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花姫  作者: タナカスズ
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上 第二章「番犬たち」

 電子音。家庭用モニターは白地、それから灰色の星が中央に流れ着き、回転する。

 回転した星は一度遠ざかり、跳ねるようにこちらへ戻ってきて、画面いっぱいになり――。

 読み込み中。

 二分の一秒で終了、ケルンの回線が開く。

「いい走りだ」

 ケルンが言った。画面の中に彼がいるようだった。

「しかし、いい兆候とは言えんぜ」

 ヴィッキイが言った。

 彼が愛する八番街の密輸ウイスキーを手始めに、世界中のあらゆる銘柄の瓶が置いてある。大小さまざまだ。中にはとても細長く槍のような形状のものなど、奇をてらったものもある。色彩も多様で、まるで集中力の続かないが画家のパレットのようだった。ヴィッキイは禁酒区域で生まれ育ち、八番街と呼ばれた暗黒街で、街場の闘士だった。毎晩戦い、熱狂する聴衆から金を稼いだ。負けなしではなかったが、勝利への情熱と、効率的に勝つための冷静さとを兼ね備えた戦士だった。その鮮やかで力強い戦いぶりは人気だった。噂を聞き付け、外から挑戦しにくるものもいた。

 そして八番街の密輸ウイスキーは法外な値段で取り引きされていた。勝利の美酒。本当に手ごわい相手に勝った夜、自分自身が誇ってもいいと思える戦いをした夜、ヴィッキイは一口いくらという値段で販売される黄金の酒を煽った。一口だった。やがて街場の闘士をやめて大都市に移り住んでからは、酒など、少し値の張る水なのだと知った。

 ヴィッキイは壊れかけ蛍光灯の下、むきだしのコンクリートに囲まれた狭い部屋でコンピュータを操作している。モニタは三つあり、ひとつは電源を落としてある。ひとつはケルンとの通信画面で、最後のひとつにはさまざまな犯罪者や金持ちの詳細なデータが表示されていた。

 廃棄された違法居住ビルだった。企業レベルのハッカーなんかがここに居を構える。ヴィッキイはハッカーではないが、絶望的なまでに機械に疎い水蓮やシエラに比べれば、ハッカーのようなものだ。

 人工知能は気に留めず、

「こりゃあ、かなりいい物件と言わざるを得ない。水蓮に手出しさせなくて正解だったな」

「死人が出るところだったんだぞ」

「怪我人は出てる。本人は痛みのあまり、死んだほうがマシだと思ったかもしれない」

 大男は返事をせず、考えてしまう。フクロウの発砲で市民が重症を負ったのだ。

 適当な言葉は見つからなかった。

「フクロウはむやみに命を奪うようなことはしない」

 折れたようにケルンが言う。ヴィッキイは静かに怒りをこめ、

「だが予想を超えたスピードで的が動き、その後ろに人間の壁があったら? もちろん弾は後ろの壁に命中だ。それが起こった。それが誰かの心臓を射抜く可能性はゼロだと言えるか?」

「言えない」

 ケルンは言う。

「しかし我々はそんな雑踏の話をしているのではない。違うか」

「お前さんはそりゃあ、あのおとぎ話のウサギにしか興味がないんだろう。だがおれたちは違う。無関係な人々が無闇に傷付くのが、快適なはずはない」

「ではおれたちの手が届かないところで毎日のように死んでいく不幸な命をどうする。具体例を挙げてやろうか?」

「やめてくれ」

 ヴィッキイはつい声を荒げそうになった。ケルンは絶妙な間を置き、

「ならば、お前さんもやめてくれ。おれは攻性知能だ。基本的には最大目標のために細部を省みない。ヴィオラヘッドがおれの全ての制約を外し、権利を委譲しているということは、それだけあの野ウサギが重要ということだ。“ルーツ”にとって」

 ヴィッキイは無言で、画面を流れる情報流を見つめる。自分や多くの人々を巨大な理不尽から救い上げた組織、圧倒的な力。しかし実は、未だこの組織は多くの不幸を無視するしかないのだ。悔しさを覚えた。おれたちはそんなものなのか?

