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花姫  作者: タナカスズ
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上 第三章「遠き街の灯」

「おれがテッド。それで、おまえさんがメリイね」

 と、顔も上げないくせに、妙に親しげで、

「そこにいるのはデレクウだな。青の染め込みは真新しい」

「自分の眼球でものを見るのはスタイリッシュじゃない、って持論なんだ」

 デレクウが言う。メリイはデレクウを見るけれど、もう番犬らしい任務の表情になっていて、二段ベッドでの寒気がするような安っぽさの、あの温もりは遠くなっている。彼は確かにヘマでイモだったけれど、こうしていると見違えるようだ。メリイが思うに、そのどちらも素晴らしく最高、ではあるんだけれど。

 テッドはやせて小柄な少年で、古式な液晶画面を五つも並べ、明かりも点けていない部屋の真ん中で、レース車のようなシートに座りこんでいる。部屋の中には監視カメラはなく、彼の目の代わりをしているのはカメラ付き六本足の奇妙なマシン二台だった。そいつは手の平大で、ベッドの上と、彼自身の肩の上からこちらを見つめている。少年自身も拡張眼鏡をかけていて、たぶんその瞳と液晶画面との間あたりには、大量の立体映像だか情報の流れが浮かんでいるのだろう。ベッドの下には外箱なしのコンピュータの回路板が、細い金属棒のいびつなジャングルジムに配置してある。室外機の唸り。

「何、昔っから目を見て話すのは苦手だったんだ。それとこういう技術への憧れが図らずもリンクした」

 そう言うテッドは誇らしげで、ロボットのフォーカス音がする。メリイは頷けなかった。だって薄気味悪いよ、これ。

「でもま、あんた立派なジャックなんでしょ……」

 テッドの二秒の沈黙があって、

「そうさ、おれは立派なジャック。最高に切れる」

「今こいつは、どっかの辞書にアクセスして君のスラングを引いたんだよ」

 とデレクウが教えてくれる。

「視覚も記憶領域も結線済みってわけさ。で、ジャックって何だい?」

「盗人のこと。ネットの」

 メリイが答える。

「デレクウよ」

 妙に厳格な風な声でテッドが言う。

「おれのこういうやり方を、少しでも悪く言ったら“まずい”ぜ」

 デレクウが眉を吊り上げる。

「おれはただ、あんたが変人だってことを言いたいだけさ。だけどな、変人にも二種類ある。違うか?」

「違わないね。よく分かってるじゃないか」

「要件を言うぜ、テッド。どうやら物凄に切れる雇われ人さらいなんだ。フクロウの面でな。正体が分かるかい」

 テッドの両手は動かないのに、彼の脳に描かれた仮想の操作卓が、五台の液晶画面に様々な変更を加えていく。べらぼうに速い。緑色の明かりが、画面の動きに合わせてテッドの顔を洗った。

「こいつらは、どうも気に食わない」

 とやがて口を開き、その口調は調子の悪い機材関係の話をしているみたい。

「なぜってこいつらは、企業や個人雇いやなんかの仕事を請けている大多数とは別物なんだ。つまり、永久の忠誠うんぬん――」

「でも、さ」

 デレクウが割って入り、

「お偉方は、そいつらが企業に雇われの“古い影”だと」

 少年は頷いて、

「それは古い情報だな。かつては正しかった。そしてかつてそうだったやつらが、今や一つのものに付いてる。その流れ自体は、ここ最近密かにゲームを賑わしているものでね」

 少年が語り始め、

「つまり、聞こえてくる話を色々と統括してみる。複数から感じ取った全体から、流れを意識してみる。となると、どうやらここ一か月のあいだに、どえらい大事が動いてるんだ。ある財閥の一人娘がおかしくなって、これがそのフクロウの雇い主。それは、ほんの一例でさ。そこらじゅうで、力を持った人間がおかしくなってる。雇われの集団が、何か一つのものに付くという事態が多発してるんだ。ところでなぜ、こいつらはこのメリイ女郎を追いかけてるのか」

 メリイは眉を吊り上げる。全く疑問だ。

「てなると、どうも、前例があるんだよ。この若い一人娘ときたら、この一カ月で三人も、平凡な市民ってのを人さらいしてるんだ。フクロウどもの出現情報と比べてみると、さらうのに成功した例のってのは三件だけだが、その十倍もの件数で、やつは人を追っかけてる。やつだけじゃなく、他のおかしいやつらも同じ。人さらいが流行ってんのさ。それでメリイちゃん、君はその失敗したほうのネタなんだぜ……」

 緑色の光が流れて、今やメリイも聞き入るばかり。テッドはまた大量の情報流を泳ぎ、要約してくれる。

「まあ、このフクロウどもってのが、忠誠を誓ったことは事実だけど、それは冗談みたいなもんさ。ずっと昔からいる神様ならともかく、こんなサイバー宗教絡みのトンチキ女を、司祭だと思い込んであがめるわけはない。とんでもない。だってこいつら、今現在、下の街場で一番ホットな最先端技術でつま先まで武装してるんだぜ。バブゥだかグウルゥだか、そういう新興ものに熱心なわけがない。ただ、企業雇いの尻軽じゃなくなったってことを、大声出して宣言したってことには意味がある」

