第十一話 欠片の共鳴
新宿の寄席「末広亭」の舞台は、今や現世の理を超えた「魂の計量所」と化していた。
目黒亭満腹は、脂汗でぐっしょりと濡れながら、必死に『芝浜』を演じていた。しかし、目の前の「背広姿の神(毘沙門天)」と「銀縁眼鏡の死神(冥官)」の放つ重圧は増すばかり。
普通の客たちは、出口を守る美女(式神)の冷たい視線に射すくめられ、逃げ出すことも叶わず、ただただガタガタと震えながら座っている。
一言発するたびに、冥官が手帳に何かを書き込む。そのペンの走る音さえ、自分の寿命をガリガリと削り取る音に聞こえた。
(ダメだ……俺の芸は、こいつらには届かねぇ……!)
満腹の意識が、プレッシャーで朦朧とし始めた。
頭の中が真っ白になり、長年守り続けてきた「古典の型」が崩れ去りそうになった、その時。
崖っぷちの満腹の口から、無意識に「闇の欠片」を含んだ一言が漏れ出た。
「……だけどよ、お前さん。本当は知ってたんだろ? 財布を拾ったのが夢じゃねぇってことじゃなくて……あの財布を落とした野郎が、今、どこでどんな地獄を見てるかってことをよぉ……」
――ピタリ。
冥官の筆が、止まった。
そして、客席中央に座る男の、岩のように固まっていた口の端が、ほんの数ミリ、上へと動いた。
舞台の幕の袖。
暗がりにいたこんぺい太には、なぜかその「微かな変化」がスローモーションのようにはっきりと見えた。
「(今のは……? 何故だ?)」
ほんの少しの食いつき。その理由はわからない。
だが、今の不気味で、救いのない一言が、あの得体の知れない男たちに確実に「刺さった」のだ。
「(あいつ……こんぺいが今居るのは、あそこなのか……?)」
こんぺい太の脳裏に、行方知れずの弟弟子の姿が浮かぶ。
あいつは、師匠ですら足を踏み入れたことのない、この「笑い」と「恐怖」の境界線に、たった一人で立っているのではないか。
満腹は、自分の一言が起こした波紋に気づかぬまま、再び震える声で噺を繋いだ。しかし、寄席の空気は明らかに変わった。
深淵が、深淵を認めた瞬間の、ゾッとするような静かな熱気が、客席に満ち始めていた。