 死んだ女、あの銀嶺も同じようなことを言っていた。一つでも多くの命を救おうとするたびに、救えないものがあまりに多いことを思い知る。

 情報に動きがある。

「引き続き水蓮とシエラにはヴァイス爺の護衛をやってもらうとしよう。あの老人が襲撃を受ける匂いはないが、金になるならいい」

「で、おれはどうすれば?」

「こいつはやはり、何かでかいヤマだ。街場の自警団は別のチームに任せるとしよう。差し当たっては、お前さんは待機。後衛を続けろ」

 ヴィッキイはふと息をつき、

「了解」




 施設での最初の一か月というのは最悪で、思い出せる限りあんなに酷い思いをしたのは、それこそ中華料理屋での、あの抗争依頼かもしれない。それだって、あの銃弾の雨に腹を立てたり苛立ったりしていたわけではないし、ただ、気付けば理解を越えた大事で、両親の死や自身の将来の不安なんてものが少しでも意識に昇り始めるのはずっとあとのこと。病室で孤独な夜に眠れず、目を覚ませば天井はいつまでも静かで、単調な脈動が、空調の唸りが、底知れない記憶の耳鳴りが、遠く感じられるだけ。あれは酷いっていうよりは辛かったな、とメリイは思い出す。ま、スラングの微妙な意味合いの違いであって、というよりスラングってのはそもそも意味が同じでも別物な言葉ってことだから、上手く言えないんだけど。

 高層町での暮らしは、安い輸入ものの自動翻訳付き映画みたくお決まりで、ちょうど朝焼けみたいにゆっくりと昇る光があった。親父さんがあれで物凄にいい人だったもんだから。メリイはすっかり高層人だ。あのバグハウスさえなければ本当に、ここには素晴らしいものしかないと大声で言いたかったところだけど。

 まずはまともな教育を受けさせてもらえるのだと感謝でいっぱいだったところを、バグハウスの屑みたいな女教員にメチャクチャにぶちのめされたところから始まる。感謝は消えて、施設の設備の薄汚さだとか、明らかにまともじゃない色々が明らかになるにつれ、胸に抱えた怒りを、怒りのまま保存するのが難しくなっていった。それにしても、あいつは今まで殴られたなかで一番痛かった気がする。だって、こちらが気を構えることをまだ知らなかったから。生徒用の購買飯は悪くないのだけど、それだけに、昼食の時間とされているあの三十分間が終わるときは身を切られるような思いがした。もちろん場合によっては、その時間に誰かの昼飯になってなきゃいけない日もあったりして。

 メリイは高層町の雑多な階層を複雑に歩き抜け、暴風通路の、観光用に磨き抜かれた透明な円筒に入る。

 ここは高層町ってものが珍しいと感じる人たち、つまり住んでない人たちのためのものだが、ここの観光業っていうのは入り組んでいるから、こんな政府お仕着せの通路が果たして、今でも観光地の一つとして機能しているのやら。

 とにかく大して詳しくもないが、聞き知ってはいる、という程度の町の詳細を頼りに、メリイはかつてないほど深く、荒く、目まぐるしく歩き回る。そして今は、会話のスミで聞いた下らない情報が全て、まるで頭文字順に並べてあるみたいにすぐに取り出せる。早くフリンジに会ってこれが一体どういう病気なのか聞きたいけれど、今はその時ではない、と分かる。

 廊下に入ると、自分の足音が反響してくぐもった音になっている。外では夜が深く落ちて、悲しいほど静かだ。

 透明な床から真下に見下ろすのは、下層のドームの屋上だ。今も誰かヤンキー部隊がたむろしていて、工業用室外機の再利用品の近くで、どうやって荷揚げしたのやら、廃四輪車が落ちている。そのわきにはドラム缶を置いて雑誌やなんかを燃やしているようだ。よく見ると、無意味なステンシル飾りの装甲を全身に身に付け、神経質な路上スケート選手みたい。ここじゃ実弾銃は違法ではないけれど、領土争いなんかで使ってしまうと酷く嫌がられるんで、誰がやったのか、みんな肉弾戦でやるのがフェアだと思い込まされている。ま、橋のワイヤーなんかを傷付けられるとたまったもんじゃないし、ありがたいことだけど。あのヴァイオレット族だったか、全身が入れ墨の連中には近付かない方がいいらしいんだけど、メリイはそれを見かけたこともない。

