24.なろうエッセイを読んで感じたこと
24 2013/02/16
活動報告でも書いたが、最近めっきり小説を読まなくなった。物語という形式に興味がなくなったからだ。
かろうじてアニメや映画は観ているが、それは突っ込みどころを探して楽しむためであり、ひいてはこのエッセイのためだったりする。
なのでエッセイには興味がある。なぜだろう。すぐに理由を分析したくなる。それはなぜだろう……。
勉強のために、人さまのエッセイも読ませていただいている。なろう作品が主だ。つまり、紙媒体の活字はまったく読んでいないことになるなあ。別にいっか(笑)
なろうエッセイを読んで感じたこと、それは、エッセイにもいくつかのタイプがあるということだ。
ひとつめ。専門的な知識を紹介してくれるタイプ。料理だったり医療だったり、その他の趣味の話だったりと、実生活に役立つエッセイだ。
当然だが、オレのエッセイはこのタイプではない。まあ、一部古いアニメやドラマのことを紹介しているが、いまさら「キャプつば」の知識を紹介されてもねえ(笑)
ふたつめ。時事問題や政治的な話題に言及するタイプ。評論に近いエッセイだ。当然オレのエッセイは該当しない。
みっつめ。日常のよしなしごとを、だらだらと思いつくままに垂れ流すタイプ。お、だいぶ近いかも。つーか、このタイプがもっとも数が多く、そもそもこれがエッセイなんだけどね。
どうやらオレは、みっつめのタイプで、しかもそれが好きらしい。でだ、さらにこのなかにも流派がいくつかある。
流派その一。生真面目で常識的な意見を述べるタイプ。これは料理法でいえば、素材そのものを活かし、あまり手を加えずデン、とお出しするやりかただ。
おかしいことを、おかしいと直球でいう。感心したことをストレートに伝える。飾り気がないぶん、真摯さが伝わってくる。
たとえば、路線のアクシデントで多数の帰宅困難者がでたときに、日本人がいかにとり乱さず、良識的な行動をとったかについて褒めたエッセイがあった。「日本人」なんてワード、オレだったら使えないなあ。べつに悪いといっているわけではない。このワードにめちゃ食いつく読者だっているだろう。
流派その二。世の中をちょっと斜めから見ているような、皮肉と冷笑をたっぷり混ぜた辛辣なタイプ。おお、だいぶ近い(笑)
これは料理でたとえれば、バターとかヨーグルトをふんだんに使用した、もはやオリジナルがわからなくなった珍品である。まさに変化球につぐ変化球……インパクトは絶大だろう。おいしいかは別として(笑)
ゴメン訂正する。流派その二でも、適度にスパイスを効かせてうまく調理している人だって、もちろんいる。
ゲテモノ料理を自信満々で提供する悪いシェフは、なにを隠そうこのオレだ。
いわゆる良識的な意見というやつに、オレは慣れていない。耳に入ってすらこないのだ。
ひねくれ者もオレくらいのレヴェルになると、ひねってある状態がふつうに見える。良識的な意見のほうが逆に新鮮だったりする。困ったね。
だから、ほかのユーザーさんが書いたエッセイが、面白かったりするのです。




