遊撃ジョーカーズ
「これが今回のブツだ。確かめてみてくれ」
御門市の港の倉庫で麻薬の取引が行われていた。売り手と買い手が3人ずつで合計6人。売り手側の男の言葉に対して買い手側は「OK」と言い、現金の入ったアタッシュケースを渡した。中身の確認をしようとした時倉庫の開いた窓の外から小さな音がし、誰かに見られている事に気付いた。
「誰だ! 出てきやがれ!」
窓の外に1人の男が立っていた。ノーネクタイでシャツのボタンを少し外した黒いスーツを着た20代半ばくらいの若い男だった。顔立ちこそ整ってはいるが、髪はボサボサに伸びている。眠たげな表情ゆえにどこか飄々とした印象を与える風貌だった。
「ん、証拠は押さえたから、麻薬流通組織の『冷泉』さん。あと密売人さんも。取引した麻薬を街で流すんでしょ? ちょっと署の方までご同行願えない?」
犯罪の現場に立ち会っているとは思えないほど緊張感の感じられない話しぶりだったが、その男が刑事だという事はすぐに分かった。密売人と冷泉のメンバー全員が銃を取り出し、窓の外にいる男の方に向かって一斉に発砲した。とぼけた雰囲気に似合わない素早い動きで男はそれをかわし、倉庫の壁に隠れた。
「ぐわっ」
その瞬間、6人のうち3人が足を押さえて倒れた。3人の足からは血が流れていた。
「な…いつの間に!?」
目の前の光景に驚いていた残りの3人の足にも3発の銃声と共に激痛が走った。反撃する間もなく倒れた。
「何だ、どうした!?」
「サツだ! かまわねえ、やっちまえ!」
銃声の音を聞いて、隠れていた十数人のメンバー達が倉庫の陰から姿を現しスーツの男に発砲した。男は銃弾の雨を潜り抜け反撃を続けた。倉庫の中でも倉庫の外でも銃撃戦が繰り広げられ、3分間は銃声がやむ事はなかった。
3分後にはスーツの男以外の全員が身体のどこかしらに銃弾を受けて倒れていた。とはいえ全員命に別状はない。銃声が鳴り止んで間もなくサイレンの音が今度はその一帯に響いた。御門警察署のパトカーが現場に到着したようだ。冷泉のメンバーの1人が倒れたままで男に顔を向けた。
「てめえ、この人数をたった1人で…何モンだ…?」
「御門警察署の刑事。『遊撃刑事課』所属の下平淳。よろしく!」
下平は陽気な表情で敬礼のポーズを取った。たった今十数人を1人で倒した男の表情には見えなかった。
「ゆ…遊撃刑事課だと!? くそっ、ついてねえ…ジョーカーかよっ!」
言い終わらない内に下平のアーッと言う声が響いた。激しい銃撃戦の最中に押収しようとしていた麻薬が滅失してしまっていた。流れ弾に当たったのは明白だった。
「ヤバイな沢木さんに大目玉だ…」
慌てる下平の姿にメンバーの男は倒れたまま少し唖然としていた。
翌日下平は御門警察署の端に設けられた会議室の中で予想通り大目玉を食らう羽目になった。部屋には下平を入れて6人の刑事がいた。全員スーツにノーネクタイという格好だ。40代くらいの刑事長風の男が説教をしていた。
「下平ぁ! 証拠をオジャンにしやがって! 連絡して応援が来るまでは待機するようにいつも言ってるだろうが」
「ん、すいません…俺のミスです。今度は上手くやります」
素直に謝罪で一旦は収まりそうだったが、課長補佐の沢木遼一は納得のいかない様子でため息を付いた。そして今度は落ち着いた口調で話した。
「あのな、麻薬を滅失した事もそうだが、お前が応援を待たずに単独行動を取った事が今は問題なんだ。応援が来てから対応していれば証拠も押収できたんじゃないのか? 何故いつも先走る?」
今回の件で下平は事前に署や本部である遊撃刑事課から、所轄からの応援を待ち彼らと協力して取引の現場を押さえるように言われていた。にもかかわらず勝手な判断で売人や冷泉の構成員達との交戦状態に入ってしまったのだ。それについては主任の女刑事・川口めぐみも苦言を呈した。30代半ばくらいの、きりりとした表情に長身、長いウェーブの黒髪が似合う美女だ。
「いくら私達『遊撃』が署から独立した機関とはいっても基本的には協力関係にあるのよ?必要に応じて上からの指揮とは異なる行動は取れるけど、勝手な行動をしていいワケじゃないのよ」
遊撃刑事課は通常「遊撃」と省略され、署内や街の人間、果ては冷泉のメンバーも今やそう呼ぶ。
「まあまあ、結果的に売人達は全員確保したんだ。ボイスレコーダーで取引の様子も録音出来ていたから証拠もバッチリだ。出来れば現物もあればよかったんだが、まあ及第点だ」
課長の滝本礼司はおおらかな対応を見せた。50代の穏やかな表情をしたサラリーマン風の刑事だ。下平は気分を良くした。
「しかも下平君が怪しいと踏んだ所で実際取引が行われたんですよね? これはお手柄ですよ。おまけに20人近くをを無傷で倒しちゃうなんてやっぱりすごい」
「ありがとう里中。愛してる」
「マイナス点を差し引いたらやっぱり始末書は書かなきゃだけどね」
「ん、ほめといて落とすんだ…せめて順序逆にして欲しかった…」
下平の同僚である里中ありさがフォローを入れつつも沢木や川口の意見も尊重し、その場を上手くまとめた。ショートヘアーの似合う可愛い女の子という感じの女刑事だ。知らない人が街で見かけたら就職活動中の女子大生と見間違えるかも知れない。彼女の気配りで張り詰めた空気が一気に和んだ。沢木もこれ以上は責めまいとした。
「とにかく次からは無駄な単独行動は慎め。分かったな」
下平は敬礼をして大きな声で「はい」と言った。里中はくすっと笑った。
「そうやってまた甘やかすんですか? だからこいつが付け上がるんですよ。実力がある事とルールを守らない事は別問題です」
下平・里中の同僚である上地隆宏は沢木の温情判決に不満を述べた。長身にメガネ、髪を降ろしたインテリ風の男だ。見た目通りの真面目な性格ゆえ勝手気ままな行動を取る下平の事を好ましく思ってはいなかった。そこに沢木がなだめに入った。
「まあこいつも確かに勝手な部分はあるが、全てにおいてというワケじゃないしな…」
「遊撃に独立捜査権が認められるのは上の命令に従った場合に不都合が生じる時だけです。大規模な組織的捜査じゃ柔軟で迅速な対応が利かない場合を除いては他の部署と協力して行動しないといけない。でないと独立捜査権が濫用されてヘタをすれば捜査の妨害にさえなる。こいつの勝手な行動はそれに繋がりかねないんですよ?」
クールな風貌に反して熱く語る上地に滝本と川口も会話に加わって来た。
「しかし結果的に多くの逮捕者を挙げているのは下平の功績だ。 組織化して巧妙化する冷泉の犯罪の多くを未然に防げている。 各部署から腕利きを集めた我々の中でもトップクラスだ。 一応御門署のジョーカー的存在である私達遊撃刑事課の本分を一番に果たしてくれている。そこは認めなければ」
「だからといって勝手な行動が許されるようじゃ組織の一員としてはアウトですけどね。あくまで大きな組織の『一員』としての『独立』でないと。上地の言う通りそこはアンタが悪いわ下平。いくら功績を挙げてても自分勝手な行動が許されて良い訳がないの」
川口の鋭い指摘にさすがに下平も少し表情もこわばった。
「ん、以後気をつけます。『ワイルドカード』が勝手に役目を変えちゃまずいですもんね」
「ワイルドカード?」
「めぐみさん知らないんすか?ポーカーやる時ジョーカーってどんなカードになることもできるでしょ?そういうのを『ワイルドカード』って言うんす。俺達は時と場合に応じて警察官であったり警察の指揮下にない特殊部隊であったりするワケだし」
下平はズボンのポケットから一枚のカードを取り出し、川口の前に差し出した。
「何コレ? トランプのジョーカー? アンタ何でこんなの持ってるの?」
「めぐみさんに預けておきます。誓約書の代わりというか…一応俺も遊撃の本分は分かってるつもりなんで…いつもはそれを忘れないように持ち歩いてるんですけど」
あまりよくは理解出来なかったが、少なくとも反省はしていると受け取った。その証明として川口はカードをポケットの中にしまった。一旦その場が収まったのを見て里中はほっと胸を撫で下ろしたが、上地はまだ少し納得のいっていない様子だった。
それから数日が経った。署の自販機の前でコーヒーを飲む上地に里中が話しかけた。
「この間の犯人達、何か供述した?」
「今の所コレといった事は聞き出せていない。ただ遊撃はもう冷泉の奴等からはかなり警戒されていて、これからは僕等のみを狙って来る連中もいると読んでる」
「やっぱり冷泉にとっては遊撃の存在は大きいって事ね。気をつけなきゃ。上地君のカンはよく当たるもんね」
「とは言え遊撃はあくまで刑事だ。僕は下平みたいに勝手な判断で動くつもりはない」
「またぁ…上地君達仲悪すぎ」
「あいつは僕等を信用していない。確かに腕は立つし判断力も推理力も一流だ。でも何でも1人でやろうとする。その方が良い時もあるけど協力しなきゃいけない時の方が遥かに多い。なのにあいつはそういう時にさえ全部1人でやろうとする。沢木さん達が注意してもどこ吹く風だ。正直僕はあいつと一緒に仕事したくない…」
「それでも下平君の実績はやっぱり凄いしね…それにこの前めぐみさんに誓約書(?)を渡してたから次は大丈夫だよ。あと上地君と下平君が組んだら本当に無敵だと思うな私」
里中の予想外の発言に上地はその理由を尋ねた。
「腕が立つとは言え下平君ってやっぱり感情で突っ走っちゃう部分があるでしょ? そこを上地君の冷静さでカバーするの。下平君も頭は切れるけど上地君ほどじゃない。広い視野を持った上地君のその冷静で正確な推理力と判断力が下平君のポテンシャルを引き出すの。その時こそ本当の遊撃の切り札になるんじゃないのかなって」
