10.ハウルを観た
10 2013/01/09
『ハウルの動く城』を観た。お正月の金曜ロードショーでやっていたのだ。
今さら感は否めない。明けましておめでとうございます。今さらでスミマセン。
オレの体内時計は、だいたい五、六年遅れで動いているらしい。新しい物事に、まったく興味がない。珍しい生物だと我ながら思う。
あ、そうそう、前回取り上げたAKBなんかは、自分でもよく知っているほうだと感心する。
ミーハーな(死語ですね)興味ではなく、微妙な差異につい惹かれてしまうのだ。ま、その話はいいとしよう。
「地上波で初」登場するまで待つなんて、なんて根気だと思われるかもしれないが、別に待ってはいない。たまたま金曜ロードショーでやっていて、そのとき部屋で酒を飲んでいたから、かもしれない。
アニメ作品にかぎらず、映画を選ぶという行為は、なかなかに億劫だ。レンタル店で選んでいる段階で、もうお腹いっぱいになったりする。
その点金曜ロードショーは、選ばなくていい。選べないという弱点もあるが、観るか観ないか、選べばいい。
『ハウル』には正直、あまり期待していなかった。ハウル役の声優がキムタクだったからだ。
オレとキムタクの因縁(笑)については、このエッセイの第七話で触れているので、興味がある方はそちらをどうぞ。
だが結果的に、ハウルの声はあまり気にならなかった。ヒロインであるソフィの声が、よりインパクトがあったから、かもしれない。
(ここから、映画『ハウル』のネタバレを含みます。ご注意ください)
ソフィ役の声優は、さる大女優だ。当然かなり歳がいっている。ソフィは魔女に呪いをかけられ、お婆さんにされる役回りなので、うってつけ、というわけだ。
ソフィは物語の冒頭、ほんの少しのあいだだけ、若い。若いといっても、少女ではない。妙齢の、働く女性だ。
この若いソフィの声が、じつに違和感たっぷりなのだ。失礼だが、おばはん臭い。のっけから、お婆さんに変身する気満々である。
『千と千尋』以降、ジブリ作品は物語の整合性を破棄してしまった感がある。
『ハウル』も何が目的なのか、最後までよくわからなかった。お婆さんにされたソフィの呪いを解くことでは、どうやら、ないらしい。
「動く城」は時空をサクサク超えていく。ソフィも急に若返ったり、微妙におばはんになったり、またヨボヨボになったりと、目まぐるしく変化する。
最終的にソフィは元の若いソフィに戻るのだが、彼女は以前の生活(帽子屋さん?)には戻らない。
この結末には度肝を抜かれた。だったら、お婆さんのままでええやん(笑)
たしかに、元は若かったのだから、その状態に戻すのがスジかもしれない。でもハウル、若い娘がいいんじゃないの?(下衆の勘ぐり)
ソフィは「城」の中でハウルと生きることを選択したようだ。
そういえば、若返っても彼女の髪は銀髪のままだった。時間を超越した存在になっちゃったのかもしれない。