第九話 師匠の困惑と消えた前座
一方その頃、下界(の普通の人間界)では、一人の男の怒号が響き渡っていた。
「こんぺいはどこへいったぁぁぁーーーーっ!!」
場所は、歴史ある落語の名門・目黒亭の一門。師匠である目黒亭満腹は、真っ赤な顔をして、震える手で茶碗を握りしめていた。
「師匠、落ち着いてください。また血圧が上がりますよ。どうも部屋にも帰っていない様子です」
なだめるのは、兄弟子のこんぺい太だ。彼は公平が失踪してから、その穴埋めに奔走していた。
「逃げたかっ!? あの野郎、まだ掃除のノルマも終わってねぇし、高座の稽古もろくに済んでねぇってのに!」
「逃げても行くとこなんかないはずですよ。あいつ、金もないし、友達だって……そんなにいないし」
「じゃあ、どこへ行った! 誘拐か? それとも、あの廃村で穴にでも落ちたか!?」
殺気立つ稽古場。そこへ、場違いなほど凛とした空気が流れ込んだ。
ふわりと香る白檀の匂い。
見れば、そこには非の打ち所がないほど整った顔立ちの、和服姿の美女が立っていた。その肌は陶器のように白く、どこかこの世の者とは思えない浮世離れした美しさを放っている。
「……何だ、あんた?」
満腹が毒気を抜かれたように問いかける。美女は静かに一礼し、鈴を転がすような声で口を開いた。
「安倍金吉の手の者です。主の命により伝言に参りました」
「あべの……きんきち? 誰だそりゃ、IT企業の社長か?」
「いえ。主は……そう、いわゆる専門職でございます。『こんぺい殿は現在、各界のVIPを接待しており、当面は戻れませぬ』とのこと」
満腹とこんぺい太は顔を見合わせた。
「VIPを接待? 各界の? ……あいつ、新興宗教にでも取り込まれたのか?」
「あるいは、どっかの半グレの宴会にでも引っ張り出されたか……。おい姉ちゃん、その接待ってのはどこでやってんだ? 報酬はちゃんと出てるのか?」
美女は淡い笑みを浮かべるだけだった。
「ご心配なきよう。今のところは、身柄の無事は保証いたします。むしろ、彼に笑わせていただかねば困る方々ばかりですので。報酬も充分お渡しするつもりでございます」
「わけがわからねぇ! とにかく、あいつが変なことに巻き込まれて、こっちにまで面倒がかかったらかなわん。連れ戻すぞ! おい、姉さん!今こんぺいはどこに・・・」
満腹が振り返るも、そこには誰もいない。
畳の上に、一片の桜の花びらが、季節外れの光を放って落ちていただけだった。
「姉さん、どこに……。師匠、これ、ただの家出じゃありませんよ。本気でヤバいことに首突っ込んでるんじゃ……」
困惑する師匠と兄弟子。
探しに行こうにも、手がかりは「安倍金吉」という名と、消えた美女だけ。そして、なによりも残酷な現実が彼らを襲う。
「クソッ、手がかりがねぇ……。だが、今夜の寄席があるんだ! 探してる暇もねぇ!」
「そうです。あいつの穴を僕が埋めなきゃならないんです。……戻ってきたら、ただじゃおきませんよ、こんぺいの野郎!」
下界の師匠たちが、日々の高座という現実の戦いに明け暮れている頃。
こんぺいは、神・鬼・陰陽師という、文字通り「次元の違うVIP」に囲まれ、必死に扇子を振っていた。