 自分の足音が、遠く向かい側からやってくるように聞こえて、目を細める。廊下の向こうには何もない。背景は闇であり、町の夜の星座。黒の建造物たち。蛍光灯の白が点滅している。広い駐車場。ただの残響だ。

 びっくりさせんじゃないよ――。

 と、立ち止まり、ため息をつく。肩をすくめて、

「あんたさ、何がどうしたわけ」

 影は立ち止まり、しばらく躊躇してから姿勢を崩した。そこには何もないようだけど、明らかに不自然な空気の流れがある。

 影が擬態シートの両面テープをはがした。影は安っぽい音を立てるテープに顔をしかめ、シートを海水浴のタオルみたいに肩にかける。もちろん、汚染されてない私有のビーチで金持ちがやるようなののことを言っているんだけど。その瞬間、少年が現れた。擬態シートは処理を止めているので、夜の街のどことない静けさを静止画にしたまま、皺くちゃになった。

 少年が影で、独自の族の何か規律に従っているらしい服装だ。青年の軍隊といったところだけど、洗練されていなくて、ポケットには葉巻やら携行食品やら、あるいは発煙筒なんかを入れてそうな手合い。多機能暗視ゴーグルを頭部に巻き付けていて、そいつをずり上げると、芸術的な移植の緑の瞳が出てくる。戦闘ナイフを腿のホルダーに仕舞うと、メリイの前で、空いたその手をひらひらと振ってみせた。

「おれはこのあたりの警備員。あんた、ウチの領土内でずいぶんと怪しい動きをしてるじゃないか。弁解があるんなら聞くぜ、なぜってあんた、たぶん目当てはおれたちじゃないもの」

「それで、ちゃんと説明が欲しいわけね……」

 メリイが言うと、少年も頷いた。

「そういうこと」

 少年は青の染め込みを入れた美しい金髪で、どことなく諦めて俯瞰しているような目だ。血の赤の迷彩は色あせて、各関節は黒の樹脂テープで頑強に巻き付けてある。広げた首もとには、必要もなさそうなドッグタグが複数。何人分なんだろう。

