マンガ途(みち)2
この世で最低のマンガとは、いったいどんなマンガだろうか?
言わずもがな、小説を脚本化し、その脚本どおりにコマを割って挿画した作品に違いない。と個人的には思っている。
有名な推理小説を漫画化した作品は世に数多あれど、ヒットした例を見たことがない。
かたや『金○一くん』や『コ○ン』などは爆発的なヒットを経験している。この差は何なのか?
あきらかに、マンガとして生まれてきたマンガのほうが優れている。逆に小説の遺伝子を持ったマンガは、ヒットさせることはおろか、破綻させずに制作することすら難しい。
たとえば推理小説では、ラスト近くでだいたい探偵による謎解きが行なわれる。たいてい長いセリフのやりとりがある。
これをマンガの紙面でやったら、おいいい加減にしろ、となる。小説のセリフをそのままフキダシ(*1)に突っ込むくらいなら、最初からマンガではなく小説を読むわ。
だから、探偵の饒舌なトークも三分の一以下にカットして、画で見せられるところは画で表現しなくてはいけない。
結果的に原作にはない小芝居だったり回想シーンが増えたりする。回想シーンなんてのは、マンガでは下の下だからね。
心理描写もまた然りだ。小説では、とくに一人称記述では、主人公が現在過去未来を語ったり状況を説明したりする場面が圧倒的に多い。
これをマンガでやったら最悪である。主人公があぐらをかいて、ひたすらブツブツ言っている絵面など誰も見たくないだろう。
ようするに、小説とマンガでは根本的に造形が違うのだ。なにを当たり前か。だがどちらも物語を描くための手段に過ぎない、という点で一致しているのはとても興味深い。
小説とマンガの作法の違い、うん面白いかもしれない。具体例を挙げてみよう。例と言ったらオレの場合ドラえもんである。違うか(笑)
1.のび太がジャイアンにいぢめられる。
2.のび太がドラえもんにすがる。
3.ドラえもんが、なんか道具を出す。
4.さあ、たいへん。
ざっと、こんなストーリーラインだと仮定しよう。王道ですね、ちゃんと起承転結にもなってる。
マンガなら1から4の順に描いて行けばいいんです。だいたい8ページから16ページくらいの尺におさまって、それで充分おもしろい。
マンガのほうがシンプルですね。シンプルなマンガこそ面白いと個人的には思います。
だが小説はそうは行かない。本当にシンプルに描写したら上の四行で終わってしまう。小学生の作文ですね。
だから小説では、いろんなサイドストーリーや伏線やらを物語の関節部分にねじ込んでいきます。
たとえば上記1と2のあいだに、のび太の独白をぶち込む。ぼくは、なんて弱小で矮小なんだろう。自己嫌悪するのです。
あるいはジャイアンのこれまでの悪行を列挙していく。それこそ枚挙にいとまがないでしょう。
復讐の方法を、プランを練るもまたよし。空き地から自宅までのたった数百メートルのあいだに、いろんなエピソードを詰め込むことができるのが小説の利点である。
いっぽうマンガにおいては、そんな細かいこと抜きに鼻を垂らしながら「ドラえもぅーん!」と泣きついたほうがシンプルで面白いのである。
このへんのサジ加減は本当に難しい。マンガでもストーリーや設定に凝った作品はたくさんあるが、そういうのはあまり好みではない。オレは古いのかもしれない。これでいいのだ。
註*1 フキダシ……マンガでセリフを書き込むときに使われる楕円形やギザギザの枠線のこと。ま、誰でも知ってるよね。
さーて次回のマンガ途は、「ネームの不思議」を予定しています。あると思います!




