第7話
翌朝。
筋肉痛に顔をしかめながら、わたくしは再びギルドの掲示板の前に立ちました。
今日の狙いは、これですわ!
「森の入り口での『角うさぎ』の狩猟と、『薬草』の採取……。あら、素敵ですわね」
受付嬢が、少しだけ真面目な顔で説明してくれました。
「角うさぎは、額に鋭い一本角を持つ魔物よ。ただのウサギだと思って油断しないで。時速五十キロ以上の速さで、その角を武器に突進してくるから。でも、お肉は最高級のレストランでも使われるくらい美味しいわ」
(あらあら。わたくしの夕食にぴったりじゃありませんの!)
「それから薬草ね。森の湿った場所に生えている『ヒールグラス』を探して。ギザギザした葉っぱの中央に、白い斑点があるのが特徴よ。傷薬の原料になるから、常に需要があるわ。十株集めれば、銀貨一枚になるわよ」
「わかりましたわ。お肉も薬草も、わたくしが根こそぎ手に入れて差し上げますわよ!」
わたくしは、新しい革のブーツを鳴らして街の外へと向かいました。
腰に揺れるショートソード。
胸を叩く、硬い革の胸当て。
昨日よりもずっと強く、美しくなったセレスティーナ様の出陣ですわ!
森の入り口に到着すると、そこには昨日よりも柔らかな光が差し込んでいました。
けれど、油断は禁物ですわ。
わたくしは【見習いシーフ】の『索敵』を使い、草むらの動きを注視しました。
(……いた。あそこですわね)
茂みの影から、長い耳がぴょこんと飛び出しました。
白くてふわふわの毛並み。
けれど、その額には、銀色に光る凶悪な角が天を突くように生えていましたわ。
「……あら。まあまあ。美味しそうな獲物ですこと」
わたくしはショートソードを抜き、腰を低く落としました。
角うさぎがこちらに気づき、前足で地面を激しく蹴りました。
突撃の合図ですわ!
「来なさいな、一本角さん! わたくしの新しい剣の、切れ味を試す最初のお相手にして差し上げますわよ! オホホホホ!」
シュパァァッ!!
白い影が、わたくしの視界を斜めに切り裂きましたわ。
速い。あまりにも速すぎますわ!
時速五十キロの突進というのは、これほどまでの風圧を感じるものかしら。
わたくしは【見習いモンク】の直感をフル回転させ、泥臭く地面を転がりました。
ドサッ! ベチャッ!
昨日買ったばかりの革のブーツが、さっそく湿った土にまみれます。
けれど、嘆いている暇はありませんわ。
直後、わたくしが先ほどまで立っていた場所に、角うさぎの鋭い銀角が突き刺さりました。
岩を砕かんばかりの衝撃。
あんなものを六歳の柔らかいお腹に食らえば、わたくしの内臓がバラバラに弾けてしまいますわ。
(あらあら、まあまあ。なんて野蛮な歓迎の挨拶かしら!)
わたくしは震える手で、腰のショートソードを抜き放ちました。
重い。
ガレス様の店で選んだときは、これこそがわたくしの右腕になると確信しておりましたけれど。
いざ実戦で構えてみれば、この鉄の塊は、わたくしの細い手首をへし折ろうとする重石のようですわ。
全職業のレベルがようやく「4」に到達し、身体の芯に力が宿り始めているとはいえ。
所詮は、昨日までネズミさんに噛まれていた幼女の身体。
剣の重さに振り回され、足元がおぼつかなくなりますわ。
「……グルゥッ!」
角うさぎが、地面を蹴って再び跳躍しました。
今度は、わたくしの顔面を狙った直線的な一撃。
逃げられませんわ。
わたくしは腹を括り、剣を両手で握りしめて、身体の前に突き出しました。
ガギィィィィィィンッ!!
凄まじい衝撃が、手のひらを突き抜けて肩の関節まで痺れさせました。
耳の奥で、骨が軋む嫌な音が響きます。
角と剣が真っ向からぶつかり合い、わたくしの小さな身体は数メートルも後ろへ弾き飛ばされました。
「……っ、が……はっ!!」
背中から茂みに突っ込み、肺の中の空気が一気に外へと漏れ出しました。
視界がチカチカと点滅し、世界がぐるぐると回り始めます。
痛い。
胸当てに伝わった衝撃で、肋骨がひび割れたのではないかしら。
けれど、角うさぎも無傷ではありませんでしたわ。
力任せの突進を受け流されたことで、体勢を大きく崩し、無防備な脇腹を晒しています。
(――今、ですわ!!)
わたくしは吐き気を堪え、泥を噛みながら立ち上がりました。
足がもつれ、無様に転びそうになりながらも、一歩を踏み込みます。
剣を振るうのではありません。
ただ、剣の重さに身体を預け、全体重を乗せて突き刺す。
それが、今のわたくしにできる精一杯の「戦い」ですわ!
