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没落令嬢セレスティーナ様の冒険者生活  作者: TAC


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第5話

 ギルドに戻ると、先ほどの受付嬢が、まだ同じ書類をぼんやりと眺めていましたわ。


「……あら、お帰りなさい。やっぱり怖くなって逃げてきたのかしら?」


 彼女は、わたくしの姿を見るなり、鼻で笑うような声を上げました。

 けれど、わたくしがカウンターの上に、血のついた麻の袋をドサリと置くと、その顔は一瞬で引き攣りましたわ。


「あらあら、まあまあ。お昼休みには、まだ早いかしら? 注文通り、ネズミの尻尾ですわよ。おまけで二本余計に入れておきましたわ。お裾分けとして、取っておきなさいな」


 わたくしは袋の中から、生々しい尻尾を五本、カウンターに並べました。


「…………なっ。本当に、一人で狩ってきたの?」


 受付嬢が、震える手で尻尾の本数を確認しました。

 ギルド内の男たちからも、ざわめきが上がります。

「おい、マジかよ。あの歳で大ネズミを五匹もか?」


「さあ、登録の手続きを。それとも、まだ何か言い訳をなさるのかしら? 前世はウミウシ並みの判断力しかなかったとおっしゃるなら、わたくし、もう一度待って差し上げてもよろしくてよ?」


「……っ、分かったわよ! 登録すればいいんでしょ、登録すれば!」


 受付嬢は、悔しそうに顔を赤くしながら、引き出しから一枚の木札を取り出しました。

 そこに、わたくしの名前を慣れない手つきで刻み込んでいきます。


「セレスティーナ、これがFランク冒険者証よ。言っておくけど、Fランクはまだ『仮登録』の身分なんだからね」


 彼女は、ツンとした態度で木札を差し出してきました。


「このランクのうちは、まずは依頼の回数をこなすことが最優先よ。十回、無事に仕事を終えたら、ようやく本登録への昇級が見えてくるんだから。あんたみたいなガキが、そこまで保つとは思えないけど」


 わたくしは、差し出された木札のカードを受け取りました。

 そこには、確かにわたくしの名前が刻まれていましたわ。


(冒険者ランク、F。最低の仮登録からのスタート……。いいですわ、燃えますわね!)


 わたくしは、ギルドの掲示板へと歩み寄りました。

 そこには、様々な依頼が張り出されています。

 薬草の採取に、街の溝のガラクタ拾い。

 そして、さらに凶暴そうな魔物の討伐。


(まずは、装備を整えなくては。この木の枝では、わたくしの美学が許しませんわ。本物の剣、そして、丈夫な靴!)


 わたくしのポケットには、ネズミの討伐報酬として渡された、たった五枚の銅貨。

 それは、わたくしがこの世界で初めて自らの力で稼いだ、正当なお宝ですわ。


(さあ、セレスティーナ。これから、わたくしの……)


 ぐぅぅぅぅぅぅ……。


「…………あら。また、お腹が」


 わたくしは、恥ずかしそうに自分のお腹をさすりました。

 どうやら、まずは豪華なディナー……いいえ、まともな食事を確保するのが、最優先事項のようですわね。


 わたくしは、ギルドを出て、昨日とは違う、少しだけ明るい通りへと足を向けました。

 そこには、焼きたてのパンの匂いや、お肉を焼く香ばしい香りが漂っていました。


(待っていなさいな、美味しいものたち。このセレスティーナ様が、すべて胃袋の中に収めて差し上げますわよ! オホホホ!)