 もう向こうに歩きはじめながら、

「それに中古品とはいえ、ひと世代前には最高にイカしてた擬態フォイルを見破っちまうなんて、どうかしてるぜ……あんた何者なんだい」

 と振り返る。その声にはこだわったようなところがなく、軽快で、何でもかんでもが、今日の波について話すサーファーみたいで。

 メリイはうつむいて、首をすくめ、付いていく。今はすぐ近く、何かが起こるという感じはないし。

「私もそれが知りたくってさ。何であんたを見破ったかって……」

 おどけて、

「さっぱりよ。それこそ知りたいことなわけ。で、何者か何者たちかに追われてるわけなんだけどさ、それがヘンな民族仮面の鳥人間みたいな連中」

「へえ――」

 少年は繰り返し頷いているけれど、

「関わりたくないなあ、そんな娘とは。あんた人形か何か……」

「いいえ」

 目を見開いて首を振り、

「とんでもない。メリイよ、メリイ・ルゥ・レイン」

 自分の名前は拍子を付けて大仰に唱える。少年はさりげなく笑いながら、駐車場に入っていく。振り返って、

「暗いから気を付けて。おれはデレクウ。頭はよかないけど、正直な話、切れるぜ」

「重要人物なわけ……」

「おうとも、メリイちゃん」

 白い歯に煙草をくわえて、

「超、重要」




 メリイには初めから脱出不能な迷宮に思える道筋を通っている間じゅう、デレクウは緑色の液晶画面を見つめながら文章で通信しており、通信機は角ばった黒塗りで、高層町なら野球観戦に余念のない、技術者上がりの老人の地下室で埃をかぶっているようなやつ。その合間にもいろんな話をしたけれど、例えばメリイの髪の色とか、どこの店がうまいとか、そんなところで、二人は企業ビルの外壁に溶接した、作業用の張り出し廊下に辿り着く。急に景色が開け、強いビル風が吹いていた。地上七十階の景色で、吹き飛ばされないように冷たい金属の手すりを持たなければならなかったけれど、気味の悪いことに、この手すりにまで高層町特有の広告シール類は呆れるほど大量に張り付いていた。酒屋、洗濯屋、金融。潰れてしまった質屋のもあった。

 そしてふと、空を渡るような気分で遠く夜を見つめれば、暗くてよく見えないけれど、街の中枢、極高層ビル群の針山たちが壁のようにそびえて、その中心には静止軌道吊り下げの塔が、忘れられた神様との約束みたいに、膨大な構造力学計算を音なき盛況に呟いて立っている。この巨大な建造物たちが影を落とす区画だけは、より一層深い闇の中で、月の白は細い。あんな大きな建物で何が行われているのか、今もって分からない。顔を上げれば、塔の先端は、雲の向こうにまで消えてしまった。

 西側にはホロ広告の華やかな祭りがある。あのあたりでは空を飾るのも合法だ。目立つよう原色の強烈な対比になっているが、張り出した鉄材に凝結した水滴が、二人が残した振動のせいで視界に柔らかく降りしきり、冷たい一瞬だけの雨になっている。

 通路を渡り切ると、細長い空間に出た。歩いてみると、お馴染みの軽量硬化樹脂系の、軽くて高い音が返ってくる。デレクウはそれを横切って、コンクリ固めの、水のない人工河川に降りた。メリイが驚いていると、振り返り、

「こいつ、めったに動かないから、レールを辿って歩くのさ」

 それでメリイにも飲み込める。少しあたりを見回すと、二機の照明は消えているが、駅名の書いた鉄の看板があった。“星ヶ丘”とある。星がよく見えるからだろうか。メリイも続いて降り立って、半開きのシャッターに近付いた。

「ここが端っこの駅なのね……」

「そういうこと」

 しゃがんで覗き込んでみると、古い学校バスの、駆動系を全て鉄道で代用したみたいな車両を認める。非常用の警告灯が付けっ放しだから、車庫の中に変圧器やら片付いていない工具やら、用途の分からない大掛かりな装置まで見つけた。

「さ、時間はあまりないぜ。メリイは追われてる。だろ……」

「うん――」

 立ち上がって、突っ立っていたデレクウを追い越した。煙草の匂いがする。バグハウスの、あの重たい匂いではない。

「辿ってきゃいい。何もねえんだ、このあたり」

 線路のコンクリの内側にも、様々な広告や人探しの紙が所狭しと貼ってあり、メリイはその情報の多さに首を振る。こんなに多いと、一つだって読めやしない。歩いているうち、非常用の消火装置が置いてあるスペースにまで洗濯機があって笑ってしまう。消火装置の水道を分岐させて使い、排水は自前のホースでどこかまともな流れに乗せてしまうらしい。

 と、通信機の液晶を見下ろし、

「大歓迎みたいだぜ」

「ほんと」

 メリイも大股で歩きながら、

「あんたのお仲間も、あんたみたいなわけ……。つまり、その、迷彩だとかドッグタグだとか――」

「おうとも」

 とデレクウが答える。

 高層ビルに張り巡らせた線路はやがて別の線と交差し、自動四輪車用の立体駐車場があり、液体窒素タンクが並べた試験管のように壁にくっ付いている。

 そろそろ退屈してきたころに、メリイは自然と口をついて出る歌を、小さく口ずさみ始めた。息を多く、声は小さく抑えたいけれど、音程が高いところではどうしても少しだけ大きくなってしまう。