里中の満面の笑顔に上地は顔を赤らめた。ちょうどその時だった。署の中が慌しい。御門市内の天能町で銃撃戦が行われている事が署員達の話から分かった。本来なら止めるのは所轄の役目であり遊撃刑事課は課長経由で事件の詳細を聞き、出動が必要だと判断するまでは会議室で待機するのが原則だ。上地と里中も会議室に戻り、待機しようとした。しかしその時署の出口に向かって猛烈な速さで走って来る下平の姿が目に映った。上地はそれを引き止めた。
「下平! また単独行動する気か! 今回は遊撃の出番じゃない」
「ん、場所は天能町の2丁目のシャッター商店街でしょ。あそこは狭い路地が多くて入り組んでるからヘタに大人数でいくより少人数の方が動きやすいからさ」
「ふざけるな! この前川口さんに言われたばかりだろう。また勝手な行動を…」
「現場では所轄の指示に従うよ。じゃ!」
下平は一方的に会話を終わらせて走り去った。その態度にイライラを募らせる上地を里中がなだめながら会議室に戻った。滝本・沢木・川口の3人が待機していた。
「下平の奴がまた先走ったが我々はここで待機だ。一応下平からの連絡は入るかも知れん」
沢木の予想通り5分後下平からの連絡が入った。川口がそれを聞いて上地達に説明した。
「敵は8人前後。麻薬取引の最中に仲違いになって銃撃戦になったみたい。どうやら全員北西の方に全速力で逃げたらしいわ。入り組んでいて路地も狭いから所轄はなかなか迅速には動けないみたいだけど、下平なら追いつくには問題ないみたい。あいつが言うにはその先にある幽霊ビルに逃げ込むみたい。逃げ場を失ったのかしら、袋のネズミだわ」
「8人なら全員で一斉にかかっても下平の敵じゃない。何人待ち構えていようが敵を全員なぎ倒してくれるだろう。とりあえず一安心だ」
下平の単独行動を忘れて安心する滝本に対して、上地はどうも納得がいかない様子だった。滝本の寛容な態度だけではない。何かが彼の中で引っかかっていたからだ。会議室内のソファに座ってしばらく考えた後、急に立ち上がった。
「課長! 僕も現場に向かいます! これはおそらくワナだ!」
滝本のみならず全員が驚き、上地にその理由を尋ねた。
「よくよく考えれば何であんな場所で取引なんて行われているんですか? 人通りが殆どないとは言え、他に取引に適した場所があったハズです。それに犯人達全員が全速力で同じ方向に逃げた…これは全員が無傷でないとありえません。銃撃戦をして誰一人ケガひとつ負わないのはおかしい…しかも敵同士が迷いなく同じ方向に逃げるのも不自然だ」
「え…じゃあ犯人達は遊撃の誰かをおびき寄せるために銃撃戦を演じたって事? 幽霊ビルに向かったのは大人数で待ち伏せしてるから…」
里中の問いに対して上地は頷いた。
「そう、そしておそらく奴等の狙いは下平1人。さっき奴らが遊撃を直接狙って来る恐れがある事は話しただろう? 下平が単独行動をとりがちな事も多分気付かれている。銃撃戦を演じれば下平だけが先走って現場に駆けつけると奴らが読んだと考えれば…」
理論的で矛盾のない推理に全員が聞き入っていたが、沢木だけは疑問の表情を浮かべた。
「まさかワナとは…少し考えすぎなんじゃないのか? 大体ワナなら…」
そう言いかけた沢木を遮って川口が発言した。
「確かに不自然だわ。そう考えるとおそらく相当な数の兵隊が待ち構えているかもね。あいつ1人じゃ太刀打ち出来ないくらいの。このまま放っておいたら危険だわ…上地、ありさ、応援に行ってくれる? 下平と所轄には私から知らせておくから」
「分かりました! 里中ありさ、直ちに現場に急行します」
「世話の焼ける…」
張り切る里中とは対照的に上地は渋々下平の応援に車で向かった。車の中で運転している上地に対して里中がその推理力を賞賛した。
「いつにも増して今日は名推理だね。しかもあんな短時間で」
「一応同僚だしね。それに僕にはこれしかないから…下平の事はよく思ってないけどあいつの実力は認めざるを得ない…僕とは違って銃や格闘も凄いし…」
「何卑屈になってんの! 上地君にはこの推理力があるじゃない!」
「さっき言ってたよな。推理力なら下平より僕の方があるって。里中は優しいからそういう気遣いには本当に助けられるけど、実際現場で僕はあまり役に立ってないよ。下平や里中が凄すぎて…」
上地は隠していた心情を吐露した。彼が下平に対して抱く嫌悪感には、彼の勝手気ままな行動だけでなくその実力に対する嫉妬も混じっていた。それを汲み取った里中は上地の肩をぽんと叩いて励まし、意外な事実を教えた。
「言っとくけど、推理力が下平君以上だって言ったのは私じゃないよ、下平君本人だよ」
「えっ、下平が僕を?」
「そうだよ。それに上地君は演習場や道場では無茶苦茶強いじゃない。ヘンにコンプレックスなんか抱かない方がいいよ。自分に自信を持たないと自分らしく動けなくなるよ? 下平君だけじゃなくて上地君の事私達みんな認めてるんだから」
里中の屈託のない笑顔に上地は少し涙ぐんだまま運転を続けた。下平が自分を認めてくれていた事もそうだが、それ以上に里中の言葉が何よりも嬉しかった。里中を心の底から信頼し大切に思った。里中の期待に応えるためにも自分に自信を持とうと強く思った。
一方銃撃戦の行われていた現場の近くでは下平から逃げる犯人グループが、川口の予想通りに幽霊ビルの中に逃げ込んだ。下平はその事を会議室にいる川口に連絡し、同時に上地と里中が応援に来る事、今回の事件がワナの恐れがある事を聞いた。
「面白いじゃん。でも気付いた事は悟られないようにした方がいいかな」
犯人達からの銃撃をかわし反撃をしながら上の階へ追い詰めていった。そして5階に到着した時、犯人達は外壁以外には数本の支柱しかない広いスペースに待ち構えていた。逃げ込んだ8人の他12人がおり、合計で20人がほぼ横一列に並んで待ち構えていた。
「ようこそ下平刑事。仲間達が散々世話になったな。アンタだけでも殺しておけば俺達も仕事がやりやすくなるんでな。20対1だが悪く思うな。ここで人生終えてもらうぜ。」
状況からワナにかかった事を確信したが、それでも下平は全く動じなかった。
「ん、俺を殺すためにこんだけ集まったんだ…これで足りるの? 最近冷泉に対して警察の方もピリピリしちゃってるからさ…犯人に対して普通に発砲する人も多いんだよ? 警官が犯人を殺そうとはしないなんてこの街ではもう通用しないんだ。 まあ俺はちゃんと手加減してあげるから。はいみんな感謝!」
下平の小馬鹿にした態度に敵方のリーダー格が激昂した。単純な性格が読み取れた。
「いい気になるんじゃねえ! てめえらまとめて皆殺しだ!」
敵方が一斉射撃をしようとした瞬間、下平の両手の拳銃が先に火を噴いた。端にいる4人がほぼ同時に倒され、下平はその倒れた場所のすぐ近く、横一列に並んだ敵の延長線上に一瞬で移動した。下平から向かって敵が縦一列に並んでいる格好だ。先頭の男以外は前に味方がいて下平を狙えない。そこで彼らはその列からずれて下平を狙おうとした。しかしずれた瞬間に先頭の男を含め、次々と二丁拳銃の餌食になって倒れていった。いきなりの早撃ちと思いも寄らない方向からの攻撃でパニックになった敵は次々と倒されていった。3分も経たない内に敵方の主力3人を残して17人が倒された。その3人と下平は互いに物陰に隠れて相手の出方を伺っていた。
ちょうどその頃、上地と里中も幽霊ビルの直ぐ横の現場に到着した。ビルの入り口の見張り役の3人が全員上地と里中の存在に気付いた。銃を向けようとした瞬間に里中が瞬時に3人との間合いを詰め、素手で一蹴した。
「相変わらず凄いな里中…一瞬で…」
「ほめるのは後でいいから。行こ!」
2人は5階に到着し、広間への入り口を見つけた。入り口に慎重に近づいた上地は物陰に隠れている下平を発見した。思わず「あっ」と声を出してしまい、下平のみならず犯人達にも気付かれてしまった。リーダー格を除く2人が物陰からわずかに姿を現し銃口を上地に向けた。いきなり現れた上地に気を取られた下平はそれを狙うのが一瞬遅れた。
しかし引き金を引こうとした瞬間に2人は倒れた。上地のすぐ後ろから放たれた里中の銃弾が命中したのだった。1人になったリーダー格は地団太を踏んだ。下平から敵は残り1人である事とその隠れている場所を聞いた里中は、そのすぐ横に1本のダーツを投げた。
「ダーツ? おいおい、こんなモンで何をするつもり…があっ!」
次の瞬間ダーツが爆発した。小さな爆発だが、服に火がついた敵は慌てて物陰から出て来た。そこを下平に仕留められた。敵が全員倒れた広いスペースで3人だけが立っていた。
「下平君やっぱり凄いよね。こんなに沢山の敵を無傷で」
「里中も相変わらずだな、ウチで一番の爆弾使い。まぁ嫁にこられたら困るタイプだがな」
軽口を叩く下平と里中の後ろで上地は嫉妬にかられていた。現場に着いたら直ぐに下平を責めるつもりだったがすっかり忘れていた。
「この2人はやっぱり凄い…それに比べて僕はあの状況で声を…里中が助けてくれなかったら死んでたかもしれない…」
上地がケガをしていないかが気になって振り返ったその時、里中の視界の端に隣のビルの屋上から何者かが自分達の方を狙っているのが見えた。
「危ないっ!」
下平と上地の背中を突き飛ばした次の瞬間、3発の銃声が幽霊ビルの外側で鳴り響いた。里中は腹を押さえ、振り返った下平と上地の目の前で崩れ落ちた。その瞬間上地は自分の中に熱いものが湧き上がってくるのを感じ目の前が赤くなった。
「里中あぁぁ!!」
下平は目の前の光景に驚きながらも直ぐに冷静さを取り戻し床の銃痕を見た。隣のビルの屋上辺りから放ったスナイパーの弾丸3発のうち2発は外れ、1発だけが里中に命中したのだと瞬時に理解した。反撃に出ようとしたが、その時上地の方から声が聞こえた。
「里中を頼む」