 街の活気の中に、わたくしの小さな身体が溶け込んでいきます。

 足の裏の痛みも、今はもう、未来への希望に書き換えられていました。


(あら? あそこのお店、美容に良さそうな茶葉を置いているようですわね。少しだけ、覗いていこうかしら)


 わたくしは、庶民的な誘惑に負けそうになりながらも、まずは一歩、また一歩と、確かな足取りで街の中を突き進んでいきました。


 ギルドの重たい扉を背にして、わたくしは街の喧騒の中へと踏み出しました。

 手に握られているのは、先ほど受け取ったばかりの五枚の銅貨。

 ずっしり、なんて重みではありませんわ。

 六歳の子供の小さな手のひらに乗せても、心もとないほどに軽くて、薄っぺらくて。

 けれど、これがわたくしがこの身体で初めて「自力」で手に入れた、生きるための糧ですのね。


(はぁ。たった五枚。五枚ですわよ? ネズミさんの命が、一枚。わたくしの労働に対する代価が、あまりにも低すぎて涙が出そうですわ。前世のアルバイト代の方が、まだ人道的でしたわね)


 お腹が、また情けなくきゅるるう、と鳴りました。

 胃袋が裏返って、背中とくっついてしまいそうな感覚ですわ。

 空腹というものは、こうも思考を鈍らせ、プライドを削り取るものかしら。

 わたくしは街の広場へと続く道を、フラフラとした足取りで歩きました。

 道端の屋台から漂ってくる、香ばしいお肉の焼ける匂い。

 どこかのパン屋が焼いているであろう、小麦の甘い香り。

 それらが鼻をくすぐるたびに、喉の奥がヒリヒリと鳴ります。


(いけませんわ。ここで誘惑に負けて、この貴重な五枚を使い果たすわけにはいきませんの。まずは、この泥だらけの身体をどうにかしなくては。いえ、それよりも先に、ガレス様のところへ戻りましょうか)


 昨夜の、あのガラクタだらけの質屋。

 埃っぽくて、お世辞にも「家」と呼べるような場所ではありませんけれど。

 それでも、この広い世界で今のわたくしを拒絶しなかった唯一の場所。

 わたくしは泥だらけの裸足を、乾いた石畳に打ち付けながら歩き続けました。

 一歩進むごとに、足の裏に刺さる砂利や小石が、容赦なく神経を逆撫でします。

 痛い。冷たい。

 けれど、この痛みこそが、わたくしが生きているという、なによりの証拠ですのね。


「……あら。あらあら、まあまあ。戻ってまいりましたわよ」


 ようやく辿り着いた『黒い天秤亭』の扉を、わたくしは力なく押し開けました。

 カラン、という気の抜けた鈴の音。

 店の中は、相変わらず薄暗くて、カビと鉄錆の匂いが混ざり合っています。

 カウンターの奥には、昨日と同じように、不機嫌そうな顔をした大男……ガレス様が座っていました。


「……へっ。死んでなかったか、毒舌のチビ。その様子じゃあ、ギルドの連中に鼻であしらわれて、泣きながら逃げ帰ってきたってところか?」


「フン。笑わせないで、いただけます? ほら。これが、わたくしの初仕事の結果ですわよ」


 わたくしは、カウンターの上に、輝かしいFランクの木板カードを叩きつけました。

 チャリン、という安っぽい音が、静かな店内に響きます。


「……マジかよ。本当に、登録してきやがったのか」


 ガレス様が、太い指でわたくしのカードを拾い上げ、まじまじと見つめました。

 その瞳に、驚きの色が浮かぶのをわたくしは見逃しませんわ。


「当然ですわ。わたくしに、不可能という文字はありませんの。さて。ガレス様。約束通り、わたくしをここに置いてくださるかしら? もちろん、この環境を、わたくしが少しずつ居心地よくすることを条件に、ね」


「……あ? ああ。まあ、勝手にしろ。そこの奥の物置部屋なら、好きに使え。ただし、売り物に手を出したら、その瞬間に叩き出すからな」


 わたくしは、彼が指差した奥の扉へと歩み寄りました。

 開けてみれば、そこは昨夜のソファよりもさらに酷い有様。

 折れた椅子や、中身の抜けた木箱、正体不明のボロ布が山積みになっています。

 埃が舞い、わたくしの繊細な鼻が、思わずくしゅん、と震えました。


(いけませんわ。ここを寝床にするなんて、美学への反逆ですわね。まずは、このゴミ山を……いえ、これらをどうにかしなくては!)