 帯域泥棒が、空白の周波数に無理やり個人放送を割り込ませて流していたラジオ番組があり、どこかの企業が勝手に設置した妨害装置の効きが弱い地域では、高層町でもしっかりそれが聞こえた。それを優れた誰かさんお手製の違法回路で騒音減衰して、さらに大き過ぎるラック式処理機で透き通った音に変換して、十六のヘッドフォンに送り出している店がある。二度行ったきりで、何という店だったか思い出せない。狭いコンクリ立方体の中にそれらを設置して、ひしゃげた電力ドラムは天井に開けた穴にどうにかしてねじ込んだ角材に溶接してあった。ラックが放つデジタル緑が綺麗で、何か発禁になったようなウイスキーの瓶が転がっていた。メリイはフリンジに教えられて、その店でラジオを聞いたのだ。ヘッドフォンは十六もあるけれど受信機や装置は一つしかなかったから、他のお客がいるときはまず、自分の聞きたい番組を聞くことはできない。野球を聞きに来た酒飲みの大男を相手に、周波数を変える気には誰もなれないからだ。

 ハロー、メリイ・ルゥ。

 その日耳にした歌があんまり良かったんで、メリイはずっと覚えておいた。それから、フリンジの友達で新旧あらゆる映像と音楽メディアに詳しい眼鏡をかけたヤッピーもどきに聞いてみると、彼は古いコンピュータの資料庫を漁ってそれを見つけ出してくれた。彼は円盤に歌を落とし込んで渡してくれた。今は自分の部屋に置いてあるあの円盤だ。そしてそれが、メリイに付けられたあだ名の出所だった。

「それ、何だい。君の歌かい?」

 メリイは歌うのをやめ、

「ううん」

 少し考え込んでから、少し苦そうに眉をひそめる。

「私の歌ではないんだけど。つまり私の名前が、その歌のもんだ、ってことになるのかしら……」

 歩き続け、デレクウは肩をすくめる。

「ずいぶん込み入ってる話だね」

 それきりでメリイはその歌を歌わなかったけれど、頭の中にはそれが繰り返し、ランダムに開始点を選んで流れ続けていた。やがて感じられるようになり、幾つもの足音が、音なき己の在りかを教えてくれる。

 二人が立ち止まらぬうちにも、無音の足音はしだいに増え、影たちがメリイの周りに集まってくる。そして、皆が順番にフォイルを切り始めた。見てみると各々が武器を持っており、突撃銃から密輸入の義手まで。高層町らしい仕入れだ。透明のフォイルをかぶっているから、安っぽいお化けみたいになっている。それらがちょうど猫みたいに、歩きにくいだろうに、あらゆるところを足場にして付いてくる。

「“番犬たち”に知り合いはいるかい」

 と、一人が言い、

「あんたはレーダーで嗅ぎ付けていたんだけど、動きが素晴らしく散逸的で、捉えきれなかった」

「あんたら、番犬たちなわけ。それでそんな、通信機やなんかでもって……」

「任務さ、妹よ」

 と、また別の一人。暗視ゴーグルを付けたままで、少しメリイはひるんでしまう。素早く歩きながら、

「おれたちゃ任務で飯を食う。でもな、お前さんはどう見たっておれたちの持ち物やら隠し持ってる札束やら、あるいは人脈ってのには興味がねえ。何が起こってるのか、何しに来たのかすっかり全部話しな」

「もう少しでおれたちの宿だよ」

 デレクウが言う。鉄道が分岐しており、左に折れる。やがて線路にバリケードが現れ、布をかぶせた自動小銃まで置いてある。

「今おれたちは、番犬たちの最も鋭い感覚装置の網を抜けたとこさ。この守り神は、そんなものに引っかかろうがお構いなしに突っ込んでくる大馬鹿野郎のために用意してるってわけ」

 番犬たちと全面戦争をやろうなんていうヘマは、よほどのトンチキでもやらないことだ。なぜって、こいつらは高層町でも最高級のヤンキー集団で、というよりは、ヤンキー集団でも手が出せない別のもの、小規模な軍隊だからだ。主な財源は傭兵稼業。

