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没落令嬢セレスティーナ様の冒険者生活  作者: TAC


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第15話

 朝。

 壁の隙間から差し込む光が、わたくしの鼻先を無遠慮に叩きました。

 

「……ん……。……あら、まあ。もう朝ですの?」


 身体を起こすと、全身の筋肉がギシギシと音を立てて悲鳴を上げましたわ。

 昨夜の癒しの力のおかげで、傷口のズキズキとした拍動は少しだけ和らいでいます。

 けれど、無理に身体を捻れば、やはり肋骨のあたりに鈍い痛みが走る。

 

(……オホホ。ダイヤモンドの原石を磨くには、これくらいの痛み、ちょうどいい刺激ですわね)


 わたくしは、枕元に置かれたショートソードを手に取り、その刃に自分の顔を映しました。

 まだ少し青白い顔。

 けれど、その瞳に宿る執念は、昨日よりもずっと深く、濃く。


 わたくしはボロ布の山から這い出し、まずは身だしなみを整えます。

 鏡なんてございませんから、手櫛で銀髪を整え、顔についた汚れを袖で乱暴に拭うだけ。

 そんな惨めな自分に、ふんと鼻を鳴らして。

 

 わたくしは物置部屋の重い扉を押し開け、ガレス様の待つカウンターへと向かいました。

 

 トントン、トントン……。

 

 厨房から聞こえてくる、小気味よい音。

 それと同時に、鼻の奥をくすぐる香ばしい匂い。

 

「……ガレス様。わたくしの身体を動かすための特効薬、……もう、準備はできていまして?」


 カウンターに腰掛け、わたくしは最高の煽り顔をガレス様に向けましたわ。

 不器用な男が差し出したのは、昨日よりもさらに肉の切れ端が多めに入った、琥珀色のスープ。


「……へっ、死に損ないのナマコが、朝から元気なこった。ほらよ、食え。それがなきゃ、あんたは今すぐそこで干物になっちまうからな」


 スープの中から漂ってくる、暴力的なまでに豊かな脂の香り。

 わたくしは木のスプーンを震える手で持ち、まずはその熱い液体を一口。

 

「…………っ!!」

 

 旨い。

 生き返りますわ!

 一噛みごとに、生命の灯火が再び強く、激しく燃え上がるのが分かる。

 身体の芯がポカポカと温まり、聖職者の力で無理やり繋ぎ止めた傷口が、本当の意味で癒えていくような錯覚さえ覚えました。


「……ふぅ。ご馳走様ですわ。とりあえずの、今日のエネルギーとしては、合格点を差し上げますわね」


 スープを飲み干し、身体が芯から温まったところで、わたくしは、店の扉へと歩み寄りました。

 キィィィィ……。

 朝の冷たい風が、わたくしの頬を撫でていきます。

 

 向かう先は、冒険者ギルド。

 

 一歩、また一歩。

 石畳の床を踏み締め、わたくしは再び、あの不潔で愛おしい冒険者ギルドへと向かいます。


 ギルドの扉を開けると、朝から騒がしい冒険者たちの喧騒が、わたくしを出迎えました。

 受付カウンターへ向かうわたくしの姿に、昨日の男たちが目を見開いて。


「おい、……マジかよ。生きてやがったのか」

「あの怪我で、もう歩いてるのかよ。化け物か、あのチビ」


「あらあら、まあまあ。……化け物だなんて、淑女に対して失礼ですわね。わたくし、ただの、少しばかり、執念深い、令嬢に過ぎませんのよ? オホホホ!!」


 わたくしは、最高に不敵な笑みを浮かべ、掲示板へと歩み寄り――。


 いけませんわ、わたくし。無意識に依頼を受けようだなんて、ワーカーホリックも真っ青ですわよ。

 この状態で依頼を受けるなんて、それは勇気ではなく、ただの無鉄砲な自殺志願者ですわ。

 わたくしはゆっくりと、未練がましく掲示板から視線を外しました。


「……あらあら、まあまあ。わたくしの予定表には、今のところ『無駄死に』の項目はございませんの。まずは、当然の権利を行使させていただきましてよ」


 わたくしは、重たい脚を引きずるようにして、受付カウンターへと向かいましたわ。

 一歩ごとに、脇腹の折れているかもしれない肋骨が、肺をちくりと刺すような不快な刺激を伝えてきます。

 昨日、ガレス様に手厚い……いえ、乱暴な手当てを受けたとはいえ、六歳の幼い肉体には、激痛の余韻がべったりと張り付いているようですの。

 カウンターに辿り着くと、昨日と同じ受付嬢さんが、幽霊でも見るような目をしてわたくしを凝視しておりました。


「……セレスティーナ、あんた……。本当に、生きてたのね」


「あら、ご挨拶ですわね。わたくしが、あんな道端に落ちている緑色の生ゴミ相手に、不覚を取るとでもお思いかしら? ……ほら、これが証拠ですわ。……お行儀の悪い害獣たちの耳、……きちんと揃っておりますわよ」