 わたくしは、泥だらけの袖を捲り上げました。

 空腹で力が入らない身体を、気合だけで動かします。

 まずは、床に散らばったガラクタを隅へと追いやり、横になれるだけの場所を確保しました。

 ボロボロの布を振り払い、床の埃を、そこら辺に落ちていた枝の束で外へ掻き出します。

 舞い上がる埃に咽せながら、わたくしは何度も脳内で毒を吐きましたわ。


(あらあら。前世のわたくしなら、迷わず業者を呼ぶレベルですわ。神様、わたくしの最初のお給料が、この重労働に見合っているとお思い? 絶対に、後悔させて差し上げますわよ!)


 一時間ほど格闘し、どうにかわたくしの「城」の土台が完成しました。

 床の上に、比較的マシな毛布を敷き詰め。

 わたくしはその上に、泥だらけの身体を横たえました。

 背中に当たる床の硬さが、ズキズキと全身に響きますわ。


「……腹が減ってるんだろ。これ、食え」


 不意に、扉の隙間から、あの木のお盆が差し入れられました。

 昨夜と同じ、具のないスープと、石のように硬いパン。

 けれど、今のわたくしには、それがどんな高級料理よりも輝いて見えましたわ。

 わたくしは這いずるようにしてお盆を抱え込み、スープを一口、口に含みました。


「…………っ、あ……」


 温かい。

 ただの塩味の汁なのに、それが身体の隅々まで染み渡り、冷え切った内臓を優しく解きほぐしていくのが分かります。

 わたくしは夢中でパンを千切り、スープに浸して、柔らかくなったところを口に放り込みました。

 もぐもぐ、もぐもぐ。

 涙が、一滴だけスープの中に落ちましたわ。

 ……あら。これは、熱いスープの湯気のせいですわ。

 わたくしが、こんな惨めな状況で泣くはずがありませんもの。


(美味しいですわ。最高ですわよ、この泥の味。いつか必ず、この何千倍も美味しいものを、肌のお手入れの後に食べて差し上げますから!)


 食事を終えたわたくしは、そのまま深い眠りへと落ちました。

 夢も見ないほど、泥のような、深い眠りです。


***


 翌朝。

 わたくしの意識を覚醒させたのは、隙間だらけの壁から差し込む、無慈避な朝日でした。

 身体が、節々まで痛みます。

 筋肉が、昨日のネズミさんとの格闘で悲鳴を上げていますわ。

 けれど、わたくしは止まりません。

 むしろ、この痛みこそが、わたくしを奮い立たせるのですわ。


(あら。朝ですわね。羽虫以下の自分とおさらばするための、最初の一歩。始めましょうか)


 わたくしは、狭い物置部屋の中で立ち上がりました。

 そして、記憶にある前世の知恵。

 まずは、スクワットですわ。

 腰を落とし、太ももの筋肉が千切れるような感覚に耐えながら、一、二、三……。

 六歳の幼女の関節は、驚くほどに脆くて、ガクガクと震えます。

 五十回を超えたあたりで、全身から脂汗が吹き出し、視界がチカチカと点滅し始めました。


(負け……ませんわ。わたくしを……誰だと……思って。九十八、九十九、百! ですわ!!)