無表情ながらも鬼気迫る恐ろしい表情だった。下平はその雰囲気に背筋が寒くなるのを感じたものの、落ち着いて倒れた里中を抱えて隣のビルにいるスナイパーが狙えないよう壁に隠れた。上地は自身の拳銃を取り出し、スナイパーのいる隣のビルの屋上に銃口を向けた。2人を改めて仕留めようと狙いを定めている3人のスナイパーの内の1人の目と上地の目が合った。彼は直感的にただならぬ危険を感じ、とっさに上地が見えない位置まで身を引いた。次の瞬間、2発の銃声と共に他の2人が同時に倒れた。危うく自分もこうなる所だったと身の危険を感じた男は仲間を置いてその場から立ち去った。
現場でアガリがちな上地が遠くのスナイパーを仕留めたのを見た下平は驚きのあまりしばらく目を奪われた。しかし直ぐに現実に戻り里中の応急処置を始めた。上地も直ぐに我に返って2人の方に駆け寄った。ちょうどその時川口が応援を要請していた所轄の警察官達が駆けつけた。彼らは里中の応急処置を手伝い、犯人を全て確保した。下平達が倒した幽霊ビル内の20人と見張りの3人、更にはスナイパーの2人の合計25人の逮捕者を出す大捕り物となった。
里中は病院に運ばれ緊急手術を受ける事になった。いつもは飄々とした下平もこの時ばかりは不安そうな表情を浮かべていた。上地は神に祈るように里中の回復を祈っていた。その真剣さは下平にも十分伝わってきた。数十分後、連絡を聞いた沢木と川口が2人の待つ病院の待合室に駆けつけた。そして手術が終わり、主治医が出て来た。
「手術は成功です。今は麻酔が効いていてぐっすり眠っています。しばらく入院が必要ですが、もう命の心配はありません」
全員がホッと胸を撫で下ろし、上地に至っては主治医の手を握り、涙を流しながら何度も感謝の言葉を述べていた。しばらくして待合室で沢木は下平に対して険しい顔を向けた。
「お前が先走ったりしなければ敵のワナにかかる事なく、里中が重傷を負う事もなかったかも知れない。お前が周りの言う事を無視し、自分の判断だけで動いた事がこういう結果に繋がったのかも知れない事には十分肝に銘じておくべきだ」
「ん、確かに…勝手に動いた事は反省してます。でも今回の件は全体的に見れば失敗したワケじゃない。冷泉の構成員を25人も挙げることが出来た。所轄だけが出張れば奴等は出て来なかったかも知れない。俺達を潰す事が目的だったんですから…」
「それはそうだが…」
下平の単独行動を叱りたかったものの、彼が多くの構成員の逮捕に貢献した事、単独行動と里中のケガとの間の直接の因果関係を見出せなかった事から、沢木は彼を叱る糸口が見つからずにもどかしい表情をしていた。しかしその時、憤怒の形相をした上地が下平の胸ぐらを掴んだ。いきなりの行動に下平は驚いた。
「お前は何も分かってない! ハッキリ言って今回でさえまだ運が良かった方なんだ…下手をしてたら僕等3人全員が死んでいたかも知れない! いや…僕がワナに気付いて里中と一緒に駆けつけなければ今回お前は死んでいた! どういう事か分かるか? お前がこのまま仲間を軽視し続けて唯我独尊のスタイルを続けていたらいつかもっと大きな災いを招く羽目になるって事だ! お前のみならず周りのみんなもだ!」
「ん…俺は仲間を軽視してなんていない…お前も里中も沢木さんもめぐみさんも滝本課長もみんな信頼している! お前の誤解だ…」
「だったら何故いつも勝手な行動ばかり取る!? 何故全て1人で解決しようとする!? 何故協力してくれの一言が言えない!?」
下平はうつむき、冷たい空気が部屋の中を支配した。
「お前は以前言ってたな、僕達はジョーカーでワイルドカードだって。僕が子供の頃やっていたポーカーにはローカルルールがあった。ジョーカーを引いた場合にはそれを『ハズレ』とするものだ。『ハズレ』だからそれを引いても何も出来ない。捨てない限り残りの4枚でペアを作らないといけないというルールだ。お前はまさに今その『ハズレ』のジョーカー。他の何にもなれない『ハズレ』。引いた者を不幸にするだけの疫病神だ…」
上地は吐き捨てるように言って待合室を後にした。下平は悔しく思いながらもその場ではうつむいたままだった。ただ彼には今回の事件で1つ気になった事があった。上地にそれを伝えたかったが、それが出来る空気ではなかった。
現場から逃れてきたスナイパーの男は街で一番の巨大麻薬流通組織『冷泉』の本部にいた。高級クラブの様な豪勢な雰囲気の漂う部屋の中で、一番奥のソファに腰掛けた男が高級そうな酒を嗜んでいた。冷泉のボスである峰岸慶だ。スナイパーの男は彼の前で恐怖に震えながら任務の成果を報告した。
「ほーう、つまり25人がパクられて、目標の下平も殺せず駆けつけた女刑事1人を仕留められたかも知れないと…お前それでまさか成功したと思っているのか?」
峰岸は男を追い詰めるのを楽しんでいるかのように問いかけた。とは言え不機嫌である事は明白だ。峰岸はオールバックに鋭い目をした強面の男だった。40歳前後でスーツ姿の上に長身に似合う高級そうなコートを身に着けていた。
「しかし…下平は強すぎます! たった1人で20人を…それだけじゃありません! 駆けつけてきた女刑事に眼鏡をかけた刑事…あいつら全員バケモンです! 俺達の手じゃ負えま…ぎゃあああ!」
男が言い終わらない内に峰岸がスナイパーの男の足に銃弾を撃ち込んだ。彼は更にスナイパーの男の体のあちこちを撃った。男は痛みと恐怖に顔が歪み大声を上げてもだえ、ほどなくして血の海の中でぐったりとして動かなくなった。それをニヤニヤしながら観賞する峰岸を見て、他のソファに座っていた下部組織の幹部達はそれを見て震えた。
「怖いか? だが心配する事はない。こうなるのはあくまで俺の軽い期待にすら応えられないゴミだけだ。有能な諸君らには一生美味しい思いが出来る事を約束しよう。ただ俺の望む事をキチンとやってくれればいいだけだ。誰にでも出来る仕事だ。」
幹部達というのは冷泉に従う小組織のリーダー達で、御門市を中心に麻薬を一般人に捌く仕事を請け負っている。とは言え下部組織への加入は暴力を背景にした強制的なものであった。冷泉に対する恐怖を刷り込ませ、成功した時には多大な報酬を約束するのが冷泉のやり方だった。
「今度は警察を出し抜いて取引をしようと思う。警察を踊らせた上で同時に取引もやる」
これには幹部達もざわついた。しかしそんなリスクを犯してでも組織の力を誇示する峰岸について行きたいと思う気持ちもどこかにあった。
「心配するな。俺には切り札がある。これが成功すれば分かるだろう。俺について来た諸君らの判断が正解だという事が。諸君らに最高のショーを見せてやろう」
あたかも自分達の意思で冷泉に従がっているかのような言い方に引っかかる者も多かったが、この雰囲気の中ではただ峰岸を賞賛すべく叫び続けるしかなかった。次第に幹部達は保身と利益のために取引の成功をただひたすらに祈るようになっていった。
翌朝早くに下平は里中の病室を訪ねた。先に来ていた上地と目が合ったものの、前日の怒った様子は伺えなかった。まだ絶対に安静とは言え既に元気な様子に下平は安心した。ベッドから起き上がって会話をする事も出来る。優しい表情の里中を見て申し訳ない気持ちがこみ上げた。謝ろうとしたのを察した里中はそれを毅然とした態度で遮った。
「言っとくけど謝るとかはナシだよ! 刑事なんだもの、怪我を負う事くらい覚悟してる。上地君は下平君の独断がなければこんな事にならなかったって言うけど、私は自分の意思で駆けつけたの! それで名誉の負傷を負ったの。下平君がその事で私に負い目を感じるのも上地君がその事で下平君を責めるのも絶対にダメ! 私のためにそう思ってくれているのなら迷惑だわ。だからその事でケンカなんてしたら2人共絶対に許さないからね!」
下平も上地もその迫力に気圧され何も言えずに頷いた。同時に上地が怒った様子を見せなかった理由も理解できた。
「ん、じゃあ見舞いの品はここに置いとくから。それと上地、ちょっと話がある」
「え、どうしたの? ここでしたらダメなの?」
「まあ…男同士の話だから。大丈夫、ケンカはしない。沢木さん達が後で来ると思うから」
見舞いの品をテーブルの上に置いた下平はいぶかしげな表情をした上地と部屋を出た。そして病院の屋上に移動した下平は前日に言いそびれた事を上地に打ち明けた。
「遊撃の中に…内通者がいる…!」
下平の突然の告白に上地はただ信じられないといった表情だった。
「お前…いきなり何を言ってるんだ…? 自分が何を言っているか分かってるのか?」
混乱と怒りを含んだ口調だった。下平はそれをなだめながら自分の推理を語った。
「俺が幽霊ビルに乗り込んだ時にリーダー格の奴が言ってた。『お前だけでも殺しておかないとな』って。それを聞いた時これは遊撃の中でも俺だけをターゲットにしたワナだと思った。実際敵の数も25人程。他の人までターゲットにするならいくらなんでも頭数が少なすぎる。おそらく応援が駆けつける前に俺を殺して逃げるつもりだったんだろう。ヘタに頭数を集めすぎると今度は逃げるときにリスクを負うことになるからな。だけど隣のビルの屋上にいたスナイパーは3人、これは不自然じゃないのか? それにリーダー格の奴は『お前らまとめて皆殺しだ』とも口走った」
怒りに駆られながらも話を聞く上地の頭は冷静だった。下平の話を理解し彼が何を言いたいのかも直ぐに把握した。
「つまり最初はお前だけを殺すつもりで奴等は必要最小限の人数を集めた。しかも敵はお前がワナにかかった事には気付いていないと思っている。だからお前が応援をつれて来る事は勿論、僕と里中がワナだと気付いて駆けつける事も奴等にとっては予想外だった。にもかかわらず奴等は僕と里中が駆けつける事を見通していたかの様にスナイパーを3人も設置していた。それは遊撃刑事課に内通者がいてそいつが僕と里中が駆けつける事を奴等に知らせたから。そしてリーダー格の男は応援が来るという情報を事前に得ていたからあたかも複数人を相手にするかの様な事をつい口走ってしまった。そう言いたいのか?」