「一体どういう……」

 メリイが言う。ちんぷんかんぷんだ。

「同業者や、たくさん控えている客との断絶を認めちまったのさ。いや、認めさせられたんだな。この金持ち娘にね。あんたたちは、今日をもって他の誰の仕事も請けてはならない、私の僕になるのよ、ってわけ」

「つまり財閥がそういうトンチキをやらかしてるってことが、おれたちにゃはっきり分かると」

「この女が相当狂っていやがる、ってのが、この件で分かるのさ。誰がこんな横暴なことをやらかすってんだい、あの微妙で熾烈な経済ゲームの卓の上でよ。フクロウに限らず、こういう集団ってのは誰にも必要なものなんだ。それを一人占めしちまった。この女、一週間ももたんぜ」

 メリイは慌てて、

「でさ」

 六本足のカメラが唸る。メリイはそれは無視してテッドに向かい、

「私が追っかけられる理由ってのは何なの。私の、あのヘンな感じは何なの……」

「それが、だよ」

 テッドは首を鳴らし、ぶっきらぼうに、

「ジンってんだ。おれはこういうオカルトが好きじゃないんだけど、どうやら本当に、街場にこれが起こってるんだ。ジンだよ」

「どういうスラング……」

「書き込みさ。脳に直接。誰が何でそうしたのかは分かっていない。でもとにかく、誰かがこれを書き込まれると、とんでもなく俊敏で鋭くなっちまう。それで、どうやら未知の技術の設計図が一緒に付いてくる。軍事的にだか何だか、とにかく価値がべらぼうなんだよ。だってよ、誰も知らないこと、なわけだぜ。誰も作れやしない書き込みなんだ。そりゃ、特許権ってのを考えてみろよ。えらい大金だぜ……」

 メリイは首を振り、

「わかんないわ。何で私を選んだのやら――」

「グウルゥは理由もなしに誰かを選ぶらしいんだ。何でってことはないのさ」

 そういうテッドは本当に申し訳なさそうだった。




 午前から昼過ぎにかけては、そうしたテッドのような仲間たちと会って過ごした。

 もう夕が近く、空は遠い青空に、懐かしい炎の明かりを灯し始めている。もう少し時間がたてば、ここでは夕陽があらゆる場所に映り込み、たぶん本当の夕焼け空よりずっと眩しく真っ赤になる。

 デレクウは安物の、個人工場産の煙草を吸いながらテラスに出た。メリイもそれに付いていく。高層町というのは基本的に違法改造の塊みたいなもんだから、誰かの所有するビルに誰かが勝手にテラスを付けることなどは当たり前なのだ。

 相変わらず、無数の生活排気を乗せた弱い風が吹いている。その香りは形容しがたく、代わりにいつでも、ずっとあった匂いだ。夕食の支度なのだろう。

 外は秋晴れの高い空で、すぐ手前はビル群の嫌気が差すほど邪魔くさい灰色が埋め尽くしている。ビルの谷の狭間では故障したホロがうっすらと明滅しており、何かの広告だ。それを見てみようとするけれど、結局メリイには意味が読み取れず、やめてしまう。まるで世界が終わってしまったあとのよう。この静けさも、誰かに追われていてすら、誰への責任も持たない今の状況も。思えばいつも何かを飲み込み、飲み込み切れず、やがて耐えるようになり、それがメリイを少しずつ壊しつつあった。完全に腐敗した肉体の商売も、死んだ両親も。

 だが今ではもう、帰らなければならない場所はなく、身を沈めていなければならない商売もなく、死んだ両親の記憶は純粋に感情であり、かつて恥や罪悪感と決して無関係ではなかったころとは別物だ。あのフクロウに出会ったこの一晩で、デレクウと朝を迎えたこの一晩で、メリイは多くのものを全く別の角度から見ることになった。

「なあ、メリイ」

「うん」

 デレクウがそうやって拡げる星図は、概略図は、メリイにとってはとても現実離れしていて、まるで作り話を聞いているみたいに思える。

 彼はメリイと同じ地上生まれで、家出の放浪生活中に、高層町に旅行でやって来て、そのまま住み着いてしまったのだという。

「ここには行くあてのないやつが、上手にやれば生活を作り直せる土壌がある。ってのは、もともとここがそういう場所だからさ」

 綺麗な灰色ペンキ塗りの手すりにもたれて、デレクウは見慣れているのだろう景色を見つめている。よくここで煙草を吹かしているんだろう。

 少年デレクウは最初、下請け工場の弟子入りを決め込んでいた。ちょっとした腕利きだったから、それで小遣いを稼いでいたのだ。しかし工場の持ち主は弟子を取らなかった。お前みたいなやつならいくらでもいる、というよくある文句を言われた。まだ本当の子供だったから、デレクウは泣きながら自分の部屋に帰ろうとしたのだけれど、どうしたことか投げやりな足取りで歩いているうちに迷子になってしまった。