 わたくしは、小さな腰袋から、血の乾いた不気味な緑色の肉片を五つ、カウンターの上にコトリと置きました。

 周囲に漂う、饐えた獣の匂い。

 それだけで、わたくしの喉の奥から酸っぱいものが込み上げてきましたけれど。

 令嬢としての矜持で、それを華麗に飲み込んでみせましたわ。


「……本当に、五匹。一人でやったのね。……わかったわ、これが今回の報酬よ。一匹銀貨一枚。合計銀貨五枚。……でも、あんたその怪我、どう見ても普通じゃないわ。……教会の聖職者を呼ぶ?」


「お断りいたしますわ。……そんな贅沢な手間をかける余裕があるなら、わたくし、その分を将来のティータイムの茶葉代に回しますの。……銀貨、確かに受け取りましたわよ」


 わたくしは、差し出された銀貨五枚を指先で弾きました。

 チィィン、という、昨日よりもずっと重たく、けれど甘美な音が脳に響きます。

 合計で銀貨十一枚。

 昨日の出費を差し引いても、この手には確かな「明日」が握られておりますの。

 わたくしは、周囲の冒険者たちの、畏怖と好奇心が混ざった視線を一瞥し、ふんと鼻を鳴らしてギルドを後にしましたわ。


 外に出ると、鋭い朝の光が、わたくしの顔を容赦なく射抜きました。

 ふらり、と揺れる身体で再び歩き出しました。


 目的地は、ガレス様の店ではありません。

 この、薄汚れた冒険者の街の隅にある、古着屋ですわ。

 今のわたくしの姿、……返り血と泥にまみれ、革の胸当ては無惨に引き裂かれ、もはや乞食と見分けがつきませんの。

 将来の最高のお嬢様を目指すわたくしが、このようなボロをいつまでも纏っているなんて、精神衛生上よろしくありませんわ。


 辿り着いた古着屋の軒先。

 そこには、誰かが着古して、何度も洗濯されたせいで色が落ちたワンピースが並んでおりました。

 わたくしは、その中から一番マシな、淡い水色のものを選び取りましたわ。


「……店主さん。……これ、おいくらかしら?」


「あん? ……ああ、そりゃ銅貨十枚だ。……お嬢ちゃん、その怪我、大丈夫か?」


「あらあら、まあまあ。……わたくしの心配をする暇があるなら、この布地の擦れ具合をどうにかしたらどうかしら? ……銅貨八枚。……それで、手を打って差し上げますわ」


 わたくしは、泥だらけの指先で、懐の銅貨を数えました。

 命懸けで稼いだお金ですもの、一銭たりとも無駄にはできません。

 店主との粘り強い交渉……いいえ、華麗な商談の末、わたくしは銅貨八枚で、そのワンピースを手に入れました。

 さらに、古びた、けれど丈夫そうな麻の端切れも。


「……とりあえずの、……凌ぎですわね……」


 わたくしは、路地裏に身を隠し、震える手でボロボロの冒険者服を脱ぎ捨てました。

 冷たい風が、傷口に沁みます。

 けれど、新しい……いえ、古着とはいえ清潔な布が肌に触れた瞬間、わたくしの心に僅かな余裕が戻ってきましたわ。

 水色のワンピース。

 今のわたくしには、これがどんな最高級のシルクよりも頼もしく感じられます。


 次に向かったのは、香ばしい、暴力的なまでの甘い香りが漂う広場ですわ。

 ハチミツタルト。

 昨日からずっと、わたくしの胃袋が、その黄金色の輝きを求めて叫び声を上げていたのです。

 わたくしは、屋台の前に立ちました。


「……ハチミツタルトを一つ。……一番、ハチミツがたっぷりとかかっているものを、選びなさいな」


 店主に銀貨を差し出し、お釣りを受け取る手間さえ惜しく感じるほど、わたくしの目はそのタルトに釘付けでした。

 渡されたタルトは、まだ温かく、表面のハチミツがキラキラと朝日に反射しております。

 わたくしは、令嬢の作法なんてどこかへ投げ捨て、大きく一口、その甘美な塊を頬張りました。


「…………っ、……あ、あま……い……っ!!」


 脳が痺れるほどの、暴力的な甘み。

 サクサクとした生地が口の中で弾け、濃厚なハチミツが、乾ききったわたくしの心を満たしていきます。

