霊を信じない
はじめに断っておくと、霊を信じないのと霊が「いない」は、まったく別物である。霊はいますよ、そこかしこに。あなたの後ろにも(笑)
幸か不幸か、オレは霊というものにまだ出くわしたことがない。たぶんオレのような合理主義者のところへは一生あらわれないだろう。そのほうがお互いにとって、いいのかもしれない。
大阪生まれ神奈川育ちのオレは、なんちゃって関西人を名乗ってはばからない。このエッセイのタイトルも関西弁だし、関西弁に対してぜんぜん抵抗がない。
なぜ急に言葉の話をしたかといえば、われわれの思考と論理を構成しているのが、ほかならぬ言葉だからだ。小説もしかり、でも今日はそこには触れない。だって今日は霊の話だからね!
幽霊は無口なものと相場が決まっている。このあたりからも、言葉(つまり論理的なもの)と霊的な存在がマッチしないことがわかるだろう。饒舌な幽霊など聞いたことがない。
怪談によくあるパターンで、何年も会っていなかった人物が急にあらわれて語り始めるというのがある。その人物はじつは幽霊だったというオチなのだが、これは饒舌じゃないのか、と突っ込まれる方もいるだろう。
だが、問題は口数ではなくその中身だ。幽霊の語る内容は、やたら古かったり、事実に食い違いがあったりしないだろうか。最新のトピックスに風刺を交えて話す幽霊がいたら会ってみたいわ(笑)
なろう作品においても、霊的存在がDJをやるという傑作があるが、やはりこれはフィクションでエンタテイメントと捉えるべきだろう。本物の霊は、けっして喋らない。
現実社会においても沈黙を押しとおす輩が、もっとも質が悪い。確固たる信念があるんじゃないかと、こちらに疑念を抱かせる。
いっぽう現実にどっぷりと浸かっているわれわれは、なにか話していないと逆に不安になる。その顕著な例がツッコミだとオレは思う。はい、関西弁はこのためのフリです(笑)
ツッコミとは、いわば物事がたしかに存在することの確認作業である。
シャワーを浴びているとき、あるいは部屋で寛いでいるときでもいい。ふと振り返りそこに見知らぬ人物が立っていたら、誰だって驚くだろう。
「きみ、誰やねん」
そうツッコミを入れずには、いられない。それで相手が返事を寄越さなければ、そいつは幽霊か強盗のどちらかだ。
幽霊がツッコミを入れるという話もまた、聞いたことがない。もし知らない誰かが後ろに立っていてそいつが、
「きみの部屋、汚いなあ」
とか、
「きみ、彼女おらへんのかい」
などと言ったら、絶対幽霊だとは思わないだろう。ただのお節介の変質者だ。
こう書きながら思ったのだが、フィクション作品においては、こんなお節介な幽霊がいてもアリかなと。やっぱり映画や小説って、ファンタジーなんだなあ。
オレは霊を信じない、というよりかは、こういう擬人化されたちゃちい幽霊が苦手なんだな、きっと。