 しだいに、景色を埋め尽くす広告類が失われてゆき、代わりに番犬たちらしい落書きが増えてくる。信念がどうとか、そういうのだ。メリイにはあまり分からない思想たち。死ぬときは共に死のうったって、両方生き残るように踏ん張りゃいいんじゃないの。それじゃ違うわけ――。

 線路沿いは暗闇ではなく鉄製の張り出し通路や骨組になり、向かい側に通じる廊下や、別の階層の工場の煙突なんかと複雑に絡み合い始める。変電施設への封鎖された廊下があり、廊下の真ん中にはカラスが死んでいた。

「さて、ここが第一宿舎」

 総勢二十名ほどの野次馬たちと一緒に、二人は立ち止まる。使われていない路線はそこで途切れており、コンクリの縁を掴んで昇る。メリイは首を振る。廃ビルの階層に直接通じている。番犬たちは高層町ではなく、ビルに住んでいる。こいつらは、地上にも通じているんだ。

「ねえ、あんたたちって最高、これって凄いことでしょ……」

 番犬たちはそれぞれ顔を見合わせたりして、肩をすくめる。嬉しげだ。デレクウも似たような調子で、

「その通り。まるまる十階分。奥のビルも下層以外は無人で、そっちが本部。二百階まであるけど、色んなとこの子会社が入ってる」 




 若い戦闘部隊の生活は質素そのもの。本物の軍隊をまねてカードゲームなんかをやっていたりもするけれど、彼らは本当の意味では必要としていないみたい。常用者たちは自慢の薬物と言って危険な代物を色々見せてくれるのだが、それは全て精神安定剤だとか筋力を一時的に向上させるだとか、感覚を研ぎ澄ますとか。メリイの知っている人で、そんな地味な薬を楽しみと見なしているヤツは一人もいなかった。

 隊員には一人一部屋が与えられており、非番なら酒もあるし、女遊びもしていいのだとか。まあ、女遊びをしたくらいでは、もっと酷い阿呆のヤンキー部隊たちには負けないだろう。こちらには少なくとも確かな中枢があるし。

 メリイは広い部屋に連れて来られて、偉いさんらしい若者と、すでに過去の隊員となってしまった大人の男二人との長デスクに向かい、パイプ椅子に座っている。まるでバグハウスのあの部屋でのことのようだけれど、相手はこちらをどうしようという気はまったくない。それどころかむしろ、情報提供への協力を懇願されているような形だ。報酬は何がいいかと聞かれるのだが、メリイには何も必要じゃなかった。付き添いのデレクウは入り口のドアを見張っている。

「それで、そのフクロウ人間ってのが何者なのかは、本当に何も知らないんだね……」

 男が言う。彼らはあの鳥人間をフクロウと言った。メリイは頷いて、

「全然よ。私、何で追われてんのか、何で逃げちゃえたのか、さっぱり分からないんだもの」

 二人の男というのは、似たような、もともとが堅気の番犬だったようなので、髭は数日分が生えている。たぶんだけれど、彼らは髭を剃らなきゃいけなかったから、引退後は髭を剃らないということで自由を感じているのかも。二人ともが黒のシャツと軍人迷彩パンツで、金のブレスレットやピアスが引退後らしい。その二人の間で偉いさんの若い衆は煙草をくわえており、長い黒髪だ。それに比べて肌が病気みたいに真っ白で、メリイだって肌の白さには自信があったのに、この青年には勝てないかもしれない。

「恐らく地上からの客だ」

 と彼が言う。緑色の瞳でメリイを見すえ、

「そのフクロウ化け物については想像が付く。地上の商売についても情報ならあるんだ。古い影だよ」

 メリイはさっぱりで、

「古い影って……」

「昔からいて、話題になってた連中ってことさ。影っていうのは、多少なりと悪いことをしでかすやつらってこと。ここまでオーケイかい」

「うん」

 偉い青年は煙を長く吐いて、

「あいつらときたら、人さらいなんだ。誰かさんにとって必要な人間を、別の誰かさんから奪い取るのが主な仕事。つまり企業抗争。でも、例えば君みたいに、何かしら抱えていたもんで要注意な人物を、誰かお金持ちな人のために、地獄の果てまで追いかけてさらうってこともある。今回はそれなんだよ。これは実績やなんかじゃなく、君の社会学的な意味合いってことなんだけど」