上地の理解力に下平は「さすがだな」と感心した。下平が思っている事そのままだった。しかしその推理は上地の納得のいくものではなかった。
「そんなの奴等が応援の可能性を考えて念のために設置したものかも知れないだろう? それかワナを見破られる事を読んでそれに対応したのかも知れないし25人で僕等の全滅を画策していたのかも知れない。『お前ら』と言ったのも『いずれは皆殺しにしてやる』というニュアンスだったのかも知れない。お前の推理は強引過ぎる!」
感情を抑えながらも上地は論理的に反論した。それに対して下平は上地の目をじっと見て確信を持った様子で答えた。
「そこまで準備出来る奴等ならもっと事前に頭数を増やすなり対策を練るハズでしょ? 大体騒ぎを起こして俺1人だけをおびき寄せようと考える時点で単純過ぎる。実際あいつらの手口はお粗末そのもの。ただ数を集めて多勢に無勢でかかってくるだけ。作戦も何もあったモンじゃない。それなのにスナイパーだけは事前にキッチリと3人配置していた。しかもこの3人と言うのがまた不自然。駆けつけたお前と里中、そして俺を合わせて3人。応援が来ると予想して設置したスナイパーも3人。この一致は偶然にしては出来過ぎだ…仮に応援が来る事が予想出来てもピッタリ2人だけが応援に来るなんて誰が予想する?」
いつも飄々としている下平が珍しく熱くなっているのに上地は驚いた。冷静に分析すれば穴はいくつか出てくるだろうが、その推理には納得が出来る部分も多く、信じるには十分に足る推理という事は認めざるを得なかった。しかし頭では理解出来ても感情ではどうしてもそれを肯定出来なかった。
「お前は…どうしてそんな事が言えるんだ? 昨日言ったばかりだろう…仲間を信じたらどうだって…なのにいきなりこれか。仲間を信じないどころか仲間を疑うのか?」
上地が感情に流されている事を見抜いた下平は改めてその目を見た。
「刑事が一度疑いを持った以上それを突き詰めるのは当然でしょ。その人が仲間だったとしても。一度トコトン突き詰めて、それで疑いが晴れれば前以上に信用出来る。少なくとも『仲間だから』っていう理由で無条件に信じるのは刑事としては失格だ」
下平の鋭い指摘に上地は言葉に詰まった。彼の方にも訊きたい事が残っており、悔しい気持ちをこらえて質問を投げかけた。なるべく冷静であれと自分に言い聞かせた。
「僕に打ち明けたという事は、僕は内通者だと疑っていないと受け取っていいのか?」
「当然。ワナだと見抜いて駆けつけた時点で有り得ない。俺を庇ってくれた里中もね」
「里中はともかく僕の場合は有り得なくもないだろう。ワナだという口実で現場に駆けつけてお前を始末する事も有り得る」
「あの時の着弾の角度から見る限り、里中がかばってくれなきゃお前にも当たってたよ。大体ワナを口実に現場に駆けつけるくらいなら事前にもっと兵隊を揃えるなり準備をすればいい。頭のキレるお前ならそうする。それにお前が里中を裏切るワケがない。里中が撃たれた時に普段は現場で力の出せないお前が数十メートル先のスナイパーを同時に仕留める離れ業をやってのけた。それにあの時の表情…里中を傷つけられて本当に怒ったんだろう? 医者に感謝してた時の表情だって演技にはどうしても見えなかった。そんなお前が裏切り者だとは思えない…」
自分勝手で他人には興味がないと今まで思っていた下平からは想像も出来ない言葉が次々と飛び出し、上地は少し戸惑った。そして下平は急に真剣な表情になった。
「ここからが本題なんだ。仮に遊撃の中に内通者がいるとしても現時点ではまだ特定が出来ない。だけどお前が協力してくれれば内通者を突き止めて、更にはそいつを含めて冷泉の連中を出し抜くことが出来るかも知れない」
「まさか…僕の協力を仰ぐためにこの事を打ち明けてくれたのか?」
「ん…そんなところだ。推理力ならお前が遊撃では一番だし。必要なんだ…お前の力が」
上地は自分の中で何かが熱くなるのを感じた。里中が撃たれた時とはまるで違う、信頼される嬉しさから来る熱さだった。
「仲間想いのお前が仲間を疑うのは酷かもだけどさ、疑ってかからないと大事なヒントを見逃すかも知れないんだ。里中や遊撃のみんなを守りたいんだったら耐えて欲しいんだ。その事でみんなの命を救えるかも知れないからさ」
下平が自分にかけてくれる信頼と期待から心が動かされてしまいそうだった。しかし仲間を疑いきれない気持ちがこの場は勝ってしまった。
「最初にお前の話を聞いたときには本当にお前を軽蔑しそうだった。でもお前が僕らの事を考えて、信頼してくれたというのは分かった。それに関しては正直嬉しい…でも今はその頼みは聞けない。今の僕では彼らを疑えない。そんな僕にいるかどうかも分からない内通者を突き止めることは不可能だ…この事はみんなには勿論里中にも黙っておく」
上地はその場を離れた。それを見て下平は何も言えなかった。しかし「今は」という上地の言葉を下平は聞き逃さなかった。上地もまた自分が放ったその言葉には気付いていた。
その頃下平達のいる病院の廊下では峰岸と電話越しに話す遊撃刑事課の刑事の姿があった。勿論それは誰にも見られていない。
「今回の件で下手に遊撃に手を出すのが危険だと分かった。しばらくは取引のみに専念しよう。アンタが内部からかく乱してくれるから最近は警察に邪魔される事も少なくなった」
「まあそれでも下平の奴は勝手に動くからすまないと思っている。これからはキツく言って大人しくさせる。今回の件で単独行動を控えるだろうからその必要もないと思うが」
「それにしても麻薬組織対策の急先鋒にいる遊撃刑事課の、しかも課長補佐が麻薬流通組織と通じているとは世も末だな。部下に大怪我を負わせて心は痛まないのか?」
「俺は金さえ手に入ればそれでいい。部下の事など知らん。むしろ事前に俺にワナの事を知らせなかった事を恨むよ。そうしていればもっとラクに奴等を始末出来ただろうに」
「俺が言うのもなんだが本当の悪党だなアンタ。まあ刑事達の始末くらいでアンタの手を煩わせるのも気が引けたんだ。悪く思わないでくれ。切り札ってのはここぞって時にまで取っておくものだ。もっとも使えん部下達のおかげで見事に失敗したがな。まあアンタがそっちにいる限り警察の動きは筒抜けだ。これからも頼むよ、沢木さん」
沢木は峰岸からの電話を切った。電話を持っていない方の手の拳を強く握り締めながら電話をポケットにしまった。しばらくして屋上から降りてきた下平とバッタリ会った。
「沢木さん、ちょっと話があるんですけどいいっすか?」
沢木は「ああ」と言い、話を始めた。
一方の峰岸は改めて他の人物に電話を掛けた。相手はカタコトの日本語で話している。
「どうも冷泉の峰岸です。今度の取引はよろしくお願いしますよ。何しろ警察を踊らせての取引の決行なんですから。これで警察の信用はガタ落ち。冷泉の大々的な裏社会へのアピールが叶いマーケットの拡大にも繋がるんですから」
「さすがハ峰岸サンデス。アナタの才能を見込ンダ私の目に狂いはナカッタ。これならアナタにだけウチの麻薬を流していれバ安心デス」
麻薬密輸組織幹部のヘンリーは峰岸と談笑していた。彼には気になっている事があった。
「しかシ遊撃刑事課という者達がいるのでショウ?これは厄介デス。警察が本気だという事デス。一体どういった対策ヲ?」
「ご安心下さい。奴等への対策は万全に出来ています。私の味方は警察の外だけじゃないんですよ。どんな組織でも中から攻めれば案外脆いものですから」
峰岸は警察内部の「内通者」に期待を寄せた。ヘンリーとの電話を切った直後、また別の誰かから電話がかかった。
それから数日後、下平は里中の見舞いに来ていた。激しい動きはまだ出来ないものの日常生活には支障がないくらいに回復している。
「上地君がこの前言ってた。遊撃の中に内通者がいるかも知れないって。下平君には黙ってて欲しいって言われてたんだけど…」
下平は驚いた。里中には黙っておくと言っていたからだ。
「ん、違う! これは俺が…」
「分かってる…下平君が最初に思った事なんでしょ? 上地君にそれを打ち明けて下平君も自分なりに捜査をしていたんでしょ? 上地君は隠したかったみたいだけどバレバレよ。彼も彼なりに捜査を続けていたみたい。めぐみさん達に誘導尋問みたいな事してね。どうやら下平君1人が疑っているような状況が押し付けてるみたいで気持ち悪いみたい」
上地が自分に話してくれた捜査の一部始終を里中は話した。
上地は遊撃刑事課の会議室で滝本・沢木・川口を前にして捜査について話していた。下平の単独行動を責められ、他の部署の捜査状況は一切教えられておらず、ワナの件について彼等は何も知らなかった。捜査からは当分外されたらしい。上地はワナにはまった時の事を説明し始めた。そうしながらも3人の話を一言一句聞き逃さないよう注意していた。
「下平の所に駆けつけた時には敵は3人いました。1人で17人を既に倒していました。その後その3人は里中の協力もあり直ぐに倒せましたが」
「見張りを除けば20人か…それだけしかいなかったの? 多分下平1人を倒そうとしたんでしょうね…アンタ達が駆けつけた時にはそいつらビックリしてたんじゃない?」
「あまりそういう感じではありませんでした」
「じゃあ応援を考慮しての20人だったのかしら? ナメられたものね。今回の件で兵力は大幅に増強して来るでしょうね。厄介だわ」
「しかし逮捕者は25人。敵は他にもいた。里中はそいつらに撃たれたという事か?」
「ええ、僕と下平も里中が庇ってくれなければ危なかったですね。他に3人いたんです」
「油断大敵よ。雑魚だからってナメてかかっちゃダメ。見張りが3人だって言うのは聞いたから敵3人の内1人は逃しちゃったって事ね」
