十七時限目、「みんな歯ぁ磨いたか!?」
さて、晩御飯を食べてから歯を磨いた後、少しの間仮眠をとっていた俺は、深夜一時に目を覚ましました。
この時間はご近所さんも皆寝静まっている頃で、辺りはしんと静まり返っています。
そんな静けさの中、俺はあくびをかましつつプレステとテレビの電源を入れ、中に入っているDVDの映像を大音量で再生し始めました。
『やぁ皆! 俺は人間国宝ビリーフラ○クス! ビリーズ・ブート○ャンプに入隊おめでとう! みんな歯ぁ磨いたか!?』
テレビの中で元気よく身体を動かしている筋肉質の黒人が、俺に向かって爽やかな笑顔を向けてくる。
そんな黒人の声を聞いた途端に、俺の眠気は遥か彼方へと吹き飛ばされた。
「イエッサァ! バリバリ磨いてますよ隊長ぉ!」
『それじゃあ行くぜ! 今日も元気にハッスルだぜ!』
「うおっしゃあああッ! 一生ついていきますよ隊長ぉおおお!」
半年前までは毎晩の日課だったブートキャンプ。
久方ぶりなので、前までのノルマを達成できるかどうかは不安だが、それでもこれをやっておかないとなんだか落ち着かないのだ。
そんなわけで、深夜のトレーニングが始まりました。
「うぉーい夏樹ぃ、新聞行くぞぉ?」
「ぜはっ、ぜっ! ……あん? 誰だお前?」
「テメェ! 実の親父だろうがぁ、しめんぞこらぁ!?」
トレーニングを初めてから一時間ほど経つと、部屋の扉が何者かによって開け放たれた。
驚いて扉の方に視線を向けると、来訪者は冴えない顔をした親父だった。
いやはや、まったく理解しがたい。これなんてイベントですかね?
深夜にパンチパーマの中年野郎が部屋を訪ねてくるとか、とても需要があるとは思えないんですけど。もし需要があるとすれば、そりゃ間違いなく郷太郎先生くらいですよ。
「なんだ親父かよ、こんな時間になんの用ですか? 新聞セールスならお帰り願いますが?」
「テメェ宛に、ご近所さんからの騒音苦情が約十件だよぉ。俺はもぉ泣きそうだぜぇ。あと、セールスじゃなくて、テメェが半年間休んでた新聞配達のお誘いだよ馬鹿野郎ぉ!」
「なんだバイトのことか。すぐに着替えるから待っててくれ。それとご近所さんには『耳の穴をファッキンナウ☆』の一点張りでよろしく」
「畜生ぉ、いつかご近所さんに襲撃されんぞぉ……?」
俺の返事を聞いた親父が、胃の痛そうな顔をして部屋を出て行った。
ふむ、大変だな親父よ。まったく出来の悪い息子で申し訳ない。
だが襲撃の件は大丈夫だ。なにせこの家にはご近所さんのアイドル、真鍋里奈ちゃんがいらっしゃるからな。
里奈がいる限り、我が家はRINAフィールドによって守られ続けるのだ。可愛いって本当に便利なものですね。
『じゃあなお前等! また俺と一緒にハッスルしようぜ!?』
「はい隊長! それではまた!」
プレステの電源を落とした俺は、その後適当なジャージに着替えてから家を出た。
別に家計に困っているわけではないが、我が家のような片親家庭には少々ながらお金に関して不自由な点がいくつかある。
それを補うために、俺と親父はこうして深夜に新聞配達のバイトをやっているわけだ。
ちなみに、新聞配達のバイトは給料が恐ろしく高い。どこの新聞販売店でも、時給千以上は軽く超えることだろう。
そのかわりに短時間労働のため、仕事の内容はきつい。冬場の配達は死ねる。いやマジで。
「よぉ夏樹! 久しぶりだな! だが、久しぶりの仕事だからって、ミスはやらかすんじゃねぇぞ!?」
新聞販売店に入ると、この店で一番偉いおじさんが声をかけてきた。
「誰に向かって言ってるんですかボス。こちとら最速自転車という異名を持つほどの配達屋ですよ」
「っけ! 口の威勢だけは変わらねぇな! 仕事ぶりも変わらずに頼むぜ夏樹! おら、大事な商品だ、落とすんじゃねえぞ?」
「サー、エッサー……ってぐおぉおお!?」
おじさんから新聞を受け取った瞬間、あまりの重さに膝を付きそうになる。
うおおおお油断しとった! 新聞の束は信じられないくらいに重かったですよねすみません!
「オイオイ、大丈夫かよ?」
「……ッフ、当然ですよボス。ちょっと油断していただけです。んじゃ、こんな仕事ちゃちゃっと片付けてきますよ」
「おう、頼んだぞ夏樹!」
こうしておじさんに見送られながら、俺は渡された新聞の束を電動自転車の荷台にくくりつけ、残りの束を前かごにぶち込んだ。
あぁ重そう、こりゃさっさと終わらせるに限るな。
「あ、おい夏樹! 言い忘れてた! 実は、お前んとこの担当に新しい客が引っ越してきてなぁ! 追加で一部増えてるから、忘れんなよ!」
「任せてくださいボス! これだけ重けりゃ、一部も二部も変わりませんよ!」
どうやら俺の担当地区に、新しい住民がやってきたらしい。
俺はおじさんから番地と番号の書かれた帳簿を貰ってから、電動自転車の電源を入れた。