「私が要注意……」

 メリイは首をひねる。

 青年が笑い、

「その、連中をまいちまったってのが本当の話なら、だよ。君はかの有名な人形たち、侍たちと同じ類だってことだよ。ジンを持ってる。その上、自覚はなくプロではない。彼らも上手くやれば君を盗めると踏んだのさ」

「人形って、ジンって何――」

「知らないんならいい。説明するのはテッドだ」

「そうなの……」

 最後の男が口を開く。テッドとは誰なのだろう。

「我々も、地上からのお客さんが血眼になって捜している君を、拾ってしまうというミスを犯した。首を突っ込んじまった。そうなったからには、最後まで手を尽くさなきゃな」

「君は命が危ないんだぜ。激にヤバい。やつら、君のハードウェアを根こそぎはぎとって、売りに出しちまうかもしれない」

「ハードウェアって何……」

 メリイは思い付き、

「それってその、あんたたち風に言うところの、金になるってやつ……」

 青年は微笑む。美しい笑み。

「そんなところ」




 番犬たちが走り回り、せっせと警戒態勢を用意している。あの自動小銃が、バリケードが、必要になったりするのだろうか。メリイが感じるところでは、でも、あんなもので追い返せるような相手じゃない。その一方で、やはり彼らは有名な“番犬たち”なのだし、番犬たちが戦いに負けるなんてことが、この高層町で起こるわけがないし――。

「大丈夫かい」

 二段ベッドの下の階から、デレクウの優しい声がする。初めて会ったのに、前から知り合いだったみたいな気がする、そういう声だ。今週の主だったポップソングのうち、もっとも切れ味の鋭い曲が、建物のどこかから流れてくる。幾つかの古い音源を切り刻み、電子的なリズムの上に乗せてあるものだ。

「ねえデレクウ、提案があるんだけど」

「何だい……」

「商売よ。ちょっとした任務、オーケイ――」

 夜が深まり切って、やがては朝へ通じる白んだ冷気の数時間となり、軍人用のぶっきらぼうな鉄製二段ベッドの一階で、メリイとデレクウは真っすぐ向き合う。脱ぎ捨てた黒革のブーツの、新しい革の匂いが、少年の汗ばんだ熱い体温と、黒のシャツのざらついた質感とにゆるやかに溶けている。自分の香水の花の匂いが、少年の肌の匂いに溶けている。メリイの砂色の染め込みがデレクウの顔に落ちかかり、それを自身の細い指でどける間にも、日常的に慣れ切ったはずのこの時間に、メリイの知らない感情が紛れ込んでいるのが分かる。できるだけ痛くなく、もっと言えば酷くなく、それでいてできるだけ早く終われば最高、いつもはそう思っていた。しかし今や、メリイはデレクウをできるだけ長く深く感じてみたいという衝動を飼い慣らし、その激しい静けさに浸り始めている。無口になっているのは、いつもの作業から来る職業的な気負いのせいだ。

「あんた、ヤボなのね……」

 そう言ってから、鼻をすする。

 メリイは頑丈な胸に軽い頭を沈めながら、その鼓動に耳をすませる。

「そりゃもう、だけど、激に切れる。お分かり……」

 という声が震えている。

「私ね、バグハウスに一年入れられてたの。でももう、今日で、これでおしまい。戻らなくてよさそうだもの」

「ツキは上向きかい……」

「ううん、全然」

 くすくす笑う声も近く、

「だって、死にかけてるんだぜ……そうでしょ」

 悪くない。決して悪くない。ふと、思い出すのはザックの監視室。新聞ファクス。

 しかし、泣き出したフリンジを思い出し、ふいに胸がむかつく。このむず痒いものを握り潰したくなる。目をぎゅっと閉じ、飲み下す。

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