「ちょうどそのころってのが、あの化け物みたいなテックコム研究会の流行ってたときでさ」

「聞いたことないわ」

 デレクウは笑みを見せて頷いて、

「昔のことだからね。あいつら、地上から持ってきた中古の電子部品ってので全身を固めてて、少しばかりこっちのあらゆるヤンキー共から進化してたんだ。この番犬たちを除いて、ね」

 迷子になったデレクウは、どこかの明らかに危険な区域に迷い込んでしまった。現地人が絶対に近付かない場所で、そのころ研究会が主な縄張りとしていたうちの一つだったのだ。三人組の、むき出しになった機械部品の若者たちに声を掛けられ、すっかりすくみ上がったデレクウはまた泣き出した。

 それが気に入らなかったらしく、一人の若者が前に進み出て、何かデレクウの知らないスラングで罵り始め、脅し始め、意味なんて分からないけれどその空気の感触というのは痛いほど分かったから、デレクウは少年なりに絶望した。

「そこで、そのころはフォイルなんてなかったから、黒い布で闇にまぎれた、番犬が現れたんだ。無意味なガキだろうと、そういう勝手は保安基準に触れてるってんだな」

 今では卒業生となっているその番犬は、デレクウを助け出して部屋まで送り届けてくれた。殴り倒した三人組は、粘着テープで四肢を固定されてしまった。

 空白のスペースに分厚い布を敷いて寝泊まりができるようにしただけの自室に戻って、デレクウは一晩考えた。それから次の日、自分の工具類をまとめて売りに出し、その金を持って番犬たちがよく現れるというバーに入った。錆びた金属とアルコールの匂い。雨の鈍い遠鳴り。二人の番犬はとてもおっかなく、しかしやがてデレクウを本部に連れて行く気になってくれた。

「それからは訓練。今でもそうさ。自分が少しは意味のある人間になれたみたいで、嬉しかったよ」

「今でもそういう風に泣いちゃうときって、ある……」

 少し考えてから、

「ないな。だってここでは、どんなに辛いときでも手を伸ばしてくれるやつがいるもの。泣かないでおこう、恐れないでおこうって、思い直せるんだ。一人ではないっていうのは、そんなに強烈なことなんだ。もちろん、さ――」

 メリイが見守る中、吸い殻は投げ捨ててしまい、

「誰かがつらいときは、おれも同じ痛みを味わうために手を伸ばさなきゃならない。でも、それだって凄く、誇らしいものだったりするんだ。その苦しみを二人で一緒に出てこられたときっていうのが、もう全部どうでもいいってくらい最高」

「へえ……」

 訳も分からず頷きながら、考え込んでしまう。

「私が相手でも、そうなわけ。番犬たちってのは……」

「そうさな。おれたちゃそのつもりでいるけど」

 新しい煙草を探りながら、

「君はどうするか、それはまた別さ。君がおれたちと同じに痛い思いをすることはないよ」

 メリイは手を伸ばして、火のない煙草をくわえたデレクウの、鍛えられた腰に回す。その背中に額を当てて、目を閉じる。自身の砂色の染め込みが頬に触れた。この兵隊たちの前では、あまりにもメリイは無意味で無力で、お荷物で、メリイさえさっさとフクロウに掴まってしまえば、何事もなく彼らはまた高層町の治安を維持できるのだ、と気付いている。

「巻き込んじゃってごめん。私さ、グウルゥだのフクロウだの、何も知らなかったし――」

 自分のその声はまるで他人で、薄汚い保身の声だと、嫌というほど自覚している。

 いつの間にかデレクウを抱く両腕は強くなっているけれど、青年の強い体はびくともしない。

 メリイは最初から自分の身柄を差し出すつもりなどなく、そのために番犬たちが大変な思いをすることも、心のどこかでは仕方ないと思い込もうとしている。母親の破片が浮かんでいる。

 手を引かれて歩く。

 母に手を引かれて歩く。そのときと変わらない怯えが、今も胸に巣食っていて確かだ。未だに自分は、ある意味では誰かに手を引かれている。

 兵隊が走ってくる音で、メリイはデレクウを放した。くぐもった、鉄製の階段を駆け上がる音だ。

「さて、何かしらは始まってるみたいだぜ」

 デレクウはそう言いながら、ポケットから小さなプラスチック製のコインを取り出す。閉鎖された町や、ギャンブル地区での代替通貨にも見える。すぐにそうでないと分かったのは、このコインには安っぽいチェーンが付いていて、デレクウがそれをメリイの首に掛けてくれたからだ。コインの内径は押し込みの浅そうなボタンになっており、首にぶら下げてみると分かるが、見た目よりずっと重たかった。

「我々が市民に持たせるお守りさ。本当にヤバいときにはこいつを押すと、兵隊が気付いてくれる」

 デレクウがそう言った。

 二人が振り返ると、暗視セットを頭にのせた別の少年が、辿り着き、静かに言う。

「配置に付くぞ。鈴が鳴った」

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