ビー・マイ・ベイビー
ありふれた嬰児誘拐事件。その顛末は――。
ある日、誘拐事件が起こった。
誘拐されたのは、生後一年ほどの赤ん坊だった。母親と父親が、半狂乱になって警察に駆けこんできたのである。ただちに捜査がはじまった。
その赤ん坊は、両親に連れられて、デパートに買い物に出かけたときにさらわれた。
父親が小用を足しているとき、母親は衣類関係のエリアで家族に似合いそうな品を物色していた。バーゲンセールが開催されていたが、いくらなんでも乳母車を握ったまま乱入するわけにはいかなかった。
折よく、若い女性の店員が通りすがったので、母親はその店員にお願いし、すぐさま人だかりのなかに飛びこんでいった。
そう長い時間ではなかったはずである。母親本人の体感や目撃者の証言を総合すると、およそ七・八分ていど。しかし、戻ってみると店員はいなくなっていた。
はじめ、母親と父親は、女性店員が横着をして、迷子センターに預けたかなにかしたものと思った。適当な店員をつかまえて問いただすと、まもなく事件が発生していたことがあきらかになった。彼女は、赤ん坊を預かった直後に、勝手に早あがりしていたのだ。
店側は、両親を説得して一時間ほど通報を遅らせた。理由はよくわからない。公式発表によると、担当者が判断を誤り、非常識な対応をしたとされている。
実際の店側の行動をみると、どうやら一時間のあいだに、独自に女性店員を確保しようとしていたようである。彼女の携帯に電話をかけて返事を待ってみたり、人員を割いて車で彼女のアパートに向かってみたり、親交のあった店員が彼女の恋人に連絡をとってみたり、そんなことをしていたという。
通報がなされたのは、これらの試みがことごとく失敗したあとのことだった。
初動一時間の遅れが、事件になんらかの影響を与えた可能性は否定できない。とにかく、警察が捜査を開始したあとも、彼女は見つからなかった。おとなの女性ひとりと赤ん坊ひとりが、世界から完全に消え失せたかのようだった。
やがて、一ヶ月がすぎた。彼女からはなんの連絡もなかった。この事実から、事件は営利誘拐ではなく、赤ん坊が欲しくなっての犯行だと理解された。テレビやインターネットによって情報募集もなされていたが、誘拐犯と赤ん坊の行方は杳としてしれなかった。
さらに、数ヶ月がすぎた。世間のひとびとはすでに、事件を忘れはじめていた。警察の努力もむなしく、誘拐犯も赤ん坊も見つからなかった。
そんなある日、赤ん坊の母親が死んだ。自殺だった。ロープで首をくくっており、足元には遺書が置いてあった。
母親は、愛するわが子をさらわれて精神的に参っていたところに、連日のように夫から責められて、ノイローゼになっていたようである。
遺書は赤ん坊、夫、そのほか周囲のひとたちへの謝罪と、自分がいかに生きる資格がない人間かということの説明に終始していた。
遺された夫は妻の葬式やらなにやらを終えてのち、死に追いやってしまった妻への謝罪を主とした遺書を書き置いて電車に飛びこんだ。さいわい一命は取り留めたが、植物状態に陥ってしまった。
夫婦は晩婚であり、またひとりっ子同士の結婚だったため、親類縁者は死に、あるいは認知症などで施設生活をしている者ばかりだった。この段階で、もはや赤ん坊が帰ってきたとしても身寄りがないも同然になっていたが、それでも警察は赤ん坊を捜しつづけた。
誘拐犯は、現場からずっと離れた場所、となりの県の片田舎にいるところを目撃されたのを最後に、半年ちかくも姿をくらましていた。捜査陣のだれもが、ある考えたくない想像に取り憑かれはじめた。
そして、ついにその想像が的中する日がきた。その田舎からすこし分け入った山中の池に、彼女の遺体が浮かんだのである。
水温が低かったため、遺体は顔を見て彼女であると判別ができるぐらいには損傷が少なかった。それまで浮かんでこなかったのは、着ていた衣服に石を詰めていたからで、死後数ヶ月はたっていた。池から生活用水を汲みあげていた村民たちは戦慄した。
池をさらってみたが、赤ん坊の死体はなかった。かわりに、彼女が飛びこんだとみられる、ふだんならひとが寄りつかない崖のうえに、一枚の遺書が見つかった。
虫喰いだらけのその遺書には、自分がいかに罪深いことをしたかについて、綿々とつづられていた。さらに、あまりにも罪深いため『神さまから罰を与えられた』とも告白していた。その罰の内容は、捜査陣を絶句させるものだった。
赤ん坊が、神隠しにあったというのだ。
