちょっとだけ、寂しそうに笑った。