グチャッ。
「……ギィッ……!!」
鈍い感触と共に、鉄の刃が角うさぎの柔らかい首筋に沈み込みました。
吹き出した生暖かい返り血が、わたくしの顔や銀髪を容赦なく汚していきます。
けれど、わたくしは手を離しません。
ここで緩めれば、逆に食い殺される。
その恐怖だけが、わたくしの細い腕を動かし続けさせました。
やがて、白い毛並みが真っ赤に染まり、一本角の獣は力なく地面に横たわりましたわ。
(……はぁ。はぁ。はぁ。……あら、まあ。……なんて……手間のかかる……ウサギさん……かしら……)
わたくしはその場に膝を突き、激しく上下する肩を落ち着かせようと努めました。
心臓が耳元でうるさく脈打ち、全身の筋肉が焼けるように熱いですわ。
昨日、黒狼を倒してレベルが上がったとはいえ、この未熟さ。
才能はあっても、それを支える器がまだ出来上がっておりませんのね。
わたくしは、震える手でナイフを取り出し、慣れない手つきで角うさぎを捌き始めました。
昨日の黒狼のときよりは、少しだけコツを掴みましたわ。
毛皮と肉の間に刃を入れ、脂を切り分ける。
相変わらずガタガタの仕上がりですけれど、それでも、中からは瑞々しい桃色のお肉が現れました。
(……ああ。お肉。わたくし、……お腹が、空きましたわ)
お腹の音が、雷鳴のように鳴り響きました。
この数日間、口にしたのはガレス様の店の、石のように硬いパンと薄いスープだけ。
目の前にあるのは、最高級のレストランでも使われるという、新鮮な魔物の肉。
わたくしは【見習い魔導士】の力で、乾いた小枝に小さな火を灯しました。
パチパチとはぜる火の粉。
その上に、適当な大きさに切り分けた角うさぎの肉を、木の枝に刺してかざしました。
ジューッ……。
脂が火に落ち、香ばしい、暴力的なまでに芳醇な匂いが立ち込めました。
わたくしの喉の奥が、ヒリヒリと鳴ります。
涎が溢れ出し、礼儀作法なんてどこかへ吹き飛んでしまいそうですわ。
表面がこんがりと茶色に色づいたところで、わたくしは我慢できずにその塊にかぶりつきました。
「…………っ!!」
熱い。けれど、旨い!!
前世で食べたどんな高級和牛よりも、今のわたくしにとっては至高の御馳走ですわ。
溢れ出す肉汁が口の中に広がり、噛みしめるたびに野性味溢れる力強い旨味が脳を揺さぶります。
飲み込むのがもったいない。
けれど、身体がこの栄養を、この生命を求めて必死に飲み下そうとしますの。
「……美味しい。……美味しいですわ……!!」
鼻の奥がツンとして、視界が滲みました。
これは煙が目に染みただけですわ。
決して、没落してからの惨めさを思い出して、不覚にも感動したわけではありませんのよ。
わたくしは夢中で肉を頬張り、指についた脂まで行儀悪く舐めとりました。
胃袋が温かな幸福感で満たされ、ようやく人心地がつきましたわ。
(さて。……デザート代わりに、お仕事の続きをいたしましょうか)
わたくしは食べかけの肉を大切に布に包み、残った死骸を茂みに隠しました。
血の匂いに引き寄せられる魔物を警戒しなければなりませんから。
次に目指すのは、薬草『ヒールグラス』ですわ。
受付嬢さんの言葉を思い出しながら、森の少し湿った場所を、足音を殺して探索し始めます。
ズブ、と革のブーツが泥に沈む感触。
湿気を帯びた空気の中に、青臭い、けれどどこか清涼感のある香りが混じっています。
倒木の根元、苔むした岩の陰。
そこに、ギザギザした葉の中央に白い斑点がある植物を見つけました。
「あら、見つけましたわ。……これですわね」
わたくしはしゃがみ込み、指先で丁寧に根元を掘り起こし始めました。
一本、二本。
これを十株集めれば、銅貨五枚。
角うさぎの角と肉を合わせれば、今夜は昨日のようなひもじい思いをせずに済みそうですわ。
わたくしのサファイアの瞳が、下劣な計算でキラキラと輝き始めます。
(ふふ。この調子で集めれば、将来の美容代もすぐに貯まりそうですわね。お肌のケアは、一日でも早いほうがよろしいのですから。……あら?)
三株目を手に取ろうとしたその時。
【見習いシーフ】の『気配察知』が、背後からの接近を捉えました。
魔物ではありません。
もっと、重々しくて、不遜な足音。
カサリ、と枯れ葉を踏む音が、静かな森に響きました。
「……おいおい。こんなところで、何をしてるんだ? お嬢ちゃん」