彼女は近隣の市町村を、警察や世間の目を盗みながら転々としていた。発覚をおそれ、食料品やおむつなどを買うときには、物陰に乳母車を隠したりした。そのためにかえって不審がられたこともあって、そういうときには迷わずその場を離れた。
数週間もそんな生活をくりかえし、ある日、ねぐらのようにしていた古い神社に戻ってみると、赤ん坊が乳母車ごと消えていた。警察に届け出ることもできず、彼女は生きていく希望をうしない、死を選んだ。
× × × × ×
「で、そのあたりの地域を重点的に捜査して、ようやくこの子が見つかったんだ」
目を見張るわたしに、週刊誌の記者である夫がつづけた。
「驚いたことに、ある夫婦の子供として、だれに怪しまれることもなく育てられていたんだよ」
饒舌に、得意げに語る。
「なんでもその夫婦、ちょうど旦那が二週間程度の出張中だったそうなんだけど、いわゆる乳幼児突然死症候群だとかで、子供が死んじまったらしいんだ。奥さん、それはもうショックで事実が受け入れられず、何日かのあいだ、死んだ子に乳を与えようとしたり、あやしたりしていたんだってさ」
くだんの赤ん坊を膝のうえに載せ、腕を持って軽く動かしたりしながら、にやにやと笑った。
「見つけた場所が神社ってのもあってか、奥さん、いよいよおかしくなっちまったんだな。動かないのはわたしの子じゃない、この子がわたしの子なんだって、そうなった」
表情をいくらか悲しげなものに変え、夫がため息をついた。
「出張がおわって、旦那が帰ってきたんだけど、自分の子供が入れ替わっていることに、まったく気づいていなかったらしいぜ。男親ってのはダメなもんだね……。ああ、そうそう。実の子のほうは、床下に埋めていたんだってさ。どんな気持ちでそんなことがやれたんだろうね、奥さん」
気になって、尋ねてみることにした。
「奥さんと旦那さん、どうなったの?」
「うん? ああ、奥さんはかわいそうに、病院だよ。旦那も、この子は自分が育てるとか言って頑張ってたけどねえ。最後には泣いてたみたいだよ。子供を奪わないでくれって」
聞いて、わたしはひどく切ない気持ちになった。
「やっぱり悪かったんじゃない? その旦那さんに」
「いやあ、責任能力がないといったって、奥さんの行為、よその子をかってに連れ去ったあげく、自分の子供の死体を遺棄したっていう、その事実に変わりはないからね。いくらなんでも、そんな家で当のさらわれた赤ん坊を養育させるわけにはいかないさ」
夫が赤ん坊の頭をなでた。笑いながらつけ加えた。
「おまえだって、いまはこの子が可愛いって思うだろう? 客観的にみても、うちは子供もいなかったし、収入だって申し分ない。養子をもらうにはうってつけってやつだよ」
たしかに、夫のいうとおりである。当初こそ、養子縁組、それも有名な事件で孤児になった子供をと聞いて躊躇を感じていたが、実際に赤ん坊の顔を見ると、そんなことはどうでもよくなった。まるで、天使のようなのだ。鬼か悪魔でもなければ、この子を放っておくなどできるはずがない。
というか、可愛い。ほんとうに可愛い。可愛らしすぎる。見ていたら、抱きしめて頬ずりしたくなった。
「ほんと、かわいい子だよなあ」
いきなり、夫が赤ん坊の頬にキスをした。わたしの見ているまえで。いい年をして、なにをやっているのだ。
「ねえ、わたしにも抱かせてよ」
ところが、夫はなぜか、赤ん坊をわたしから離すようにして抱き直した。
「腹減ったから、そろそろメシにしてくれよ。あと酒も。ほら、このあいだもらった――」
そこからさきの言葉は、耳に入らなかった。この子は、わたしたち夫婦の養子だ。ふたりの子供なのだ。それを、なぜ夫は独り占めにしようとするのか。
振り返ってみると、この男はいつもこうだった気がする。なにかにつけて威張りちらすし、わたしのことを高卒だと言って馬鹿にするし、食事を作ってあげてもひとことも褒めないし、食べかたが汚いくせに食器は洗わないし、洗濯物はたたまないし、アレは自分勝手で早いし……。
「おい、聞いてるのかっ。早く――」
怒鳴り声。赤ん坊が、ふしぎそうにわたしたちを眺めている。なぜ、いつも大声を出すのだ。脅したり威嚇したりすることでしか、女に言うことを聞かせられないのか。この能なしが、おまえの声などすこしも怖くないぞ。
ふにゃりと、赤ん坊が笑った。天使のほほえみ。そうだ、我慢することなどなかったのだ。この子はわたしの子だ。だれにも渡さない。こんなやつの穢らわしい腕に、あと一分だって抱かせておくものか。
わたしは食事を作るふりをして台所に向かうと、刺身包丁を手にとった。
大昔に書いた作品が押入れの奥から発掘されたので手直ししてみました。