「逃げたスナイパーから峰岸に情報は伝わっているだろうな。これからは対策が必要だ」
上地・川口・滝本の会話が終わろうとした時に沢木が会話に加わって来た。
「捜査には入れなくともイザという時には我々は動けます。当然処分も考えないといけませんがそれでは我々がいる意味がない! 一丸となって仲間を信じて取り組みましょう」
沢木は語気を強めて言った。それに対して少し上地は違和感を覚えていた。
里中は上地の捜査の顛末について語り終えた。その場では何も分からず、隠し持っていたボイスレコーダーを何度も聞き直して推理を続けているとの事だった。
「ん、何だよあいつ…自分は通常の捜査に当たるとか言っといて自分1人でやろうとして…でもあいつでもまだ分からないのか」
「刑事である以上疑うのも仕事のうちだけど、やっぱり内通者がいることは思い過ごしであって欲しいな…冷泉の『アメ』に屈する人なんていないって信じたい…」
寂しそうな顔をした里中に、下平は冷泉のやり方について言及した。
「冷泉をここまで強大な組織に育て上げたのはボスの峰岸慶のアメとムチ。徹底的な暴力をもって街のあらゆる犯罪組織を従わせて下部組織に組み込んだ。その上で麻薬の密売のマーケットを開拓させる。組織化して行うから小さな組織が単独で開拓するよりよっぽど効果的だしね。そしてそこから上がる莫大な利益を分け与える。逆らったら何をされるか分からないという『恐怖』と従えば美味しい思いが出来るという『物欲』と相俟って、誰も冷泉に逆えなくなる。そうやって手篭めにした奴等が今度は更に従わない奴等や敵対組織を徹底的に潰しにかかって構成員を拷問にかける。あえてそいつらにやらせる事で逆らう事の恐怖を更に上乗せさせる結果になる。あいつらの繋がりは信頼とは無縁なんだ」
仲間意識や信頼関係を完全に否定する冷泉を批判的に語る下平の姿は新鮮だった。
「意外…心の中ではそういうのを大事にしてると思ってたけど…いざ言葉に出すと結構ビックリだね…上地君も言ってたけど、最近下平君変わったなあって思う。私のケガがキッカケ? だとしたら嬉しいな」
「ん、そういう顔はやめろよ…そういうのが嫌いって言うより、恐怖や物欲だけの繋がりはそこさえ突けば崩せる。つまり信頼関係がないって事が『脆い』って言いたいんだ」
里中の優しい笑顔に下平は照れくさそうな態度を見せた。
「本当にそうだよね…人を信じられないと他人や組織の事を考えて動けないから、追い詰められると自分の事ばかり考えて直ぐにバラバラになると思う。ワイルドカードの役目を果たすのにはコレが一番大事なんだよね」
「ワイルドカードって…俺が以前めぐみさんに話したあのジョーカーの話?」
「ポーカーでのジョーカーは切り札…私達遊撃と同じ。でもジョーカーってそれだけじゃ勝てないでしょ? 他の手札を揃えて組み合わせないと。そのためにはジョーカーは手札に合わせて変化しないといけない。それは人間関係でも同じだと思う。人と人との繋がりの中で役目を果たすにはそこにある色んな手札、色んな人達と協力しないといけない」
「ただカードはあくまで1人の人間が持つものだし手札の組み合わせに対してジョーカーがどういう働きをすればいいかは1人で決められる。人間の場合はそう単純じゃないか…」
「そう…人と人とが協力し合うには互いに信頼していないとダメ。私達の場合は冷泉を潰すため。警察の勝利のため。そのためにジョーカーとして何をすべきかを考えないと。傲慢になって独り善がりに動くなんてダメ。ワイルドカードだからこそ他の手札をしっかり見ていないとね。そうじゃないとそれこそ上地君の言ってた『ハズレのジョーカー』よね」
「ジョーカーだけじゃ勝てない…他の手札がないと勝てない…ワイルドカードとして役目を果たすには信頼関係が必要…か…」
下平は今までの自分勝手な振る舞いを悔いた。自分に対する絶対的な自信故に、仲間の協力がなくてもやっていけると知らず知らずの内に傲慢になっていた事を自覚した。仲間を見下していた訳ではないという中途半端な仲間意識が逆に、彼に心の奥底の傲慢さに気付けなくしていた。自分の中の無意識の傲慢を強く憎んだ。
「大丈夫、下平君はもう気付いてるよ。大事な事に。上地君を信頼して推理を任せる事が出来たじゃない…刑事として疑うのも大事だけど、だからと言って信じる事を忘れるのとは違う…上地君も分かってると思う」
下平は潤んだ目を少しこすり礼の言葉を述べた。
「お礼ならめぐみさんにも言ってあげなきゃね。下平君を心配してたよ。ワザワザ私にコレを渡してくれたんだから」
「え…コレって…」
下平は里中から手渡された物をしばらく見つめ、ある1つの可能性を確信した。確証はないが信じるに足るものだった。しばらくしてから川口から下平に連絡が入った。別件で逮捕した冷泉の構成員から聞き出した情報で今日麻薬の取引が行われるというものだった。
「ん、港の第一倉庫街か第七倉庫街で麻薬取引が行われるらしい」
「私達は捜査から外されてるんだよね…でもそんなの関係ないよね」
「当然!」
いつも通りの眠たげな表情ながらも下平の目は燃えていた。電話を切って署に戻ろうとしたが里中が少し待つように言った。里中は鍵を手渡した。
「私専用の武器庫の鍵。留守番で待つしか出来ないならせめて…ね」
「分かった。それと1つ頼みたい事がある。留守番ついでとかじゃなく重要な任務だ」
下平は先程得た確信とその頼みたい任務について詳細を説明した。
御門署では御門市の外れにある海沿いの第一倉庫街か第七倉庫街に向かうべく警官達が準備をしていた。上地が会議室から出て様子を伺おうとした時だった。廊下の端の方から声が聞こえたのでそっと覗いてみた。沢木が電話越しに峰岸と話をしていた。
「第四倉庫街の一番デカイ倉庫に今夜9時だ。今回の取引にはアンタにも立ち会って貰いたい。前にも話しただろう? 麻薬密輸組織の幹部でヘンリーという男に紹介しようと思う。警察の奴等はどうだ? 馬鹿みたいに踊らされてるだろう?」
「ああ…ワザと捨てゴマを捕まえさせて不確定な情報を喋らせるとはな。やっとの事で取引場所を吐かせたと思ったら今度は『一』か『七』か決めなきゃならない。そうなると無意識に『どっちで行われるんだ?』としか考えないようになる。そして『本当にこのどちらかで取引は行われるのか?』とは考えなくなってしまう」
「論点をズラしてやれば肝心な所に目が行かなくなる。違う場所で行われるという選択肢を知らず知らずの内に捨てる。こんな簡単なトリックに騙されるとは警察も堕ちたな」
沢木が笑い混じりに話すのを物陰で上地は聞いた。信じられないという表情をしている。
「ところで今回は取引を押さえるのと同時に冷泉の本部にも警察が突入する算段になっている。それに加えて御門市の道路はじきに封鎖されるから市の外に出るのは困難だ。今までは本部の場所は分かってはいたが証拠が不十分でアンタをしょっぴく事が出来なかった。しかし今回の取引が押さえられたらマズイ…ここまで警察側が躍起になるとはな…」
「なーに、こういう時のために市外に別のアジトもあるし逃げるルートも確保済みだ。こっそり警察の目を潜り抜けて第四倉庫街へ向かう。一や七からは何十キロも離れているからさすがに勘付かれない」
沢木と峰岸は打ち合わせを終えた。電話を切った沢木は笑みを浮かべ、その場を離れようとした。その時隠れていた上地と鉢合わせた。
「沢木さん…今の電話…」
「上地…敵が動いたぞ! 第四倉庫街に急行だ!」
「はい! 長期間の潜入捜査ご苦労様です!」
「よせよせ…そんなのは峰岸をしょっぴいてからだ!」
沢木は電話を切った時と同じ笑みを浮かべた。沢木の潜入捜査が実を結んだ瞬間だった。
この潜入捜査は遊撃刑事課のメンバーだけに知らされており、他の署員には一切知らされていない極秘捜査だった。沢木が峰岸を信用させるために麻薬の取引に関して警察を内部からかく乱して手助けをしていたのは事実だからだ。殺人や強盗などの凶悪犯罪の補助には手を染めていないとは言え、麻薬取引の手助けを行う事など許されるハズはない。潜入捜査の結果多くの麻薬の流通を許してしまった事実は否めない。正義と現実の間で苦しみ続けた沢木にとって冷泉殲滅は悲願だった。
「驚きましたよ…警察をかく乱させて更に同時刻に取引をしようとするなんて…リスクを考えていないんでしょうか」
「峰岸にとってこの取引はパフォーマンスの意味もあるって事だ。警察を出し抜いて取引を成功させればメンツや看板が何より大事な裏社会に盛大なアピールが出来る。裏社会での峰岸の評価は一気に高まり信用を得られるって算段だ」
上地は川口か滝本のどちらかが内通者の可能性がある事を切り出せないでいた。しかし沢木はその事実を知っていた。以前下平からその話を聞いたからだ。沢木はその時の事を思い出していた。2人は一旦廊下で立ち止まった。
峰岸との電話を終え、病院の屋上から降りてきた下平とバッタリ出くわした時だった。
「遊撃の中に内通者がいると思うんです。おそらくめぐみさんか滝本課長のどちらかは冷泉と繋がっています。この事は上地にも話しました」
それを聞いて沢木は驚いた。上地と同様仲間を大切に思う沢木は最初は強く否定していたが、上地を説き伏せようとした時の推理を聞いて次第に沢木もまたその可能性を考慮し出した。それでも納得が出来ない沢木に下平はもう1つ気付いたことを話し始めた。
「沢木さんの潜入捜査は峰岸にはバレてます。これはほぼ間違いないです」
「な…どういうことだ!?」
「だって俺がワナにハメられた時沢木さんに事前の連絡が来なかったでしょう? 俺を始末するために25人も投入したんですよ? 普通だったら沢木さんが内部から俺の情報を流す事を期待するでしょう。でも沢木さんに来たのは事後報告だけだった。これはどう考えてもおかしいですよ」
