予兆
Act.30 予兆
あの日から坂下君の姿を見ていない。
「もう一週間、登校してないし、連絡がない…。
もしかして、あの時の事が原因で?
まさか、ね。」
放課後、いつもの様に迎えに来ていた忍が来なくなった事に夏流は、心の中で少しほっとしていた。
忍が自分に絡んで来た事で、学校では好奇と嫉妬が入り交じった視線を常に感じていたし、何よりも忍がいつも自分の事を束縛していた。
そう、本当に束縛…。
それがあの日以来、一切干渉が無くなった事で夏流は心の平穏を取り戻しつつあった、が…。
ふうう、と溜息を漏らし忍の事をなるべく考えない様にしても、浮かんでくるのはあの涙を浮かべた忍の顔だった。
哀しみを訴え私の心を求めた、あの…。
(あの時、坂下君はなんて言った?
私が彼を望んでいたって。
知らない。
私は彼の事なんて全然知らないのに、なのに何故…)
こんなにも心の中が締め付けられるの…?
久々に図書館で本を読んでも文字を追うだけで、心はずっと忍の事を考えていた。
忍から解放されてやっと以前の自分に戻れているのに、思い浮かぶのは忍と過ごした時間に夏流は目を覆った。
(初めて告白を受けた時、なんて失礼な男だと憤慨して断ったのに強引に交際が始まり、自分の心に踏み込んで、そして私の初めてを奪った…。
透流くんに存在が知られ、そして関係迄まで知られ散々身体を弄ばれて、憎んでいるはずなのに、なのにどうしても憎めない。
彼を嫌いになれない。
時々見せる彼のあの瞳が私の心を苦しめる。
時折見せる彼の優しさが私の心を絡めとる。
私にとって坂下君は、本当にどんな存在なんだろう…?)
下校を知らせる音楽が鳴り図書室を出る様に促された夏流は、考えに捕われながら図書館を後にした。
下校すると校門の前で何やら騒いでいる。
どうやら女生徒達がひそひそと話しているの内容では、校門の前に男性が立っているらしい。
それもとてもハンサムな男性だと言う。
ちらり、と見つめると確かに背の高いハンサムな男性が高級車と思われる車を止めて、門の前に立っていた。
ふと、視線が合い目を逸らすと、驚いた事に自分の方にだんだんと近づいて来た。
目の前に立ち止まり「藤枝夏流さんですね?」とその男性は柔らかい声で自分を尋ねた。
「そうですねど、どなた様でしょうか?」と、つい返事をした事で回りの女生徒達の視線が集中された事に、顔を顰めた自分の表情を見たその男性は、ふっと目を細めて微笑んだ。
優しい印象を与えるその笑顔に見惚れた夏流は、頬を染めて俯いてしまった。
「初めまして、と言うべきでしょうね。
私は坂下忍の兄です。
実は夏流さんに一緒に来て頂きたい場所があって会いに来ました。
是非、私に付き合って下さい。」
相手が話した言葉に一瞬思考がついて行けなかった。
(坂下君のお兄さん?
この男性が…?
全然似ていないけど。)
夏流の考えを読み取ったのか少し困った風に微笑んで豪は話を続けた。
「詳しい事は車内の中で説明します。
とにかく私に付き合って下さい。
忍の事で大切な話があるので…」
少し強引で力強い声に夏流は戸惑いながらも、こくりと頷いた。
忍の欠席が気になってたのもあったし、何よりも忍の様子が知りたかった。
(大切な話って一体?
坂下君、もしかして体調が悪いのかしら?)
豪に勧められて助手席に乗った夏流は、余りの車内の高級さに目眩した。
走行し始めた途端、奇妙な静けさが車内に漂っていたが、その沈黙を打ち破ったのは豪だった。
「夏流さん。
先週の日曜日、忍と何かありましたか?」
静かに尋ねる豪の声がやけに耳にこびり付く。
少し躊躇いながらも夏流は「ええ」と一言答えた。
「…そうですか」、と少し声が硬くなったのは気のせいだろうか?と夏流は豪の声質の変化に首を傾げた。
「坂下君に何かあったのですか?」
夏流の問いに少し間を空け、ゆっくりと話した。
「今から行く場所に忍はいます。
そこに行けば今の忍を知る事が出来ます。
夏流さん…。
ただ、これだけは信じて下さい。
どんな事があったのかは解りませんが、忍は貴女の事を心から想っている事を…。」
最後の言葉に一瞬反論したが、それ以上話すこと無く運転する豪を見つめ、夏流は深く息を漏らした。
無言が続く中、窓に映る景色が自分が見知っている場所にだんだんと近づいている事に気付いた夏流は驚愕した。
「この場所は…」と口元から自然に声が零れる。
そんな夏流の囁きを豪は黙って聞き、車を運転していた。
30分程走行して着いた場所は、7年前、夏流の母親が入院していた救急であった。
病院に着いた途端、夏流は自分の顔が青ざめていくのが解った。
忍の体調が悪いと判断した夏流は動揺する自分の心を鎮める事が出来なかった。
即座に豪に問いただすが、豪はただ黙って一緒について来る事を促すだけで、何も教えようとはしない。
病室が近づくにつれて不安が心の中に広がり、そして…。
忍の姿を見て夏流は涙を零した。
広い病室の中で忍は車いすに座り、外を眺めていた。
両前腕から手にかけてに包帯が巻かれ、所々に血が滲んだ形跡が窺える。
夏流は躊躇いながらも忍の側に近づき、そして身体を屈み忍の顔を覗き込んだ。
忍の瞳には自分の姿は映されていなかった。
7年前の姿が夏流の心を翳める。
そっと、忍の顔に指を這わせ、存在を何度も何度も確かめる。
(ああ、どうして私は彼の事を忘れていたのだろう…?
こんな姿になってやっと、私は彼の事に気付くなんて!
だって目覚めるなんて、夢にも思ってはいなかった。
ましてや彼が私の側にずっといたなんて…!)
自然と忍を身体を抱きしめ、そして震える声で忍の耳元に囁く。
「ごめんさない…。
ずっと貴方の事が解らなくて、本当にごめんなさい。
しーちゃん…!」
自責の念に駆られた夏流は忍を抱きしめ、ただただ嗚咽を漏らす事しか出来なかった…。




