私は嵐
今回は短編風のフィクションです。本名じゃ、ありません(笑)
オレの下の名は「正志」だ。が、生まれてこのかた一度たりとも、正確に呼ばれた試しがない。
それもそのはず、これで「しょうし」と読む。あえて、そっち? と言いたくなるのも無理はない。ただでさえ「ただし」か「まさし」で悩まれるのだ。
だいたい「しょう」という音を使いたいなら、翔とかそういうキラキラネームっぽいのがあるでしょうよ。まあ、オレらの時代にはなかったんだけどねキラキラネーム……。
でだ、子ども時代には、よく名前のことが取り沙汰される。
べつにイジメられるような変わった名前でもなく、むしろベタなほど普通のはずなのに、いつも「ただし」オア「まさし」の質問をされるのは非常に厄介だった。ビーフ・オア・チキンか!
しかもビーフでもチキンでもない、第三の選択肢っていうオチがもう……。
社会人になって、あまり下の名前が問題にされなくなったのは気楽でもあり、反面ちょっと寂しくもあった。
たしかに、会社に提出した履歴書には正志の正確な読み仮名がふってある。だがそれも自分で申告したものだ。誰も戸籍謄本まで調べようとする物好きはいないだろう。
戸籍といえば、オレの名古屋のおばあちゃんが亡くなったときの逸話を思い出す。もう一〇年以上も前になる。
おばあちゃんの名前は「わき」といった。だが戸籍上のリアルネームは「わき子」だというのだ。なんで子が取れちゃったのだろう?
しかも、ホントの本当は「わき」で、戸籍のほうが間違いだったのだみたいな説まで飛び出した。間違いって……お役所の人が間違えたってこと? 昔ならあり得そうなところが怖い。
まだある。高校時代アメリカにホームステイしたときの話だ。受け入れ家族のお父さんがジャックといった。が、彼の本名はジョンだそうだ。
なんでも身体がデカいからジャックと呼ばれているらしい。なんでもアリか!
そういえばオジー・オズボーンも本名はジョン・オズボーンだったな。まあ、欧米男子のジョン率は半端ないから、差別化のためには有効なのかもしれないが。
けっきょく名前の読み(呼び)方など、たいして重要ではないのかもしれない。それでも子ども時代に名前のことでからかわれるとマジで腹が立つという現象は興味深い。
人格の定まっていない子どもにとって、名前はたぶんアイデンティティそのものなのだろう。それをぞんざいに扱われるとツラい。
まったく関係ないが、オレのお気に入りでSHOW‐YAの『私は嵐』という曲がある。でもオレは「ただし」でも「まさし」でもなく、「しょうし」だからね?
正やんって呼んでほしい。SHOW‐YAだけにね!