それについては沢木自身も引っ掛かっていた。自分の手を煩わせないためと言ってはいたが、遊撃刑事課でも腕の立つ下平を始末するという大事なミッションなら内通者という切り札を使う事は何ら不自然ではない。電話一本で済むだけの事を何故ためらうのか。いざ指摘されるとどうしても疑わざるを得ない疑念だった。しかし上地と同様認めたくないという気持ちの方がこの場は勝った。
「お前の考えは一応参考にさせてもらう。だが俺はそんな裏切り者なんていないと今は信じている」
沢木はそう言って踵を返した。彼もまた無意識に「今は」という言葉を使っていた。
先に沢木の方からその件を切り出した。上地は意外な事実に驚いた。
「知っていたんですか!? だからあの時あんなに語気を…」
「あの時はまだ信じたくなかった…課長や川口が内通者の可能性があるなんてな…でも俺達刑事は人を信じる事と同じくらいに疑う事も忘れちゃいけない。俺は下平やお前を信じてあえてここは2人を疑う道を選びたい。彼らが内通者でないことを祈りながらだがな…」
拳を握り締めながら苦しそうに言葉を振り絞る沢木の姿からは激しい葛藤が伝わった。上地は既に内通者がいてそれが誰なのかについての確信があった。沢木の気持ちを汲んだ上地はここで自らの推理を切り出す決意を固めた。
「沢木さん…僕の方も内通者の件で話があります。聞いて頂けますか? 僕の推理…いや確信を…」
沢木は静かに頷いた。そして上地の推理に耳を傾けた。
「…成程な。確かに…お前の推理を信じてみよう。何か作戦はあるのか? ただ分かっているだけでは意味がないだろう」
素直に聞き入れて貰えた事に上地はほっと胸をなでおろした。早速上地は内通者をあぶり出し、更にはそれを利用する作戦を話し始めた。
沢木と上地は会議室に戻ってきた。川口と滝本、そして下平も既にいた。里中を除く全員が揃った。本当の取引場所が第四倉庫街と分かり作戦会議が始まった。作戦とは言っても相手の情報がこちら側に筒抜けのため、ただ待ち合わせの場所に向かって逮捕するだけのシンプルなものだった。いくら敵のボスが直接出向くとはいえ取引にそれほど兵隊は動員しないだろうと予測した。滝本が会議室に残り他の4人が現場に向かうこととなった。念のためという事で滝本は防弾チョッキを4人分用意した。それを着用し必要な武器等を各自で揃え、最後にもう一度会議室に集合してから現場に向かうこととされた。
「課長…今回いくら敵の情報が筒抜けとはいえ、少し不安なんですよね。俺のバッヂ一応預かってて貰えます? 命を預けたいって意味で…」
滝本はそれを快諾した。その行動に川口は少し違和感を覚えた。その後4人は各自武器を揃え会議室で最後の確認をした後現場に向かった。まず沢木が普通の乗用車に乗り第四倉庫街に向かう。その後を3人の乗った覆面パトカーが追跡することになった。
走り出してしばらくしてから沢木の携帯に峰岸から連絡が入った。沢木は車を止め3人の乗ったパトカーも止まった。
「峰岸さんかい? 手筈通り第四倉庫街に向かってる。ところでアンタの方は大丈夫なのか? 署の連中は躍起になって既にアジトの前に張り込んでいると聞いた。ずっと動かないならまだしも取引のために出かけるならマズイんじゃないか?」
「ご心配なく。陸のノロマ共なんかに捕まらん。サツの間抜け面を高みの見物と行くよ」
沢木は話を終えて直ぐに下平に電話の内容を伝えた。
「沢木さん、そのまま行ってくれたらいい。後はもう何も問題はない。慎重に頼みますよ」
下平はそれだけを言って電話を切った。沢木も走り出し、後ろのパトカーも走り出した。
峰岸は沢木と話した後また別の人物に電話を掛けていた。
「沢木の奴、俺を出し抜いていい気になっているだろうな。まさか500人の兵隊が自分達を殺そうと待ち構えているとも知らずに。他の連中も全く疑ってはいないようだ。途中で何も疑わずに沢木の後をついて行ってる」
「ウチの奴等はアンタを完全にハメたと思い込んでいる。しかし下平は私を疑っているようにも見えた。ワザワザ現場へ行く前にバッヂを預けようとした」
「おいおい…中に盗聴器が仕掛けられているんじゃ…」
「私もそれを疑ってみた。念のためバッヂを銃で壊して中身を見たが仕掛けは何もなかった。どうやら気付かれてはいないようだ」
滝本はニンマリと笑った。
「馬鹿な奴だな。少しでも疑いを持っているなら盗聴器の1つでも仕掛ければいいものを。防弾チョッキに仕込んだアンタみたいにな」
「本当にラクだよ、素直な部下を持つとね。まさか内通者が本当にいてしかもそれが遊撃刑事課課長の私だとは思いも寄らなかったようだ。さっきから車内の会話を聞いてるが、全員が完全に冷泉を出し抜けたと高をくくっている。まあ仮に気付けたところで4人じゃ500人を相手に出来るはずがない。違法捜査で得た情報じゃ他の部署の応援も頼めないだろうしな。第四倉庫街に遊撃以外の警官が来ることはありえない」
「部下を騙して盗聴した上に皆殺しとは…まあアンタが内通者になってくれたおかげで沢木の潜入が分かった事には感謝してる。アンタがいなきゃそれこそ俺が遊撃刑事課に出し抜かれているところだった」
滝本との電話を切り、峰岸はすぐ横にいる男へと話し相手を変えた。
「ヘンリーさんどうです? 私には警察内部にも味方がいるんです。そして今から冷泉の宿敵である遊撃刑事課が全滅する様を優雅に眺めるとしましょう」
「素晴らシイ。これからモ仲良くやって行きまショウ」
峰岸とヘンリーの前にはスクリーンがあり、そこには第四倉庫街の中が映っていた。部下に遊撃刑事課が500人になぶり殺されるシーンを撮影させ、それを2人で見る予定だった。その瞬間を峰岸は待ちわびた。
取引の時刻に近付いてはいたが第四倉庫街に沢木はまだ現れなかった。峰岸・ヘンリーに代わって待っていた冷泉の幹部・山野はイライラしていた。沢木に催促しようにも、倉庫には峰岸が待っていると思っている彼に山野が電話を掛けるのは不自然だし、かといって催促ごときで峰岸の手を煩わして怒りを買うことも出来ないためただ待つしかなかった。郷を煮やした山野は滝本に電話を掛けた。
「沢木の奴はまだ来ないんですがねえ。アンタなら盗聴器でどこにいるか分かるでしょう」
「まあ…大丈夫だ…もう倉庫には近づいている。少し待っていてくれ。何の問題もない…」
「どうした? さすがにアンタも自分の部下が殺られるとなると少し不安か?」
「まさか…警察の方は呑気に一と七の前を張り込んで、署内の連中も完全に騙されている」
山野は少し安心して電話を切り、滝本も同様に電話を切った。
「クソッ…これでいいか?」
滝本は自分のこめかみに銃口を突きつけている鬼の様な形相をした川口に尋ねた。
その数分後に沢木は第四倉庫街に到着した。その中心にある一番大きな倉庫を見付け中に入った。そこには山野とその周りに30人ほどの部下がいた。
「冷泉の幹部の山野だ。遊撃刑事課の沢木さんかい?」
「お初にお目にかかる。沢木遼一だ。ところで峰岸さんは? 取引の時間も近いが」
「ここで死ぬ人間には関係のない事だ!」
山野の部下達が一斉に沢木に銃を構えて撃った。沢木はそれをかいくぐり、持っていた銃で反撃し、5人ほど倒し倉庫の外側に逃れた。
「さすが御門警察署のジョーカーと言われるだけの事はあるな…いきなりの奇襲で5人も倒すとは…」
「俺の潜入はバレていたのか…なら相手は俺一人じゃない事も理解は出来ているな?」
上地が別の陰からこちら側を覗いているのが山野には分かった。
「約25人。これくらいの人数なら俺達に分がある。大人しく降参しろ」
沢木の提案に山野は不敵に笑った。
「馬鹿が…お前ら相手にこの人数で挑むとでも思ったのか?」
山野がそう言うと第四倉庫街の一帯が急に明るくなり、周りの建物の陰から大量の兵隊が待ち構えているのが見えた。
「最後に良い事を教えてやるよ沢木。お前の完璧な潜入がバレたのはな、お前の上司の滝本が密告してくれたからなんだ。奴は俺達冷泉と繋がってるんだ。その防弾チョッキには盗聴器が付いてるんだぜ。結局ここに来るまで気が付かなかったようだな。気付いていれば遊撃刑事課以外でも数人くらいは呼べただろうに。まあ潜入捜査とは言え麻薬取引の手助けをするお前に手を貸してくれる奴なんていないだろうがな。ハハハハッ」
山野は高笑いをした。しかしその時に沢木が不敵な笑みを浮かべているのに気付いた。
「何ニヤニヤしてやがる!」
銃口を沢木の方に向けた瞬間、遠くから大きな音が近付いて来た。直ぐにそれがサイレンの音だと分かり山野は驚いた。
「馬鹿な…滝本の情報ではここに署の連中は気付いてないと…ハッ、沢木てめえ…!」
山野の目の前には既に誰もいなかった。他の兵隊もサイレンの音に木をとられている僅かな隙を突かれたのか、2人を見失った。
「クソッ! どこに消えやがった?」
次の瞬間に山野のいる倉庫の壁の至る所が爆発した。
「爆弾を仕掛けてやがったのか…とりあえず脱出だ! あいつらブッ殺してやる!」
山野は何とか倉庫からは脱出したものの、目の前には既に800人以上の警官隊がいた。自分達を遥かに上回る数の警官隊が来るという予想外の展開に500人の兵隊達はパニックに陥り次々と潰されていった。その兵力差もあって瞬く間に壊滅状態に陥った。
「クソッ、役立たず共が…とにかくここからトンズラして…沢木の野郎だけでも見付けねえと。冷泉をコケにしやがって…絶対に許さねえ!」
山野は警官隊のいない隙間を上手く潜り抜けて倉庫街から少し離れた。争いの音が小さくなり、一先ず安全な場所まで来たと少し安心した。しかし目の前に沢木が現れた。左手に持った防弾チョッキを投げ捨て今一度不敵に笑った。
「お前達が撃ったウチの刑事自慢の爆弾だ。なかなかの威力だろう?」
