4.大河『平清盛』について
4 2012/11/30
清盛について考えてみた。N〇K大河の『平清盛』だ。
大河ドラマは、二年前の『龍馬伝』からよく見るようになった。昨年の『江』も、出だしは観ていなかったのだが、途中からハマって、毎週欠かさず観るようになった。
今年の清盛もそのパターンだった。出だしは、まったく観ていなかった。若い清盛の海賊っぽいイメージが、鼻についたからだ。
某人気少年マンガといい、映画『パイレーツ・オヴ・なんとか』といい、どうして巷では、海賊に対して格好いいイメージをもっているのだろう。
賊って、略奪や乱暴をする人たちじゃないの?
さておき、清盛という人物には興味があった。
日本の歴史にはそれほど詳しくないが、手塚先生の『火の鳥』(乱世編)を読んで、たまたま清盛を知っていたのだ。
その人物像を端的にいえば、陰険なおっさんで坊さん、だろう。今風のいいかたをすれば、ダーク・ヒーローか。
ダーク・ヒーローは大好物だ。賊でも別にかまわない。さわやかな賊など願い下げだ。
聞けば『平清盛』は、大河史上最低の視聴率を叩き出したという。それもまあ、わからんでもないが、松ケンを登用してこれだもんなあ。
個人的には、清盛は松ケンでなくてもよかった気がする。ちょっと上手い配役が思いつかないが、とことん陰険そうな役者さんでも観たかった。ただ、それだと視聴率がもっと寒いことになったかもしらんが。
たしかに、物語の主題が平家の栄枯盛衰と源氏による復讐なので、あまり面白いテーマだとはいえないかもしれない。だが、オレは好きだ。
驕れる者は久しからずというが、平家が滅んだのは、驕ったからでも弱くなったからでもない。すべては、なるようになる、というのがオレの考えだ。
壇ノ浦の戦いなど、あたかも悲哀と怨念のオン・パレードのように描かれることが多いが、オレにはこのシーンが美しく思えてならない。なんかよくわからないが、滅亡することになりました。うーん、堪らん。
弓矢萌えであることに、最近気づいた。ロビン・フットとかウィリアム・テルとか、まったく興味ない。やはり和弓がいい。『火の鳥』の影響が大きいのだと思う。
弓矢は微妙な武器だ。そこそこ殺傷能力があって、だが、刀で払いのけることもできる(実際にそんな芸当ができるか、しらない)。アクション・シーンには、もってこいだ。
『火の鳥』では主要な登場人物が、このちっぽけな矢であっさりと死ぬ。だが、刺さりかたにスピード感があって、しかもどこから飛んでくるかわからない怖さもあり、素晴らしい。
何百という矢が宙を飛び交うのも、画的には圧巻だ。効果のほどは疑わしいが。よほど重いものでもないかぎり、遠投による攻撃効果はないと思われる。
そういえば、投石という戦術を、古代ローマの物語で観たことがある。が、日本ではあまり馴染みがないような気がする。手ごろなサイズの石が、集めにくかったのだろうか。運ぶに重すぎたのだろうか。いずれにしても、鉄砲の普及によって、ぬるい武器は淘汰されていく。
鉄砲の次は爆弾、ミサイルと進んでいくのか。だが、(殺傷能力が)強くなることに、いったいなんの意味があるというのか。
まあ、結果的に、技術革新が戦争の少ない世界をもたらしてくれたのは事実だろう。あいかわらず、紛争は絶えないが。
もし武器の技術レベルが、弓と刀どまりだったら、日本はいまでも家同士で戦争していただろうか。可能性は充分にある。ただ、そうなってみないと、わからないけどね。
ウップス、清盛のこと、ぜんぜん触れなかった。でもまあ、弓矢の話ができたからヨシとするか。機会があれば、清盛についてまた書くかもです。