 最後の一回を終えた瞬間、わたくしはその場に崩れ落ちました。

 心臓が、喉の奥で爆発しそうなほど激しく打ち鳴らされています。

 けれど、脳内にはあのシステムの声が、静かに、けれど確かに響きました。


【見習い戦士:経験値獲得】

【見習いモンク:経験値獲得】


(ふふ。微々たるもの、ですわね。でも、ゼロではありませんわ。ゼロを重ねて、いつか世界を平伏させる。それが、わたくしのやり方ですのよ)


 わたくしはガタガタと震える脚を、叱咤するように叩き、立ち上がりました。

 ボロボロの服を着直し、髪を指で整えます。

 本当は、ブラシで丁寧にとかしたいところですが……。

 今のわたくしにあるのは、この身体と、不屈の意志だけですわ。


 ガレス様が出してくれた朝食を流し込むと、わたくしは外へと飛び出しました。

 目的地は、街の門の外。

 昨日と同じ、あの枯れ井戸の周辺ですわ。


「あらあら、まあまあ。今日も、片付けが必要なゴミが、たくさん落ちているようですわね」


 井戸の近くには、昨日の騒ぎを嗅ぎつけたのか、さらに多くの大ネズミが集まっていました。

 わたくしは、拾った木の枝を再び構えましたわ。

 昨日の反省を活かし、足の運びをより慎重に、魔力の巡りをより無駄なく。

 一匹、また一匹。

 泥にまみれ、返り血を浴び、呼吸を乱しながら。

 わたくしは、一日のすべてを、この泥臭い仕事に捧げましたわ。


 バキィッ!!


「……ギッ!」


 最後の一匹の頭を打ち抜いた時、わたくしの指先は衝撃で痺れきっていました。

 これで、今日だけで八匹。

 昨日と合わせれば、もう合計で十三匹のネズミを仕留めたことになりますわね。


【全職業:Lv.2 → Lv.3】


(あら……。レベルが、また一つ上がりましたわね。でも、まだまだですわ。この程度で満足していたら、前世のプランクトンに笑われてしまいますわ)


 わたくしは、慣れた手つきで尻尾を切り落とし、麻袋に入れました。

 これで、今日のノルマは達成。

 ギルドへ戻れば、また数枚の銅貨が手に入ります。


(……でも、これだけでは足りませんわ。もっと、手際よく、もっと多くのお宝を掴み取らなくては)


 わたくしは、泥だらけの顔を袖で拭い、ふと井戸のさらに奥に広がる、薄暗い森へと視線を向けました。

 そこには、大ネズミよりもさらに手強そうな、けれどその分、実入りの良さそうな気配が漂っていました。


(……あらあら、まあまあ。わたくしを誘っていらっしゃるのかしら? その誘い、乗って差し上げてもよろしくてよ)


 わたくしは、折れかけた木の枝を捨て、より頑丈そうな、黒ずんだ木の棒を拾い上げました。

 一歩、また一歩。

 六歳の令嬢の小さな背中が、街の安全な灯りから遠ざかり、未知の闇の中へと消えていきます。


(見ていなさいな、神様。わたくしのこの一歩が、世界を震撼させる序曲になるのですわよ。オホホホホ!)


 森の入り口に立ったその瞬間、わたくしの耳に、微かな、けれど不気味な足音が届きました。

 ザッ、ザッ……。

 それは、ネズミのような小さな音ではありません。

 もっと重たく、もっと湿った、何か巨大な生物の足音。


(あら……。いきなり本番、かしら?)


 わたくしは、心臓の鼓動を抑え、木の棒を低く構えました。

 藪の向こうから、二つの、光り輝く金色の瞳がこちらを射抜くように見つめていました。


「……グルルル……」


 低い唸り声。

 現れたのは、黒色の毛並みを持った、一頭の野犬。

 大ネズミとは比較にならないほどの威圧感が、わたくしの肌をピリピリと刺しましたわ。


(あらあら、まあまあ。素敵な毛並みですわね。わたくしの冬用のマフラーに、ぴったりじゃありませんの?)


 わたくしは、恐怖を煽りに変えて、不敵に笑いました。

 指先に溜めた微かな魔力が、バチバチと音を立てて弾けます。

 さあ、第二ラウンドの始まりですわ!

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