「沢木てめえ…俺達を出し抜きやがったな。滝本の件も防弾チョッキの盗聴器にも気付いていたのか! 何時何処で気付きやがった?」
「気付いたのは俺じゃない。下平と上地…俺の頼れる仲間達だ。彼等の力なしではお前達に殺されていたかもな」
どういう事かを尋ねる山野に沢木はここまでの作戦を語り始めた。
一方遊撃の会議室でも川口に銃を突きつけられた滝本がどうして自分が内通者だと分かったのかを尋ねた。
「最初は下平の軽い疑念が発端だったわ。私かアナタのどちらかが内通者だってね。そして彼が上地と協力して全て暴いてくれた。アナタの今までの言動からね」
川口は下平と上地の推理について説明し出した。
第四倉庫街に向かう直前、滝本を除いた4人のいる武器保管室で上地は川口に自分の推理を打ち明けていた。滝本が内通者だと知った時の川口は驚いていたが、直ぐに冷静になり小声でその推理を聞いた。
「どういう事なの? 滝本課長が峰岸と繋がってるかもって事? 証拠はあるの?」
「確実な証拠はありませんがここまでの彼の言動を観察した限りほぼ間違いありません。まず下平の推理を聞いて、内通者がいるとしたら川口さんか滝本課長のどちらかに絞られると読んだんです。」
上地は下平が自分に話してくれた推理を川口に話した。下平・上地・里中の3人及びワナを事前に知らされていなかった沢木の計4人以外で沢木の潜入捜査を知る残りの2人が内通者の可能があるという事を川口は理解した。
「どうして滝本課長が内通者だと確信したの?」
「まず僕が何故ワナかを気付けたのかを思い出してみたんです。そうしたら課長が『何人待ち構えていようが』と言った事に引っかかりました。今思えばあたかも銃撃戦をしていた8人以外にも敵が待ち構えていた事が最初から分かっていたような口ぶりだったなと…その言葉が僕に『ワナじゃないのか』と無意識に気付かせたんだと思います」
「なるほど…でもそれだけじゃ全然足りないんじゃない? ワナじゃないにしても待ち構えるという表現はそこまで不自然じゃないし…」
「確かにそれだけじゃ怪しいと断定出来ません。しかし里中が撃たれた後に課長は自然と『スナイパーに撃たれた』という言葉を使っていました。僕はあくまで『撃たれた』と言っただけで一言も『スナイパー』とは言いませんでした。仮にスナイパーをイメージしたとしたら『スナイパーがいたのか?』と尋ねてくるハズです。いくら下平だけを狙うワナとはいえあの流れから急に『スナイパー』という言葉が出てくるのは少し不自然かと…」
「確かに…私も最初はありさが撃たれたのはそこにいた兵隊だとイメージしてたけど、いつの間にかスナイパーのイメージになってた。アレだけの情報で撃ったのがスナイパーだと当たり前のように話すのは確かに違和感があるわね…」
「そしてさっきの課長の行動がダメ押しです。少数の敵を確保するだけの、命がけとは程遠い任務だったハズなのに防弾チョッキ着用はどう考えても流れの上で違和感がある。大体僕等の戦闘スタイルを考えれば重くて機動性が下がる防弾チョッキなんて基本は邪魔ですよ。どうしても必要ならそれなりの説明をするハズなのにそれもなかった。おそらく中には盗聴器が仕掛けられています。仕込む事に夢中になって会話の流れの違和感にまでは気を配れなかったんでしょうね」
「ん、極めつけは俺が紋章を預けた所っす。命がけの任務でもないのに俺が紋章を預かってくれるよう頼むのは不自然な行動のハズ。それを課長は快諾した。おそらくあの中に盗聴器がある事を疑ってかかって、あえてハメられたフリをしたんでしょうね。これも防弾チョッキのケースと同じ。ハメられたフリをする事ばかりに意識を向けたばかりに会話の流れにまで気を配れていない」
「ちなみに川口さんに関しては会話の何処を探してもそういう不自然さがなかった。少なくとも内通者ではないという確信は持てました。先程のスナイパーの話の中でも少し違和感を感じた表情をしていた。まあこうやって打ち明けたのは賭けでもありましたがね」
「ただめぐみさんが『内通者じゃない』って確信した証拠は既にありますけどね」
下平は一枚のカードを見せた。トランプのジョーカーだ。
「これって…私がありさに渡した…アンタから預かったカード…」
「里中から聞いたんす。めぐみさんが話してくれたっていうワイルドカードの話。人を信じられないと勝てない。人と人とはポーカーのカードほど単純じゃないとか言うヤツです。めぐみさんがその話を里中にした時に俺のカードを渡した事を聞きました。俺や里中のためにワザワザ…俺達をハメようとする人間の行動じゃありえないでしょ?」
「それで私が『内通者じゃない』って確信したの? 楽観的過ぎない!?」
「人の本質って日常のちょっとした振る舞いに出るものなんすよ。上地の言う通り演技をしているようにも見えませんしね。それに仮にめぐみさんが内通者だとしても内通者の存在にすら気付いていないであろう状況でここまで手の込んだ演技なんてしないでしょうしね。それでももしこの状況でめぐみさんが不自然なそぶりを見せていたら、ここで事件が終わるまで拘束していたかもしれませんけど…」
いつになく真剣な表情の下平を見て川口は緊張の糸が切れたように少し笑った。
「疑われたのは少し不本意だけど状況的に…何より刑事としての本分を考えると仕方ないわね…でもこうやって信じてくれたのは少し嬉しいかも…上地も私を信じて賭けに出てくれたみたいだし…」
少し場の空気が和んだところで沢木が発言した。
「とにかく今は課長が本当に内通者かどうかだ。まず俺の潜入捜査がおそらくバレている以上第四には相当な数の兵隊が待ち構えている事は間違いない。峰岸の取引も俺と話を合わせただけで行われないだろう。最悪敵前逃亡もやむをえないが、内通者の証拠を押さえられれば他の部署からの応援を頼む事も可能だ。こういう時のために御門署以外からも応援に駆けつけられるように色々手は回してある」
「敵前逃亡か…倉庫には行かないって事ですよね…そうなったらもう僕等が峰岸を捕まえるチャンスは当分は来ないでしょうね。皮肉ですよね…その千載一遇のチャンスを逃さないためには課長が内通者でないといけないなんて…」
上地の言葉に全員がうつむいた。しかし下平は直ぐに顔を上げた。
「ん、ヘタに期待や予想はしない方がいい。どっちに転んでも対応できるように腰を据えて挑もう。それが遊撃でしょ?」
下平の一見軽い檄に全員の顔が引き締まった。沢木はその言葉に心の底から同意した。しかしその時川口はある事を思い出した。
「ちょっと待って…下平が仕掛けた盗聴器に関してはバレてる可能性が高いのよね? これじゃあ滝本課長が内通者だったとしても証拠は出ないんじゃ…」
「それに関しては大丈夫。きちんと手は打ってますよ。盗聴器よりもよっぽど信用できる方法でね」
下平は自身ありげに川口の不安な質問に答えた。そして上地は作戦の内容について、先程沢木に話したように下平と川口にも話し始めた。
川口の説明を聞いた滝本は全てを理解した。
「成程…バッヂはフェイク…本命はお前だったというわけか…里中…」
銃を突きつけられた滝本の前には里中が立っていた。
「そう、あのバッヂには何も入っていない。本当はずっとありさがあなたを尾行して見張っていたってワケ。防弾チョッキの盗聴器に気づいていた私達は騙されたフリをして車に乗った。でも事前に入念な打ち合わせをしていたの。ありさからアナタが本当に内通者だったという連絡が来た場合に限って私が署に戻ってアナタを取り押さえる。私達が騙されたフリをしているとは気付かないアナタは何の警戒もせず峰岸に連絡をした。それを影で見ていたありさが私にメールを送る。勿論受信音は消してね。そして私だけがこっそり車を降りて署に戻ってアナタを取り押さえたってワケ」
「下平君がバッヂを渡したのは課長を油断させるためです。『盗聴器か?』と疑わせておいてそれが取り越し苦労だと分かれば、『気付かれていない』と思い込んでもう内通者である事がバレていないかとはこれ以上心配しなくなると読んだんです。予想通り峰岸との会話中ではもう完全に乗り切ったと油断していましたね。尾行する上でも凄く助かりました」
里中の言葉に滝本は悔しそうな表情をした。川口は更にここまでのいきさつを説明した。
「沢木さんが電話をするために車を止めた時に追っていた私達も車を止めた。その時に降りたの。車の中に盗聴器の付いたチョッキを置いて電話を掛けっ放しにしてあたかも私がまだ車の中にいるように装ったの。これだと盗聴器だけじゃなくGPSまで付いていても、冷泉の奴等が私達を尾行していたとしても勘付かれない。そしてアナタの会話録音をありさが他の部署の人達に送れば大部隊が第四倉庫街に応援に駆けつけてくれてチェックメイト。内通者のアナタが嘘の情報を流せば奴等は油断して大慌て。イザという時のために沢木さんが応援を頼んでくれていたのよ。御門署に限らず幅広くね。潜入捜査を初め捜査内容を全て教える事を条件にね」
それを聞いて滝本は驚いた。
「馬鹿な…奴は潜入とはいえ取引の手助けをしていた。だからこその極秘捜査だったハズ…遊撃以外の者にその事をバラすなど…これでは奴はおろかお前達までただでは済まない…なのに何故…?」
それを聞いた2人は怒りを露わにした表情をした。川口は銃口を更に強く滝本のこめかみに押し付け、後ろから髪を掴んで前に押し倒した。滝本の顔が苦痛にゆがんだ。
「何故? 本気で言ってるの? 沢木さんが…私達遊撃が事件解決よりも保身を選ぶような人間だとでも思っていたの? どうやらそんな当たり前の事さえ忘れてしまったようね、この裏切り者!」
「そんな大事な事さえ見逃すような人に会話の流れでボロを出さないなんて器用な真似、最初から出来るハズがなかったんですよね…」
川口は滝本に手錠を掛けた。里中の悲しげな表情を見て滝本は情けない気分で一杯になった。