 旨い。

 本当に、旨いですわ……。

 昨日、泥の中でゴブリンと殺し合っていた時、わたくしが求めていたのはこの味ですのよ。

 涙が、一粒だけ、頬を伝って落ちそうになりました。

 これは、……甘すぎて、目が潤んだだけですわ。

 断じて、わたくしが弱気になったわけではありません。


 タルトを最後の一欠片まで惜しむように食べ終え、わたくしは重たい腰を上げました。

 身体はまだ、悲鳴を上げ続けております。

 聖職者の魔法で表面だけは整えましたが、内側の疲労は溜まる一方。

 わたくしは、ふらつく足取りで『黒い天秤亭』へと戻りましたわ。


 店の扉を開けると、ガレス様がいつものようにカウンターの奥で、古い帳簿を睨みつけておりました。

 わたくしの姿を見ると、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らしましたわ。


「……へっ、またずぶ濡れで戻りやがったか。……って、なんだその格好は。……その水色のボロ布、どこで拾ってきた?」


「あらあら、まあまあ。……拾っただなんて失礼ですわね。……わたくしの、……戦士としての礼装が、あの緑色のゴミ屑どものせいで使い物にならなくなってしまいましたの。……だから、これを自前で用意しましたのよ」


 わたくしは、カウンターの上に、スライムの酸とゴブリンの爪でボロボロになった、かつての革の胸当てを置きました。

 無惨に裂け、もはや防具としての形を成しておりません。

 ガレス様は、それを指先で摘み上げ、じっと見つめましたわ。


「……あーあ。……ひでえもんだ。……これじゃ、……ただの革の屑だな」


「ですから、ガレス様。……相談ですわ。……わたくしの今の身体に合った、……もっと丈夫で、……けれど軽くて動きやすい、……まともな装備。……作っていただけるかしら?」


「……金はあるのか? ……これの修理じゃ済まねえぞ。……新調するなら、銀貨三枚は下らねえ」


 わたくしは、懐の銀貨の袋を、カチリと鳴らしてみせました。

 中には、まだ六枚の銀貨が残っております。

 これを手放すのは、身を切るような思いですけれど。

 装備をケチって、次で本当に死んでしまっては、将来の楽園が夢のまた夢になってしまいますわ。


「……三枚、……ですわね。分かりましたわ、お支払いします。その代わり、最高に使い勝手のよろしいものを、用意してくださらない? わたくしの命の値段、安く見積もっていただいては困りますのよ」


「わかったよ。……三日だ。それまでは、その物置部屋でおとなしく寝てろ。今のあんたの顔、死体と見分けがつかねえからな」


 ガレス様は、不器用な手つきで銀貨を回収すると、そのまま奥の工房へと消えていきました。

 わたくしは、安堵の溜息と共に、自分の「城」へと逃げ込みましたわ。


 物置部屋の冷たい床。

 けれど、今のわたくしには、ここがどんな豪華なベッドよりも愛おしい。

 わたくしは、新しい水色のワンピースを汚さないよう、慎重にボロ布の上に横たわりました。

 身体中の痛みが、静寂の中で再び主張を始めます。


「…………っ、……あ、痛たた……」


 脇腹を押さえながら、わたくしは自分のステータスを意識の端で確認しました。

 【五位一体】。

 すべてのスロットがレベル6。

 全職業レベル6の恩恵で、肉体の回復速度は僅かに上がっておりますが、それでも完治には数日はかかるでしょう。

 わたくしは、目を閉じました。

 暗闇の中で、ゴブリンの黄色い瞳が脳裏を掠めます。


(……もっと。……もっと、力をつけなくては。……わたくしが、……誰にも邪魔されず、……優雅に紅茶を啜る、……その日のために……)


 意識が、深い、深い眠りの底へと沈んでいきます。

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