一方沢木も山野に説明を終えたところだった。
「お前…自分の身と引き換えに応援を呼んだのか…これじゃお前もただじゃ済まねえんだぞ。潜入捜査でお前が俺達の手助けをした事が公に裁かれる。警察にいられるいられないの問題じゃないんだぞ…全てを失うんだぞ!」
「ああ、予想もしていなかっただろう。だからこそお前達を出し抜けた。おそらく首になるどころかお前等と同じ塀の中に入れられるかもな。まあでも少しでも罰が軽くなるように頑張るさ」
「警察のジョーカーのお前がまさか捨て身に出るとは…そこに内通者を逆に利用しての奇襲かよ…むちゃくちゃな戦術取りやがって…!」
「カードは切り札だけあっても勝てないんだよ。他のカードの中で役割を果たすことが大事だ。たとえ自分が切り捨てられようとも勝利のために貢献する。そういうモンだろ」
銃口を向けた山野は引き金を引いた。軽々とそれを避けた沢木は一瞬で間合いを詰め渾身の右アッパーを山野のアゴに叩き込んだ。アゴを砕かれ吹っ飛んだ山野は白目を向いて気絶した。
「お前ごとき銃を使うまでもない。さてと…あいつらどうなってるかな…」
「馬鹿な…こんなハズでは…」
峰岸はスクリーン越しに見えた映像と第四倉庫街からの兵隊の連絡を受け、茫然自失の状態にあった。横にいたヘンリーも非常に気まずそうな顔をしていた。峰岸はヘンリーの信用を取り戻すべく必死に言い訳を搾り出した。
「大丈夫です…私の今度のアジトはまだ無傷…兵隊もまだ半数以上が残っています。こんなの私の手駒の一部分…今回は少し警察に花を持たせてやりましたが、ルートはまた開拓できます。私の手腕とヘンリーさんのお力添えさえあれば」
「そうデスね…幸い麻薬にモ手は付けられていナイ…こうやっテ船に乗せテよかっタ…」
峰岸とヘンリーはフェリーのような小型運搬船の上にいた。ここに峰岸はアジトにあった全ての麻薬を運び込んでいた。いくら警察が取引を押さえる事が出来なくても、アジトに強行に突入され押収される恐れがあったからだ。もしこのままアジトに残り続けていたらと思うと、峰岸は少し恐ろしくなった。後は海上警察に見つかる前にどこかの港に移動して新しいアジトに移動するだけであり、このまま乗り切れると思っていたその時だった。
ドン―――
大きな爆発音が船の後部から聞こえた。峰岸とヘンリー、数人の部下が音の方へ駆けつけた。音が鳴ったと思われる場所は麻薬保管庫だった。保管庫は無事だったものの近くに爆破されたような跡がありそこから火が上がっていた。消そうとしたその時、船の前方から銃声と部下の叫び声が聞こえた。
「ぐわっ、ぎゃっ!」
銃声の方に駆け寄ると数人が倒れていた。次の瞬間、峰岸のすぐ横にある柱に何かが飛んできて刺さった。ダーツの矢だった。飛んできた方向を見ると一人の男が立っていた。
「ん、ここで決着つけようか峰岸さん」
「お前が下平か!? 馬鹿な…何故ここが分かった!?」
「沢木さんとの取引が嘘である以上、最初はアンタがアジトから動かないと踏んでいたんだ。警察が取引を押さえられないと思っていたワケだし、陸路は殆どが封鎖されて逃亡は困難を極める。でも場所を知られてる以上は確実な安全とは言えないでしょ。アジトの前の警官隊が強行的に突入してしまうかも知れないし、俺達遊撃が捨て身でアジトに乗り込む事も考えられる。だからもしもの時を考えて俺だけはアンタがアジトから逃亡したと仮定して動く事にした。逃げるとしたら海路。大量の麻薬をアジトから運び出すには打ってつけだし、沢木さんとの会話で『陸のノロマ共』と発言した事とも合点が行く。いくら潜入捜査に気付いて騙されたフリをしていても迂闊な一言から事実は漏れる。まあアンタが海路を使って逃げるって事はもう仲間を通じて滝本から聞いたから、港を出ようとした時にはもう可能性は確信に変わってたけどね」
「滝本の奴…また寝返ったのか…確かに滝本の自白さえあれば警察はいくらでも動く…海上警察を使って俺達の船も見つけたというのか?」
「まあね。本来遊撃は警察のジョーカーなんだけど今回は逆。俺達が警察を切り札として使わせて貰った。カードは手持ちの札の組み合わせで戦うんだ。仲間を信じて自分がどう動くかを考えなきゃ勝てないんだぜ? 今回はババ抜きみたいな事をさせられて気分が悪いけどさ…」
「フン…仲間仲間と…その仲間に裏切られたんだろうが! 下らん! お前はここで海の藻屑となれ」
峰岸が銃口を向けた瞬間に先程から柱に刺さっていたダーツが爆発した。爆風に吹き飛ばされ混乱する冷泉の兵隊達を下平は次々と撃ち倒した。
「どうだい? 俺達の頼れる仲間、里中特製のダーツボムだ」
「仕留め損なった女刑事の武器か…クソッ!」
その後も次々と兵隊が現れた。冷泉の構成員のみならずヘンリーの部下達もいた。しかしダーツボムと正確無比な拳銃捌きの前に次々と兵隊は倒れていった。下平のあまりの強さの前に怯み出した兵隊達は下平の乗って来たボートに目が行った。しかしそれに気付いた峰岸は部下達を一喝した。
「お前等…俺を裏切ったらどうなるか分かってるんだろうな!」
部下達は峰岸に怯えた。ヘタに逃げようとしたら一瞬で殺されるからだ。峰岸の銃の腕は相当のものだ。しかし下平への恐怖もそれに匹敵するのも事実だった。引く事も行く事も出来ずにいたその時、彼らの足元でまた爆発が起きた。仕込んでいたダーツボムだ。
「うわああ、もう駄目だああ!」
部下達はその瞬間パニックになり衝動的に下平のボートに飛び込んで逃げようとした。何人かは乗れずに振り落とされた。ボートに乗った構成員の1人がエンジンを掛けようとした時にボートの後ろが爆発した。ボートに仕込んでいた爆弾が爆発したのだった。
「クソッ…裏切り者共が!」
峰岸はボート上の部下を射殺しようと拳銃を向けたが、怒りに任せたその行動は下平にとって大きな隙だった。下平の銃弾が峰岸の銃に当たり海に落ちた。峰岸は右手を押さえた。
「確かに信頼が裏切られる事だってあるよ…第一刑事は疑う事も仕事だしね。だからって最初から信じないのとは違う。もし部下との間に信頼関係があったんならアンタのために命を掛ける奴も出てきたのかも知れない。でも恐怖で縛っただけの奴なら煽ったり怖がらせたりするだけの単純な心理戦術で直ぐに崩せる。取引相手との間に信頼関係があったんならワザワザこんな警察を出し抜くような真似をしてパフォーマンスをする必要もなかったのに。見栄を張らないと誰も付いてきてくれないんじゃ寂しいでしょ? 」
峰岸はただ悔しそうな顔をした。その時船が大きく傾いた。ダーツボムの使いすぎで船が損傷しすぎたのだと下平は気付いた。またやってしまったと下平は反省した。
「馬鹿が…自分のボートまで破壊しやがって。ここからどうやって逃げるつもりだ!?」
しかしその時下平はその眼の先にあるものに気付いた。そしていきなり海に向かって飛んだ。いきなりのことに峰岸は理解が付いていかなかった。
「下平ああぁ! 大丈夫かああぁ!」
「ナイスタイミング上地!」
下平から連絡を受け、第四倉庫街からいち早く離れた上地が駆けつけた。下平は上地の乗ったボートに飛び降りようとした。その時峰岸は予備の銃を取り出して下平を狙った。同時に物陰から出てきたヘンリーもボート上の上地に狙いを定めた。
「外人の方は任せた! 峰岸は俺に任せろ!」
船の上の2人が引き金を引く前に下平は空中で振り返り峰岸の右肩に銃弾を命中させ、上地はヘンリーの腕に銃弾を命中させた。峰岸とヘンリーはそれぞれ崩れ落ちた。
「ん、お疲れさん」
「ご苦労さん」
上地の乗ったボートに着地した下平は、照れくさそうにする上地と互いに右の拳を合わせた。船の上では肩を押さえる峰岸がいた。
「な…いいもんだろ? 仲間」
下平の爽やかな笑顔が峰岸にはなんとも憎らしく映った。
それから数日がたった。遊撃刑事課の会議室では沢木の大声が轟いている。
「下平ぁ! また無茶苦茶やったな! 峰岸の麻薬も殆ど滅失させやがって!」
そんな2人に復帰を果たした里中が優しく茶々を入れる。
「またぁ…めでたく刑事を続けられたって言うのに。それに下平君の活躍も会って峰岸やヘンリーの逮捕も出来たんですよ?」
沢木の潜入捜査中の取引の手助けについては降格と減俸だけで済んだ。違法行為とは言え彼の冷泉壊滅への貢献度と実力を考えると刑事を続ける事が責任を果たす上では妥当だと考えられた。滝本に代わって新たな課長は川口となったが、川口は以前と変わりなく沢木に接している。課長補佐のポストは下平・上地・里中で今争っているところだ。
「ん、それにしても何で滝本は裏切ったんすか? 動機は聞き出せたんすか?」
下平は気になっていた事を川口に尋ねた。
「詳しくは聞いてないけど、刑事としてのプライドを失ってしまったみたい。私達ってここに志願してやって来てるけど、滝本に関しては出世コースから外れてしまってここの課長を押し付けられた形になっていたみたい。それで自暴自棄になったとか」
「なんすかそれ? 俺たちは警察のジョーカーっすよ? むしろ誇りじゃ…」
「自分の正義を貫くことよりも、利益や地位の方が彼にとっては魅力的だった…それだけだろう」
下平の文句を上地は冷静に返した。冷泉の壊滅以来少しは互いの理解は進んだようだが、まだ仲良くなるには至っていない。
「さあさあ、冷泉は壊滅したって言ってもまだ小さな組織は残ってるんですよ? 落ち目になってるとはいえ油断は禁物です。気合入れていきましょう!」
里中の喝が響いた。その時署の中は騒がしくなっていた。下平は反射的に現場に向かおうとしたが、立ち止まってメンバー達の方を向いた。
「1人でいいのか?」
「手伝おうか?」
笑みを浮かべる上地と里中の提案を下平は快く受け入れた。川口と沢木は武器を携えた3人を見送った。




